第6話 ヘロイン、父親の家、そしてボクサーの足取り

 マイルス・デイヴィスの話をしていると、どうしたってヘロインの話は避けて通れない。

 避けて、きれいなところだけ並べることもできるよ。ジュリアード、バード、パリ、『Birth of the Cool』、そうやって名場面だけ拾っていけば、ずいぶん見栄えのいい伝記になる。

 でも、それじゃ嘘になる。

 あいつの音の細さ、冷たさ、切れ味、あの“もうこれ以上は近づくな”みたいな距離感の一部は、やっぱりあの時期を通っている。

 ヘロイン。

 そして、そこから抜けるために、父親の家へ戻ったこと。

 この二つは、マイルスの物語の中で、たぶん同じくらい大事だ。

 パリから戻ったあと、マイルスはどんどん深みにはまっていく。

 もちろん、きっかけは一つじゃない。

 バードのそばにいれば、ドラッグは空気みたいなものだった。あの時代のジャズの現場では、ヘロインは珍しくもなんともない。珍しくないってのが、いちばん怖い。

 誰かがやっている。

 しかも、たいていはすごくうまいやつがやっている。

 すると若い連中は、つい勘違いする。

 あの音と、この粉が、どこかでつながっているんじゃないかって。

 実際には逆なんだけどね。

 音があるやつが、たまたまドラッグもやっているだけで、ドラッグが音をくれるわけじゃない。

 だが、若いころってのは、その順番をよく間違える。

 マイルスも、最初はそうだったんだろう。

 バードの周りにいて、夜の街を歩いて、パリのあとにまたアメリカの現実へ戻って、仕事はあるが心は落ち着かない。

 そういうとき、ヘロインは“答え”みたいな顔をして近づいてくる。

 痛みを消す。

 不安を薄める。

 時間を柔らかくする。

 しかも最初のうちは、まだ吹ける気がする。

 だから厄介なんだ。

 本当に全部を壊すのは、もう少しあとだから。

 マイルスは、あの時期の自分をかなり正直に語っている。

 金が入れば薬に消える。

 仕事は不安定になる。

 音も痩せる。

 約束も守れなくなる。

 周りの人間も離れていく。

 そして何より、自分で自分が嫌になる。

 ヘロイン中毒ってのは、身体の問題であると同時に、羞恥の問題でもあるんだよ。

 自分が自分を裏切っている感じが、毎日少しずつ積もる。

 それがまた苦しくて、さらに打つ。

 ひどくよくできた地獄だ。

 俺も、あの手の地獄を何人も見てきた。

 ピアニスト、サックス吹き、ドラマー、歌手。

 最初はみんな「コントロールできる」と言う。

 次に「今はちょっときついだけだ」と言う。

 その次には、もう何も言わなくなる。

 マイルスが特別だったのは、そこから戻ったことだ。

 しかも、病院でも施設でもなく、父親の家へ戻って。

 これが、なんともマイルスらしいし、同時にマイルスらしくない。

 あいつはプライドの高い男だ。

 人に弱みを見せるのを嫌う。

 助けを求めるのも下手だ。

 そんな男が、東セントルイスへ戻る。

 歯科医の父親の家へ。

 子どものころの空気が残っている場所へ。

 これは、相当なことだよ。

 ほとんど敗走だ。

 でも、敗走ってのは、死なないためには必要なことがある。

 マイルスは、そのぎりぎりのところで、まだ死ぬ気はなかったんだろう。

 父親との関係は、単純じゃない。

 尊敬もある。反発もある。

 父は成功した黒人の職業人で、息子に規律を求める。

 息子は天才で、夜の街で名を上げ、だが薬に沈んでいる。

 こういう父と息子が、うまくいくわけがない。

 だが、うまくいかないからこそ、効くこともある。

 父親は、甘やかすために息子を家へ入れたんじゃない。

 立て直すためだ。

 マイルスも、慰めてもらいに帰ったんじゃない。

 抜くために帰ったんだ。

 ヘロインを抜くってのは、言葉で書くと短いが、実際には地獄だ。

 汗。

 震え。

 吐き気。

 眠れない夜。

 骨の中がむずがゆいような、皮膚の裏側を虫が這うような、あの感じ。

 身体が「くれ」と叫ぶ。

 頭も「一回だけ」と囁く。

 その両方に逆らい続ける。

 何日も。

 何週間も。

 マイルスは、父親の家で、それをやった。

 部屋にこもって、苦しんで、汗をかいて、のたうって、抜いた。

 誰かに拍手されるわけでもない。

 新聞に載るわけでもない。

 ただ、死なないために。

 この時期の話で、俺がいつも大事だと思うのは、ボクシングなんだ。

 マイルスは、薬を抜いたあと、身体を鍛えはじめる。ボクシングをやる。シャドーをやる。縄跳びをやる。足を使う。

 これが、ただの健康法じゃない。

 あいつにとってボクシングは、身体を取り戻す方法だったんだと思う。

 ヘロインってのは、身体の主導権を奪う。

 腹が減るかどうかも、眠いかどうかも、立てるかどうかも、全部あっちが決める。

 ボクシングは、その逆だ。

 足をどう出すか。

 いつ引くか。

 どこで踏み込むか。

 全部、自分で決める。

 つまり、身体の主権を取り戻す訓練なんだよ。

 それに、ボクシングのリズムって、マイルスの音楽にどこか似ている。

 ずっと打ち続けるわけじゃない。

 間合いを見る。

 フェイントを入れる。

 相手の重心を読む。

 必要なときだけ、短く鋭く打つ。

 あいつのソロもそうだろう。

 音数で殴り続けるんじゃない。

 距離を測って、空白を作って、ここだというところで一発入れる。

 若いころのマイルスが、ディジーみたいに火花を散らすタイプじゃなかったのは、技術だけの問題じゃない。

 もともと、あいつの感覚はボクサー寄りだったんだ。

 薬を抜いたあと、その感覚がいっそうはっきりしたんじゃないかと思う。

 父親の家での更生ってのは、いかにも古風な話だ。

 いまなら専門施設だ、医療だ、カウンセリングだ、いろいろ言うだろう。

 もちろん、それは大事だ。

 だが、マイルスの時代には、もっとむき出しだった。

 家へ帰る。

 苦しむ。

 抜く。

 身体を鍛える。

 また吹く。

 乱暴だが、あいつにはそれが合っていたのかもしれない。

 少なくとも、誰かに“患者”として扱われるより、“立て直す男”として扱われるほうが、あいつのプライドには合っていた。

 この更生のあと、マイルスの音は変わる。

 いや、変わるというより、定まる。

 前からあったものが、ようやく焦点を結ぶ。

 1954年ごろからの録音を聴くと、あの独特の集中力が出てくる。

 音数は多くない。

 だが、一音一音の責任が重い。

 薬でぼやけた輪郭が、急に研がれる。

 そして1955年、ニューポートでの“’Round Midnight”だ。

 あれを聴くと、戻ってきた、というより、別の男になって帰ってきた感じがする。

 前より静かで、前より強い。

 前より派手じゃないのに、前より目が離せない。

 あれは、ただ薬をやめた人間の音じゃない。

 地獄を一度くぐって、なお自分の身体を使うことを選んだ人間の音だ。

 俺は、マイルスの“クール”って言葉が、どうも好きじゃないことがある。

 便利すぎるんだよ。

 あいつの音を、なんでもかんでも“クール”で片づけると、そこにある苦労や執念や、汗の匂いが消えてしまう。

 たしかにクールだ。

 だが、あの冷たさは、最初から冷たいんじゃない。

 一度、熱で焼かれて、そのあとで冷えた金属みたいな冷たさなんだ。

 ヘロインの時期を通っていなければ、あの冷え方にはならなかったかもしれない。

 もちろん、だからといってドラッグを美化する気はない。

 そんなものは一つもない。

 ただ、通ってしまった事実が、その後の音に影を落としている、というだけだ。

 父親の存在も、ここで見直したくなる。

 マイルスの父は、しばしば“厳格な成功者”として語られる。

 それでいい。実際そうだったんだろう。

 だが、息子が薬に沈んだとき、家へ戻すだけの器もあった。

 黒人の男が、あの時代に歯科医として成功し、家族を支え、息子に楽器を与え、そしてその息子が壊れかけたときに、もう一度立ち直る場所を用意する。

 これは、簡単なことじゃない。

 マイルスの物語って、つい天才個人の話として読まれがちだが、こういうとき、家族の土台の強さが見える。

 あいつは一人で立ち直ったわけじゃない。

 立ち直るために、一度、家へ戻れたんだ。

 それでも、戻ったあとにまたニューヨークへ出ていくのは、結局あいつ自身だ。

 そこが大事だ。

 家は避難所にはなる。

 だが、人生の本番は、また外にある。

 マイルスは、抜いて、鍛えて、また街へ戻る。

 そして、前よりもずっと危険な音を出しはじめる。

 危険ってのは、派手って意味じゃない。

 もう二度と、自分を失うまいとする音ってことだ。

 そういう音は、静かでも怖い。

 若いミュージシャンにこの話をするとき、俺は説教みたいにはしたくない。

 ドラッグはだめだ、なんて、そんなことは誰でも知ってる。

 知っていてもやるのが、人間の弱さだ。

 だから大事なのは、そこじゃない。

 大事なのは、マイルスが一度壊れたあと、自分の身体をもう一度自分のものにしたってことだ。

 音楽ってのは、結局、身体でやるものだから。

 指。

 唇。

 肺。

 足。

 姿勢。

 全部、自分のものじゃなきゃいけない。

 ヘロインはそれを奪う。

 ボクシングは、それを取り返す。

 マイルスは、その順番を、身をもって知った。

 だから俺は、あいつの1950年代半ば以降の音を聴くと、ときどきボクサーの足取りを思い出す。

 軽い。

 だが、逃げているんじゃない。

 いつでも踏み込める軽さだ。

 無駄に打たない。

 だが、打つときは急所だ。

 そして何より、リングの上で自分の身体の重さを知っている。

 あれは、薬で身体を失いかけた人間にしか出せない種類の慎重さかもしれない。

 ヘロイン、父親の家、ボクシング。

 この三つを並べると、なんだか妙な取り合わせに見える。

 だが、マイルスの人生では、ちゃんと一本の線になっている。

 壊れる。

 戻る。

 鍛える。

 そして、前より少ない音で、前より深く刺す。

 その線の先に、『’Round Midnight』があり、第一期クインテットがあり、やがて『Kind of Blue』がある。

 つまり、あの静かな革命の前には、汗と吐き気と縄跳びの音があるんだ。

 マイルス・デイヴィスは、生まれつきクールだったわけじゃない。

 あいつは一度、ぐしゃぐしゃに崩れた。

 そのあとで、自分を組み直した。

 だから、あの音には、ただ洒落ているだけじゃない、組み直された人間の強度がある。

 俺には、そこがたまらなく好きなんだ。


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