第5話「ベンディング②」
駅の構内に、その店は突然現れたように見えた。
佐伯は最初、それが期間限定ショップか何かだと思った。
改札を出たところ、以前は洋菓子店だった場所に、壁一面のガチャガチャが並んでいる。白い筐体が天井まで積み重なり、透明なカプセルが内部で鈍く光っていた。
駅の通路は夕方の湿った空気で満ちていた。スーツ姿の会社員たちが足早に通り過ぎる。その横で、数人の若者が立ち止まり、小銭を入れ、ハンドルを回している。
佐伯は通り過ぎかけて、少し戻った。
子ども向け、という感じではなかった。
寿司のミニチュア。古い家電の模型。実在する中華チェーン店の看板キーホルダー。電柱だけを集めたシリーズまである。
「電柱」
佐伯は少し可笑しくなった。
自分が毎日考えているものが、突然カプセルの中に閉じ込められている。
しかもその前に立っていたのは、制服姿の女子高生ではなく、四十代くらいの男だった。スーツの上着を腕にかけ、真剣な顔で商品一覧を見ている。
その横には外国人観光客らしい二人組もいた。
日本語で「レア」と書かれた紙をスマートフォンで撮影している。
佐伯は、自分が知らないうちに、ガチャガチャが別のものになっていたことに気づいた。
子どもの頃、百円玉を握って回した記憶がある。
消しゴムだった。スーパーカーの形をした消しゴムや、よく分からない怪獣。大して欲しくないものも混ざっていたが、ハンドルを回す瞬間だけは妙に緊張した。
出てくるまで分からない。
その「分からなさ」が楽しかった。
考えてみれば、子どもの頃は、世の中にもっと「欲しいもの」があった気がする。
ゲーム機。新しい漫画。CD。スポーツブランドの靴。
欲しいものが遠くにあり、それを手に入れるまで時間が必要だった。
しかし今は、佐伯にはあまり欲しいものがない。
時計もスマートフォンも、壊れるまで使う。
服も、似たような色ばかり選ぶ。
本だけは買うが、それも若い頃ほど切実ではない。
欲望というものが、全体的に薄くなっている。
その代わり、人々は小さな刺激を繰り返し買うようになった。
スマホゲームの課金。ポイント還元。コンビニスイーツ。動画配信の短い視聴。
そしてガチャガチャ。
数百円だけ払って、少しだけ期待する。
外れでも致命傷にはならない。
佐伯は、その感じが今の日本社会に似ている気がした。
大きな成功は期待しない。
でも、小さな当たりなら欲しい。
景気が良くなるとは思っていない。
しかし、来月くらいは少しマシかもしれないと思う。
そういう社会。
店の奥で、小学生くらいの男の子が、母親にもう一回だけと言っていた。
母親は困った顔をしながら、財布を見ている。
佐伯は、その光景を少し離れたところから見た。
自分の息子も、少し前までは似たような顔をしていた気がする。
何かを欲しがる顔。
世界にまだ期待している顔。
最近はゲームばかりしているが、それでも時々、妙に熱心に話しかけてくることがある。
その熱量に、佐伯は疲れてしまうことがある。
しかし同時に、少し羨ましくもある。
何かを強く欲しがれること。
それは若さなのかもしれなかった。
会社では、誰も何かを欲しがっていない。
昇進したがる若手も減った。
みんな、静かに疲れている。
昼休み、後輩社員が「もう、そこそこでいいんですよ」と笑っていたのを思い出す。
その「そこそこ」が、日本全体に広がっている気がした。
高望みしない。
壊れない程度に働く。
小さな楽しみを買う。
ガチャガチャのカプセルみたいな人生だ、と佐伯は思った。
透明で、軽くて、中身は少しだけ空虚だ。
しかし、それでも人は回してしまう。
何かが入っているかもしれないから。
佐伯はポケットの中に小銭があることに気づいた。
五百円玉が一枚。
少し迷ってから、電柱シリーズの前に立つ。
自分でも何をしているのか分からなかった。
ハンドルを回す。
内部でプラスチックの球がぶつかる乾いた音がした。カプセルは思ったより軽かった。
開けると、小さな変圧器付きの電柱模型が入っていた。
一番地味なやつだった。
佐伯はしばらくそれを見ていた。
すると、不思議と少し笑えてきた。
外れではない。
当たりでもない。
でも、自分で選んだわけではないものが、今ここにある。
人生に少し似ていた。
駅を出ると、夜風がぬるかった。
高架下の自動販売機の光が、歩道を青白く照らしている。
少し離れた場所では、新しいマンション工事が続いていた。
その横に、古い商店街がまだ残っている。
佐伯はスマートフォンを取り出し、メモを開いた。
「大人が並ぶガチャガチャ」
少し考えてから、もう一行加えた。
「人は、小さい当たりで明日まで生きる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます