第2話 バードとディズを初めて聴いた夜、あいつは学校をやめた
人が学校をやめる理由なんて、だいたいはつまらない。
金がないとか、単位が足りないとか、先生と揉めたとか、朝起きられないとか、恋人ができたとか、そういうことだ。どれも本当だし、どれも人生には大事だ。だが、マイルス・デイヴィスがジュリアードをやめた理由は、もう少し音楽的で、もう少し運命的で、もう少し乱暴だった。
あいつは、学校をやめたんじゃない。
もっと大きな学校に転校したんだよ。
名前のない学校だ。
校舎は52番街。
講師はチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピー。
授業料は、睡眠と、若さと、プライドと、たぶん少しの寿命だった。
最初のきっかけは、1944年のセントルイスだ。
マイルスはまだ18で、高校を出たばかりだった。東セントルイスの、黒人の中産階級の家の坊やだよ。父親は歯科医で、家にはきちんとした家具があり、服も靴も、そこらの貧乏な若造よりずっとましだった。だが、前にも言ったように、あいつはその“ましさ”を、白人に媚びるためには一度も使わなかった。むしろ逆で、自分がどこから来たかを知っていたからこそ、誰にも説明されたくなかった。
その年の夏、ビリー・エクスタインの楽団がセントルイスに来た。
いま振り返れば、あれはただの巡業バンドじゃない。火薬庫だ。
ディジーがいて、バードがいて、アート・ブレイキーがいて、サラ・ヴォーンまでいた時期の、あのエクスタイン楽団だ。のちにジャズの地図を塗り替える連中が、まだ“これから世界を変える途中”の顔で、同じバンドに乗っていた。そんなものを18の若造が目の前で見たら、そりゃ人生も狂う。
しかも、マイルスは客席で見ていただけじゃない。
トランペットの一人が病気で穴をあけて、代役が必要になった。そこで地元で評判だった若いマイルスに声がかかった。本人の回想だと、ディジーが駆け寄ってきて、お前トランペット吹きか、ユニオンカードはあるか、みたいな調子で話が進んだらしい。
で、譜面を前に置かれた。
読めないわけじゃない。だが、読んでる場合じゃなかった。
だって、すぐ横でバードとディズが吹いてるんだから。
マイルスは後年、自伝の冒頭で、あの夜のことをこう言ってる。
「服を着たままで人生最高の感覚だった」。
あいつらしい言い方だ。下品で、正確で、ちょっと笑えて、でも本気だ。
その一文だけで、どれだけ衝撃だったか分かる。
若いマイルスの身体に、あの音は“理解”として入ったんじゃない。
全部まとめて、身体に突き刺さったんだ。
俺はその感じ、少しだけ分かる。
もちろん、バードとディズを1944年に初めて聴いたわけじゃない。そんな年に俺は生まれてもいない。だが、若いころ、初めて本物の天才を至近距離で見た夜ってのは、誰にでも一度くらいある。
それまで自分が音楽だと思っていたものが、急に“前座”に見える夜だ。
自分が弾けているつもりだったフレーズが、急に鉛みたいに重く、古く、鈍く感じる夜だ。
そして同時に、怖いほど嬉しい夜でもある。
「ああ、まだこんな先があるのか」
って分かるからだ。
マイルスにとって、その夜がまさにそれだった。
ディジーの高くて速い、火花みたいなライン。
バードの、和声の上を飛んでいるのに、なぜか地面の匂いを失わないアルト。
あれは単に“うまい”じゃない。
音楽の時間の流れ方そのものが変わる。
拍の上に乗るんじゃなく、拍を前から引っぱり、後ろから押し、真ん中で裂いて、また平気な顔で着地する。
若いマイルスは、その場で悟ったんだろう。
これまで自分が知っていたジャズは、まだ入口だったって。
その夏の体験が、ニューヨーク行きの決定打になった。
家では母親がフィスク大学を望んでいたとも言うし、父親はもっとちゃんとした音楽教育を受けさせたかった。で、折衷案みたいにジュリアードが出てくる。名門だし、クラシックの訓練も受けられるし、親としては安心だ。
だが、マイルスにとってジュリアードは、目的地じゃなかった。
口実だったんだ。
ニューヨークへ行くための、いちばん立派な口実。
1944年の秋、あいつはニューヨークへ出る。
ジュリアードに入る。理論、ピアノ、聴音、そういう授業を受ける。
受けるには受ける。
だが、心はもう別の場所にある。
52丁目だ。
ハーレムだ。
ミントンズだ。モンローズだ。スリー・デューシズだ。
要するに、バードがいるかもしれない場所全部だ。
マイルスは最初の何週間か、ほとんどチャーリー・パーカー探しに使ったらしい。
これ、笑い話みたいだけど、本気だからな。
ニューヨークに来た若いトランペット吹きが、名門音大の学生証をポケットに入れたまま、街じゅうをうろついて、バードはどこだ、ディズはどこだ、と探して回る。
その姿を想像すると、少し可笑しい。
でも、あいつにとっては巡礼だったんだよ。
教室に座っているより、バードの背中を一晩見ているほうが、よほど教育になると分かっていた。
実際、その通りだった。
マイルスは後年、52丁目で受けた教育のほうが、人生で受けたどんな音楽教育より大きかった、といった意味のことを言っている。
それは誇張じゃない。
夜のクラブでは、音楽がまだ“完成品”じゃない。
いまこの瞬間に変わっていく。
誰かが新しいコードの抜け道を見つける。
誰かがフレーズの切り方を変える。
誰かが、昨日までの常識を一晩で古くする。
そういう現場に毎晩立ち会っていたら、学校の進度表なんて、そりゃ遅く見える。
しかも、マイルスはただ見ていただけじゃない。
やがてディズと再会し、バードともつながり、ステージに上がるようになる。
最初はもちろん、圧倒されたはずだ。
本人も、最初は大した出来じゃなかったと認めている。
でも、そこで大事なのは、あいつが逃げなかったことだ。
たいていの若いトランペット吹きは、ディジーの横に立ったら、自分の未熟さに潰される。
速く吹けない。高く吹けない。派手に飛べない。
それで無理に真似をして、もっとひどくなる。
マイルスもディジーの影響は受けた。受けないわけがない。
だが、完全には真似できなかった。
いや、できなかったからこそ、助かったんだ。
ここが面白いところでね。
若いころのマイルスは、バードやディズみたいには吹けない。
技術的にも、性格的にも、あの火柱みたいな吹き方はできない。
でも、その“できなさ”が、のちのマイルスの核になる。
速く吹けないなら、間で勝負するしかない。
高く飛べないなら、真ん中の音域で人を刺すしかない。
音数で勝てないなら、一音の置き方で勝つしかない。
つまり、バードとディズの学校に入ったことで、あいつは彼らのコピーになるんじゃなく、逆に“自分にしかできないこと”へ追い込まれていった。
それでも、学校は学校だ。
ジュリアードで学んだことが無意味だったわけじゃない。
そこは誤解しちゃいけない。
マイルスは後年、ジュリアードを“白すぎる”と批判したが、同時に理論や技術の基礎を得たことも認めている。
ラヴェルやドビュッシーの色彩感、和声の響き、そういうものは、のちのあいつの音楽にちゃんと残る。
だから、ジュリアードは無駄じゃない。
ただ、優先順位が違ったんだ。
昼の学校は文法。
夜の街は会話。
文法だけでは音楽は話せない。
会話だけでも、長くはもたない。
マイルスは、その両方を吸った。だが、どちらが“本命”かは最初から決まっていた。
やがて、あいつは授業をさぼるようになる。
いや、さぼるという言い方も少し違うな。
夜明けまで吹いて、朝の授業に出られる人間なんて、そう何人もいない。
52丁目で朝方までバードのそばにいて、そのまま66丁目の学校へ行く。そんな生活が長く続くわけがない。
しかも、教室では“すでに起きた革命”として音楽を教えるが、夜の街では革命がいま進行中なんだ。
若いマイルスがどっちを選ぶかなんて、最初から決まってる。
それで、1945年の途中には、実質的にジュリアードを離れる。
正式には秋学期の登録をしなかった、という形らしい。
いかにもマイルスらしいよ。
大げさな退学宣言なんかしない。
ただ、もう戻らない。
必要なものは、別の場所にあると分かったからだ。
俺はこの話を、単なる“学校嫌いの天才”の逸話としては見ていない。
むしろ逆で、マイルスはものすごく勉強熱心だったと思う。
ただし、勉強する相手を自分で選んだ。
教科書じゃなく、現場を選んだ。
教授じゃなく、バードを選んだ。
課題曲じゃなく、夜ごと変わる空気を選んだ。
それだけのことだ。
それに、あいつはバードを神様みたいに崇めていたわけでもない。
若いころはもちろん憧れていた。追いかけてもいた。
だが、近くで見れば見るほど、天才の値段も見えてくる。
バードの音楽は革命だったが、その生活は破滅でもあった。
マイルスは、その両方を見た。
だからこそ、ただの信者では終わらなかった。
学ぶべきものは学び、真似してはいけないものは真似しない。
その見切りの早さも、あいつの才能の一部だ。
でも、最初の夜だけは、たぶん純粋だったと思う。
1944年、セントルイス。
エクスタイン楽団のステージ。
すぐ横でディズが吹き、バードが吹く。
若いマイルスは譜面を見ながら、たぶん半分は何が起きているのか分からなかったはずだ。
分からない。
でも、分からないまま、身体だけは先に理解してしまう。
音楽にはそういう瞬間がある。
頭が追いつく前に、人生の向きだけが変わる瞬間だ。
マイルスにとって、あの夜がそうだった。
だからジュリアードをやめたんじゃない。
あの夜の続きを聴くために、昼の学校が小さくなったんだ。
そして実際、その続きを追いかけた結果、あいつはチャーリー・パーカーのバンドに入る。
1945年にはディジーの後任として、バードのクインテットで吹くようになる。
そこから先は、もう“学生”じゃない。
現場の人間だ。
失敗すれば、その場で分かる。
良ければ、バードかディズが少し笑う。
その笑いのほうが、どんな成績表より効いたんだろう。
俺は若いミュージシャンに、ときどきこの話をする。
学校へ行くな、って意味じゃない。そんな乱暴なことは言わない。
行けるなら行ったほうがいい。理論も技術も、知っていて損はない。
でも、それ以上に大事なのは、自分にとって本当の学校がどこにあるかを見失わないことだ。
譜面の上にあるのか。
夜の現場にあるのか。
誰かの背中にあるのか。
あるいは、自分がまだ弾けない一小節の中にあるのか。
マイルスは、それを18で見つけた。
見つけたというより、見つけさせられた。
バードとディズの音に、身体ごと。
だから、あいつのジュリアード退学は、落伍じゃない。
入学だったんだよ。
もっと危険で、もっと自由で、もっと残酷で、もっと本物の学校への。
そして、たぶんそのときからだ。
マイルスが、音楽を“うまくなるためのもの”じゃなく、
生き方を選ぶためのものとして扱い始めたのは。
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