【異世界】滅びた都の月姫 ~禁書庫の写本師は、千年眠る王都へ招かれる~

にくまきお寿司

朱の都は記録から消えた




その都は、地図から消えたはずの場所だった。


朱華(しゅか)と呼ばれた古い都は、かつて大陸の果てに栄え、黄金と朱塗りの宮殿が空を焦がすほどに輝いていたという。

だがある夜を境に都は霧へと沈み、誰一人として戻ることはなく、その記録すら曖昧なものとなった。


——そして千年後。


山間の村に暮らす若い写本師・ユエは、禁書庫の整理を命じられる。そこは代々「触れてはならぬ記録」が眠る場所だった。埃と黴の匂いが満ちる中、彼女は一冊だけ異質な巻物を見つける。


朱い糸で綴じられたそれには、ただ一文だけ記されていた。


《朱華に帰れ、月の血を継ぐ者へ》





触れた瞬間、指先に熱が走る。


視界が揺れ、耳の奥で鐘のような音が鳴った。次の瞬間、彼女は見知らぬ場所に立っていた。


空は朱色に染まり、崩れかけた宮殿が風に軋んでいる。だが人の気配はない。ただ遠くで水が滴る音と、誰かが呼ぶような低い声だけが響いていた。


「……やっと来たか」


背後から声がした。


振り返ると、黒衣の男が立っていた。年齢は判然としない。ただその瞳だけが、夜よりも深い闇を宿している。


「お前は誰ですか」


「この都の、最後の記録係だ。そして——お前の“影”でもある」


男はそう告げると、壊れた宮殿へ歩き出した。


ユエは抗うこともできず、その後を追う。


宮殿の中心には、巨大な鏡があった。ひび割れた鏡面には、今のユエと、もう一人の彼女が映っている。白い衣を纏い、王冠を戴く姿。まるで別人のようでありながら、確かに自分だった。





「朱華は滅んだのではない。封じられただけだ」


黒衣の男は静かに告げる。


「千年前、この都は“時を喰う神”を鎮めるため、王族ごと封印された。そしてその鍵がお前だ」


「……私が?」


男はゆっくりと頷く。


「月の血を継ぐ王家は、代々この封印を維持してきた。しかし血は薄れ、今では現世に転写された記録として残るのみ。お前はその最後の写しだ」


その瞬間、鏡が軋んだ。


ひび割れから朱い光が漏れ、地面が震え、空間そのものが歪み始める。


「封印が解ける」


男の声には、初めて焦りが混じっていた。





朱い霧の中から、無数の“声”が湧き上がる。過去に飲み込まれた都の人々の残響。時間から切り離された亡霊たち。


ユエの手が勝手に動いた。


巻物が光を放ち、彼女の血が文字へと変わっていく。


「……やめて」


そう呟いても、止まらない。


やがて彼女は理解する。


これは救いではない。


これは「再起動」だ。


都は滅びてなどいなかった。ただ何度も同じ時間を繰り返し、誰かが鍵を開けるたびに、再び喰われる運命を繰り返していたのだ。


男が静かに言う。


「選べ。封印を続けるか、それともすべてを終わらせるか」


朱い空が割れ始める。


その向こうには、まだ見ぬ朝があった。


ユエは震える手で巻物を握りしめる。


そして——


彼女は一つの言葉を紡いだ。


それが呪いであったのか、祈りであったのかは、誰にも分からない。


ただ朱華という都は、その日を境に二度と目覚めることはなかった。


代わりに、遠い時代の片隅で、小さな月だけが静かに輝き続けている。





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