第28話 帰ってきた娘

 森は静かだった。


 静かすぎた。


 ユメの居場所として割り出された洞窟へ向かう途中、煇は何度も周囲を確認した。罠の気配はある。魔力の残滓もある。だが、大規模な待ち伏せはない。


 セリアは剣を抜いたまま歩いていた。


 顔は冷静に見える。


 だが、呼吸が少し浅い。


 娘が近くにいる。


 その可能性だけで、彼女の足は自然と速くなった。


「焦るな」


 煇が言う。


「わかってる」


 セリアは即答した。


 即答が早すぎる。


 わかっていない時の返事だった。


 同行している共和国の捜索隊が、森を囲むように展開している。光も少し遅れて合流していた。彼はMPhoneを構えているが、配信はしていない。


「撮らないのか」


 煇が尋ねる。


「記録はします。でも今は配信しません。子どもの救出を見世物にはしたくない」


「まともだな」


「配信者にも種類があるんで」


 光は小さく答えた。


 洞窟の入口は、低い岩場の陰にあった。


 大人が入るには少し屈む必要がある。小人のような存在なら、簡単に出入りできるだろう。


 入口の前に、小さな足跡がいくつも残っている。


 煇はそれを見て、魔族の記録と照合した。


 3年前、王城地下で見た魔族とは違う。


 高位の魔族ではない。


 もっと小さく、弱い種。


 封印から漏れた生き残りか、あるいは別の形で残った者か。


 洞窟の中から、かすかな声がした。


「……おかあさん」


 セリアが動いた。


 煇も同時に入る。


 中は狭く、薄暗い。


 奥にユメがいた。


 毛布のようなものに包まれ、座り込んでいる。目には涙の跡があったが、大きな怪我はない。


 その前に、小さな魔族が立っていた。


 老人のような顔をしている。


 体は子どもほどの大きさ。


 小さな角と、灰色がかった肌。


 彼は両手を上げた。


「待て」


 声は震えていた。


 セリアは剣を構える。


「ユメから離れて」


 小さな魔族は、ゆっくり一歩下がった。


「傷つけてはいない」


「攫った時点で十分よ」


 セリアの声は冷たかった。


 ユメが母の姿を見て泣き出す。


 セリアは剣を構えたまま近づき、ユメを抱き上げた。その瞬間、彼女の表情が崩れた。


「ユメ」


「おかあさん」


 小さな手がセリアの服を掴む。


 セリアは強く抱きしめた。


 煇はその横で、魔族から目を離さなかった。


「なぜ攫った」


 小さな魔族は煇を見た。


「お前を止めるためだ」


「誰の指示だ」


 魔族は黙った。


 煇は一歩近づく。


「女神か」


 その言葉に、魔族の目が揺れた。


 光が小さく息を呑む。


 魔族は震える声で言った。


「我らは逃げたかった。封印から、呪いから。だが、女神の目はまだある。お前は危険だと言われた。お前が動けば、我らの残りも消されると」


「だから娘を攫った」


「人質にするつもりだった。傷つけるつもりはなかった」


「それで許されると思うか」


 煇の声は静かだった。


 だが、洞窟の空気が重くなる。


 小さな魔族は首を振った。


「許されるとは思っていない」


 セリアはユメを抱いたまま、魔族を睨んだ。


「女神に命じられたの?」


「直接ではない。だが、声は聞こえた。夢の中で、古い呪いを通して」


 光はMPhoneに記録を残していた。


「今の、重要ですね」


 煇は頷く。


 その時、洞窟の外から声が響いた。


 共和国の捜索隊だった。


 周囲を確保したという報告。


 魔族は逃げ場を失った。


 彼は抵抗しなかった。


 手を上げたまま、静かに座り込んだ。


 ユメは救出された。


 その知らせは、MPhoneを通じてすぐに広がった。


 女神の一斉通知を信じていた者たちは歓声を上げた。


 やはり魔族が犯人だった。


 女神は正しかった。


 勇者の子どもは救われた。


 物語は、きれいな形で閉じようとしていた。


 だが、現場にいた者たちの受け取り方は違った。


 魔族は確かに誘拐犯だった。


 だが、その背後に女神の影があった。


 女神は、光の配信が疑惑を広げた直後に情報を出した。


 しかも、魔族の危険を強調し、自分を正義として示した。


 それはあまりにも都合がよかった。


 共和国の施設へ戻る馬車の中で、セリアは眠ったユメを抱いていた。


 ユメは疲れ切っている。


 それでも、母の腕の中で安心したように眠っていた。


 煇は向かいの席に座り、光と話していた。


「配信はどうする」


「すぐには出しません。子どもの安全が先です。ただ、女神への疑念は消えません」


「むしろ深まった」


「はい」


 光はMPhoneを見た。


 画面には、女神を称える投稿が並んでいる。


 魔族はやはり悪。


 女神は正義。


 疑った配信者は謝罪しろ。


 そういう言葉が増えていた。


 光は苦笑した。


「情報戦、うまいですね」


「相手が女神ならな」


 煇は言った。


「本物かどうかは別として」


 馬車の外では、夜が明け始めていた。


 ユメは戻ってきた。


 それは何より大きい。


 セリアは娘の髪に顔を寄せ、目を閉じた。


 その横で、煇はまだ眠れなかった。


 事件は終わった。


 だが、終わらせられたように見せられているだけかもしれない。


 その疑いが、彼の中で消えなかった。


 そして光もまた、同じ疑いを抱えていた。


 女神は正義を語った。


 正義を語る者が正しいとは限らない。


 煇は、そのことを前の世界で痛いほど知っていた。

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