第13話 魔族に拾われた勇者
黎人が連れていかれた場所は、王城だった。
正確には、王城の地下である。
王都から村へ逃げ、そこで魔族に拾われ、森を抜け、いくつかの隠し通路を通り、気づけば彼はまた城に戻っていた。
もちろん、黎人はその道順を理解していない。
理解していたのは、肩に担がれて揺られると気持ち悪い、ということだけだった。
地下は広かった。
石壁には古い紋様が刻まれ、床には巨大な召喚陣が描かれている。魔法陣の中心では、青黒い光が脈打つように明滅していた。
その周囲に、魔族たちが集まっている。
人間に近い姿の者もいれば、角や翼を持つ者もいる。体格も様々で、黎人より頭2つも3つも大きい者ばかりだった。
黎人は地面に下ろされた。
足がふらつき、すぐに座り込む。
周囲の魔族が笑った。
笑われていることだけは、黎人にもわかった。
彼はむっとした。
何がおかしいのか。
自分は被害者だ。
いきなり知らない世界に呼ばれ、城では雑に扱われ、変な女に連れ回され、怖い化け物に追われ、今また変な場所へ連れてこられた。
悪いのは全部、周りだ。
そう思った。
魔族の1体が、黎人の前にしゃがんだ。
灰色の肌、曲がった角、鋭い爪。顔は恐ろしいが、目には好奇心があった。
何かを話しかけてくる。
黎人にはわからない。
ただ、声の調子は馬鹿にしているように聞こえた。
彼は顔をそむけた。
その態度に、周囲の魔族がまた笑う。
やがて、奥からズマルが現れた。
ローブのフードは外されている。
額には折られた2本の角の跡があった。
人間の王城で見せていた召喚術士の顔とは違う。今の彼は、魔族たちの中にいても違和感がなかった。
「まさか、戻ってくるとは」
ズマルは黎人を見下ろした。
黎人はその声を聞き、少しだけ反応した。
王城にいた時の男だ。
自分を見て、何かをしていた男。
よくわからないが、偉そうな男。
「お前は、本当に妙な存在ですね」
ズマルは笑った。
「全て0。スキルなし。言葉も通じない。勇者としては失敗作以下です」
黎人には意味がわからない。
だが、馬鹿にされている気配は伝わる。
彼は不満そうな声を出した。
ズマルはさらに面白そうに目を細めた。
「怒る知能はある。ですが、何を怒っているのかは自分でもわかっていない。実に扱いやすい」
魔族の1人がズマルに何かを尋ねた。
ズマルは頷く。
「使えるか試しましょう。勇者という器であることに変わりはない。中身が空なら、こちらの力を流し込みやすいかもしれません」
黎人は嫌な予感がした。
言葉はわからない。
だが、周囲の視線が実験台を見るものに変わったことはわかった。
彼は後ずさろうとした。
背後に魔族が立っていた。
逃げられない。
ズマルが手をかざす。
黒い光が黎人の体を包んだ。
最初に来たのは熱だった。
体の奥から何かが膨れ上がる。骨が軋み、筋肉が引き伸ばされ、血の流れが別のものに変わっていくような感覚。
黎人は悲鳴を上げた。
その悲鳴は、途中で声の質を変えた。
かすれた情けない音が、太く低い叫びへ変わる。
背が伸びた。
腕が太くなった。
皮膚が黒ずみ、爪が硬く伸び、肩や背中に歪な突起が浮かぶ。
さっきまで小さく貧相だった体が、魔族の力によって無理やり作り替えられていく。
周囲の魔族たちが感心したように唸った。
ズマルも目を細める。
「器としては脆い。ですが、流し込めば形にはなる」
やがて光が収まった。
そこに立っていたのは、黎人であって黎人ではないものだった。
体は一回り以上大きくなり、筋肉は不自然に膨らみ、顔つきも獣じみている。だが、目の奥にあるものは変わっていなかった。
怯え。
怒り。
不満。
そして、他責。
黎人は自分の手を見た。
太い。
力がある。
今まで持てなかったものを持てそうな気がする。
今まで届かなかったものに届きそうな気がする。
さらに、頭の中で何かがつながった。
周囲の言葉が、ぼんやりと意味を持ち始めたのである。
「聞こえますか」
ズマルが言った。
黎人は目を見開いた。
わかる。
完全ではないが、意味がわかる。
「お前に力を与えました」
ズマルは優しく言う。
「お前を馬鹿にした者たちに、復讐したくはありませんか」
復讐。
その言葉は、黎人の中に真っ直ぐ落ちた。
王城で自分を見下した者。
剣を持てずに笑った者。
世話を嫌がった侍女。
廊下に寝かせた宿。
自分を引っ張り回したセリア。
冷たい目を向けた煇。
そして、前の世界で自分を理解しなかったすべて。
それらが、彼の中で雑にひとまとめになった。
黎人は口を開いた。
喉が震える。
出てきた言葉は、歪で、拙く、半分潰れていた。
「オラ……ヤル」
魔族たちが静まった。
黎人は自分の声に驚いた。
喋れた。
意味のある言葉が出た。
それだけで、彼は強くなった気がした。
「オラガ……ツヨイ」
ズマルは満足そうに頷いた。
「よろしい。では、お前を侮った者たちに、力を見せてやりなさい」
その言葉を、黎人は都合よく受け取った。
自分は選ばれた。
力をもらった。
だから、自分を馬鹿にした者を責めていい。
彼の中で、復讐と八つ当たりの区別はついていなかった。
そして、彼は細かい順番も理解していなかった。
ズマルは王城に残る兵士や侍女を襲わせ、混乱を広げるつもりだった。いずれは煇とセリアへ向かわせる。それが、彼の考えていた使い道だった。
だが黎人の頭に最初に浮かんだのは、玉座に座っていた王だった。
次に浮かんだのは、自分を見下ろして笑ったズマルだった。
2人とも、偉そうだった。
2人とも、自分を馬鹿にした。
それだけで十分だった。
「オウ……」
黎人が低く呟いた。
ズマルは一瞬、眉を動かした。
「王ですか。ええ、陛下にも思うところはあるでしょう。ですが順番が」
「ズマル」
次に自分の名が出たことで、ズマルの声が止まった。
黎人はズマルを見ていた。
そこに感謝はなかった。
力を与えられたという理解はある。だが、その前に自分を失敗作以下と笑われたことも、ぼんやり覚えていた。
黎人の中では、恩と恨みなら恨みのほうが強かった。
「オラヲ……バカニシタ」
「待ちなさい」
ズマルの声が低くなる。
「お前に力を与えたのは私です。その力で誰を狙うべきか、私が」
「オラガ……ツヨイ」
黎人は最後まで聞かなかった。
太くなった腕を振るう。
ズマルは防御の術を展開した。普通の兵士なら、それだけで弾き飛ばされる。魔族の攻撃にも耐えられる障壁だった。
だが、黎人の動きは雑で、力任せで、術式の読み合いも何もなかった。
だからこそ、ズマルの想定から少し外れた。
拳は障壁の端をかすめ、横から崩すようにめり込んだ。
鈍い音が地下に響いた。
ズマルの体が壁へ叩きつけられる。
魔族たちがどよめいた。
ズマルは立ち上がろうとした。口元から血が流れている。彼はようやく、目の前の男を兵器ではなく事故として見た。
「止めろ」
魔族たちが動こうとする。
だが、黎人はもうズマルを見ていなかった。
王だ。
玉座の男。
自分を見下ろした男。
自分を客室から物置へ追いやり、誰かに押しつけた城の一番偉い男。
細かい事情など知らない。
知る必要もない。
黎人は地下から地上へ向かった。
魔族たちは一瞬迷った。ズマルを助けるべきか、黎人を止めるべきか。迷っている間に、黎人は階段を上がっていく。
王城はすでに混乱していた。
逃げ遅れた兵士。
隠れていた侍女。
状況を理解できない文官。
黎人は彼らを押しのけながら進んだ。止めようとした兵士は、腕のひと振りで壁に飛ばされた。扉は開け方がわからなければ壊した。廊下の角を間違えれば、近くにいた者を怒鳴った。
「オウハ……ドコダ」
言葉は通じた。
だが、答えられる者はいなかった。
黎人は玉座の間へ向かった。
そこにクルル王はいた。
逃げる機会はいくらでもあったはずなのに、王は玉座のそばで震えていた。何を持ち出すべきか、誰に命令すべきか、どこへ逃げるべきか。その全てを決められないまま、時間だけが過ぎていた。
扉が砕けた。
異形化した黎人が入ってくる。
王は最初、それが誰なのかわからなかった。
だが、歪んだ顔と小さな目に、かろうじて見覚えがあった。
「勇者……なのか」
「オラヲ……ステタ」
黎人が言った。
王は後ずさる。
「待て。あれはズマルが」
「オマエモ……ワラッタ」
「儂は王だぞ」
その言葉は、黎人には何の意味もなかった。
前の世界で父親が何を言っても響かなかったように、この世界で王が何を言っても響かなかった。
自分より偉そうな相手。
自分に優しくしなかった相手。
それだけで、彼の中では敵だった。
黎人は王へ近づいた。
兵士が止めに入ったが、間に合わなかった。
玉座の間に、短い悲鳴が響いた。
クルル王は、何も知らないまま、何も決められないまま、そこで終わった。
黎人は息を荒くした。
初めて誰かを圧倒した。
初めて自分の怒りが形になった。
怖さよりも、妙な高揚が勝っていた。
「オラガ……ヤッタ」
その頃、地下からよろめきながら上がってきたズマルが、玉座の間の入口に姿を見せた。
彼は王の姿を見て、顔を歪めた。
「愚かな……。お前は使われるだけでよかったのに」
黎人が振り返る。
ズマルは詠唱を始めた。
だが、傷が深かった。術式の構築が遅い。
黎人には、難しいことはわからない。
ただ、ズマルがまた自分を止めようとしていることだけはわかった。
「オマエモ……バカニシタ」
黎人が突進した。
ズマルの術が放たれる。
黒い刃が黎人の肩を裂いた。
だが、魔族の力で強化された体は止まらなかった。傷はすぐに塞がりかけ、痛みは怒りに変わった。
黎人はズマルに掴みかかった。
召喚術士としての知識も、王を操ってきた策略も、旧ゼット帝国復興の野望も、その瞬間には役に立たなかった。
玉座の間に、もう一度鈍い音が響いた。
ズマルは倒れた。
魔族復活を始めた男は、自分が拾って力を与えたはずの失敗勇者に殺された。
魔族たちは、すぐには動けなかった。
彼らにとっても、それは予定外だった。
黎人は倒れたズマルを見下ろし、肩で息をした。
「オラガ……ツヨイ」
彼はそう言った。
だが、その力は借り物だった。
そして、頭の中身はほとんど変わっていなかった。
世界は彼の中で、とても簡単になっていた。
自分を気分よくさせる者は正しい。
自分を不快にさせる者は悪い。
異世界に来て、魔族の力を与えられても、その基準だけは変わらなかった。
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