第198話 止まっていない工場が止まる

 2011年3月14日、月曜日。


 黒瀬精機の本工場では、朝からいつも通りコンプレッサーが動き、照明もすべて点いていた。


 3日前の金曜日、東日本を襲った巨大地震は東大阪の工場そのものには大きな損傷を残さなかった。第二工場も含め、機械や建物に異常はなく、社員とその家族にも大きな被害は出ていない。


 だから月曜日になれば仕事は始められる。


 少なくとも、金曜の夜までは直人もそう考えていた。


「直人さん。新大阪の保守部品、残り10個は止めます」


 8時前、森川が生産予定を持って事務所へ入ってきた。


 新大阪の取引先から受けている、既存設備用のブラケット14個。そのうち4個は金曜日までに加工を終えている。


 かつて話が進んでいた新規検査設備とは別の、以前から続いている保守関係の小口仕事だった。


「先方から連絡あった?」


「朝一番に。向こうで組み込む別の部品が関東から入ってこんそうです。残りは材料のまま置いといてくれ、と」


 直人は予定表へ目を落とした。


 10個分の材料はすでにある。図面も工具も揃っている。機械へ掛ければ今日からでも削れる状態だった。


「分かった。加工済みの4個も出荷待ち?」


「はい。受け入れできるようになってから連絡するそうです」


「なら梱包だけして置いとこう。残りには手を付けん」


 森川が頷き、予定表の別の欄を指した。


「北摂の7点も返事が来ました。3点は予定通り、4点は保留です。こっちは納入先の操業がどうなるか分からんらしくて」


「午前の割り振り、変わるな」


「もう変えます。宮田さんには進められる3点を先に見てもらいます。山岸さんは本工場の旋盤仕事。村井は午後から第二工場へ回します」


「NCは?」


「1台、午前中かなり空きます」


 直人はそこで、空いた時間を何で埋めるかとは聞かなかった。


 森川も仕事を無理に前倒しして詰め込もうとはしていない。


 金曜日までなら加工できるはずだった品物が、月曜日になって突然動かせなくなった。その理由すら黒瀬精機の中にはない以上、半日先の状況も読めなかった。


「今週予定してる仕事のうち、確実に進めてええ分だけで組んでくれ。夕方にまた見直そう」


「分かりました」


 森川はそのまま現場へ戻った。


 8時半を過ぎるころには電話が続けて鳴り始めた。


 関東向けの完成品を今日出してよいか。


 納期を1週間延ばしてほしい。


 注文済みの数量を一度半分にしてほしい。


 材料の入荷日を回答できなくなった。


 どれも黒瀬精機が直接被災したからではない。取引先のさらに先、そのまた先で起きていることが、電話やFAXを通して東大阪まで押し寄せてきていた。


 9時になると谷口が出勤し、鳴り続ける電話とFAXの受付を引き取った。


「黒瀬精機です。はい……少々お待ちください」


 内容を聞き、担当者へ回す。運送会社からの連絡なら出荷先と荷物の内容を確認し、技術的な話なら森川か直人へつなぐ。


 普段と同じ仕事だが、今朝は受話器を置いた直後にまた電話が鳴った。


「直人さん。関東向け3件の出荷について、運送会社さんからです」


 直人が受話器を受け取る。


 荷物そのものを一切受け付けないわけではない。ただし届け先によっては通常の日数では届かず、途中で扱いが変わる可能性もあるという説明だった。


「分かりました。先方へ確認してから出します。今日必ず積んでくれという話ではありません」


 電話を切り、谷口へ3件の納入先を伝えた。


「先方に、今日出していいかだけ確認してもらえる? 到着日は約束できんって添えて」


「分かりました」


 図面や注文番号まで確認が必要になった1件については、佐野が保存している電子データから対象品を確認した。


「これです。先月版の図面で変更ありません」


「ありがとう。品物そのものはもう完成してるから、その確認だけでええ」


 佐野は頷くと、自分の席へ戻った。


 工場では、予定を外れた機械が出始めていた。


 本工場のNC旋盤1台は、朝一番の仕事を終えたあと止まっている。


 一方で宮田は北摂向けの3点を加工し、山岸は汎用旋盤で予定済みの仕事を進めていた。誰も暇になったわけではないが、先週まで組んでいた加工順はところどころに穴が開いている。


 10時を過ぎたころ、森川がFAXを3枚持ってきた。


「急ぎの問い合わせです」


「見せて」


「全部、地震の影響みたいです」


 直人は1枚目から目を通した。


 設備が止まり、交換部品を作れないかという問い合わせだったが、送られてきたのは現物写真と大まかな寸法だけ。回転部に使う品物なのに材質も熱処理も分からない。


「これは無理やな」


「俺もそう思います」


 2件目は材質指定こそあるものの、黒瀬精機では普段扱っていない材料だった。後工程も含めれば、自社の経験だけでは品質を保証できない。


「こっちも断ろう。急いでるからこそ、今から試し加工する品物やない」


 森川は2枚を脇へ分け、最後のFAXを直人の前へ置いた。


「これはいけそうです」


 設備補修用の軸物12個。


 図面があり、材質も普段から扱っている。公差も設備の能力範囲内だった。


 直人は加工箇所を追いながら聞いた。


「材料は?」


「先方手配で、早ければ明日の午後です」


「今の予定を押し退けんでも入る?」


「材料が明日なら、水曜から掛かれます。旋盤工程は山岸さんにも初品を見てもらいます」


「それなら受けよう」


 問い合わせ元へは直人から電話を入れた。


 材質証明と図面の版を再確認し、材料到着後に現物も確認すること。その条件でなら12個を引き受けられると伝える。


 価格についても、普段と同じ積算をした。


 今回の工程なら、既存の仕事を止めたり夜通し機械を回したりする必要はない。特別扱いを理由に余計な金額を乗せる根拠もなかった。


 反対に、事情が事情だからと原価を無視して値段を下げる必要もない。


 通常の条件で、責任を持って作れるものだけを作る。


 それで十分だった。


 昼前になると、美智子が売上予定の数字を書き直していた。


「直人、今月分、結構ずれるで」


「どれくらい?」


「今分かってるだけなら、資金が足らんような話ではない。ただ、3月末に入る予定やった売上の一部が4月以降に回る。材料代も給料も支払日は変わらんから、止まる仕事が増えたらもう一回計算せなあかん」


 直人は横から数字を見る。


 キャンセルになったわけではない仕事が多い。それでも完成も出荷もできなければ、予定した日に売上にはならない。


「今の段階では資金調達を動かすほどやないな」


「せやな。ただ、何日止まるか分からんものを『来月入るやろ』で計算するんは危ない」


「そこは分けといて。確定してる入金と、延期の可能性がある分」


「もう分けてる」


 美智子は直人へ視線だけ向けると、すぐ電卓へ戻った。


 午後、隆夫が事務所へ入ってきた。


「新大阪も止まったんやて?」


「残り10個だけな。向こうで組み込む部品が来んらしい」


「北摂のほうも半分ほど止めたんやろ」


「4点保留。仕事自体が消えたわけやないけど、いつ再開するかは分からん」


 隆夫は工場側へ目をやった。


「材料もあるのにな」


「それでも作れん。完成させても向こうが受け取れんかったら、こっちで在庫を抱えるだけになる」


「今までみたいに、工場の中だけ見てたら分からんな」


「うん。材料屋も運送会社も客も、その先も見なあかん」


 隆夫は少し考えてから言った。


「設備の故障なら、直す場所は分かるんやけどな」


「今回はそこが見えへん」


 答えながら、直人自身もそれを実感していた。


 午後2時を過ぎても状況は固まらなかった。


 午前中には出荷してほしいと言っていた会社から、やはり今週いっぱい保留してほしいと連絡が入る。別の取引先からは、予定していた数量を減らさずそのまま進めてほしいと言われた。


 材料商社から届いたFAXにも、すべてが止まったとは書かれていない。一部は通常通り、一部は納期未定。メーカーや品種によって回答が違っていた。


 黒瀬精機としてできるのは、その時点で確定している注文と材料を一つずつ見て、加工してよいものだけを進めることだった。


 3時過ぎ、直人は第二工場へ向かった。


 中では村井が汎用旋盤を動かしている。


 山岸も来ており、加工を終えた初品を測定していた。


「どうです?」


 直人が声を掛けると、山岸が測定器を置いた。


「問題ありません。村井君、このまま続けて大丈夫や」


「はい」


 村井は短く返し、次の材料を旋盤へ取り付けた。


「山岸さん、本工場の仕事は?」


「午前の分は終わってます。こっちを見てから戻ります」


「ありがとうございます」


 第二工場では予定していた仕事がそのまま進んでいた。


 同じ会社でも、こちらの旋盤は動き、本工場ではNC旋盤が空いている。


 何を加工しているか、どこから材料が来るか、完成品がどこへ渡るか。その違いだけで、同じ日の機械の動きが分かれていた。


 夕方4時半。


 森川は翌日の加工順を組み直していた。


「直人さん。明日はNC、朝から2時間ほど空けます」


「今日止まった分?」


「それもあります。ただ、材料回答待ちの仕事を入れると、朝また組み直しになるんで」


「それでええ。確定したら入れよう」


「はい」


 宮田は今日進めてよかった3点を仕上げ、佐野は変更された納期と図面データを確認している。谷口は14時で仕事を終えて帰っていた。


 山岸と村井も本工場へ戻り、それぞれ今日の作業を片付けている。


 いつもの月曜日と違ったのは、誰かが仕事を怠けたからでも、設備が故障したからでもなかった。


 直人は止まったNC旋盤の前で、加工待ちの材料を見る。


 材料はここにある。


 機械も使える。


 加工できる人間もいる。


 それでも、今日は削らなかった。


 電話1本、FAX1枚で変わった予定の向こうには、黒瀬精機からは見えない工場や道路や倉庫がいくつもつながっている。


 明日になれば動くのか。


 1週間かかるのか。


 もっと長引くのか。


 今は誰にも分からない。


 直人は機械の電源表示を確認し、森川が組み直した翌日の予定へ目を移した。


 本工場のNC旋盤は静かなままだった。


 止まっている理由は、東大阪の中にはなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る