第199話 二つ目の調達先
2011年4月8日。
3月半ばに止まった仕事の一部は動き始めていたが、黒瀬精機の予定表はまだ震災前のようには戻っていなかった。
加工再開の連絡が来た翌日に再び保留になる仕事もあれば、材料の納期だけが決まらない案件もある。関東方面への出荷は少しずつ正常に近づいていたものの、取引先の先にある工場まで含めれば、どこが通常運転へ戻ったのか直人には見えなかった。
その日、直人は北摂の装置メーカーを訪れていた。
3月に一部の加工を止めた取引先で、保留になっていた品物の納期を改めて打ち合わせるためだった。
「この2点は来週からお願いします。残り2点は、もう少し待ってください」
「分かりました。材料はそのまま確保してあります」
直人が手帳へ書き込むと、購買担当者は机の端に置いていた別のファイルを手元へ引き寄せた。
「黒瀬さん、もう一件相談してもいいですか」
「ええよ」
「今お願いしている品物とは別なんですが、これを黒瀬さんのところでも作れませんか」
差し出された図面を開く。
長さ150ミリほどの段付き軸だった。
材質はS45C。数段の外径加工と端面加工、片側にねじがある。軸受が入る部分には100分の数ミリ単位の寸法公差が指定されていたが、黒瀬精機の設備で加工そのものが難しい部品ではない。
「月に何本です?」
「350から450くらいです」
直人は図面から顔を上げた。
「それを全部?」
「いえ」
返事はすぐだった。
「今は関東の協力工場さんに全部お願いしています。そこをやめるつもりはありません」
「ほな、何のためにうちへ?」
「もう一社、作れるところを持っておきたいんです」
購買担当者の隣にいた生産管理担当が説明を引き継いだ。
今回の震災で、現在の加工先そのものは大きく壊れなかった。しかし材料の入荷や物流が乱れ、しばらく納期回答ができなくなったという。
その軸が入らなければ、組立ラインの一部が止まる。
「向こうには7年お願いしています。品質にも不満はありません。ただ、今回みたいに一か所から入らなくなると、こちらで何もできなくなることが分かりました」
「それで二つ目か」
「はい。ただ、同じものを最初から二社で半分ずつ作るところまでは決めてません。まず、別の会社でも同じ品質で作れる状態にしておきたいんです」
直人はもう一度図面を見る。
以前なら、月400本という数字だけで年間4800本と計算していたかもしれない。
だが、この話に4800本の受注保証はない。
今の加工先が通常通り動けば、黒瀬精機にはほとんど発注されない可能性さえある。
「まず何本くらいで考えてます?」
「確認用に50本です」
「それを作って、寸法と組付けを確認する?」
「そうです。その後は、必要なら月100本くらいをお願いできる状態にしておきたい。ただ、毎月必ず100本出すとは約束できません」
「そこは先に言うてもらえるほうが助かります」
直人は図面の右下にある改訂欄へ目をやった。
「この図面が今の正式版?」
「はい。検査条件は別紙があります」
「それもください。現物も1本借りられます?」
「用意します」
価格の話はまだしなかった。
月400本を前提にした量産価格と、必要なときだけ50本や100本を作る価格では条件が違う。段取り替えの回数も、材料の持ち方も変わる。
「今日持ち帰って、加工できるかだけ先に返事します。単価と納期は、そのあとです」
「お願いします」
現物と図面、検査条件を受け取り、直人は東大阪へ戻った。
午後2時過ぎ。
佐野に図面一式を渡すと、彼女は改訂番号と受け取った資料を確認した。
「図面はこの版を原本扱いで登録しておきます。検査条件は別紙ですね」
「うん。まだ正式受注やないから、見積用で分けといて」
「分かりました」
直人は現物を持って工場へ入り、森川を呼んだ。
「森川、これ見て」
森川は作業台の上で図面と現物を見比べた。
「段付き軸ですか」
「月350から450。ただし、その本数をうちが取る話やない」
「どういうことです?」
「今は関東の工場1社で全部作ってる。そこを残したまま、うちでも作れるようにしたいらしい。最初は50本だけ」
森川は納得したように頷いた。
「それなら話が違いますね」
「50本、今の設備で入る?」
「加工そのものは問題ないと思います。ただ、定期で100本入れられるかは、まだ言えません」
「そこまで分かる?」
「実際に段取りしてみないと。1本の加工時間だけやなくて、工具交換の頻度も見たいです。50本流せば、大体分かります」
直人が聞きたかったのもそこだった。
図面を見て作れるか。
それだけなら今でも答えられる。
しかし、月100本をいつでも引き受けられる状態にできるかとなれば、生産予定の中へ組み込んでみなければ判断できない。
「今月のどこなら50本入る?」
「材料がいつ来るかによります。来週前半なら、金曜午後から段取りできます。ただし、3月から保留になってる仕事が一気に戻ったら動かします」
「それでええ。こっちを優先する必要はない」
森川は現物の軸を手で転がした。
「初品は村井にやらせます?」
「森川が見て問題ないなら、それで」
「今なら大丈夫でしょう。こういう仕事はもう一人で段取りできます」
1999年に入ったころの村井なら、そんな判断はできなかった。
だが、もう入社から10年以上になる。
直人が毎回横について教える年齢でも立場でもない。
森川が工程を見て、担当できる者へ仕事を割り振る。それが今の黒瀬精機だった。
その日の夕方、直人は隆夫と美智子にも話を通した。
「50本だけ試す?」
隆夫が確認する。
「そう。そこで品質と加工時間を見てもらう。向こうが使えると判断しても、すぐ月100本の契約になるわけやない」
「仕事ない月もあるんか」
「あり得る」
「それでも受けるんか?」
「設備を買わなあかん仕事なら受けへん。専用の人間を置かなあかんのでも断る。でも今の設備と人員で50本試せるなら、断る理由もないと思ってる」
隆夫は森川が出した工程の見立てを確認した。
「これで今の客にしわ寄せは出んのやな」
「50本なら大丈夫です」
森川が答えた。
「定期の100本は別です。そこまで話が進んだら、もう一回予定を見ます」
「ほな、試すところまでやな」
隆夫が決めた。
長期の数量を約束する話ではない。
まず50本を作り、その結果を見てから次を決める。それなら新しい設備投資も採用も必要なかった。
美智子は現物ではなく直人のメモを見ていた。
「材料は?」
「最初の50本は先方支給」
「その先は?」
「まだ決まってない。もし黒瀬持ちになるなら、その時点で単価を出し直す」
「それなら、見積に書いとき。50本の確認分と、その後の条件は別やって」
「そうする」
翌週の火曜日、支給材が届いた。
直人は材料と一緒に送られてきた納品書を確認し、佐野が図面の改訂番号をもう一度合わせた。
加工は金曜日から始めることになった。
森川は50本をそのまま連続で流すのではなく、まず初品を完成させて寸法を確認し、そのあと残りへ進む段取りを組んだ。
「村井、最初の1本お願いするわ」
「はい」
「加工時間も見といて。段取り始めるところから」
「工具交換もですか?」
「今回はそこまで全部。50本作るだけなら大した話やないけど、これが100本になったときの時間を見たい」
「分かりました」
村井は図面を横へ置き、材料をNC旋盤へ取り付けた。
プログラムを確認してから機械を動かす。
最初の1本は急がなかった。
加工が終わると、村井自身が外径を測り、ねじ部を確認する。森川も測定結果を見てから、現物を手に取った。
「ここ、もう少し余裕見てもええな」
「補正入れます」
「うん。次からそれで」
直人は口を挟まずに見ていた。
初品の確認が終われば、村井が続きを流す。
特別な仕事ではない。
ただ、同じ部品をこれまで作っていなかった会社が、同じ要求で作れることを証明する。そのための50本だった。
4月20日までに加工は終了した。
途中で寸法外れは出なかったが、森川が予想していた通り、連続加工すると1本目と40本目では工具補正の入り方が少し違った。
村井はその変化と実際の加工時間を森川へ伝えた。
「100本なら?」
直人が聞く。
森川はすぐには答えず、加工時間を書いた紙と4月の生産予定を見比べた。
「毎月決まった週に100本入れろと言われたら難しい月があります。でも納期に幅を持たせてもらえるなら、今の設備でいけると思います」
「何日くらい欲しい?」
「受注してから2週間。材料が黒瀬持ちになるなら、その分は別です」
「分かった」
直人はその条件で見積を作った。
月400本を全部取る価格ではない。
必要になったときに50本から100本を受け、現在の仕事と並行して加工できる条件で積み上げた。
加工済みの50本は検査結果を添えて北摂へ納品した。
返事が来たのは、それから1週間後だった。
「黒瀬さん、50本、問題ありませんでした」
購買担当者からの電話だった。
「組付けも?」
「はい。寸法もこちらの受入検査で全部通っています」
「それならよかった」
「社内でも話が通りました。今後、あの軸については黒瀬さんのところも調達先として登録します」
直人はペンを取った。
「毎月の発注は?」
「当面は今までの会社さんが中心です。黒瀬さんへ必ず何本出すという約束はできません」
「それでええです」
「ただ、今の加工先だけでは間に合わないときや、生産量を増やすときにはお願いします」
「その都度、数量と納期を先に相談してください。100本までなら何でも即答できる、という意味ではないんで」
『承知しています』
電話を切ったあと、直人は森川へ結果を伝えた。
「通ったで」
「月100本ですか?」
「いや。まだ0本かもしれん」
森川が一瞬だけ直人を見て、それから笑った。
「それは仕事取ったって言うんですかね」
「どうやろな」
直人も笑った。
「少なくとも、作れる会社にはなった」
50本を作ったからといって、来月から売上が増えるわけではない。
NC旋盤の予定表にも、新しく毎月100本が書き込まれたわけではなかった。
ただ、北摂の装置メーカーが調達先一覧を開いたとき、その軸物の欄には今までの加工先とは別に、黒瀬精機の名前が加わった。
一社が止まれば全部止まる。
3月に経験したそれを、取引先は忘れなかった。
黒瀬精機が任されたのは、その代わりを奪うことではない。
二つ目として、いつでも使える状態でいることだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます