第8話 使い道のない勇者の使い道

 作戦会議の場所として選ばれたのは、宿の食堂の隅だった。


 選ばれた、というより、他に落ち着いて話せる場所がなかった。


 奴隷商の店では追い出された。通りでは人目が多い。町の外へ出るには、黎人を連れて歩く必要がある。それは全員にとって面倒だった。


 だから結局、宿へ戻った。


 セリアは卓につき、煇は向かいに座った。黎人は隣の椅子に座らせた。座らせたというより、勝手に座った。彼は食堂の棚に置かれた果物の瓶を見ている。


 セリアはその視線を無視した。


「まず確認したいんだけど」


「何だ」


「あなた、本当に前の勇者なの?」


 煇は小さく頷いた。


「岩崎煇。日本から召喚された。セナン王国では勇者として扱われていたが、王とズマルに都合の悪いことを知られて追い出された」


「証拠は?」


「ステータスを見せればいいか?」


「見られるの?」


「冒険者協会に鑑定具がある。だが、今はそこまでしなくてもいい。疑うなら疑ってくれ。俺も、初対面の相手に全面的に信用されるほうが怖い」


 セリアは少しだけ黙った。


 言っていることはまともだった。


 少なくとも、王城の連中よりはまともに聞こえる。


「ズマルの都合の悪いことって?」


「城の地下だ」


 煇は声を落とした。


「あの男は王に骨董品を集めさせていた。旧ゼット帝国の魔道具、古い呪具、召喚に関する遺物。表向きは王の趣味だが、実際はズマルが選んでいる」


「骨董品で何をするの」


「召喚陣を補強する。普通の勇者召喚とは別に、何かを呼び出す準備をしていた」


「何か?」


「おそらく魔族」


 セリアは目を細めた。


 魔族。


 昔、世界を脅かした存在として、どこの国にも伝承が残っている。今では滅んだ、あるいは封印されたと言われているが、冒険者の間では時々、その名を使った与太話が流れる。


 だが、煇の表情は冗談を言っていなかった。


「見たの?」


「地下に運び込まれた魔法陣の部品を見た。完全な形ではなかったが、勇者召喚とは違う。もっと古くて、もっと危険な術式だった」


「それで追い出された?」


「直接問い詰める前に、王が俺を遠ざけた。ズマルの助言だろう。暗殺の気配もあったから、こっちから姿を消した」


「逃げたってこと?」


「生きて調べるために退いた」


 煇の声には、言い訳の響きがなかった。


 セリアは少しだけ感心した。


 同じ「自分は悪くない」でも、隣の男とは質が違う。


 黎人はちょうどその時、卓の上の水差しを倒しそうになっていた。


 セリアは無言で水差しを遠ざける。


「で、仕返しって何をするの」


「王城に戻る」


「雑ね」


「もちろん正面から殴り込むわけじゃない。王とズマルの関係を表に出す。民の不満はもう限界に近い。城の者も、あの2人に忠誠を誓っているわけじゃない。証言と証拠が揃えば、王の権威は崩れる」


「証拠は?」


「地下にある」


「つまり、王城に入って地下を探る」


「そうだ」


 セリアは腕を組んだ。


 危険な話である。


 だが、王城に騙され、偽の呪いで脅され、この勇者を押しつけられた身としては、聞き流せない話でもあった。


「それで、この人をどうするの」


 セリアは黎人を指差した。


 黎人は自分が話題になったことだけは察したらしく、少し背筋を伸ばした。


「使う」


 煇が言った。


 セリアは顔をしかめる。


「何に」


「囮に」


「最低ね」


「王城が押しつけてきた勇者だ。王城に返すだけだ」


「言い方」


「現実的な使い道はそれくらいだ。戦力にはならない。交渉もできない。情報収集も無理だ。だが、目立つ」


 目立つ。


 それは否定できなかった。


 黎人はただ歩いているだけで、周囲に妙な空気を作る。勇者という肩書きを添えれば、さらに面倒な注目を集める。


「彼を王城へ連れていけば、兵士たちは対応に困る。中に入る口実にもなる。王はこの勇者の存在を隠したいはずだ。なら、騒がれる前に内側へ通す可能性が高い」


「その隙に地下へ?」


「できれば」


「できれば、ね」


 セリアは椅子にもたれた。


「危ない橋ね」


「安全な橋は王城に燃やされた」


 煇は淡々と言った。


 セリアは少し笑いそうになった。


 笑いごとではないが、言い方が妙にうまかった。


「奴隷商の店主は協力するの?」


「情報のやり取り程度ならな。あの人は王城が嫌いだが、危険に首を突っ込むほど暇じゃない」


「まともね」


「まともだから奴隷商をやっていけるのかは疑問だが」


 煇は水を飲んだ。


 黎人がそれを見て、自分の分の水を飲む。少しこぼした。セリアはもう何も言わなかった。


「王城へ向かうなら、準備がいる」


 セリアは話を戻した。


「食料、移動手段、城門を通るための理由。それと、この人をどうやって連れていくか」


「馬車を使う」


「お金は?」


「俺が出す」


「助かるわ」


「ただし、馬車の中でそいつが何もしない保証はない」


「保証できるなら、私は今こんな顔してない」


 セリアは黎人を見た。


 黎人は果物の瓶をまだ見ていた。


「先に言っておくけど、私にはこの人を制御する自信はない」


「制御しなくていい。動きが読めないことを利用する」


「ますます最低ね」


「使えるものは使う。そうしないと、こちらが使われるだけだ」


 その言葉に、セリアは少し黙った。


 王城に使われた。


 まさに今の自分がそれだった。


 高い前金につられ、偽の呪いで縛られたと思い込み、勇者の世話を押しつけられた。


 使われっぱなしで終わるのは、気に入らない。


「わかった。乗る」


 セリアは言った。


「ただし、危なくなったら逃げる」


「それでいい」


「この人も?」


 煇は黎人を見た。


 少し考えた。


「できれば連れて逃げる」


「できれば?」


「絶対とは言わない」


 セリアは、そこは正直なのねと思った。


 黎人は何も知らず、瓶詰めの果物を指差している。


 仕方なく、セリアは宿の主人に頼んで小皿に少しだけ出してもらった。黎人はそれを食べ、ようやく満足そうな顔をした。


 その顔を見て、セリアはため息をつく。


「この人、世界の裏で何が動いてても関係なさそうね」


「だからこそ、想定外になる」


 煇は言った。


「強い者は強い者を警戒する。賢い者は賢い者を警戒する。だが、こいつみたいな存在は警戒の分類から外れる」


「褒め言葉に聞こえない」


「褒めてない」


「でしょうね」


 その日のうちに、3人は王都へ戻る準備を始めた。


 煇は馬車を手配し、セリアは食料と水を買い足した。黎人のために、少量の甘い保存食も買った。買わないと移動中に面倒が増えると判断したからで、優しさではない。


 宿の主人は、3人が出ていくと聞いて少し明るい顔をした。


「また来てくれ」


「本当に思ってる?」


「客にはそう言う決まりだ」


「正直でよろしい」


 翌朝、馬車は王都へ向けて出発した。


 黎人は馬車の揺れに最初こそ怯えていたが、しばらくすると眠った。


 セリアは向かいの席で、その寝顔を見た。


 呑気な顔だった。


 この男を囮にして、王城へ戻る。


 普通に考えれば、ひどい話である。


 だが、彼を押しつけたのは王城だ。


 なら、少しくらい返却に手間をかけてもらっても罰は当たらない。


 煇は窓の外を見ていた。


 王都へ近づくにつれ、道を行く人が減っていく。逃げる者はいても、向かう者は少ない。セナン王国の中心は、すでに人を引き寄せる場所ではなくなっていた。


「王城に入ったら」


 煇が低く言った。


「俺が話す。セリアは勇者の世話役として動いてくれ。そいつが変な動きをしても、全部『勇者様のご意向』で押し通す」


「便利に使うわね、勇者様」


「便利なところくらい見つけないと、存在の説明がつかない」


 セリアは否定できなかった。


 黎人は寝ている。


 何も知らない。


 何もできない。


 それでも、彼は王城に戻ろうとしていた。


 自分を隠し、押しつけ、捨てた者たちのもとへ。


 もっとも、本人がそれを理解していない以上、復讐でも凱旋でもない。


 ただの返却である。


 セリアは窓の外に見え始めた王都の城壁を見つめた。


「高い前金分くらいは、働いてもらうわよ」


 黎人は寝息を立てていた。


 返事の代わりに、馬車が大きく揺れた。

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