第2話「電柱」
その電柱は、妙に新しかった。
会社帰り、一駅前で降りて歩くようになってから、佐伯は街の小さな変化によく気づくようになった。
以前は気にも留めなかったものが、なぜか視界に引っかかる。
新しく塗り替えられた横断歩道。 閉店したクリーニング店。 外国語対応になった病院の看板。
そういう細部が、街の体温みたいに思えた。
その日、住宅街の細い道で見つけた電柱は、明らかに最近立てられたものだった。
コンクリートの表面が白い。 番号札も真新しい。
周囲の古びた家々の中で、その電柱だけが浮いていた。
佐伯は少し立ち止まり、見上げた。
ニュースでは、電柱を地中化すると何年も前から言っていた気がする。 景観、防災、観光。 理由はいくらでも説明される。
海外の都市の写真を見ると、たしかに空が広い。
東京の空には、いつも線がある。
電線。 通信ケーブル。 変圧器。
夕焼けは、だいたい電線越しに見ることになる。
しかし、現実には新しい電柱が立ち続けている。
それが不思議だった。
なくすはずなのに、増えている。
会社でも似たようなことがある、と佐伯は思った。
DX推進。 働き方改革。 ペーパーレス。
会議では何度もそういう言葉が飛び交う。
しかし実際には、紙の申請書が増え、確認メールが増え、承認フローだけが複雑になっていく。
新しく変わるというより、古いものの上に新しいものを積み重ねているだけだった。
昼間、部下の若い社員が「結局、何を変えたいんですかね」とぼそっと言っていた。
佐伯はうまく答えられなかった。
会社だけではない。
日本全体が、そういう感じなのかもしれないと思った。
壊しきれない。
更新しきれない。
でも、そのままではいられない。
だから少しずつ継ぎ足していく。
その結果、街には奇妙な風景が生まれる。
最新のタワーマンションの隣に、昭和みたいな商店がある。 キャッシュレス決済のポスターの横に、「現金のみ」の貼り紙がある。
古いものと新しいものが、完全には入れ替わらず並存している。
歩きながら、佐伯は自分の父親のことを思い出した。
父は地方公務員だった。
定年までほとんど同じ部署に勤め、退職した。
子どもの頃、父はいつも疲れていた。
日曜日になると居間で新聞を広げ、そのまま眠っていた。
佐伯は昔、その姿を見て「こうはなりたくない」と思っていた。
もっと自由に生きるつもりだった。
しかし四十三歳になった今、自分も似たような顔で電車に乗っている。
変わったつもりで、結局あまり変われていない。
それは少し情けなく、少し安心でもあった。
住宅街の奥で、小さな工事現場が見えた。
二階建ての建売住宅が並んでいる。
その前にも、新しい電柱が立っていた。
たぶん家が増えたから、電線も必要なのだ。
人口減少と言われながら、局地的にはまだ家が建ち続けている。
縮小しているのに、どこかでは拡張している。
日本という国は、ずっと同時に複数の方向へ動いている気がした。
夕方の風が電線を揺らした。
細い唸りみたいな音がしていた。
佐伯はスマートフォンを取り出し、メモを開く。
「なくすと言いながら増えているもの」
少し考えてから、もう一行書いた。
「人も社会も、簡単には更新できない」
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