ラストシーン

エスヤマ

名前のない墓へ



「……結局、最後まで隠したままだったな」


 風が吹いた。


 白い花が揺れる。

 墓標には、名前が刻まれていない。


 男はしゃがみ込み、供えられていた古びた銀貨を指で弾いた。


「まだ持ってたのかよ。あいつ」


 返事はない。


 当然だ。


 もう十年前に死んでいる。


 それでも男は、隣に誰かが立っているような顔で笑った。


「お前さ、こういうとこだけ律儀なんだよな」


 遠くで鐘が鳴っていた。

 街は祭りの最中だ。


 魔王討伐五十周年。


 王都は朝から騒がしい。


 英雄譚。

 救国の旅。

 世界を救った六人。


 吟遊詩人たちは好き勝手に歌い、

 子供たちは木剣を振り回している。


 でも。


「……誰も、お前のこと知らねえんだよな」


 男は笑った。


 少しだけ、悔しそうに。


 六人旅だった。


 記録には五人しか残っていない。


 いや。


 正確には、“最初から存在しなかったことにされた”。


 王国に都合が悪かったからだ。


 勇者を二度殺しかけた暗殺者が仲間だったなんて、

 英雄譚には邪魔だった。


「まあ、お前なら笑うか」


 男はポケットから酒瓶を取り出した。


 安物だ。


 昔、一番嫌っていたやつ。


『祝勝会でこんな酒出す店は燃やせ』


 酔った彼女が本気で言って、

 本当に店主を泣かせた夜を思い出す。


 思わず吹き出した。


「……馬鹿だよなあ」


 静かな風。


 春の匂い。


 平和だった。


 あれほど望んだ世界が、

 今ここにある。


「なあ」


 男は墓標に背を預けた。


「俺、もう結構じじいなんだけど」


 空を見上げる。


 雲がゆっくり流れていく。


「そろそろ、そっち行っていいか?」


 風が吹いた。


 花びらが舞う。


 返事の代わりみたいに。


 男は目を閉じた。


 長かった旅を思い出す。


 雪山。

 海。

 喧嘩。

 血。

 裏切り。

 焚き火。

 くだらない会話。


 世界を救った夜より、

 どうでもいい記憶ばかり残っていた。


 そして最後に浮かんだのは。


 誰より不器用に笑う、

 あの女の顔だった。


「……あーあ」


 男は、小さく笑う。


「やっぱ、お前いないとつまんなかったわ」


 鐘の音が、また遠くで鳴った。


 まるで、

 一つの物語が終わる音みたいだった。

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