第201話 8%は下げられない

「3品とも、8%下げてもらえませんか」


 2012年6月18日。


 門真の取引先で出された数字を見て、直人はすぐには返事をしなかった。


 机の上には、黒瀬精機製作所が数年前から加工している定期品3点の一覧がある。


 どれも毎月注文が入る。


 極端に難しい加工ではないが、数量が安定している。黒瀬にとっては生産予定へ組み込みやすく、相手にとっても長く同じ会社へ任せている仕事だった。


 現在単価の横に、8%下げた価格が印刷されている。


「来月から?」


「できれば7月分からお願いしたいです」


 購買担当者が答えた。


「理由、聞いてもいいですか」


「海外との価格差です」


 隣に座っていた購買課長が資料を開く。


「うちの取引先が海外生産を増やしてまして。こちらも国内で作っている部品の価格を、改めて見直すことになりました」


「中国ですか?」


「中国とタイです」


 前年、阪南から受けていた月800個の定期品がタイへ移った。


 今回の話を聞いても、直人に驚きはなかった。


「海外から買った場合、この3品が全部8%安くなるんです?」


 課長が少し考える。


「同じ条件ではありません」


「納期は?」


「輸送がありますから、当然長くなります」


「最低発注数は?」


「品物によります」


「在庫はそちらで持つ?」


「そこも含めて検討中です」


 直人は頷いた。


「じゃあ、単価だけ比較して8%ということではないんですね」


「ただ、こちらとしても原価低減目標があります」


「それは分かります」


 相手も、明日から全部海外へ切り替えると言っているわけではない。


 一方で、黒瀬が8%断れば現在価格で永遠に続けると約束しているわけでもない。


 一度目の人生でも、値下げを飲んだから仕事が残るとは限らないことを、直人は何度も経験していた。


「3品まとめて8%は、ここでは返事できません」


 直人は一覧の1段目を指した。


「品物ごとに見させてください。加工の仕方も数量も違うんで」


「8%まで届かなかった場合は?」


「出せたところまでです」


 課長の目が上がる。


「例えば?」


「加工時間を短くして3%下げられるなら3%。梱包や納品条件を変えて2%なら2%です。何も変えられへん品物は、今の価格でお願いすることになります」


「それだと社内目標には届きません」


「だから、一回持ち帰らせてください」


 直人は資料を閉じた。


「利益から8%引くだけなら、今ここでも返事できます。でも、それで半年後に同じ仕事を同じ条件で続けられるかは別です」


 購買担当者が課長を見る。


「いつまでに回答できますか?」


「水曜にもう一回来ます」


「2日で?」


「今作ってる品物ですから。原価から全部やり直す必要はないです」


 直人は資料を鞄へ入れた。


「ただし、8%に合わせるために無理やり数字を作ることはしません」


「分かりました」


 東大阪へ戻ったのは午後3時前だった。


「8%?」


 美智子は資料を見るなり眉を寄せた。


「3品全部」


「はい、分かりましたでは無理やで」


「俺もそう言うて帰ってきた」


「ほな、何見るん?」


「下げられる理由があるかどうか」


 直人は3品の現在単価と直近半年の数量を出した。


 美智子には材料費、外注費、梱包費を確認してもらい、直人は工場へ向かった。


「森川、ちょっとええ?」


「何です?」


「この3品、値段下げろ言われた」


「どれくらい?」


「8%」


「無茶言いますね」


「せやから加工側で何か変えられるか見たい」


 森川が図面ではなく、生産予定と加工実績を持ってきた。


 1品目は月150個前後。


 ある程度まとまった数量をNC旋盤で流している。


 森川は去年の加工時間も確認したが、首を振った。


「これは触るところないですよ」


「やっぱり?」


「段取りも毎月1回です。工具も今ので問題ない。加工時間を無理に縮めたら、確認する時間を削るくらいしか残らんです」


「それはせんでええ」


「なら現状ですね」


「1品目、0やな」


 直人はメモした。


 2品目は月80個ほど。


 加工そのものより、梱包に少し手間が掛かっていた。


「これ、毎回新品の段ボール使ってるな」


「客先指定です」


「傷防止?」


「そう聞いてます」


 森川が加工済みの同型品を持ってきた。


 個別包装したうえで仕切りを入れ、20個ずつ箱詰めする。納品後、箱は客先で処分される。


「通い箱にできたら?」


「品物には問題ないと思います。ただ、向こうが返してくれるかどうかですね」


「納品便は?」


「別の品物と同じ曜日があります」


「そこは客に聞く」


 3品目を見る。


 月40個から60個程度。


 毎週10個前後の注文が入り、そのたびに段取りしている。


 森川が加工実績を指で追った。


「これが一番もったいないですね」


「加工時間?」


「段取りです。10個作るのも50個作るのも、最初にやることはほぼ同じですから」


「月1回にまとめたら?」


「かなり変わります」


「今は毎週発注やろ?」


「そうです。注文ないのに50個作るわけにはいきませんよ」


「そこは条件変えてもらう」


 直人は事務所へ戻った。


 美智子はすでに数字を分けていた。


「1品目は厳しいな。材料も上がってるし、これ以上下げたら薄すぎる」


「森川も同じ。0で出す」


「2品目は?」


「通い箱に変えて、既存便と一緒に持っていけるか聞く」


「箱、誰が買うん?」


「そこも計算する。黒瀬持ちなら何回使えば元取れるか見る」


「3品目は?」


「月初に1か月分をまとめて発注してもらう。黒瀬では月1回まとめて加工して、納品だけ今まで通り毎週」


 美智子の手が止まった。


「完成品、こっちで持つん?」


「最大1か月分」


「見込みで作るんはあかんで」


「せえへん。月初に数量を確定してもらった分だけ」


「支払いは?」


「納品分ごとになると思う」


「ほな材料と加工代は先にこっち持ちや。それ込みで出して」


「分かった」


 翌朝、直人は門真へ電話した。


 値段の話ではなく、条件の確認だった。


 2品目について、繰り返し使える箱へ変更できるか。


 納品曜日が重なる別品と同じ便へ載せてもよいか。


 3品目は、毎週発注ではなく月初に1か月分を確定発注してもらえるか。そのうえで納品だけ従来通り週ごとに分けられるか。


 午後に返事が来た。


 2品目の通い箱は可。


 納品便の集約も可。


 3品目も、月間数量を先に確定できるという。


「森川、条件通った」


「じゃあ3番は計算できますね」


 実際の加工実績から段取り時間を拾い、月4回から1回になった場合を出す。


 完成品を置く場所も確認した。


 50個程度なら既存の保管棚で収まる。ただし、ほかの完成品と混ぜないよう現在使っている識別方法で区切るだけにし、新しい管理表などは作らない。


 水曜日の朝、回答が揃った。


 1品目は価格変更なし。


 2品目は2.1%。


 3品目は4.6%。


「8には全然届かんな」


 直人が言うと、美智子は電卓を机へ置いた。


「最初から8に合わせる話ちゃうやろ」


「せやけど、持って行くん俺やで」


「社長やからな」


「最近みんなそれ言うな」


 横で聞いていた隆夫が笑った。


「便利な言葉やろ?」


「オトンが広めてるやろ」


「俺は何もしてへん」


 直人は見積を鞄へ入れた。


 隆夫は中身を覗こうともしなかった。


「何も言わんの?」


「言うたら聞くんか」


「参考にはする」


「なら帰ってきてから聞いたる」


「何やそれ」


「もう決めてる顔しとるからや」


 午後1時。


 直人は再び門真の会議室にいた。


「8%は無理です」


 今回は最初に結論を置いた。


 購買担当者の前へ3枚の資料を並べる。


「1品目は現行価格でお願いします」


「下がらない?」


「加工も材料も、今の条件では削れるところがありません。ここを8%下げるなら、そのまま黒瀬の利益から出すことになります」


 課長が黙って次の紙を見る。


「2品目、2.1%」


「これは梱包を通い箱へ変える分と、ほかの納品と同じ便にまとめられる分です」


「通い箱の費用は?」


「最初はこちらで持ちます。繰り返し使える回数を見込んで入れてます」


「分かりました」


「3品目は4.6%です。ただし条件があります」


 直人は発注方法を指した。


「月初に、その月の数量を確定発注してください。例えば50個なら50個を先に注文してもらう。黒瀬ではまとめて加工します。納品は今まで通り10個ずつでも構いません」


「こちらの在庫量は変わらない?」


「納品を分けるなら変わりません。完成した残りは、納期までうちで持ちます」


「途中で数量を減らしたくなった場合は?」


「確定発注後の分は引き取ってもらいます。その条件がないと、こっちで50個作ってから30個にしてくれと言われたら成立しません」


 購買担当者が課長と顔を見合わせた。


「そこは必要ですね」


「はい」


 課長は3品の資料を並べた。


「正直に言えば、会社からは8%を求められています」


「分かってます」


「海外のほうが単価だけなら安い品物もあります」


「そこも分かってます」


「それでもこの価格が限界ですか」


「今の品質と納期で黒瀬が続けるなら、これです」


 直人は言い切った。


「うちも仕事は減らしたくないです。でも、この値段なら続けられへんと分かってる仕事を、残したいからって受けるのはやめます」


 以前なら、ここまで言ったあと相手の表情を気にしただろう。


 今も仕事を失いたくない気持ちは同じだった。


 だが、最終的に責任を持つのは自分になった。


「分かりました。社内で検討します」


「お願いします」


 その場では決まらなかった。


 翌日も連絡はない。


 金曜日の午前11時過ぎ、谷口から電話を回された。


「門真の購買さんです」


「ありがとう」


 直人が受話器を取る。


「黒瀬です」


『先日の3品ですが、提示いただいた条件で継続をお願いします』


「3品とも?」


『はい。1品目は現行価格。2品目と3品目は変更後の条件で』


「分かりました」


『3品目は7月分から、月初に数量を確定します。納品日はこれまで通りで』


「それなら大丈夫です」


『8%については、こちらでも別の改善項目を探すことになりました』


「そちらも大変ですね」


『黒瀬さんに全部かぶせるわけにもいきませんから』


 電話を切ったあと、直人は森川へ条件決定を伝えた。


 7月最初の月曜日。


 3品目は、その月の数量が48個で確定した。


 これまでなら最初の週に12個だけ加工し、翌週になれば同じ品物のためにもう一度段取りをしていた。


 今回は48個をまとめて流す。


「村井、これ今月分全部な」


「48個?」


「そう。納品は分けるけど、加工は今日で終わらせる」


 森川が指示すると、村井は生産予定を確認した。


「じゃあ来週のこれ、消していいんですか?」


 予定表には同じ品番が翌週、その次の週にも入っている。


「消してええ。再来週も」


 村井が鉛筆で線を引いた。


 2つの段取り予定が消える。


「空いたところ、何入れます?」


「水曜に入ってる小口品、来週へ持ってくる」


「分かりました」


 森川が予定を書き直す横で、NC旋盤が48個目を削り始めた。


 翌週の予定表には、今まであった同じ品番の段取りがなくなり、その場所へ別の仕事が1件入った。


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YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/PuXoPWXXbH0?si=prvIVaJtMMBjvuGi

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