第9話 玉座に足りない男

 王都の城門は、以前よりも静かだった。


 人が少ない。


 商人の荷車も、旅人の列も、祝祭の気配もない。門番たちは職務として立っているが、その顔には疲れが見えた。王都から出ていく者はいても、入ってくる者はあまりいないのだろう。


 馬車が門に近づくと、門番が手を上げた。


「止まれ。用件は」


 煇が馬車の窓を開けた。


 門番の表情が変わる。


「お前は……」


「岩崎煇だ。王城へ用がある」


 門番は明らかに動揺した。


 前の勇者。


 城から消えたはずの男。


 その名は、王都の兵士なら知っている。


「許可は」


「勇者を連れてきた」


 煇はそう言って、馬車の中を示した。


 門番は中を覗く。


 そこにはセリアと黎人がいた。


 黎人は馬車の揺れで寝ぼけた顔をしている。門番と目が合うと、なぜか少し体を引いた。


「……この方は」


「新しい勇者様だ」


 煇は淡々と言った。


 門番はさらに困った顔になった。


 新しい勇者についての噂は、すでに門番たちにも届いている。姿を見せない勇者。城の庭に閉じ込められていたらしい勇者。王が隠している何か。


 その噂の中心らしき男が、今、馬車の中にいる。


 しかも前の勇者が連れている。


 どう扱えばいいのか、門番には判断できなかった。


 こういう時、下の者は上に確認する。


 門番は詰所へ走った。


 しばらく待たされたあと、馬車は王都へ入ることを許された。


 セリアは小声で言う。


「思ったより簡単ね」


「簡単じゃない。面倒だから通したんだ」


 煇は答えた。


「責任を上に送るために」


「王城らしいわ」


 馬車は大通りを進んだ。


 王都の景色は、セリアが初めて来た時よりさらに沈んで見えた。店は開いているが客は少ない。窓を閉めた家が目立つ。広場には人がいるものの、活気ではなく様子見の空気が漂っていた。


 勇者が帰ってきたという噂は、馬車より早く広がった。


 通りの人々がこちらを見る。


 前の勇者。


 新しい勇者。


 外国の女冒険者。


 並べてみれば、話題性だけは十分だった。


 黎人は窓の外を見ていた。


 自分が注目されていることに気づいたのか、少し得意げな顔をした。


 セリアはそれを見て、嫌な予感を覚えた。


「窓から顔を出させないほうがいい?」


「出したら引っ込めればいい」


「引っ込むかしら」


「押せば」


 煇の返事は簡潔だった。


 王城の正門に着くと、さらに慌ただしかった。


 兵士たちは煇を見て顔色を変え、セリアを見て困惑し、黎人を見て言葉を失った。


 そして、やはり上へ確認に走った。


 待たされる間、黎人は馬車を降りたがった。じっとしているのが退屈なのだろう。セリアは袖をつかんで止める。


「今、勝手に動かない」


 通じない。


 だが袖をつかまれていることはわかるらしく、黎人は不満そうに座り直した。


 やがて、城内へ通された。


 案内役の兵士は、緊張で背中が硬くなっている。煇を前にしているからか、黎人を連れているからか、あるいはその両方か。


 セリアは周囲を観察しながら歩いた。


 廊下には人が少ない。侍女たちは遠巻きにこちらを見ている。何人かは黎人に気づいた瞬間、露骨に顔を引きつらせた。


 以前、彼が城で何をしていたのかは知らない。


 知らないが、だいたい想像できた。


 玉座の間へ通される。


 クルル王は玉座に座っていた。


 その顔は、喜びとは程遠い。


「煇」


 王は苦々しく名を呼んだ。


「久しぶりだな、陛下」


 煇は礼をした。


 形だけは丁寧だが、敬意はあまり感じられない。


「なぜ戻った」


「新しい勇者様をお連れしました。王城の依頼で外へ出たそうですが、どうも扱いに困っているようだったので」


 クルル王の視線が黎人へ移る。


 黎人は玉座の間を見回していた。召喚された時のことを覚えているのかどうか、表情からはわからない。ただ、王を見ても特に畏れる様子はなかった。


 理解していないだけである。


「その者は、外で何をしていた」


「歩いて、食べて、寝ていました」


 セリアが答えた。


 王の眉が動く。


「お前は」


「王城から依頼を受けた冒険者です。偽の呪いで脅された、という説明もつけられます」


 玉座の間の空気が変わった。


 王がズマルを探すように左右を見た。


 だが、そこにズマルはいなかった。


 セリアはその動きを見逃さなかった。


「召喚術士殿は?」


 煇が尋ねる。


 王は不機嫌そうに口を開く。


「用があって席を外しておる」


「地下ですか」


 その一言で、王の顔が固まった。


 煇は続ける。


「ズマルが地下で何をしているか、陛下はご存じですか」


「何を言っておる」


「召喚陣です。勇者召喚とは別の術式。旧ゼット帝国の魔道具を使って、何かを呼び出そうとしている」


 臣下たちがざわめいた。


 王は玉座の肘掛けを強く握った。


「黙れ。根拠のないことを」


「根拠なら地下にあります」


「地下へは入れん」


「なぜですか」


「王城の機密だ」


「では、ズマルが王城の機密を使って何をしているのか、陛下は説明できますか」


 王は答えなかった。


 答えられなかった。


 セリアはそこで理解した。


 この王は、おそらく何も知らない。


 ズマルに言われるまま税を上げ、魔道具を集め、勇者を追い出し、新しい勇者を隠した。自分が支配しているつもりで、実際には使われている。


 腹立たしいほど、王らしくない王だった。


「陛下」


 セリアは一歩前へ出た。


「私にかけたという呪い、奴隷商に見てもらいました。かかっていませんでした」


「それはズマルが」


 王はそこで言葉を止めた。


 またズマル。


 何か都合が悪くなるたび、その名前が出てくる。


 煇は静かに言った。


「陛下。あなたは王です。なら、ズマルが何をしているか知らないでは済まない」


「貴様、儂を脅すのか」


「確認しているだけです」


 その時、玉座の間の外から大きな音がした。


 遠くで何かが崩れたような、腹に響く音だった。


 兵士たちが扉のほうを見る。


 続いて、低い振動が床を伝った。


 黎人だけが、何が起きたのかわからず、ぽかんとしている。


 王の顔から血の気が引いた。


「何だ、今のは」


 答えはすぐに来た。


 廊下から兵士が駆け込んでくる。


「陛下! 地下区画より異常な魔力反応! それと、未確認の魔物が」


「魔物だと?」


 兵士は息を切らしながら言った。


「城内に出現しています!」


 玉座の間が騒然となった。


 煇は舌打ちした。


「遅かったか」


 セリアは剣を抜く。


「どうするの」


「逃げる」


 煇の判断は早かった。


「地下を確認したいところだが、今は無理だ。王を押さえている場合でもない」


「勇者様は?」


 セリアが言うと、煇は黎人を見た。


 黎人は騒ぎに怯え、すでに近くの柱の陰へ隠れようとしていた。


「連れていく」


「了解」


 セリアは黎人の腕をつかんだ。


 黎人は嫌がったが、今回は力で引く。


 玉座の間の扉が開いた。


 廊下の向こうから、兵士たちの悲鳴が聞こえる。


 王は玉座に座ったまま、何も決められずにいた。


 ズマルはいない。


 王は何も知らない。


 そして、知らないまま始まってしまった。


 城の地下で、召喚術士の計画が動き出したのである。


 煇は短く言った。


「走るぞ」


 セリアは黎人を引きずるようにして走り出した。


 黎人は当然、走るのが遅かった。


 世界が危機に向かって動き始めたその瞬間でさえ、彼の足の遅さだけは変わらなかった。

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