第11話 残響

「大丈夫かい? 迷子の二人組」


俺が声のする方へと必死に視線を向けると、そこにいたのはシア先輩だった。


「シア先輩! って、お……落ちる!」


「大丈夫だよ〜。これ、自分の能力で浮いてるから」


シア先輩はいつもの飄々とした調子でそう言い、俺をふわりと宙に支えて安心させた。それから、破壊された自動ドアの枠に巨体を引っ掛け、なおもこちらを睨みつけている怪物化した男へと視線を向ける。


「あいつは?」


「体調悪そうにしてたので、助けようとしたら突然あんな風に……! 警備員のダストを食って、どんどんデカくなっていったんです!」


「おっけー。あとは自分に任せて」


シア先輩が小さく息を吐き、怪物に向けて片手をすっとかざした。


次の瞬間、信じられない光景が目の前で起きた。


怪物の周囲にあった空気、いや、空間そのものが目に見えない巨大な力で全方位から圧迫され、自動ドアの破片や壁のコンクリートごと、見る見るうちに四角形に凝縮されていったのだ。


「ヴッ……ギギ……ヴィアニ゛ッ!」


怪物は逃れることもできず、その巨体を無理やり四角い檻の中へと押し込められていく。メキメキと骨の砕けるおぞましい音が響き、やがてその身に宿るダストごと、何かもかもが完全に押し潰された。


だが、凄まじい圧力がかかっているはずなのに、血飛沫が一滴も外へ飛び散らない。肉も、骨も、血液も、すべてが目に見えない四角形の境界線の内側に閉じ込められたまま、一つの歪な立方体となって宙に浮いていた。


「何が……起きたんですか……」


あまりに圧倒的で、そして無慈悲なまでの光景に、俺はただ唖然とするしかなかった。


「あれも自分の能力。あいつの周りに空気の壁を作って、限界まで圧縮しただけだよ」


シア先輩は何でもないことのように微笑む。

あの狂暴な怪物を一瞬で無力化し、塵一つ残さず空間ごと圧殺する力。味方でなければ腰を抜かして逃げ出すような、恐ろしい能力だった。


「ん〜! 素晴らしい音色……やはりやはりやはり! 音に正解は無い! そして……音楽に答えがある」


少し離れた、影の濃い通路の奥。


シア先輩たちの視線が届かない死角で、その男は恍惚とした表情を浮かべながら、自身の甲高い声を響かせていた。言葉が進むにつれて声のトーンはねっとりと低くなり、不気味な残響となって薄暗い空間に溶けていく。


一般の警備員を噛み殺し、ダストを貪り食うことで得られた絶頂の咆哮。そして、強力な能力によって一瞬で圧殺された、骨と肉の砕ける音。そのすべてが、男にとっては至高の旋律だった。


男は満足気にその場から静かに立ち去った。


その背中が完全に闇へ消えた後も、モールにはまだ、怪物の残した「ビアニズド」という言葉の余韻だけが冷たくこびりついていた。


一方、俺は軍の取調室で事情聴取を受けていた。


この世界には一般に言う「警察」という組織は存在しない。治安維持から事件の捜査、そしてダストが絡む超常的なトラブルの処理に至るまで、すべての権力は「軍」が握っている。


「大体……こんな感じです……」


パイプ椅子に座り、机を挟んで向かい合う軍人の男に、俺は今日起きたありのままの出来事を伝えた。


「ふーん……体調の悪い男が怪物化ねぇ……」


軍人は書類に目を落としたまま、あからさまに信じてなさそうな態度で気のない返事をする。鼻で笑うようなその空気感に居心地の悪さを感じたが、シア先輩が現場を処理してくれたこともあってか、これ以上の追及はなく何とか部屋から出してもらうことができた。


重苦しい軍の施設を出て、しばらく外の冷たい空気に当たりながら待っていると、少し遅れてレンジが建物から出てきた。その顔には、どっと押し寄せたような疲労が滲み出ている。


「お疲れ。今日はもう帰ろっかぁ……」


俺が声をかけると、レンジは力なくため息をつきながら頭を掻いた。


「あぁ……。あと、あいつが怪物化していたとはいえ、能力を使って危害を加えたことに対して、軍から厳重注意されたわ」


あんなバケモノ相手に生き残るために必死だったというのに、軍の融通の利かなさには呆れるしかない。俺達はクソ映画の文句を言い合っていた数時間前の平和な空気が、遠い昔のことのように思えた。


疲れ果てた身体を引きずるようにして、ようやく我が家の玄関をくぐる。


正直、俺の中では「ニュース見たわよ!」「大丈夫だったの!?」と、心配して飛びついてくる母や父の姿をほんの少しだけ期待していた。あれだけの騒ぎだ、もう情報が回っていてもおかしくはない。


「ただいま……」


「ん、おかえりー」


リビングから返ってきたのは、拍子抜けするほどいつも通りの、気の抜けた母の声だった。テレビの音がのんびりと流れている。


「今日、モールで怪物化した男に追いかけ回されて散々だったんだけど……」


命の危機だったんだぞ、と少し大袈裟にアピールしてみる。しかし、母は視線をこちらに向けることすらなく、手元のスマホを眺めたまま平然と言い放った。


「ちゃっちゃと風呂入んな」


(……心配ぐらいしろよ、マジで)


あまりの温度差に、俺は心の中で毒づきながらリビングのドアに手をかけた。その瞬間、母がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、こちらを振り返った。


「今、『心配ぐらいしろよ』って思ったっしょ? あーたは昔っから疫病神だから驚きもしんないわよ」


「俺……そんな酷いん……?」


冗談めかした口調ではあるものの、我が母ながらあんまりな物言いに思わずガチで凹む。だが、母の追撃は容赦なく続いた。


「当たり前じゃない。昔家族旅行に行った時、飛行機墜落したじゃん。他にも、あーたの中学の時に入ってた部活が全員――」


「もう良いから! 分かった分かった……俺が疫病神なの認めるよ。……風呂入ってくる」


それ以上過去のえげつないトラウマエピソードを掘り返される前に、俺は両手を振って母の言葉を遮った。まさか生きるか死ぬかの大騒動を「いつものこと」で片付けられるとは思わなかった。


「いってら〜」


背後から聞こえる能天気な声を無視して、俺は着替えを掴んで脱衣所へと逃げ込んだ。


服を脱ぎながら、ふと鏡に映る自分の顔を見る。

飛行機墜落に、中学の部活の件、そして今日の怪物。たしかに常人なら一生に一度遭遇するかどうかの災難が、なぜか俺の周りにはゴロゴロ転がっている。


(いや、でも今回は流石に俺のせいじゃないだろ……。あいつ、最後に何て言ってたっけ)


湯船に浸かりながら、今日一日の出来事が頭の中でぐるぐると回り出す。


男の遺した「ビアニズド」という言葉。


軍の事情聴取では適当にあしらわれたが、これはただの通り魔的な事件なんかじゃない。もっと根の深い、とんでもない何かが動き出している予感がして、温かいお湯に浸かっているはずなのに、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

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