第5話 地獄のマンツーマン

放課後。


終業のチャイムが鳴ると同時に、俺たちは鞄を掴んで教室を飛び出し、戦闘部の部室であるあの巨大な訓練場へと向かった。


「なんか……昨日より緊張するな」


「わかる~」


レンジも同意するように、少し肩をすくめる。


ただの見学だった昨日とは違う。今日からは正式な部員として、あの異次元の強者たちの輪に加わるのだ。


恐る恐る重厚な扉を開けると、丁度目の前の受付デスクのような場所にキシン先輩が立っていた。


「お、新入生じゃん。確かうちの部に入ったんだっけ?」


「はい! よろしくお願いします!」


俺とレンジは、背筋を伸ばして改めて大声で挨拶をした。


キシン先輩は昨日と変わらないおちゃらけた調子で「よろしくね~」と微笑み――それから、まるで今日の天気を話すかのような軽いトーンで、とんでもないことを口にした。


「あ、ちなみに戦闘部は訓練中に死ぬこともあるから、そこだけは気をつけてね~」


キシン先輩は、まるで「風邪ひかないようにね」とでも言うような軽いトーンでそう言った。


「うわ、マジですか……。なるべく死にたくはないなぁ」


「そうだな。死ぬ瞬間のあの痛みだけは慣れないしな……あとここまで戻るのめんどくさい。」


俺とレンジは顔を見合わせ、心底嫌そうに肩をすくめる。


「あはは、まぁ滅多なことじゃ死なないから大丈夫だって! じゃ、それぞれのエリアに行ってな~」


キシン先輩にひらひらと手を振られ、俺たちは返事をして、昨日見学したそれぞれのエリアへと足を進めた。


超人系のルームに入ると、すぐにあのお馴染みの鋭い気配を見つけた。


「ダム先輩!」


俺が駆け寄り、正式に戦闘部に入部したことを伝えると、ダム先輩は不敵にニヤリと笑った。


「入って正解だな。……そうだ、お前、一緒にいた友達がいただろう。一旦ここに連れてきてくれないか?」


「え? あ、分かりました」


(まさか、挨拶代わりにレンジをボコボコにする気じゃ……)


そんな不穏な予感を抱きつつも、俺はレンジに何も伝えないまま「ちょっと来て」とだけ言って、幻獣系エリアから彼を連れて戻ってきた。


「二人に、それぞれの『ルーム長』を紹介しないとな」


「「ルーム長?」」


俺とレンジの声が綺麗にハモった。


ダム先輩の話によると、戦闘部は【超人系】【自然系】【幻獣系】【宇宙系】の4つのエリアに分かれており、それぞれをまとめ上げる「ルーム長」というトップが存在するらしい。


「ついてこい」


ダム先輩の先導で、まずはレンジが所属する幻獣系のエリアへと向かう。


「ミルリさん、新しい部員を連れてきました」


「これで7人目かぁ。もっと来ると思ったんだけどなぁ……あ、私はミルリ。能力は『獣神霊天』で、四年生だよー」


レンジの直属の先輩となるその人は、長く美しい髪と優れた美貌を持つ、どこか神秘的な雰囲気を纏った女性だった。


次に案内されたのは、宇宙系のエリアだった。そこには、とても虚な目をして猫背で佇む、絵に描いたように暗い男がいた。


ダム先輩は彼に視線を送り、少し呆れ気味に声をかける。


「せめて挨拶くらいしたらどうですか?」


しかし、男からはなんの反応もない。完全に諦めた様子のダム先輩が、代わりに紹介を代弁した。


「この人が宇宙系ルーム長のクライド。能力は『ブラックホール』で、同じく四年生だ」


紹介されると、クライド先輩は小さく、消え入りそうな動作でコクンと頷いた。あの暗さでブラックホール持ちとか、色んな意味で吸い込まれそうで怖い。


そのまま、隣の自然系のエリアへと足を踏み入れた途端、俺とレンジは思わず声を上げた。そこにいたのは、見覚えしかない人物だったからだ。


「あ、シア先輩!」


「お、迷子二人組じゃん」


相変わらず嫌な覚え方をされているが、最上級生に覚えられているだけマシだと思うことにする。


「ほう、既に顔を知っているようだな」


「ダム君じゃーん、おひさ~!」


シア先輩が親しげにダム先輩の肩を組もうとしたが、ダム先輩は無表情でそれをサラリとあしらっていた。温度差がすごい。


「ふふ、名前と学年は……もう知ってるか。私の能力は『虚空操』。よろしくねー」


笑顔でそう語るシア先輩。


これで四つのうち、三つのエリアのルーム長と顔を合わせたことになる。どいつもこいつも一癖も二癖もある四年生ばかりだ。


となると、残る一つのエリア――俺が所属する【超人系】のルーム長は、一体どんな怪物なんだろうか。


「よし、ひとまずこれで全員だな」


自然系エリアを後にしながら、ダム先輩がそう締めくくった。


だが、俺の胸には一つ、どうしても気になる疑問が残っていた。


「あれ? 超人系のルーム長は居ないんですか?」


他の三つのエリアには、それぞれ化け物じみた能力を持つ四年生のトップがいた。なのに、俺自身が所属することになる【超人系】のルーム長だけが、まだ紹介されていない。


俺の問いに、ダム先輩は歩みを止めることなく、ぶっきらぼうに答えた。


「キジマさんか。あの人は今、任務中でここには居ないから後回しだ」


(キジマさん……)


任務。その響きだけで、この学校の生徒がただの『学生』ではないことを物語っている。


あの隙のないダム先輩がどこか敬意を払うような口ぶりをする、超人系のトップ。まだ見ぬその人物の存在に、俺は少しの緊張と、それ以上の期待を膨らませるのだった。


パン、とダム先輩が大きく手を叩き、その場の空気を引き締めた。


「よし、挨拶はここまでだ。早速訓練に移るぞ」


その言葉を合図に、俺とレンジは再びそれぞれのエリアへと別れ、各自の訓練を開始することになった。レンジはミルリ先輩の方へと歩いていき、俺は超人系の道場へと視線を戻す。


さて、俺は何から始めればいいんだろう。そう思ってキョロキョロしていると、背後からダム先輩の重苦しい声が降ってきた。


「シン。お前は俺とだ」


「へ?」


思わず、間抜けた声が出た。


周りを見渡しても、ダム先輩の視線はまっすぐに俺だけを捉えている。


「昨日のお前の動き、あれじゃ話にならん。上半身を使うとすぐ自滅する構造、それに技の拙さ……全部叩き直してやる。グローブを嵌めろ」


昨日、あの圧倒的な実力を見せつけてきた先輩が、直々にマンツーマンで指導してくれるらしい。


願ってもないチャンス――のはずなのに、ダム先輩の放つ威圧感を前に、俺の背中にはドッと冷や汗が吹き出していた。


リングのロープが背中に触れる。四角いキャンバスの真ん中に立たされた俺は、圧倒的なプレッシャーを前にして、ただ無様にガードを固めて構えることしかできなかった。


そんな俺を値踏みするように見つめながら、ダム先輩は一つ、短くアドバイスをくれた。


「能力を使う時は、ルゲアの流れを意識しろ」


「ルゲア……」


さっきの保健の授業で聞いたばかりの言葉。

俺は深く息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。第二の心臓『ダスト』から絶え間なく生成され、血管のように全身の隅々へと巡っているはずのルゲアに、全神経を集中させて意識を向けてみる。


(……うん、全く意識できない)


心の中で即座にセルフツッコミを入れた。

当然だ。自分の体の中を流れる血液の一滴一滴をリアルタイムで知覚しようとするようなものだ。昨日今日、戦闘の世界に足を踏み入れたばかりの新米に、そんな超感覚ができるわけがなかった。


「おい、何ボサッとしてる」


先輩の冷徹な声と共に、空気が爆ぜるような鋭い踏み込みの音が響いた。


衝撃に備えて咄嗟にガードをし直したが、ダム先輩の踏み込みから繰り出された一撃は重く、俺の両腕を易々と弾いた。さらに、ガラ空きになった俺の腹部へ、容赦のないもう一撃が直撃する。


「ぐふっ……!」


内臓を激しく揺さぶられるような衝撃。あまりの痛さに息が詰まり、俺はその場に膝から崩れ落ちて倒れ込んだ。腹を抱えてうずくまる俺を、ダム先輩は冷ややかに見下ろす。


「ガードなら、お前の能力で肉体を強化して防げたはずだろ」


「それが……瞬時に出来たら、とっくにやってます……っ」


脂汗を流しながら、なんとかそれだけを言い返した。ルゲアの流れすら掴めていないのに、攻撃に合わせてピンポイントで硬化を間に合わせるなんて、今の俺には曲芸に近い。


俺の泣き言を聞いたダム先輩は、腕を組んでフムと少し考え込んだ。そして、何かを思いついたように不敵な笑みを浮かべて言い放った。


「じゃあ、お前が一番『強化』を意識しやすい、得意な部位から使ってみたらどうだ?」


確かに、と俺は思った。全身を均等に硬くするなんて器用な真似はできなくても、自分が一番自信のある場所、感覚が馴染んでいる場所なら、ルゲアを引っ張り込みやすいかもしれない。


俺は痛む腹を押さえながら体勢を立て直し、もう一度ステップを切る。


「行きます……っ!」


俺は能力の意識を、自分の最大の武器である『下半身』へと一気に注ぎ込んだ。


元々、俺の脚力と瞬発力だけなら、あの半獣のミジアにだって引けを取らない自信がある。そこに能力による肉体強化が加われば、爆発的な速度が生まれるはずだ。


床を蹴る。ステップを踏むように常に左右へ激しく移動し、残像を残すような鋭いフェイントを掛け続けた。


ダム先輩の視線が、俺の激しいフェイントに一瞬だけ引きつけられる。


(今だ――!)


死角。俺はトップスピードのままダム先輩の背後へと回り込み、がら空きになった後頭部へ向けて渾身の一撃を突き出した。


勝った、とまでは思わなかった。だけど、掠りくらいはするはずだ。


――が。


現実は、どこまでも甘くなかった。


(この状況……最初の、見学の時と同じだ……!)


ゾッとした時には、もう完全に手遅れだった。

俺の拳が届くより前に、ダム先輩の姿が視界から消え、気づいた時には俺の手首が万力のような力でガッチリと掴まれていた。


視界が強引に反転する。


抵抗する間もなく、俺の身体は無慈悲にキャンバスへと叩きつけられた。


「痛っ……!!」


背中から肺の空気が全部弾き出される。ダストが健在なおかげで死んでも生き返るが、普通に涙が出るほど痛い。


「速度の乗ったフェイントは悪くない。だが、攻撃に移る瞬間にルゲアの気配が頭に偏りすぎだ」


ダム先輩は掴んでいた俺の手をパッと離し、冷徹に見下ろしてきた。


「小細工で俺の背後を取るなんて、百年早いぞ」


床に大の字になって痛みに耐えていると、訓練場の入り口の方から、妙にのんびりとした声が響いてきた


「お、なーんやなんや。新米が来とっちゃったんか」


俺とダム先輩が同時にそちらを振り返る。


そこには、着崩した制服の肩に大きめの荷物を引っかけ、いかにも「ひと仕事終えてきました」という風貌で歩いてくる一人の男が立っていた。

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