第29話 魔族に聞くしかない
ユメが戻ってきてから数日後、煇の家には静けさが戻り始めていた。
完全な静けさではない。
ユメは夜中に何度か目を覚ます。森の夢を見るのか、急に泣き出すこともあった。セリアはそのたびに抱き上げ、背を撫で、何度も大丈夫だと言った。
煇はその声を聞きながら、眠れない夜を過ごした。
娘は戻った。
それで終わりにしてもよかった。
父親としては、そうしたかった。
だが、終わっていない。
誘拐した魔族は、女神の影を口にした。光の配信に対する女神の介入は、あまりにも早すぎた。しかも、女神は大陸中のMPhoneへ直接通知を送り込んだ。
それは女神だからできたのか。
それとも、女神を名乗る何者かが通信網に介入したのか。
どちらにしても、見過ごせる話ではない。
煇は光と連絡を取り続けていた。
光は配信を一時的に抑え、裏で資料を集めている。旧ゼット帝国の断片記録、魔族復活事件の証言、ズマルの残した魔道具の調査報告。
その結果、2人の考えは同じ場所へ向かった。
魔族に聞くしかない。
人間側の記録は歪んでいる。
女神信仰の記録は女神に都合がいい。
勇者たちの証言は断片的。
なら、魔族側の記憶に触れるしかない。
問題は、魔族がほとんどいないことだった。
3年前の召喚陣崩壊で多くは消えた。今回ユメを攫った小さな魔族は拘束されているが、彼自身も古い真相を全て知っているわけではない。むしろ、何か大きな呪いの末端として利用されていたようだった。
煇は共和国の施設で、その魔族と向き合った。
名は、本人の発音を人間の文字に直すとムグという。
ムグは小さな体で椅子に座り、煇を警戒していた。
「お前は、女神を恐れている」
煇が言う。
「恐れない者はいない」
ムグは答えた。
「女神は我らを変えた。封じた。忘れさせた。それでも、完全には消さなかった」
「なぜだ」
「知らない。知っている者は封じられている。強い者ほど深く」
「接触する方法は」
ムグは黙った。
煇は続ける。
「魔族の中に、古い記憶を持つ者がいるはずだ。旧ゼット帝国のこと、本物の女神のこと、偽物のこと」
ムグの目が揺れた。
「名を出すな」
「偽物か」
「名を出すな」
ムグは震えていた。
その反応だけで、光の仮説はさらに強くなった。
女神は、恐れられている。
信仰されているだけではない。
恐怖で口を塞いでいる。
同じ頃、光は通信経由でその様子を見ていた。
「深い封印にいる魔族へ呼びかける方法が必要ですね」
「召喚陣は使えない」
煇が言う。
「使えたとしても危険すぎる」
「でも、3年前の召喚陣崩壊で、黎人さんが陣に触れたことはありますよね」
「あれは偶発的だ」
「偶発でも、魔族の封印や召喚術式に干渉する経路があったということです」
光は考え込む。
「MPhoneの通信網、女神の介入、勇者召喚、魔族の封印。全部、魔力を使ったネットワークみたいなものなら、どこかに接点があるはずです」
「技術者向きの話だな」
「視聴者に何人かいます。表には出せませんけど」
光は苦笑した。
女神を疑う配信者として、彼には支持者も増えたが敵も増えた。今、軽率に情報を出せば、女神信仰の強い地域で暴動が起きかねない。
その時、煇のMPhoneに着信が入った。
表示名を見て、彼は眉をひそめた。
黎人だった。
通信制限下にあるはずの端末から、緊急連絡が来ている。
セリアが横から覗き込む。
「嫌な予感しかしない」
「同感だ」
煇は通話を開いた。
画面に映ったのは、馬小屋の天井だった。
次に、黎人の顔が大きく映る。
近すぎる。
声は相変わらず言葉になりにくいが、切迫しているようには見えた。
「あー、うー、あー!」
「何があった」
煇が聞く。
黎人は画面を揺らす。
翻訳補助が断片的に拾った内容は、こうだった。
助けろ。
監視されている。
働かされる。
飯が気に入らない。
MPhoneを自由に使わせろ。
煇は無言になった。
セリアは額に手を当てた。
「切っていい?」
「待て」
煇は一応、周囲の映像を確認した。
危険な気配はない。
馬小屋。
監視役。
水桶。
作業用の道具。
ただの通常業務だった。
「緊急ではないな」
煇が言う。
黎人は不満そうに声を上げた。
緊急だ。
自分にとっては緊急だ。
そう言っているのだろう。
セリアは冷たい声で言った。
「働きなさい」
黎人はセリアを見て、さらに不満そうな顔をした。
通話は切られた。
煇は深く息を吐く。
「時間を無駄にした」
「でも、あの人は安全ね」
「それはそうだ」
光が通信越しに苦笑した。
「黎人さん、ある意味すごいですね。世界の真相に迫っている話の途中で、自分の水桶のほうを優先できる」
「本人にとっては世界より水桶のほうが大きい」
煇は言った。
その言葉は冗談のようで、かなり正確だった。
だが、その黎人がまた、別の騒ぎを起こすことになる。
通話を切られた黎人は、馬小屋で怒っていた。
助けを求めたのに助けてもらえなかった。
監視されている。
働かされる。
自分は勇者なのに。
彼は制限付きのMPhoneを使い、数少ない支持者へ訴え始めた。
自分は不当に扱われている。
誰か助けてくれ。
その訴えを見た者の中に、悪いことを考える現地民がいた。
勇者。
全ステータス0。
馬小屋暮らし。
見世物にすれば、金になるかもしれない。
その発想は、黎人の不満と同じくらい低かった。
だが、低い発想ほど、時々現実になる。
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