第8話 駒から諦める道理なし
徳川家康様。
我が主にして、この本多忠勝が蜻蛉切りと共に、必ずや守り切ると誓ったお方。
しかし、殿は変わられた。
正にその感覚は、此度の戦に凝縮されていたと言っても過言では無かった。
突然の織田信長の来襲。
余りにも早すぎる織田軍の到着が招いた事態――それは、一枚岩であったはずの徳川家を崩壊させるには、充分すぎる威力であったようだ。
更なる追い打ちをかけるかのような、酒井忠次の織田信長への恭順。
榊原康政と石川数正の離反。
我が徳川家の中枢が、内側から砕け落ちる音が聞こえた。
家臣団の脳裏には、徳川の終わりを告げる走馬灯のように、絶望の二文字が駆け抜けていく。
(コレが、織田と敵対するという事か……!)
忠勝は、幾多の戦いで受けたどんな苦痛よりも辛い現状に、膝が落ちそうになるのを必死に堪えていた。
共にこの苦境を戦い抜くと誓い合った友、そう信じていた者たちが、まさか徳川を去るとは……。
噛み締めた奥歯が、きりきりと軋みを上げる。
そんな中、織田家よりの使者が来た。
「徳川家康乱心の疑いと聞いて参った。我が主人・信長様が直接診療して頂けるとの事じゃ! 叛意が無いなら、一人で親方様の元までついて参れ」
威勢の良いサル顔の男が口上を述べた。
織田家に名高い、羽柴秀吉だ。
家臣団が固唾を飲む中、家康様は不敵な笑みを浮かべたまま、信長の元に向かわれた。
咄嗟に「家康様! 私も信長に会いとうございまするゆえ、ご一緒いたしますぞ」と供を申し出るも、家康様は、
「大事無い。他愛もない戯れに付き合わすは、忠勝の無駄遣いじゃ」
とだけ告げられた。
虚勢でも大言でも無い。
雌伏して時を待て、そう告げられたのだと、忠勝は直感した。
あの三方ヶ原の戦いよりも絶望的な現状を、家康様は諦めるどころか、楽しんですらいらっしゃる。
殿は、我らの理解を超えるお方になられた。
「理解できぬままにも、私は付き従うまで」
「将棋の指し手が諦めて居ない中、駒から諦める道理は無い!」
そして――。
織田陣営より帰陣された殿は、今まで見たことも無い顔をしながら、低く呟かれた。
「機は熟した」
その後、まるで子供がおもちゃを壊す直前のような無邪気な笑みを浮かべながら、殿は言い放ったのだ。
「先ずは、織田軍のはらわたを食い破る。後続の軍が来る前に……まずは極上の『鬼退治』を見学させてやろう」
忠勝の胸に、熱い火が灯る。
ニヤリと口角を上げ、我が得物を強く握りしめた。
「ならば我が盟友・蜻蛉切にて、地獄の魔王の首一つ、直々に頂きに参ろうぞ!」
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