第22話 まず疑われた男

 煇が最初に疑ったのは、黎人だった。


 それは冷静な判断というより、経験から来る嫌な反射だった。


 小人のような影。


 子どもが連れ去られた。


 魔族の力が完全に消えたとは限らない。


 そして、黎人は常に想定外の場所で想定外の迷惑を起こす。


 もちろん、根拠は薄い。


 だが、黎人に関しては、根拠が薄いからといって安心できない。


 煇はその日のうちに、イロイ共和国の首都へ向かった。


 セリアは家に残り、近隣の捜索と連絡を続けた。表情は冷静だったが、手は何度も震えていた。


「必ず見つける」


 煇が言うと、セリアは頷いた。


「当たり前でしょ」


 その返事だけで、彼女がどれほど追い詰められているかはわかった。


 共和国大統領の神谷淳平は、夜にもかかわらず煇を執務室へ通した。


 神谷は飄々とした男だった。


 だが、軽いだけの政治家ではない。魔族復活事件後の旧セナン併合、難民受け入れ、勇者たちの調整。その面倒な後始末を、彼は少なくとも逃げずに処理してきた。


「娘さんの件は聞いている」


 神谷は椅子に座ったまま言った。


「こちらでも非公式に情報は集め始めた。ただ、正式な捜査となると少し難しい」


「共和国領内での誘拐だ」


「そう言いたい気持ちはわかる」


 神谷は指を組んだ。


「だが共和国憲章上、保護対象として明確に規定されているのは共和国市民、勇者、そして承認された居住者だ。君の娘さんは、そのどれにもまだ当てはまらない」


 煇の目が細くなる。


「2歳の子どもだ」


「わかっている」


「なら、憲章の空白を理由に動けないというのはおかしい」


「おかしい。だが、制度は時々おかしい」


 神谷はため息をついた。


「特にこの共和国は、勇者たちが作った国だ。理念は立派だが、穴もある。現地民の扱いでさえ整っていない部分がある。勇者と現地民の間に生まれた子どもの扱いなど、まだ法整備が追いついていない」


「日本の法律なら、子どもはそれだけで保護される」


「ここは日本ではない」


「だが、共和国を作ったのは日本から来た勇者たちだ。都合のいい時だけ日本の理念を持ち出し、都合の悪い時だけこの世界の制度に逃げるのか」


 室内が静かになった。


 神谷は少しだけ目を伏せ、それから笑った。


「痛いところを突くね」


「娘が攫われている」


「わかっている」


 神谷は机の上の書類を閉じた。


「正式な捜査命令はすぐには出せない。だが、黎人の現状確認、旧セナン地域の監視記録、MPhone通信網の異常検知。これらは行政調査として動かせる」


「十分だ」


「十分ではないだろう」


「今はそれでいい」


 神谷は頷いた。


「黎人を疑っているのか」


「真っ先に」


「気持ちはわかる」


 その一言に、煇は少しだけ眉を上げた。


 神谷は肩をすくめる。


「彼の管理記録は、担当者の心を削る内容ばかりだ。馬小屋暮らしに文句、食事に文句、作業に文句。自分がなぜそこにいるのかは理解していないが、自分が不当に扱われているという確信だけはある」


「変わっていないな」


「変わっていない」


 その頃、旧セナンの外れにある集落では、黎人が馬小屋で寝転んでいた。


 彼に与えられた生活は、最低限だった。


 食事は出る。


 寝る場所もある。


 雨風はしのげる。


 簡単な作業をすれば、わずかな小遣いも出る。


 客観的には、処刑されてもおかしくない男への処遇としてはかなり温い。


 だが、黎人はそう思っていなかった。


 自分は勇者なのに馬小屋。


 自分は世界を救ったのに誰も褒めない。


 自分は悪くないのに監視されている。


 毎日、そのことを不満に思っていた。


 その日、集落にMPhoneの配給が来た。


 共和国の通信網普及事業の一環である。村長や役人、商人だけでなく、一定数の端末が集落にも配られた。


 村人たちは戸惑った。


 小さな板に文字が出る。


 遠くの相手と話せる。


 地図が見られる。


 便利だが、どう使えばいいのかわからない。


 村長は困り、半ば冗談で黎人に端末を渡した。


「お前、こういうのわかるか」


 黎人はMPhoneを見た。


 目の色が変わった。


 画面。


 文字。


 通知。


 入力欄。


 前の世界で、彼が唯一長く向き合っていたものに似ていた。


 指が動いた。


 驚くほど自然に。


 村人たちが使い方を覚える前に、黎人は端末の基本操作を理解し始めた。


 写真を開く。


 掲示板を見る。


 個別連絡を送る。


 動画を見る。


 そして、匿名に近い名前で書き込みを始める。


 村長は感心した。


「お前、これだけはできるんだな」


 黎人は誇らしげな顔をした。


 それだけは、という部分は都合よく聞かなかった。


 数日後、共和国の監視部署に小さな報告が上がった。


 旧セナン外れの集落から、不審なMPhone利用あり。


 女性利用者へのしつこい連絡。


 意味不明な自慢。


 複数掲示板への迷惑投稿。


 監視担当者は記録を見て、すぐに煇へ転送した。


 煇はその内容を読んだ。


 画面には、黎人らしき利用者の投稿が並んでいた。


 自分は本当は勇者。


 周りが嫉妬している。


 女は勇者に優しくするべき。


 自分を馬小屋に閉じ込めるのは陰謀。


 それらの文章を見た瞬間、煇は深く息を吐いた。


「違うな」


 神谷が尋ねる。


「娘さんの件か」


「こいつではない」


「なぜ言い切れる」


「今、これだけ目立つ迷惑行為をしている。もし娘を攫っていたなら、隠すどころか自慢する。こいつは黙っていられない」


 神谷は端末の画面を見て、少し嫌そうな顔をした。


「説得力があるのが嫌だね」


「だが、無関係とわかっただけだ」


 煇は拳を握った。


「ユメの手がかりは、まだない」


 黎人はその頃、馬小屋でMPhoneを抱えて笑っていた。


 久しぶりに、自分の世界を手に入れた気がしていた。


 狭い画面の中なら、誰かに話しかけられる。


 誰かに見られる。


 誰かを怒らせることもできる。


 前の世界で失敗したことを、彼はまた繰り返そうとしていた。


 異世界の通信網は便利だった。


 そして、便利さは黎人にとって、反省ではなく迷惑行為の道具になった。

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