ウィーク・エンド
河野 行成
ウィーク・エンド - Weak End -
月曜日、月の女神の日。月の光は狂気を呼ぶと考えられていた。だからルナティックという言葉は月=ルナに語源があるのだが、今考えてみるとあながち迷信とは思えない。そう、事の起こりは月光を浴びた夜の道を徘徊していたからなのかも知れない。そのとき、私ツヴァイフェーゲルの頭の中はまるで熱湯のようにふつふつとアイデアが沸き上がり、頭を冷やそうと、冬の最中というのに研究室の外へ出ることにした。閑散とした道路は行かう車もなく、冷やかな月光が白樺の並木を刺し貫くという、まるで絵に描いたような静寂さ。それを破るのは私の靴音だけだった。コツコツコツとアスファルトを叩く音。その音だけをBGMに、私は考え続けた。
ハドロンは強い相互作用で考える。ユカワの場の理論によると、電磁気力よりも強い力が働く陽子と中性子の結合は、粒子のやりとり、すなわちそれが”場”なのだが、それによって生じる核力によると説明され、そのためには中間子の存在が必要となる。アンダーソンがμ中間子を発見すると、ユカワの予言した中間子ではなかったが、この理論は一躍認められるようになった。当初、ユカワはこの理論でベータ崩壊も説明しようとしたが、ハドロンとレプトンを含む相互作用を、二段階の崩壊で説明するのには無理があった。結局行き着いたのは、ワインバーグ・サラム理論のゲージ場だったが、また新粒子・Wボゾンの存在が必要になった。今度の新粒子の発見は、CERNという国家的・国際的プロジェクトが絡んでいなければ、とうてい覚束なかった。そして、ワインバーグ・サラムの理論は実証されるまで16年が掛かっている。こうなっては、理論が実験よりも先行する。実証するのには、膨大な資金と人材と年月が掛かるからだ。逆に大胆な仮説を立てても、理論的検討だけは幾らでも出来る。例えば今、私が頭を悩ませている問題もそうだ。だからこそ大胆な発想、コペルニクス的転回と呼ばれるものが必要かも知れない。
この時、突拍子もない考えが浮かび、苦笑して頭を上げると、月が青白いかんばせで、にこりともせずに私を見つめている。今思い出しても、月に憑かれたとしか思えない。私はそのアイデアを吟味しながら研究室に戻ることにした。体は冷えて、気がつくと震えていた。
火曜日、軍神の日。夜半を過ぎ、曜日は北欧神話のティール、戦争の神の日に替っていた。私はそれこそ
アイデアはある。だが、そのアイデアを具体化するには、関数をどう決定するかに拘わってくる。可換ゲージ場なら、古典的なクーロン・ポテンシャルの無限到達型の関数かユカワ・ポテンシャルの有限到達型の関数。非可換ゲージ場ならアインシュタインの重力方程式のポテンシャルか、強い相互作用に関わる量子クロモダイナミックスを表す関数が必要だ。ただ、それらは近似的もしくは特殊な解に過ぎない。ユカワ・ポテンシャルにしても、力の媒介となる粒子の質量が0であれば、クーロン・ポテンシャルとなる。世の中は光のような静止質量0の粒子ばかりではないから、クーロン・ポテンシャルはユカワ・ポテンシャルの特殊な場合と言える。それと同様に私のアイデアは、重力の量子式にヤン・ミルズのやり方を用いることで、実際の重力場が可換・非可換ゲージ場のセットからなるとし、アインシュタイン方程式はその特殊な場合と見なすのだ。従来なら電磁気力からアプローチするところを、ゲージ論から近い強い相互作用からアプローチをかけるのだ。問題は統一的に記述できる関数系をうまく設定できるかということだ。やり方さえ分れば、それはワークベンチが解いてくれるから、専らどういった群論が必要か、つまりは関数なのだ。私はボールペンを槍に、ノートを楯に、ワークベンチを砦になぞらえ、理論物理という風車に向かうドン=キホーテだった。しかし、ドン=キホーテが戦場だと思って行くからには、軍神は味方してはくれまいだろうか。今だから、その時の自分の高揚が冷静に見つめられる。そして、光が目を刺したとき、驚きの余りだけではなかったのだろう、ワルキューレを見たような錯覚に陥ったのは。朝日が東の窓から差し込んでいた。部屋の向こうの池の水面に反射していたので、普段、光が差し込まないように下ろしたブラインドの隙間から、私を射たのだ。ワルキューレの槍だ。
水曜日、最高神にして知恵の神の日。北欧神話のオーディーンの日。だがいつも思うのだが、喉が渇いたあまりに自分の片目と水を交換した神を知恵の神とか、最高神とするのは不思議だ。しかし、目の前に展開した式群は神が全知全能であることを否定するようなもの、北欧神話の神々のように人間に親近感をもたらせるものだった。これがもし本当だったらだが。
パリティが保存されず、自発的に対称性が破れることを示したとき、ヤンとリーも同じ思いをしたのだろうか。いや、多分違う。対称性の破れに関わったのは、どういうわけか中国出身者だ。
重力は素粒子レベルでは比較にならないほど小さな力だ。マクロ世界では重力が一番の問題になるが、ミクロの世界では意味をなさない。ただ例外は、マイクロ・ブラックホール。こいつは素粒子レベルで、巨大な質量を持つからだ。ホーキングの言うように、非常に小さいブラックホールは量子論の制約のせいで蒸発してしまう。しかし寿命がある程度あれば、素粒子との相互作用が成り立つはずだ。重力と相互作用の場が比較できるエネルギーなら、重力と強い相互作用が区別できなくなる可能性がある。それが妥当だとして、どういう現象が起こるか? マイクロ・ブラックホールからトンネル効果のγ線が出て、それがπ中間子の対になりバリオンと中間子(中間子自体もバリオンだが)の交換を行い、その中間子がマイクロ・ブラックホールに戻るとすれば、一種の共鳴が起こると言っていい。とすれば、共鳴できるマイクロ・ブラックホールの質量が量子化されなければならない。またスピンやチャージも一意に決定されなければならない。神はそのように宇宙を作りはしなかった。通常では起こり得ないことなのだ。だがビッグ・バンから僅かの間に四つの力が一つであったならば、起こり得ただろう。エネルギー的には10の16乗TeV、質量にして10μgのブラックホール。そいつが万一、今もって存在するなら、神は片目に違いない。
木曜日、雷神の日。北欧神話のハンマーを握った強力の神トールの日だ。まとめ上げた論文を所長や権威筋に送る。秘書が私の顔に目を丸くする。まるで鉄槌をめったやたらに振り下ろす怒れる神の所業を見る目だ。たった三日間というのに、私の髭は伸び、目は充血している。自分でも何か恐さが備わったような顔つきをしている。そして手にはコピーの山。そうだ、ハンマーを振り上げたトールの強い意志のような顔だ。そして、そのハンマーは一度振り下ろせば取り返しがつかない、強力な破壊力を秘めた論文だ。だが、それ以上に理論的な整合性を備えている。かっての超弦理論が現実とかけ離れていても数学的な美しさを持っていたように。だが、私の式は、ミクロ空間でもマクロ空間でも従来の式を近似的に含んでいて、超弦論の空しい虚飾とは異なる。強い相互作用と重力の統一に進む第一歩なのだ。アインシュタイン=ツヴァイフェーゲルの式と堂々と呼ばれるかもしれない。
論文の手配を終ると、睡魔がどっと押し寄せて来た。午後には何も用事がないので、手っとり早く研究所を抜け出す事にした。変なものでトールにも勝てなかったものがあることを思い出した。老いには勝てない。いくら強力の持主であろうと、ブーメランのように投げても帰ってくるマジック・ハンマーを操ろうと。そして、多分眠りにも勝てないのだろう。うつらうつらと自分の研究室で眠りこけてしまった。最後に思ったのは、不思議なことに、投げては返ってくるハンマーをひたすら投げるトールの姿だ。しかし夢は見なかった。
金曜日。愛と美と豊饒の女神フレイヤの日。目が覚めると曜日はそうなっていた。気力は充実していた。たった三日間の間に、一年分の仕事をしたような気分だ。しかし、そのとき私はまだ式群に見入ってた。この式が美しいといっても理解できる人がいるのだろうか。この整然とした式群。最初にシュレディンガー方程式を見たときには、意味も分らず、なんとも思わなかった。それが、波動方程式が従来の運動力学の性質を受け継いだものだと分ると、途端に整然とした式に感動を覚えた。それと同じ感動を自らの式群から得る。それぞれの意味は正しい。そうでなければ、多量にコピーを送りつけたりするものか。だが、気になるのはそれから導き出される結論だ。豊饒すぎるのだ。マイクロ・ブラックホールを組み込むことで素粒子論は更に複雑で多くの現象を生み出す。現段階では、ブラックホールを作るエネルギーがないことが幸いだ。天然に存在するブラックホールは、式の求める条件に当てはまらない。恒星の末路のブラックホールでは質量があり過ぎる。宇宙が生成されたときのマイクロ・ブラックホールなら可能だが、そのとき生まれたものは既に蒸発してしまっているのだ。だから条件を満たすには人工的なブラックホールが必要なのだ。
ふと気づいたことがある。四つの力がエネルギー的に同じだった時期と、現在のような完全に見分けがつく時期とでは、相互作用の頻度が違う。式に与える影響はどうなるのだろう。私はサイエンス・ワークベンチを起動させようと思ったが、気が変わり、また明日にしようと研究室を出る。
事務室を通りかかると秘書が涙を流していた。どうしたのと言うと、コンタクトがずれてしまってと、笑う。泣き笑いの顔。事務室を後にするとき、フレイヤのエピソードだったか、黄金の涙を流しながら世界を彷徨う女神の話を思い出す。女神は何を哀しんでいたのだろう。
土曜日。ローマの神ではサートゥヌルス。ギリシャのクロノス。私の記憶では北欧神話では対応する神がいなかったと思う。クロノスがクロノ=時間の由来だが、それはクロノスが自分の子を次から次へと食べていったことに基づく。時は自らを食うという。
やっと、私はなぜ神話、特に北欧神話に結びつくエピソードを思い出すのか分ったような気がする。神々の黄昏、宇宙の終焉。そして、それをもたらすのが私であると、無意識に分っていたのだ。アインシュタイン=ツヴァイフェーゲル理論、こいつに現在の宇宙の条件を当てはめると、マイクロ・ブラックホールは原子核を崩壊させる。重力と強い相互作用が相殺することで、弱い相互作用が原子核内の中性子をどんどんβ崩壊させる。密度が問題なのだ、恒星間宇宙ならいざ知らず、大気のような原子核の詰まった世界では、このブラックホールが蒸発する寿命より、原子核と衝突する緩和時間の方が短いのだ。更に悪いことに、マイクロ・ブラックホールは量子化しているため質量・チャージ・スピンは一定でなければならない。つまりある程度太ったブラックホールは、保存則を満たすために分裂しなければならない。つまり、原子核を壊しながら、増殖して行くマイクロ・ブラックホールの存在、それがアインシュタイン=ツヴァイフェーゲルの結論なのだ。この世を終らせるスイッチ、私はそれを押してしまった。私がばらまいたコピーはもはや回収することはできない。100年後、1000年後、誰かがこのマイクロ・ブラックホールを作るだろう、そして間違った使い方をすることで、世界は黄昏を迎えるのだ。私が発見しなくとも、私以外の人間が同じ発見をしたかも知れない。だが、私にとって、この発見は様々な意味で神の用意した“弱さの終末”なのだ。
明日は、日曜。普段、御無沙汰にしている神に祈りを捧げることにしよう。
ウィーク・エンド 河野 行成 @kouzeikouno
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