第14話 王都は誰のものでもなくなった
ズマルが死んだあと、王城は一瞬だけ静かになった。
ほんの一瞬である。
魔族たちは玉座の間に倒れた召喚術士を見て、動きを止めた。彼は門を開いた者だった。封じられていた魔族を呼び戻し、王城の地下に拠点を作り、セナン王国を足場にしようとしていた。
だが、その男はもう動かない。
殺したのは敵ではなかった。
勇者だった。
いや、勇者と呼ぶにはあまりにも歪な男だった。
魔族の力を与えられた黎人は、玉座の間の中央で肩を上下させていた。手にはまだ感触が残っている。自分より偉そうだった王と、自分を笑ったズマルを、自分の力で黙らせた。
その事実だけで、黎人の頭は熱くなっていた。
「オラガ……ヤッタ」
彼は繰り返した。
誰に向けた言葉でもない。
だが、誰かに聞いてほしかった。
認めてほしかった。
褒めてほしかった。
魔族たちは顔を見合わせた。
ズマルの死は予定外だった。だが、門はすでに開いている。王は死に、王城の指揮系統は崩れ、王都は混乱していた。
ならば、やることは変わらない。
魔族の中で最も年長らしい者が、低く命じた。
「王城を押さえろ。地上の兵を排除し、門を守れ」
魔族たちが動き出した。
彼らにとって、ズマルは便利な協力者だったが、主ではない。主を失って崩れるほど従順でもなかった。
王城の各所で戦闘が続いた。
兵士たちは奮戦したが、数も準備も足りない。王は死に、命令を出す者はいない。高官たちは逃げ、文官は書類を抱えたまま立ち尽くし、侍女たちは地下や物置に隠れた。
魔族は王城を制圧した。
次に、王都へ出た。
とはいえ、彼らが見た王都には、思ったほど人が残っていなかった。
もともとセナン王国の民は王を信用していない。勇者召喚の噂が怪しくなった時点で、資産のある者は移動を始めていた。王城から煙が上がった時には、逃げ足の速い者ほどすでに門へ向かっていた。
だから、魔族が街へ出た時、そこにあったのは空き家と閉じた店と、逃げ遅れた少数の人々だった。
魔族たちは拍子抜けした。
侵略する都市が、最初から半分逃げていたのである。
だが、制圧は制圧だ。
王都の門には魔族が立ち、城壁には魔族の見張りが置かれた。逃げ遅れた者は建物に押し込められ、抵抗した兵士は倒された。
セナン王国の王都は、その日のうちに王の都ではなくなった。
誰のものでもない空白を、魔族が踏みつけただけだった。
その頃、煇とセリアはイロイ共和国へ向かっていた。
途中の村で黎人を失ったあと、2人は休まず移動を続けた。馬車を乗り継ぎ、時には歩き、道中で王都から逃げた人々の話を聞いた。
噂は混乱していた。
王が死んだ。
ズマルが死んだ。
勇者が魔族になった。
魔族が王城を占領した。
王都はもう終わりだ。
どれも断片的で、どこまで本当かわからない。
だが、煇は最後の噂だけは重く受け止めた。
「勇者が魔族になった、か」
馬車の中で彼が呟く。
セリアは疲れた顔で答えた。
「あの人のことよね」
「他に該当者がいない」
「魔族に力を与えられたってこと?」
「可能性は高い」
煇は窓の外を見た。
道の先には、イロイ共和国へ続く街道がある。セナン王国の道より整備され、人の流れも多い。王国から逃げてきた者たちを受け入れるため、共和国側の検問が臨時に増えていた。
イロイ共和国は、王国とは違う。
建国には転生勇者たちが関わっている。冒険者協会の本部もあり、情報の回りが早い。王の機嫌ではなく、会議と書類で物事が進む面倒な国でもあった。
だが今は、その面倒さが必要だった。
共和国の国境近くに着くと、煇は名乗った。
前勇者、岩崎煇。
その名前はすぐに上へ通された。
検問所の兵士たちは慌ただしく動き、2人は仮設の詰所へ案内された。そこで冒険者協会の職員と、共和国軍の連絡官が待っていた。
「セナン王国で魔族復活の可能性あり、という報告は受けています」
職員が言った。
「可能性ではなく、事実だ」
煇は短く答える。
「王城地下から召喚された。王都はすでに制圧された可能性が高い。王と召喚術士ズマルの生死は未確認だが、逃げた者の証言では死亡したという話もある」
「召喚術士が死んだ?」
「その話が本当なら、魔族側の指揮は別の者に移っている」
職員は顔をしかめ、すぐに書き留める。
セリアはその横で腕を組んでいた。
「それと、こっちの勇者が1人、魔族に連れていかれた」
職員のペンが止まる。
「勇者が?」
「全ステータス0で、スキルなしで、言葉が通じない勇者」
「……それは勇者なのですか」
「私に聞かないで」
セリアは疲れた声で言った。
煇が補足する。
「名前は柴崎黎人。おそらく魔族に力を与えられた。王都で暴れているという噂がある」
「敵に回ったと?」
「本人にその自覚があるかは怪しい。だが、危険な状態なのは間違いない」
詰所の空気が重くなった。
勇者が魔族に利用されている。
その言葉だけなら、相当な脅威に聞こえる。
だが、セリアにとっては複雑だった。
黎人は恐ろしい敵になったのだろうか。
それとも、力を与えられても中身はあのままなのだろうか。
どちらでも嫌だった。
共和国への報告は、すぐに本部へ送られた。
冒険者協会は各地の勇者と上位冒険者へ緊急招集を出す。共和国軍は国境警備を強化し、難民の受け入れを始めた。
煇とセリアは、首都へ向かう前に仮眠を取るよう言われた。
だが、眠れる気分ではなかった。
詰所の外では、王国から逃げてきた人々が列を作っている。荷物を抱えた家族、怪我をした兵士、泣き疲れた子ども。
その人々を見ながら、セリアは小さく言った。
「あの王国、本当に終わったのね」
「まだ終わらせるかどうかは決まっていない」
煇は答えた。
「王が死んだなら、なおさら後始末がいる。魔族を倒して、国をどうするか決めなければならない」
「あなたが決めるの?」
「俺1人では決めない。共和国に吸収させるのが現実的だろう」
「前勇者って大変ね」
「勇者という肩書きは、だいたい面倒ごとの別名だ」
セリアは少し笑った。
その時、遠くから鐘が鳴った。
共和国側の警戒鐘である。
魔族の接近ではなかった。新たな難民の集団が到着した合図だった。
情報はさらに増える。
王都の様子。
魔族の数。
異形化した勇者の噂。
そして、その勇者が次にどこへ向かったのか。
夕方になって、1人の逃亡兵が重要な証言をした。
異形の勇者は、王城で暴れたあと、魔族たちに煽られるようにして王都を出たという。
向かった先は、王都近くの隣町。
セリアと煇が、最初に黎人を連れて立ち寄った町だった。
セリアは顔をしかめた。
「こっちに来るつもり?」
「おそらく、俺たちを探している」
煇は静かに言った。
「魔族が誘導したか、本人が勝手に恨みを向けたかはわからないが」
「どっちでも迷惑ね」
セリアは剣の柄を握った。
共和国の援軍が集まるまでには、まだ時間がかかる。
だが、黎人は待ってくれないかもしれない。
力を与えられた要介護勇者。
その言葉は冗談のようなのに、今は少しも笑えなかった。
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