第12話 父の調査
翌日。
昨日の今日だ。精神的にも肉体的にも限界を迎えていた俺が、泥のようにいつものベッドで眠りこけていると、寝室のドアが勢いよく蹴破られた。
「おっきろー!」
鼓膜を突き破るような母の怒声。それと同時に、俺の身体はあり得ない角度で宙へ跳ね上がった。
豪快な音を立てて、ベッドごと俺を「ちゃぶ台返し」して起こす。これが我が家の、あまりにもバイオレンスなモーニングルーティンだった。
「ほんとに疲れてるから……勘弁してよぉ……」
床にスライディングする形で叩きつけられた俺は、枕に顔を埋めたまま消え入りそうな声で抗議する。しかし、母は仁王立ちのままフンと鼻を鳴らした。
「朝食出来たからはよー降りてきんしゃいね」
それだけ言い残すと、母はさっさと部屋を出ていった。
俺は痛む腰を押さえながら、上下逆さまになったベッドを見上げる。
これでも一応、母の能力は敵視点から見ればなかなか厄介な部類に入るのだ。能力名は『ちゃぶ台返し』。下から上へ加える力が運動エネルギーごと爆発的に増強される。もし戦闘でこれを食らえば、並の相手なら天井まで吹き飛ばされるだろう。
そんな強力な能力を、実の息子をベッドから叩き出すためだけに毎朝全力で行使してくるのだから、本当にタチが悪い。
(……あー、身体中が痛い。でも、飯は食うか……)
重い身体をどうにか引きずり起こし、俺はリビングへと続く階段を降り始めた。
「あれ、父さんまた居ないの」
食卓を見渡すと、用意されている朝食は二つだけだった。トーストと目玉焼きの香りが広がる中、父の席がぽつんと空いている。
「あーたが変な事件起こすからでしょ」
母さんはフライパンを洗いながら、事も無げに言った。
(原因俺じゃないんだけど……)
昨日モールの事件を起こしたのはあの怪物だし、自分はただ巻き込まれた被害者だ。心の中でそう強く突っ込みを入れつつも、これ以上反論しても『ちゃぶ台返し』の第二波が来るだけだと本能が察し、俺は黙って椅子に座って朝食を食べ始めた。
トーストを齧りながら、ふと思う。
父の仕事は、こういう大きな事件の後処理や調査に絡んでいることが多い。軍が動いた昨日の今日だ。自分のせいで、夜通しで駆り出されているのかもしれない。
ーーモール内ーー
「派手に暴れまわったなぁ」
「これ後処理地獄っすよ」
「この事件なければ俺は今頃家族と飯食ってたのに……」
「まぁ手当出るんですし、やりましょうよ!」
俺の父はモール内で仲間と被害状況を確認していた。周囲は破壊された壁や飛び散った破片で、昨日の惨劇を生々しく物語っている。
「今回の事件って被害者どのくらいっすか?」
「死者は怪物化した男含め14人」
「うげー……えげつないっすね……」
「怪物化はここ最近増えてきてるな……それに被害も広がっていく一方だ……人為的な可能性が高い」
「つまり……怪物化させる能力者がいるってことすか?」
「そうとしか考えられないが……ルゲアの放出痕跡が見られない」
能力による犯行なら、普通はルゲアの痕跡が残る。
だが今回、それが一切見つからない。
その事実が、父の背筋にじわりと嫌な汗を滲ませていた。
父は、最初に男が怪物化したとされる場所――ゲームセンターへと向かった。
「なんか音がないゲーセンって違和感凄いっすね……ちょっと怖いっつーか……」
「無駄口叩いてる暇あったら調べ尽くせ〜、昼飯奢んねーぞ」
「うっす!」
普段なら大音量のBGMや電子音が鳴り響いているはずの空間が、今は不気味なほど静まり返っている。
ただし、くまなく床や筐体の間を調べてみても、見つかるのはべっとりとこびりついた血の跡だけだった。これ以上は何も得られないと思い、ゲームセンターから離れようとしたその時、父はふと奥にあるスタッフ専用口に目を付けた。
(ドアノブに血が……)
怪物が逃げ惑う人間を襲った時についたものか、あるいは。
半分は興味本位でドアを開けて中を覗いてみたが、散らかった室内にはこれと言った怪しいものは見つからなかった。
「どうしたんすかー? 先輩?」
「いや、何でもない。ただの思い違いだったわ」
「しっかりしてくださいよー」
後輩に苦笑いを返し、諦めてもう一度部屋全体をぐるりと見渡した時、父の足元に妙な物が引っかかった。棚の隙間の暗がりに、キラリと光るものがある。
「注射針……? 何でここにあるんだ?」
ゲームセンターのバックヤードには、およそ不釣り合いな医療器具。
父の直感が、これが単なるゴミではないと告げていた。何かの重要な証拠と思い、慎重に拾い上げて透明なビニール袋に入れた。
「先輩? なんすかそれ」
「分からない……だが、何かの証拠品になるかもしれない」
ビニール越しに鈍い光を放つ注射針を見つめながら、父は胸をざわつかせる。ルゲアの痕跡を残さずに人間を怪物化させる手段――その恐るべき答えの一端が、この小さな針の中に隠されているような気がしてならなかった。
父はモール外の敷地に設営された、軍の臨時解析班のテントへと足を向けた。中には精密機器が並び、慌ただしくデータが飛び交っている。その一角にいる解析者に、先ほど回収したビニール袋を手渡した。
「ニベア。これ、解析してくれないか?」
「んー? どれどれ」
ニベアと呼ばれた女性隊員は、けだるげに髪を耳にかけながら袋を受け取り、ライトの光に注射針を透かした。針の根元に、ほんの少しだけ残されていた不透明な液体を凝視する。
「うーん、よく見えないし分かんない。でもただの薬ではなさそうね」
「と言うと?」
父が身を乗り出すと、ニベアは顕微鏡やいくつかの測定器にサンプルをかけ、データ画面を睨みながら口を開いた。
「中に興奮剤と誰かの血液……それから、ほんの少しだけ『液状のルゲア』が入ってる」
「ルゲアって液状だったか!?」
父は思わず声を荒らげた。ルゲアとは本来、能力者の体内から放出される波長であり、エネルギーの総称だ。形を持たないそれが「液体」として存在しているなど、聞いたことがない。
「違うよ! 本来はそんなんじゃない。でも、これは解析波形を見る限り確実にルゲアだね。何らかの方法で液体化されてる」
「……そのルゲアから、人物特定は出来るか?」
もしこれが首謀者のものなら、一気に事件の核心へ近づける。だが、ニベアは小さく首を横に振った。
「難しいよ? そもそも量が少なすぎるし。不純物も混ざりすぎてて、固有のシグナルを抽出するのは至難の業ね」
有力な手がかりを掴みかけたものの、一筋縄ではいかない。ルゲアを液体にして他人に投与し、怪物化させる――そんな未知の技術の存在に、父の心はさらに重く沈んでいった。
突如としてテントの入り口の幕が跳ね上がり、威厳のある声とともに大佐が入ってきた。
「ちょっと失礼。 状況はどんな感じかね?」
父は流れるような動作で背筋を伸ばし、完璧な敬礼をしてこれまでの状況報告を伝えた。ゲームセンターで見つかった注射針のこと、そしてニベアが突き止めた「液状のルゲア」という不可解な解析結果についても包み隠さず報告する。
大佐は顎に手を当て、深刻な面持ちでフムと小さく唸った。
「うむ……では注射針はそのまま解析を続けたまえ。そして雨月君、少し働きすぎだ。あとは若い者に任せて、君はもう帰っても大丈夫だ」
「はっ、ありがとうございます」
そう言われて初めて、父は自分が張り詰めていたことに気づいた。
昨夜からの徹夜続きで、身体はとっくに悲鳴を上げている。大佐の気遣いに感謝しつつ、もう一度深く敬礼した父は、この奇妙な証拠品が少しでも早く謎を解き明かす鍵になることを願いながら、テントを後にした。
「日中に帰るのは久々だな……コンビニでも寄るか」
すっかり明るくなった街並みを歩きながら、父は小さく独りごちた。徹夜明けの身体に外の光が少し眩しい。
ふと目に留まったコンビニに立ち寄り、カゴを手に取る。自分のための酒やつまみを選んだ後、ふと思い出して菓子コーナーと飲料水の棚へ足を向けた。シンへのお土産にと、適当なお菓子やジュースをいくつかカゴに放り込む。
そのまま袋を提げて家へと帰宅し、玄関のドアを開けた。
「ただいまー」
「あら、お帰りなさい。早かったじゃんね」
リビングから母の声がする。父は靴を脱ぎながら、リビングの奥に向かって声を張り上げた。
「あぁ、昨日から働き詰めだったからな。おーい、シン、土産あるぞー」
階段の上の自室で、まだなんとなく身体の痛みを引きずっていた俺は、その言葉にピクリと反応した。
お土産。その魅力的な響きに釣られるようにして、俺は急いで部屋を飛び出し、ドタドタと音を立てながら階段を駆け降りた。
「マジ! 何買って来たん?」
「ポテチだ」
「ありがたやぁ〜 神様仏様父上様〜」
父上様からポテトチップスの袋とジュースを受け取り、俺はこれ以上ないくらい大袈裟に拝んでみせた。それを見た母が「大袈裟ねぇ」と後ろで呆れたように笑っている。
昨日、あの薄暗いモールの中で味わった、心臓が跳ね上がるような恐怖。軍の重苦しい取調室の空気。
それらすべてが、バリッと小気味いい音を立てて開けられたポテチの香りに、一瞬で上書きされていく。
非日常から、いつもの日常に戻ったような気がした。
父の買ってきたつまみを少し泥棒して怒られたり、母さんの何気ない愚痴を聞き流したりしながら、家のリビングにはいつも通りの時間が流れていく。
あの事件の裏で何が起きていたのか、俺には知る由もない。
ただ、窓の外の空がゆっくりと茜色から深い夜へと移り変わっ
ていくのを眺めながら、俺は強烈な睡魔に身を委ねた。
何事もなく、静かに一日が終わった。
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