第3話 “その音、揺らすな”――エルウッド・ブキャナンの定規
マイルス・デイヴィスの音ってのは、不思議な音だ。
大きいわけじゃない。派手でもない。火を噴くみたいに高く昇るわけでもない。なのに、一音で部屋の空気を変える。あいつがミュートをつけて、少し息を混ぜたような、あの乾いた金属の声を出すと、それまでそこで鳴っていた他人の音楽が、急に“前置き”みたいに聞こえることがある。
あれは音量じゃない。
音色でも、たぶんそれだけじゃない。
もっと厄介なものだ。
音に、言い訳がないんだよ。
若いころ、俺はそれがずっと不思議だった。
どうしてマイルスの音は、あんなに裸なんだろうって。
うまいトランペット吹きなら、いくらでもいる。速いのも、高いのも、艶っぽいのも、泣かせるのもいる。だが、マイルスの音には、うまさの飾りがつく前の、もっと剥き出しの何かがある。
それでいて、乱暴じゃない。
むしろ、妙に育ちがいい。
ナイフみたいに切れるのに、持ち手のところだけはベルベットで巻いてあるみたいな音だ。
その話を、昔、セントルイス出身の年寄りのサックス吹きから聞いたことがある。
「お前、マイルスの音の始まりがどこか知ってるか」
そう言って、その男はグラスの縁を指でなぞった。
「学校でも、バードでも、ディジーでもない。もっと前だ。エルウッド・ブキャナンだよ」
エルウッド・ブキャナン。
いまじゃジャズの外にいる人は、あまり名前を知らないかもしれない。だが、マイルスの話をするなら、この人を飛ばしちゃいけない。セントルイスのトランペット教師で、マイルスが13歳のころから教わった相手だ。
で、この先生が、なかなか厳しい。
何を教えたか。
いろいろあるんだろうが、いちばん有名なのはこれだ。
「ビブラートをかけるな」。
もっと乱暴に言えば、
「その音、揺らすな」。
それを徹底して叩き込んだ。
トランペットって楽器は、気を抜くとすぐ“歌いすぎる”んだ。
とくに若い吹き手は、感情を乗せたくて、つい音を揺らす。ビブラートをかける。そうすると、たしかにそれらしく聞こえる。うっとりもする。観客も「ああ、いい音」って顔をする。
でも、ブキャナンはそれを嫌った。
音を揺らすな。
まっすぐ吹け。
まず、音そのものを立たせろ。
飾るのはそのあとだ、いや、飾らなくていいくらいの音を出せ。
たぶん、そういうことだったんだろう。
これ、言うのは簡単だが、やるのは難しい。
ビブラートってのは、下手な人間のごまかしにもなるが、同時に、未熟な音を“それっぽく”聞かせる便利な化粧でもある。
若い吹き手からその化粧を取り上げたら、何が残るか。
息の支え。
音程。
アタック。
音の芯。
つまり、ごまかしのきかない基礎だけが残る。
ブキャナンは、そこからやらせた。
マイルスは、のちにこの教えをずいぶん大事にしていた。
もちろん、人生のどこかで先生の言うことを全部そのまま守り続けたわけじゃない。そんな素直な男じゃない。
でも、音の中心にある考え方――音はまず、まっすぐ立っていなきゃいけない――その感覚は、最後まで抜けなかったと思う。
考えてみれば、あいつの美学って、ずっとそうなんだよ。
余計なことをしない。
説明しすぎない。
泣きすぎない。
飾りすぎない。
それでいて、冷たいわけじゃない。
むしろ、飾りを削ったぶんだけ、感情が逃げ場を失って、音の中にそのまま閉じ込められる。
だから、マイルスの一音は、しばしば怖い。
あれは“表現してます”って顔をしていない。
ただ、そこにある。
だから逃げられない。
少年時代のマイルスは、最初から天才然としていたわけじゃない。
そりゃ耳はよかっただろうし、育ちもよかったし、家には楽器を持てる余裕もあった。父親は歯科医で、息子にちゃんとした教育を受けさせる気があった。13歳の誕生日には新しいトランペットを買ってもらったという話もある。
だが、楽器を与えられた少年がみんなマイルスになるわけじゃない。
問題は、そのあと誰に出会うかだ。
ブキャナンは、若いマイルスに“うまく聞こえる吹き方”じゃなく、“本当に音を持つ吹き方”を教えた。
俺はピアノだから、トランペットの口の中のことまでは分からない。だが、似たようなことはある。
若いピアニストは、ついペダルでごまかす。
響きを足して、和音をにじませて、なんとなく豊かに聞かせる。
でも、本当に厳しい先生は、まずペダルを取る。
裸の指で鳴らせ、と言う。
音のつながりを、指で作れ、と言う。
それと同じだと思う。
ブキャナンは、マイルスから“にじみ”を先に奪った。
そのかわり、芯を与えた。
面白いのは、その教えが、のちのマイルスの“弱さ”と“強さ”の両方につながっていることだ。
若いころのマイルスは、ディジーみたいに高く速くは吹けなかった。バードの周りにいたころも、技術的には見劣りした時期がある。
でも、まっすぐな音を持っていた。
ビブラートで泣かせる代わりに、音程の真ん中で勝負した。
派手な装飾の代わりに、音の置き方で勝負した。
それは、最初は“足りなさ”として聞こえたかもしれない。
だが、時代が進むにつれて、その足りなさが、逆に誰にも真似できない個性になっていく。
たとえば、あいつがバラードを吹くときのことを考えてみろ。
普通なら、甘くいくところだ。
少し揺らして、少し溜めて、少し泣く。
観客もそれを期待する。
だが、マイルスは、そこで泣き崩れない。
音を細くして、息を混ぜて、ぎりぎりまで感情を削る。
すると、かえって聴いてる側が勝手に泣きたくなる。
これはずるいよ。
演奏者が泣いて見せるんじゃなく、聴き手の中に泣く場所を作るんだから。
その“空け方”の原点に、ブキャナンの「揺らすな」がある気がする。
それに、マイルスの音には、どこか“育ちのよさ”があると言っただろう。
あれは単に家柄の話じゃない。
音に対するしつけの話なんだ。
ブキャナンの教えってのは、要するに、音に行儀を教えることでもあったんじゃないか。
だらしなく泣くな。
媚びるな。
まず立て。
まっすぐ立ってから、必要ならそのあとで傷つけ。
そういう行儀だ。
もちろん、マイルスはその“行儀”を、そのまま優等生みたいに守ったわけじゃない。
むしろ、成長するにつれて、その行儀を自分流にねじ曲げていく。
ミュートを使う。
息を混ぜる。
わざと音をかすれさせる。
音程の縁を歩く。
でも、どれだけ崩しても、芯のところには“まっすぐ立つ音”の感覚が残っている。
だから、崩しても崩壊しない。
酔っても品がある。
乱れても骨が折れない。
あれは、最初に骨組みをきちんと入れられた人間の崩れ方なんだ。
昔、あるトランペット吹きが、マイルスの音についてこう言っていた。
「やつは、音を吹く前から、もうその音の責任を取ってる」
うまいこと言うなと思った。
責任。
そう、マイルスの音には責任がある。
なんとなく出した音が少ない。
もちろん、即興だから偶然もある。外すことだってある。
でも、外した音まで含めて、“俺はこれを出した”って顔をしている。
それは、若いころから音を揺らしてごまかすことを禁じられた人間の顔だ。
ブキャナンの教えは、たぶん音楽だけじゃなかったんだろう。
いや、先生本人がそんな大げさなつもりだったかは知らない。
でも、若いマイルスにとっては、あれがひとつの世界観になった。
飾る前に立て。
揺らす前に当てろ。
感じさせる前に、まず本当の音を出せ。
そういう世界観だ。
それは、のちのマイルスの生き方にもそのまま出る。
インタビューでも、ステージでも、人づきあいでも、あいつは愛想で埋めない。
沈黙で済むなら、沈黙で済ませる。
言葉を足すくらいなら、睨む。
睨むくらいなら、背中を向ける。
あれを不親切だと言う人もいる。実際、不親切だったろう。
だが、あいつにとっては、ビブラートをかけないのと同じことだったのかもしれない。
余計な揺れを足さない。
まず、まっすぐ立つ。
そのうえで、受け取れるやつだけ受け取れ、ってことだ。
俺は、マイルスの音を初めて生で聴いたときのことを、いまでも少し覚えている。
細部はもう曖昧だ。店の名前も、誰と一緒だったかも、酒の銘柄も怪しい。
でも、最初の一音だけは覚えてる。
「あ、揺れてない」
そう思った。
もちろん、機械みたいに無機質って意味じゃない。
むしろ逆で、あまりに人間的なんだ。
人間的なのに、媚びる揺れがない。
その感じに、少しぞっとした。
ああ、この人は、音を出す前にもう逃げてないんだ、と思った。
若いミュージシャンは、たいてい何かを足したがる。
速さを足す。
音数を足す。
感情を足す。
知識を足す。
もちろん、それは悪いことじゃない。若いうちは足して足して、自分の器を知るしかない。
でも、どこかで引き算を覚えないと、本当の声にはならない。
マイルスは、その引き算を、ずいぶん早い時期に身体へ入れられた。
ブキャナンの教えは、その最初の刃物だったんだと思う。
だから、俺はマイルスの音を聴くたび、ときどきその見えない先生のことを考える。
セントルイスの部屋で、若い少年に向かって、
「揺らすな」
と言った男のことを。
その一言がなければ、後年のマイルスは、もう少し分かりやすく“うまい”トランペット吹きになっていたかもしれない。
もっと派手で、もっと甘くて、もっと拍手を取りやすい吹き手に。
でも、そうはならなかった。
そのかわり、あいつはマイルスになった。
結局のところ、先生ってのは、何かを教える人間というより、何をやらせないかを決める人間なのかもしれない。
ブキャナンは、若いマイルスに、安い泣き方をやらせなかった。
ごまかしの揺れをやらせなかった。
その禁止が、のちにあれだけ自由な音を生んだ。
音楽ってのは、ほんとに皮肉だ。
自由は、たいてい最初の不自由から始まる。
マイルスの一音を聴いて、どうしてこんなに逃げ場がないんだろうと思うとき、
俺はその理由の半分くらいは、セントルイスのあの部屋にある気がしている。
少年がトランペットを構える。
先生が聞いている。
少しでも揺らしたら、たぶんすぐ止められる。
「違う。まっすぐだ」
その繰り返し。
その退屈で、厳しくて、容赦のない時間の積み重ねが、
のちに世界中の人間を黙らせる一音になる。
派手な革命の前には、たいてい、こういう地味な独裁がある。
マイルスの音の王国は、まずブキャナンの小さな専制から始まったんだよ。
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