第6話 キジマ
俺とダム先輩が同時にそちらを振り返る。
そこには、着崩した制服の肩に大きめの荷物を引っかけ、いかにも「ひと仕事終えてきました」という風貌で歩いてくる一人の男が立っていた。
「キジマさん」
それまで険しかったダム先輩の表情が、わずかに引き締まる。
キジマ。
さっきダム先輩が言っていた、任務中で不在だという【超人系】のルーム長。
遠目からでも伝わってくる、独特のけだるげで、だけど底が全く見えない圧倒的な強者のオーラ。彼が歩いてくるだけで、超人系ルームの空気がピリリと張り詰めるのが分かった。
「お疲れ様です。ちょうど今、新入生のシンの動きを見ているところでした」
「ふーん、シンくん言うんか。まぁ、ダムにシバかれてるようじゃ、まだまだひよっこやなぁ」
キジマ先輩はニカッと白い歯を見せて笑うと、俺のすぐ目の前まで歩いてきて、ひょいと覗き込んできた。
キジマ先輩と至近距離で目が合った瞬間、俺の胸の奥で、何かが小さくざわついた。
「あの……俺たち、どこかで会いましたか?」
床に寝そべったまま、思わず言葉が口をついて出ていた。初対面の四年生の先輩、しかもルーム長に対して、あまりに突飛で失礼な質問だったかもしれない。
けれど、キジマ先輩は怒るどころか、細い目をさらに細めて面白そうに口元を歪めた。
「奇遇やな。自分も今、全く同じこと思っとったわ」
キジマ先輩はそう言うと、荷物を床にドサリと置き、俺に向かって大きな手を差し伸べてきた。
「初対面のはずなんやけどなぁ。お前のその面、なんか妙に懐かしい気がするわ。……ほら、立ちーや」
差し出された手を掴むと、驚くほどの怪力で軽々と引きずり起こされる。
この奇妙な感覚は一体何なんだろう。ただの気のせいか、それとも、俺の知らない過去や能力のルーツに、このキジマという男が関わっているのだろうか。
隣で二人のやり取りを見ていたダム先輩だけが、怪訝そうに眉をひそめていた。
「あ! そうや、任務先でお土産買って来とったわ!」
キジマ先輩はポンと手を叩くと、床に置いたばかりの荷物をガサゴソと漁り始めた。
一体どんな凄い武器や戦闘アイテムが出てくるのかと俺が身構えていると、先輩が満面の笑みで取り出したのは、初見じゃ猫か犬かも分からない、やたらと顔のパーツが寄ったラッコの巨大なキーホルダーだった。
「これ、めっちゃええやろ? 一目惚れしてもうてん」
キジマ先輩は自慢げにラッコを揺らして見せる。
「……キジマさん、またそんな変なもん買ったんですか」
ダム先輩が、今日一番の冷ややかな視線をキーホルダーとキジマ先輩に突き刺す。
「失礼やなー! これは変なもんちゃうわ、ちゃんと使うし!」
「そんなんだから、ルーム長室がガラクタだらけになるんですよ。この前も怪しい火星の岩石とか買ってきて、置き場所に困ってたじゃないですか」
「うっ……」
ダム先輩の容赦のない正論に、キジマ先輩は言葉を詰まらせてあからさまにうろたえた。
さっきまでの底知れない強者のオーラはどこへやら、完全に後輩に釘を刺されて形無しになっている。
超人系のトップであるルーム長とダム先輩。二人の力関係がなんとなく透けて見えて、俺は痛む体を忘れて少しだけ吹き出しそうになってしまった。
「そういや、この新入生はどこのもんや? まだ名前も聞いてへんかったな」
キジマ先輩はラッコのキーホルダーを適当にバックへ突っ込むと、改めて俺に視線を向けた。
「はい、雨月シンです! 能力は……ただ、身体能力を上げるだけです……」
シア先輩の『虚空操』やクライド先輩の『ブラックホール』といった、名前だけで次元が違うと分かる異能に比べたら、俺の能力はあまりにも地味で、どこか格落ち感が否めない。つい声が小さくなってしまう。
だけど、キジマ先輩はそれを聞いて、バカにするどころか口元を不敵に吊り上げた。
「ほーん、身体能力の強化だけ、か。……ええやん、シンプルイズベストや。それだけ基礎に特化しとるってことは、これからの鍛え方次第でどうとでも化ける。めちゃくちゃ伸び代がありそうやな」
キジマ先輩のその言葉に、俺は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
超人系のトップにそう言ってもらえたことが、今の俺には何よりも心強かった。
「どれ、いっちょ俺とやってみんか?」
「え?」
今日二度目の、間抜けた声が出た。
ついさっきダム先輩にボコボコにされて床に転がったばかりなのに、今度はこのルームのトップである四年生と手合わせだって?
戸惑う俺をよそに、キジマ先輩は制服の上着を脱いでその辺に放り投げると、首を左右に鳴らした。
「なーに、そんな怯えんなって。こっちは能力使わんし、そっちは能力使ってええよ。ハンデやハンデ」
能力を使わないとはいえ、相手はあの【超人系】のルーム長だ。生身のスペックだけでも化け物なのは疑いようがない。突然の破天荒な提案に、俺は完全に困惑してしまった。
どうすればいいか分からず、助けを求めるようにふとダム先輩の方へと視線を向ける。
いつもなら「お前にはまだ早い」とでも言いそうなダム先輩だったが、今は違った。先輩は腕を組んだまま、俺の目をまっすぐに見つめ、小さく、だけど確かに頷いた。
(……まるで、「頑張れ」と、俺の背中を押してくれているみたいだ)
あの厳しいダム先輩が、俺を戦わせる価値があると認めてくれたんだ。
ゴクリ、と唾を飲み込む。腹の痛みはまだ残っているが、不思議と恐怖は消えていた。あるのは、自分がこの怪物にどこまで通用するのかという、純粋な挑戦心だけだ。
「……分かりました。よろしくお願いします!」
俺はもう一度グローブを強く握り締め、キジマ先輩に向かって構えを取った。
「始め!」
ダム先輩の鋭い合図が訓練場に響き渡る。
その瞬間、俺はさっきと同じ過ちは繰り返さないと誓い、全身のバネを使って激しい左右のフェイントを仕掛けた。
「瞬発力はええが――まだまだ判断が甘いんちゃうんか?」
キジマ先輩は、揺さぶりをかける俺の動きなど一切気にする風もなく、最短距離を真っ直ぐに突撃してきた。
一瞬で間合いを詰められ、至近距離から容赦のない拳が突き出される。その拳が、まるで自分の顔よりも巨大な質量兵器のように見える。
(このままじゃ、避けきれない……!)
俺は一か八か、後でどんな反動が来るかも分からないまま、能力の強化を『脳』へと一気に集中させた。
ダストから汲み上げたルゲアが脳へと駆け巡る。瞬間、俺の動体視力と反射神経が爆発的に底上げされ、世界が引き延ばされたようにスローモーションへと変わった。迫り来る先輩の拳が、はっきりと遅く見える。
(初めて脳に使ったけど……大丈夫かな……)
頭が焦げるような、未体験の熱さと妙な浮遊感に不安がよぎる。だけど今はそんなことを気にしている余裕はなかった。俺の目は、ただ勝つことだけを見据えている。
スローに見える世界の中で、俺は迫る拳をミリ単位で紙一重で回避し、そのまま左フックのフェイントを鋭く繰り出した。
キジマ先輩の身体が、俺の左フックに反応してガードの構えを取るのが見えた。
その刹那、俺の脳裏に「勝利の光」がはっきりと差し込んだ。
(かかった……!!)
左フックを当てる寸前でピタリと止め、完全にがら空きになった逆サイドから、ありったけの力を込めて右の拳を叩き込みにいく。
――だが。
その勝利の光は、キジマ先輩の不敵な笑みによって一瞬で遮られた。
「フェイントを掛けるのは、お前だけちゃうで」
先輩は、俺の右からの攻撃に対して『後退』して距離を取るのではなく、あえて自ら『前進』して俺の懐へと潜り込んできたのだ。
攻撃の威力が最大になる手前で、完全に軌道を潰される。
(しまっ――)
一転して、目の前が真っ暗な「敗北の影」に包まれる。
能力を使わずとも、長年の経験に裏打ちされた先輩のカウンターの一撃が、俺の肉体に深く突き刺さった。
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