第4話 Birdlandの看板の下で、血を流した夜

 スターになれば、少しは自由になれる。

 若いころは、俺もそう思っていた。名前が売れれば、金が入れば、いいスーツを着て、いい車に乗って、店の入口で止められたり、警官に顎であしらわれたりすることも減るんじゃないかって。

 甘かったね。

 アメリカって国は、ときどき、成功した黒人を見ると、祝福する前にまず「お前が何者か、忘れるなよ」と言いたがる。

 マイルス・デイヴィスの1959年8月25日の夜は、そのことを、血が出るほどはっきり教えてくれる。

 場所はBirdland。

 ジャズを知ってる人間なら、名前だけで少し背筋が伸びる店だ。52丁目の名門。看板には“Jazz Corner of the World”なんて書いてあった。世界のジャズの角、だ。たいした言い草だが、まあ、あながち嘘でもない。

 その夜、マイルスは店の中で演奏していた。

 しかも、ただのマイルスじゃない。

 『Kind of Blue』が出て、まだ間もないころのマイルスだ。

 あのレコードが世に出て数週間。いまじゃジャズ史の聖典みたいに扱われるが、その時点でも、すでに“何かが起きた”ことはみんな感じていた。

 店の中では、あいつは王様みたいなものだった。

 だが、店の外へ一歩出た瞬間、その王冠は紙みたいに軽くなる。

 話の筋は、単純といえば単純だ。

 休憩時間か、セットの合間だったか、とにかくマイルスはBirdlandの外に出て、店の前に立っていた。煙草を吸っていたとも言うし、店の中にいた白人女性を待っていたとも言う。実際、その女性――フランシス・テイラーだったか、あるいは別の女性だったか、細部には証言の揺れがある。だが、大筋は変わらない。

 警官が来て、店の前に立つな、どけ、と言った。

 マイルスは言い返した。

 「俺はこの店で働いてる」

 あるいは、

 「中で演奏してるんだ」

 そういう意味のことを言った。

 それでも警官は引かなかった。

 で、殴った。

 警棒だったか、手だったか、これも証言に揺れはあるが、結果は同じだ。

 マイルスは頭から血を流し、そのまま逮捕された。

 これだけ聞くと、ただの警察沙汰みたいに聞こえるかもしれない。

 だが、そうじゃない。

 ここで起きたのは、もっと古くて、もっとアメリカ的で、もっと醜いことだ。

 店の中ではスターでも、店の外では黒人だった。

 それだけだ。

 それだけのことが、どれだけ人を傷つけるかって話だ。

 俺がこの話を初めてちゃんと聞いたのは、ずいぶんあとになってからだ。

 ニューヨークの古いドラマーが、酔った勢いで話してくれた。

 「あの夜な、みんな分かってたんだよ」

 そいつはそう言った。

 「マイルスが何をしたかじゃない。マイルスが何色だったか、それだけで決まってた」

 乱暴な言い方だが、たぶん正しい。

 警官にとって、目の前にいたのは『Kind of Blue』のリーダーじゃない。

 コロンビアと契約したスターでもない。

 高いスーツを着た、稼いでいる、口のきき方を知らない黒人の男だった。

 それで十分だったんだ。

 マイルス本人は、ああいうとき、引かない。

 そこがあいつのいいところでもあり、危ないところでもある。

 もし別の誰かなら、面倒を避けて一歩下がったかもしれない。

 「分かったよ、オフィサー」

 そう言って、煙草を消して、店の中へ戻ったかもしれない。

 でも、マイルスはそうしない。

 なぜなら、あいつにとって、その一歩は単なる移動じゃないからだ。

 屈服なんだよ。

 しかも、理不尽な命令に対する屈服だ。

 店の中で自分の音楽を売って、白人客に拍手されて、その同じ店の前で「どけ」と言われて黙黒人ってどく。

 そんなことができる男なら、そもそもマイルス・デイヴィスにはなっていない。

 もちろん、現実的に見れば、引いたほうが得だった。

 殴られずに済んだ。逮捕もされなかった。新聞沙汰にもならなかった。

 だが、マイルスは得を取る男じゃない。

 少なくとも、ああいう場面では。

 あいつは、損をしてでも、自分が誰に命令される筋合いがあるのかを問い返す。

 その問い返しが、アメリカではしばしば“生意気”と呼ばれる。

 黒人が、自分の尊厳を守ろうとするときにだけ使われる、あの便利な言葉だ。

 しかも、タイミングが悪辣なんだ。

 『Kind of Blue』の直後だぜ。

 いまじゃ世界でいちばん有名なジャズのレコードと言ってもいい。

 モード・ジャズだの、空間の美学だの、説明はいくらでもできる。

 だが、そんな歴史的な作品を作った男が、その数日後にはクラブの前で警官に殴られている。

 これ以上、アメリカの矛盾を一枚の絵にしたような話があるか。

 黒人の芸術は欲しがる。

 黒人の身体は従わせたがる。

 その二つを、同じ夜に平気でやる。

 この国は、そういうことをする。

 俺はこの事件を、単なる人種差別の実例としてだけ見たくない気持ちもある。

 いや、もちろん人種差別だ。そこは疑いようがない。

 でも、もう少し音楽の側から見ると、これはマイルスの芸術と人格が、社会の現実に真正面からぶつかった瞬間でもある。

 あいつの音楽ってのは、前にも言ったように、説明されることを嫌う。

 分類されることを嫌う。

 「お前はこういうだろう」

 「お前はこういうジャズだろう」

 そういう決めつけに対して、ずっと“違う”と言い続けてきた。

 ジュリアードの教室でもそうだった。

 ブキャナンの教えを自分のものにしたときもそうだった。

 Birdlandの前で警官に言い返したのも、同じ線上にある。

 俺をお前の都合のいい位置に立たせるな。

 あいつは、音でも言葉でも、ずっとそれをやっていた。

 ただ、社会のほうは、音楽ほど繊細じゃない。

 音なら、反抗は美学になる。

 だが、路上では、反抗は血になる。

 そこが残酷なんだ。

 この事件の写真や記事をあとで見ると、なんとも言えない気分になる。

 マイルスはスーツを着ている。洒落た男だ。金もある。名声もある。

 でも、頭から血を流している。

 その姿には、妙な二重写しがある。

 一方では、成功したモダン・ジャズの王。

 もう一方では、いつの時代にもいる、警官に殴られた黒人の男。

 その二つが、同じ身体に重なっている。

 そしてアメリカは、その重なりを少しも恥じない。

 マイルスは、こういうことを忘れない男だった。

 忘れないし、許さない。

 だから、のちのインタビューでも、白人批評家や警察や業界に対する怒りが、しばしばむき出しになる。

 あれを“気難しい”“偏屈だ”で片づける人間は、たぶん何も分かっていない。

 偏屈にもなるさ。

 自分の音楽で世界を変えたと言われる夜に、店の前で警棒を食らうんだから。

 そのあとで、にこにこ愛想よくしていられるほうが、俺にはよほど不自然に見える。

 それに、Birdland事件は、マイルスの“クール”の見え方まで変えてしまう。

 世間は、あいつをクールの象徴みたいに言う。

 たしかにそうだ。スーツも、車も、女も、ステージでの立ち方も、全部クールだ。

 でも、あのクールさを、ただの洒落者の余裕だと思うと間違える。

 あれは鎧でもあるんだ。

 感情を見せすぎたら、そこを踏まれる。

 弱みを見せたら、そこを殴られる。

 だから、顔を固くする。

 声を低くする。

 サングラスをかける。

 背中を向ける。

 クールってのは、しばしば傷の上に着る服なんだよ。

 俺は若いころ、そのへんが分からなかった。

 マイルスの不機嫌さを、単なるスターの気取りだと思っていた時期がある。

 だが、年を取ると、少し見え方が変わる。

 あいつは、世界に対して愛想を尽かしていたんじゃない。

 世界が先に、あいつに対して礼儀を失っていたんだ。

 そのあとで、あいつが礼儀正しく振る舞わなかったとしても、俺はあまり責める気になれない。

 Birdlandの夜のあと、マイルスはもちろん演奏をやめたりしない。

 そこがまた、あいつらしい。

 殴られて、逮捕されて、新聞に書かれて、それでも吹く。

 しかも、ただ吹くだけじゃない。

 もっと先へ行く。

 音楽のほうは、社会の侮辱に合わせて小さくなったりしない。

 むしろ逆に、あいつはそのあとも、さらに新しい音楽へ進んでいく。

 『Sketches of Spain』もある。

 第二期クインテットもある。

 電化もある。

 つまり、路上で殴られた男が、そのあともなお未来の音を作り続ける。

 そこに、俺はある種の執念を見る。

 ただし、その執念は、きれいな言葉で飾るべきものじゃない。

 “逆境を乗り越えた偉人”みたいな話にすると、急に嘘くさくなる。

 マイルスは、そんなふうに人を励ますために生きた男じゃない。

 怒るときは怒る。

 恨むときは恨む。

 嫌いなやつは嫌いだ。

 そのまま進む。

 それだけだ。

 Birdlandの夜も、たぶん“乗り越えた”というより、身体のどこかに刺さったまま持ち歩いたんだと思う。

 そして、その刺さった破片が、のちのあいつの音の冷たさや鋭さの一部になった。

 ジャズの歴史ってのは、ときどき、レコード棚の中だけで完結しているみたいに語られる。

 この作品が革新的で、このセッションが転換点で、このコード進行がどうで、ってね。

 もちろん、それは大事だ。

 だが、本当は、レコードの外にある夜のほうが、音を変えてしまうことがある。

 警官に殴られた夜。

 ホテルに泊まれなかった夜。

 白人の女と歩いていて睨まれた夜。

 そういう夜が、次の日の一音を変える。

 Birdlandの前で流れた血も、きっとそうだ。

 あの血は、新聞の社会面だけじゃなく、マイルスのその後の音楽のどこかにも、薄く混じっている。

 だから俺は、あの事件を思い出すたび、少し腹が立つし、少し悲しくなる。

 同時に、妙に納得もする。

 ああ、だからマイルスはああいう顔で吹いていたのか、と思う。

 あの、誰にも借りを作らないみたいな顔。

 誰にも説明しないみたいな顔。

 あれは生まれつきのポーズじゃない。

 何度も世界に試されて、そのたびに少しずつ固まっていった表情なんだ。

 Birdland。

 世界のジャズの角。

 その看板の下で、マイルス・デイヴィスは血を流した。

 店の中では拍手。

 店の外では警棒。

 その落差を、一人の黒人ミュージシャンの身体が引き受けた。

 そして、引き受けたまま、次の夜も吹いた。

 スターになれば自由になれる、なんて、やっぱり嘘だ。

 少なくとも、あの時代の黒人にとっては。

 だが、自由じゃないままでも、未来の音は作れる。

 マイルスは、そのことを証明した。

 証明の仕方が、あまりに高くついただけだ。

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