第5話 パリでは人間で、アメリカでは“ニグロ”だった

 マイルス・デイヴィスの話をしていて、パリを飛ばすわけにはいかない。

 あいつにとってパリは、ただの外国じゃなかった。ツアー先でも、洒落た思い出の街でもない。もっと根っこのところで、自分がどう扱われる人間なのか、その基準がひっくり返った場所だった。

 アメリカでは、どれだけうまく吹いても、どれだけスーツが似合っても、どれだけ女にモテても、まず先に黒人として見られる。

 パリでは、少なくともあいつには、先にミュージシャンとして、人間として見られた。

 その違いは、旅行の気分転換なんてもんじゃない。

 人間の背骨の角度を変えるくらいの違いだ。

 最初のパリは1949年だ。

 国際ジャズ祭に出るためだった。マイルスはまだ二十代の半ばで、いまみたいな“帝王”じゃない。だが、すでにただ者じゃない気配はあった。クールの輪郭ができはじめていて、バードの影から少しずつ自分の影を引きはがしている時期だ。

 その若いマイルスがパリへ行く。

 で、向こうに着いて、何が起きたか。

 誰も、あいつを“黒人だから”という理由で、最初から低く扱わなかった。

 もちろん、ヨーロッパに差別がなかったなんて、そんな甘い話じゃない。そんなことを言うやつは、たいてい旅行者の目でしか世界を見ていない。

 だが、それでも、当時のアメリカと比べれば、パリの空気はまるで違った。

 少なくとも、マイルスにはそう感じられた。

 そして、その“違い”は、あいつの中に深く刺さった。

 この話になると、たいていジュリエット・グレコの名前が出てくる。

 黒い服を着た、あの細い、煙みたいな女。歌手で、女優で、サン=ジェルマンの夜の象徴みたいな人だ。マイルスは彼女と恋に落ちた。少なくとも、そういうふうに語られる。実際、あいつ自身も、グレコのことはずいぶん大事に話している。

 だが、俺はこの話を、単なるロマンスとして読むのは少し違う気がしている。

 もちろん恋はあっただろう。若い男がパリへ行って、あんな女に会って、何も起きないほうが不自然だ。

 でも、グレコが象徴していたのは、女そのものだけじゃない。

 “お前はここにいていい”と言ってくれる世界そのものだったんだと思う。

 アメリカでは、黒人の男が白人の女と歩くだけで、空気が変わる。

 視線が刺さる。

 店によっては入れない。

 ホテルは断られる。

 南部なら、もっと露骨だ。

 北部だって、上品な顔をした差別がいくらでもある。

 だが、パリでは、少なくともそのときのマイルスには、そういう“最初からの拒絶”が薄かった。

 白人の女と腕を組んで歩ける。

 レストランに入れる。

 ホテルに泊まれる。

 誰かの家の客間じゃなく、街そのものの客になれる。

 これがどれだけ大きいか、差別を受けたことのない人間には、なかなか分からない。

 昔、あるベーシストが言っていた。

 「差別ってのは、殴られることだけじゃない。入れてもらえないことだ」

 うまいこと言う。

 殴られるのは分かりやすい。Birdlandの夜みたいにね。

 だが、もっと日常的で、もっと人を削るのは、“最初からそこにいないものとして扱われること”だ。

 ホテルのフロントで、目を合わせてもらえない。

 高級店で、客じゃなく配達人みたいに見られる。

 白人の女と一緒にいると、空気が一段冷える。

 そういう細かい拒絶の積み重ねが、人間の姿勢を少しずつ曲げる。

 パリでは、その曲がりが少し戻る。

 マイルスは、たぶんそれを身体で感じたんだ。

 あいつは後年、パリで初めて“人間として扱われた”みたいなことを何度も言っている。

 この言い方、重いよ。

 人間として扱われた。

 つまり、それ以前のアメリカでは、そうじゃなかったってことだ。

 もちろん、家族も友人もいた。愛してくれる人もいた。黒人コミュニティの誇りもあった。

 だが、社会全体の目は違う。

 制度も、警察も、ホテルも、レコード会社も、批評家も、どこかで「お前はまず黒人だ」と言ってくる。

 その“まず”が、どれだけ人を疲れさせるか。

 パリでは、その“まず”が少し外れる。

 先に、男として、ミュージシャンとして、客として扱われる。

 それだけで、世界の色が変わる。

 俺は若いころ、この手の話を少し斜めに見ていた。

 ヨーロッパ礼賛ってやつだろ、と思っていたんだ。アメリカで傷ついた黒人ミュージシャンが、パリへ行って“向こうは分かってくれる”と言う。たしかにそういう物語は多い。シドニー・ベシェも、ケニー・クラークも、バド・パウエルも、みんな何かしらヨーロッパに救われている。

 だから、少し出来すぎにも見える。

 だが、年を取ると分かる。

 出来すぎなんじゃない。

 それだけアメリカがひどかったんだ。

 マイルスにとって、パリは単に“差別が少ない場所”ではなかった。

 芸術の扱われ方も違った。

 アメリカでは、ジャズはしばしば夜の娯楽だ。酒場の音楽で、ダンスの伴奏で、うまくいけばヒット商品だ。

 もちろん、それはそれでいい。ジャズはもともとそういう場所から出てきた。

 だが、パリでは、少なくとも当時の知識人や芸術家たちのあいだで、ジャズはもっと真面目に、もっと危険な芸術として受け取られていた。

 詩人や画家や哲学者が、ジャズ・ミュージシャンを“ただの演奏家”としてじゃなく、時代の感覚を変える人間として見る。

 それは、若いマイルスには相当気持ちよかったはずだ。

 だってアメリカじゃ、同じ男がホテルの入口で止められるんだから。

 グレコとの時間も、そういう文脈の中にある。

 彼女はマイルスを、珍しい黒人ミュージシャンとして眺めたんじゃない。少なくとも、あいつにはそう感じられた。

 ひとりの男として、ひとりの芸術家として見た。

 そのことが、どれだけ救いだったか。

 恋愛ってのは、相手そのものだけじゃなく、相手の目を通して見える“自分”に恋をするところがある。

 マイルスは、グレコの目の中で、アメリカで押しつけられていた役割から少し自由になれたんじゃないか。

 “黒人トランペット吹き”じゃなく、ただのマイルスとして。

 もちろん、だからといって、あいつがそのままパリに住みついたわけじゃない。

 そこがまた、マイルスらしい。

 残ろうと思えば残れたかもしれない。実際、グレコも引き止めたと言われる。

 だが、あいつは戻る。

 アメリカへ。

 差別のある国へ。

 警官のいる国へ。

 バードのいる国へ。

 ヘロインの匂いがする国へ。

 そして、自分の音楽が本当に試される国へ。

 この“戻る”ってのが大事なんだ。

 もしマイルスが、パリのやさしさにそのまま身を預けていたら、別の人生はあったかもしれない。もっと穏やかで、もっと長生きして、もっと傷の少ない人生が。

 でも、あいつはそういう男じゃない。

 居心地のいい場所に落ち着くより、摩擦のある場所で自分を鍛えるほうを選ぶ。

 あるいは、選ばざるをえなかった。

 アメリカはあいつを傷つけたが、同時に、あいつの音楽の燃料でもあったからだ。

 パリの話をするとき、俺はいつも少し複雑な気分になる。

 救いの話としては美しい。

 若い黒人ミュージシャンが海を渡り、初めて人間として扱われ、恋をし、芸術家として敬意を受ける。

 映画みたいだ。

 だが、その美しさは、裏返せばアメリカの醜さの証明でもある。

 自国でそれが得られないから、海の向こうで初めて息ができる。

 そんな話が美談であっていいわけがない。

 それでも、パリはマイルスに何かを与えた。

 単なる慰めじゃない。

 基準だ。

 世界は、別のふうにもありうる。

 黒人の男が、白人の女と歩いても、いちいち事件にならない世界。

 ミュージシャンが、ただの夜の余興じゃなく、芸術家として扱われる世界。

 自分が“まず黒人”ではなく、“まず人間”として見られる世界。

 その基準を一度知ってしまったら、もう元には戻れない。

 アメリカへ帰ってからのマイルスが、いっそう怒りっぽく、いっそう妥協しなくなったのは、そのせいもあると思う。

 知らなければ我慢できたことが、知ってしまうと我慢できなくなる。

 人間ってのは、そういうものだ。

 Birdlandの夜の話をしたあとで、このパリの話を置くと、余計によく分かる。

 同じ男だ。

 同じトランペット吹きだ。

 同じスーツを着て、同じ唇で吹いている。

 なのに、場所が変わるだけで、片方では恋人と街を歩けて、片方では警官に殴られる。

 この落差を、マイルスは身体で知っていた。

 だから、あいつの怒りは抽象的じゃない。

 理論じゃない。

 経験だ。

 皮膚の記憶だ。

 俺は、マイルスのあの“人を寄せつけない感じ”の一部は、パリで完成したんじゃないかと思っている。

 変な言い方だが、パリはあいつをやさしくしたんじゃなく、むしろ厳しくした。

 なぜなら、世界には別の扱い方があると知ってしまったからだ。

 そのあとでアメリカの差別に戻れば、前より余計に腹が立つ。

 前は“そういうものだ”で済ませていたことが、済まなくなる。

 だから、あいつはますます許さなくなる。

 白人批評家の上から目線も。

 業界の搾取も。

 警察の横暴も。

 全部、前よりはっきり見える。

 パリは、あいつを癒やしたというより、目を覚まさせたんだと思う。

 それに、音楽の面でも、パリはマイルスの中の“余白”を育てた気がする。

 これは証明できる話じゃない。俺の勝手な聴き方だ。

 でも、あいつのクールな時期の音、あの空気を多く含んだ、言い切らない、余白を残す感じには、どこかヨーロッパ的な光の当たり方がある。

 アメリカの夜のネオンだけじゃない。

 石畳の反響みたいなものが、少し混じっている。

 グレコの黒い服の影かもしれないし、セーヌ川の湿った風かもしれない。

 まあ、ロマンチックに言いすぎかもしれないが、ジャズってのはそういう言いすぎを少し許してくれる。

 結局、パリはマイルスに“逃げ場”を与えたんじゃない。

 比較対象を与えたんだ。

 世界は一つじゃない。

 お前が受けている扱いは、自然でも必然でもない。

 別の扱い方が、現に存在する。

 その事実は、人を強くもするし、孤独にもする。

 マイルスは、その両方を引き受けた。

 だから、あいつが後年、アメリカに対してあれだけ辛辣だったとしても、俺は驚かない。

 パリで一度、人間として扱われてしまった男が、アメリカで再び“ニグロ”として扱われる。

 その屈辱は、最初から何も知らないより、たぶん深い。

 そして、その深さが、あいつの音のどこかに残る。

 甘くならない理由。

 簡単に和解しない理由。

 美しいのに、どこか冷たい理由。

 その一部は、パリの夜と、アメリカの朝の落差の中にある。

 マイルスにとってパリは、夢の街なんかじゃない。

 夢なら、目が覚めれば終わる。

 あれは、目が覚めてしまった街だ。

 世界は別のふうにもありうると、一度知ってしまった街。

 だからこそ、あいつはそのあと、アメリカでますます怒り、ますます吹いた。

 人間として扱われた記憶を、音の中で手放さないために。


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