第19話 誰も知らない勝利
王城の戦いは、唐突に終わった。
魔族の体が薄れ、空気に溶けるように消えていったのである。
最初、誰もそれを勝利だとは思えなかった。
何かの罠か。
別の形で現れるのか。
そう警戒して、兵士も冒険者も勇者たちも武器を構えたまま動かなかった。
だが、何も起きない。
地下から響いていた魔力の脈動も止まっている。
王城に満ちていた重い気配が、少しずつ薄れていく。
煇は中央階段の前で立ち止まり、耳を澄ませた。
先ほどまで地下から絶えず聞こえていた音がない。
召喚陣が止まった。
そう判断するまで、少し時間がかかった。
「地下を確認する」
煇が言う。
セリアも頷いた。
数人の勇者と冒険者を連れ、2人は地下へ降りる。
階段には魔族の姿がなかった。さっきまで押し返すのも苦労していた場所が、嘘のように静かだった。
地下広間に着くと、そこには壊れた召喚陣があった。
床の線はところどころ削れ、文字は崩れ、中心にあったはずの穴は消えている。魔力の残滓だけが、薄い煙のように漂っていた。
そして、その端に黎人が座っていた。
頭を押さえている。
セリアはため息をついた。
「またいた」
黎人は顔を上げた。
何か言いたそうだったが、口から出たのは意味のない音だった。
魔族の力は完全に抜けたらしい。
会話能力も消えていた。
煇は召喚陣を調べる。
「誰が壊した」
黎人を見る。
黎人は目を逸らした。
セリアはその反応で察した。
「この人、何かしたわね」
「しただろうな」
「何を?」
「それがわかれば苦労しない」
煇は床に残った不自然な線を見た。
召喚陣の端に、明らかに本来の術式ではない曲線がある。子どもの落書きのような、意味のない線。その周囲だけ、魔力の流れが乱れた跡があった。
「落書きか」
煇が呟く。
セリアは聞き返した。
「落書き?」
「おそらく、こいつが陣に余計な線を足した。それを消したか、消されたかして、元の術式まで崩れた」
「そんなことで魔族が消えるの?」
「召喚陣が精密な術式なら、あり得る。特に、ズマルが組んだ術式は古いものを無理に繋いでいた可能性が高い。少しの歪みで崩れても不思議ではない」
「不思議ではないけど、納得はしたくない」
セリアは黎人を見た。
黎人は何もわかっていない顔をしている。
いや、自分が何かをしたことくらいはわかっているのかもしれない。だが、それが世界を救ったに近い結果になったとは理解していない。
理解していたら、もっと面倒な顔をしているはずだ。
地下の確認が終わると、王城全体の安全確認に移った。
魔族は消えていた。
地下にも、廊下にも、城壁にもいない。
逃げ遅れた人々が助け出され、負傷者は広場へ運ばれた。共和国軍は城門を確保し、冒険者たちは市街地の確認に向かった。
王都は奪還された。
ただし、祝う者は少なかった。
王は死んだ。
召喚術士も死んだ。
多くの兵士が倒れ、王都は空になり、国の中心は指導者を失った。
勝利というより、後始末の始まりだった。
夕方、王城前広場で臨時の報告会が開かれた。
共和国軍の将校が戦闘終了を宣言し、冒険者協会の幹部が負傷者と避難者の支援について説明した。
煇も前に立った。
彼は短く話した。
魔族の召喚陣は破壊された。
王都は確保された。
セナン王国の統治機構は崩壊しており、今後はイロイ共和国と周辺各国で協議する。
言葉は淡々としていた。
だが、その内容は重かった。
1つの王国が終わろうとしている。
その場にいた者たちは、それを理解して静かになった。
その静けさを破ったのは、黎人だった。
どこから抜け出してきたのか、彼は広場の端からふらふら現れた。
誰かが止めようとする前に、前へ出る。
そして、胸を張った。
張ったつもりだった。
実際には、少し反り返っているだけだった。
「あー、うー」
黎人は何かを訴えようとした。
魔族の力はもうない。
言葉は通じない。
だが、態度だけは大きかった。
自分がやった。
自分が魔族を倒した。
そう主張していることは、なんとなく伝わった。
広場の空気が固まる。
セリアは顔を手で覆った。
「やっぱり言いに来た」
煇は黎人を見た。
「魔族を倒したのはお前だ、と言いたいのか」
黎人は、意味を完全には理解していないはずなのに、なぜか大きく頷いた。
自分に都合のいい言葉だけは拾えるのかもしれない。
周囲の勇者や冒険者たちは、反応に困った。
実際、召喚陣が壊れた原因には黎人が関わっている可能性が高い。
だが、それを手柄と呼ぶにはあまりにも違う。
本人は狙っていない。
理解していない。
そもそも途中まで魔族側で暴れていた。
煇は少し考えた。
そして、はっきり言った。
「世界を救ったのは、お前ではない」
黎人は不満そうな声を出した。
煇は続ける。
「少なくとも、そういうことにしておいたほうが世のためだ」
セリアは小さく吹き出しそうになったが、我慢した。
黎人は怒った。
怒ったが、言葉にならない。腕を振り回そうとして、近くの兵士にあっさり押さえられた。
強化が切れた黎人は、ただの全ステータス0の男である。
兵士1人でも十分だった。
いや、少し慎重に扱えば、片手でも足りた。
広場から連れていかれる黎人を、誰も英雄を見る目で見なかった。
セリアはその背中を見送り、静かに息を吐いた。
「結局、最後まであの調子ね」
「変わらないこともある」
煇が言う。
「変わってほしかった?」
「少しは」
セリアは正直に答えた。
だが、変わらなかった。
異世界に来ても、勇者になっても、魔族の力を与えられても、世界を救ったかもしれない出来事に関わっても。
黎人は黎人のままだった。
そして、そのことが、この戦いの一番疲れる真実だった。
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