第23話 終着
(徳川家康様……。……お見事、にございます)
肉体を失い、形なき魂となった酒井忠次は、ただ静かにそう呟いていた。
日ノ本を震撼させた織田と徳川の大決戦――その結果は、奇妙な形での「引き分け」として幕を閉じた。
家康様が、信康様や康政たちの退き口を支え、織田の猛烈な追撃を自ら引き受けるために前線へと隊を進めていた、まさにその時のことだった。
徳川の背後に迫っていたのは、織田軍の牙ではなく、京から遥々やってきた帝の使者であった。
もたらされたのは、織田と徳川の即時停戦を命じる、帝の勅命。
報せを聞いた家康様は、ただ不敵に「にやり」と笑ってそれを受け入れた。まるで、この状況になることすら、最初からすべて分かっていたかのように。
その後、織田家との間では再び同盟を結び直すやり取りが交わされ、戦場を覆っていたあの凄まじい熱気は、何事も無かったかのように静まり返っていく。まるで、あの激闘自体が最初から存在しなかったかのように、日常の裏へと隠されていく。
だが、意味が消えたわけではない。織田も徳川も、互いの底知れぬ恐ろしさを骨の髄まで知った。二度と正面から戦いたくはない相手だと、認識を改めざるを得なかったのだ。
そして、身体を失い、純粋な魂となった私――酒井忠次は、この世界が隠していたあまりにも巨大な深層を知ることとなった。
殿と信康様が、この時を「二度目の人生」として送られていたこと。
そして、かつて私にとって都合二度目となる死の宣告を、あの一周目の人生の終わりにおいて、私が信康様へと突きつけていたという事実を。
お二人の一度目の人生において、私が徳川の家を思うがゆえに下したあの冷徹な決断が、どれほどお二人の心を深く、優しく傷つけていたのかを、私はようやく理解した。
他の者たちと違って、私は殿を、そしてこの徳川家を「組織」として見すぎていたのだろう。
織田家との危うい関係性を重視するあまり、あまりにも残酷な選択を我が主君と若君に強いてしまった男だ。
それでも――私が戦場に散ったあの瞬間、殿が味わってくれたあの引き裂かれるような悲しみを感じられたとき。
不謹慎ながら、私の魂は深く救われたのだ。
私は死んでいく間際、必死に全てを捧げてきたこの徳川にとって、自分はもう必要の無い、優しさを欠いた存在になってしまったのではないかと、ずっと恐れていた。なぜ自分は、他の仲間たちと同じように、ただ若君を救いたいという純粋な気持ちになれなかったのかと、己の冷徹さを恥じてすらいた。
しかし、殿も、信康様も、そして戦場を駆けた仲間たちの誰もが、この酒井忠次の死を心から悲しみ、私の不器用な忠義をただの一度も疑わずにいてくれた。
織田と同盟国である徳川の領内には、未だ数多くの間者が入り込んでいる。迂闊に本音を漏らせば、たちまち魔王・信長に伝わってしまうような緊迫した日々だ。
そんな縛られた世界の中で、誰もが己の頭で考え、大切なものを守るために、あの絶対的な織田と戦い抜いた。
その激闘のすべてを、徳川の未来の始まりを、この目でしっかりと見届けることができた。
それだけで――私の胸に燻っていた最期の心残りは、綺麗に融けて消え去っていくのだった。
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