第193話 一台を入れ替える

 2010年2月の朝、黒瀬精機の一台のNC旋盤で、刃物台の位置決め警報が続けて出た。


 加工途中ではなかったため、品物への影響はない。森川が復帰操作をすると機械は通常どおり動き始めたが、そのまま仕事を流すことはしなかった。


「直人さん、ちょっと来てもらえます?」


 呼ばれて機械の前まで行くと、山岸も操作盤の横に立っていた。


「何出た?」


「位置決めです。朝から二回」


 森川が警報履歴を見せる。


「昨日も一回ありました」


 山岸が続けた。


「先週も同じの一回出てます。リセットしたら戻ったんで、その時は様子見てました」


「動きはおかしい?」


「今のところは。ただ、回数が増えてます」


 山岸はこの工場へ来る前から、長く汎用旋盤を扱ってきた。NC旋盤だけを専門にしてきたわけではないが、回転音や送りの違和感には敏感だった。


「音は?」


「主軸は気になりません。刃物台の動きも、俺が見た限りでは変な引っ掛かりはないです」


 森川が加工予定表を持ってきた。


「今日は阪南の二十個。そのあと小ロット一件です」


「別の機械へ回せる?」


「小ロットは回せます。阪南も段取りやり直せばいけますけど、俺は今日は止めたいです」


 俺は山岸を見る。


「山岸さんは?」


「俺も止めた方がええと思います。動いてるから使う、で途中から止まる方が面倒です」


「分かった。保守呼ぼう」


 メーカーの保守窓口へ連絡すると、翌日の午前に来てもらえることになった。


 その日の加工予定は森川が組み替えた。


 問題の旋盤を使う予定だった品物のうち、納期の近いものを優先して別の機械へ移す。山岸は移した先の段取りを村井と確認し、寸法の出方を一個目で確かめた。


「こっちで続けられます」


 山岸が森川へ声を掛ける。


「ほな阪南はこっちで行こう。後ろの小ロットは明日へ回す」


「了解です」


 機械一台を止めただけで仕事が止まるわけではない。


 だが、普段使っている一台が抜ければ、その分だけ別の機械へ仕事が寄る。


 翌朝、保守担当者が来た。


 カバーを開け、刃物台の位置検出まわりと配線を確認する。何度か動作を繰り返し、警報履歴も見たあと、担当者は工具を置いた。


「今回の警報は、この周辺が怪しいですね。部品交換で一度様子を見た方がいいと思います」


「大ごとですか?」


 俺が聞く。


「今回の範囲なら、そこまでではありません。ただ、機械全体としては年数が経っていますから、これからは機械本体より電装品の方を気にした方がいいですね」


 山岸が聞いた。


「主軸はまだいけます?」


「今日見た範囲では、すぐ手を入れる状態ではないです。精度も定期的に見てますよね」


「見てます。今のところ問題ないです」


「なら、この警報だけで買い替えるような状態ではありません」


 担当者は制御盤の方を見た。


「ただ、この先、制御関係の部品で不具合が出た場合、物によってはすぐ揃わない可能性があります。中古部品を探したり、代替を検討したりすることも出てきます」


「修理できなくなる?」


「そこまでは言えません。時間が掛かる場合がある、という程度です」


 その説明なら納得できた。


 今回の不具合を理由に、慌てて機械を替える必要はない。


 見積もりが届き、必要な部品を交換した。


 警報は出なくなり、翌日から機械は通常どおり加工へ戻った。


 数日後。


 森川が事務所へ一枚の紙を持ってきた。


「これ見てもらえます?」


 最近三か月で、その旋盤を使った仕事が並んでいた。


 阪南制御。


 北摂計装。


 昔から続いている定期品。


 小ロットの補修部品。


 クロフィックス関係の加工も一部入っている。


「結構使ってるな」


「はい」


「別の機械へ全部移せる?」


「全部は厳しいです」


 森川が紙の下を指した。


「一日、二日なら今回みたいに振り分けます。ただ、一週間以上止まると、納期を動かしてもらう仕事が出ると思います」


「山岸さんにも見てもらった?」


「見てもらってます」


 ちょうど工場から戻ってきた山岸が、話に加わった。


「機械としては、まだ使えますよ」


「替えんでもええ?」


「今すぐなら」


 山岸はそう言ってから、少し考えた。


「ただ、俺が怖いのは、次に止まった時に部品待ちになることです。精度落ちてきたとか、主軸があかんとかなら替え時分かりやすいですけど、電装で急に一週間止まる方が読みにくい」


「新しいの欲しい?」


「増やす必要はないです」


 森川が先に答えた。


「今の仕事量なら台数は足りてます」


 山岸も頷く。


「一台増えたら楽にはなりますけど、その一台を遊ばせん仕事まで必要になりますからね」


「じゃあ入れ替えか」


「候補だけでも探し始めた方がええと思います」


 森川が言う。


「壊れてから探すよりは」


 夕方、オトンとオカンにも話した。


「修理したんやろ?」


 オトンが最初に聞いた。


「今回は直った」


「なら使えるやん」


「使える」


「ほな何で替える話になるんや」


 俺は机の上に森川がまとめた加工実績を置いた。


「今すぐ替えるって決めたわけちゃう。止まってから探すんじゃ遅いから、候補だけ見たい」


「機械増やすんか?」


「増やさへん。一台出して一台入れる」


 オカンが聞く。


「新品?」


「そこも決めてへん」


「金額も?」


「まだ」


「なら、機械の本体価格だけ持ってこんといてね。運送、据え付け、電気、古い方を出す費用まで全部いるから」


「分かってる」


 オトンが森川を見る。


「現場としては、替えたいんか?」


「候補は探してほしいです。ただ、高い新品入れて能力増やす話ではないです」


「山岸は?」


「まだ使える機械です。ただ、次の止まり方が読めへん年式にはなってきてます」


 オトンはしばらく考えたあと、言った。


「ほな探すだけ探してみ」


 必要な条件を整理した。


 今の機械で加工している品物を無理なく移せること。


 加工範囲を欲張らないこと。


 今の場所へ現実的に据えられること。


 保守部品が今より確保しやすいこと。


 中古なら、実際に動かして確認できること。


 条件を機械商社へ伝えると、数週間後に三台の候補が出た。


 一台は新品。


 二台は中古だった。


 新品は当然一番高い。


 性能も高い。


 だが、今の黒瀬精機に必要なのは能力の上積みではなかった。


 中古の一台は安かったが、年式が今の機械とそれほど離れていない。


「これやったら、今の直して使う方が分かりやすいですね」


 山岸が資料を見て言った。


「俺もそう思う」


 森川も同意する。


 残った一台は、それよりかなり新しかった。


 加工範囲は現在の仕事から大きく外れず、設置寸法も検討できる範囲に収まる。本体価格は三百万円台後半だった。


「現物見よう」


 俺が言うと、森川が頷いた。


 山岸も資料をもう一度見てから口を開く。


「俺も行ってええです?」


「むしろ来てほしい」


 俺と森川、山岸の三人で機械商社の倉庫へ向かった。


 候補の旋盤は電源を入れられる状態で保管されていた。


 外装には使用傷がある。


 中古なのだから、それは構わない。


「整備履歴は?」


 俺が尋ねると、担当者が資料を出した。


「こちらで把握できている範囲です。前の使用者側の記録で欠けているところは、不明としてあります」


「それでええです」


 分からない部分を、問題なしと書かれる方が困る。


 森川は操作盤と刃物台の動きを見る。


 山岸は少し離れて主軸の回転音を聞いていた。


「どう?」


 俺が聞く。


「変な音はないですね」


 山岸は回転数を変えてもらった。


「もう一回上げてもらえます?」


 主軸の音が高くなる。


 山岸はしばらく聞いたあと、頷いた。


「俺が聞いた範囲では気になる音ないです」


 森川は操作盤を触る。


「試し削りできます?」


「可能です。確認用の材料はありますか」


「持ってきてます」


 俺が車から材料を取ってくる。


 山岸が笑った。


「最初から削る気やったんですね」


「見るだけで決められへんやろ」


「そらそうですけど」


 商社側で機械に付属しているチャックと使用できる工具を確認したうえで、単純な形状を加工した。


 客先の品物ではない。


 寸法の繰り返しを見るために用意した材料だ。


 一個目は森川が条件を入れた。


 加工後、山岸がマイクロメータを取る。


「ここ、もう一回測ります」


 寸法を記録する。


 二個目。


 三個目。


 加工条件を少し変え、送りも確認した。


「どう?」


「寸法は揃ってます」


 山岸が答えた。


「機械の動きも?」


「俺は問題ないと思います。ただ、今の機械と操作違うんで、最初は慣れ要りますね」


 森川が付属品を確認する。


「チャックと工具は、今のを全部そのまま移せるわけちゃいます。買い足し必要です」


「そこまで見積もろう」


 本体が三百万円台だから、三百万円台で使い始められるわけではない。


 工場へ戻ってから、運送、搬入据え付け、電源関係の工事、不足する周辺品、古い機械の搬出まで含めて費用をまとめた。


 総額は五百万円に届かない程度になった。


 オカンは見積もりを資金繰り表へ入れた。


「一括で現金出すのは嫌やね」


「俺も」


「払えへんわけちゃう。でも去年からようやく仕事が戻ってきたところで、手元減らしすぎる必要ないよ」


「設備資金で銀行に相談する」


 オトンが聞いた。


「借りるんか?」


「うん。運転資金まで機械に替えたくない」


「返済は?」


「今の仕事で返せる範囲で出す」


 設備更新によって売上が急増する計画にはしなかった。


 今ある受注と利益の範囲で返済できる数字を出し、見積書と一緒に銀行へ持ち込んだ。


 担当者は資料を見ながら聞いた。


「今回の設備導入による売上増加は、どの程度を想定されていますか」


「増える前提にはしてません」


「増産ではない?」


「入れ替えです。今使ってる機械が長く止まった場合に、既存の仕事へ影響が出る。それを避けるための更新です」


「現在の機械は故障中ですか」


「修理して、今は普通に動いてます」


「動いているうちに更新する、と」


「はい。完全に止まってからやと、機械選ぶ時間も搬入日もこっちで選びにくくなるんで」


 銀行側で審査に入ったあとも、古い旋盤は普通に使った。


 山岸は警報履歴を確認しながら加工を続け、精度も定期的に見た。


「新しいの決まったからって、こっち雑に扱ったら罰当たりますよ」


 山岸が言う。


「最後まで使う?」


「当然でしょう」


 数日後、設備資金について条件が出た。


 オカンが返済額を資金繰りへ入れ直し、森川と山岸も候補機の条件をもう一度確認した。


 最後に見積書を持ったのはオトンだった。


「森川」


「はい」


「替わって現場は困らんか」


「慣れるまで多少はあります。でも、今やってる仕事を移す機械としては問題ないです」


「山岸」


「俺も同じです。古い方が壊れたから逃げるんやなくて、動いてるうちに替えるなら、この候補でええと思います」


「直人」


「増やすんちゃう。一台出して一台入れる」


「美智子」


「設備資金使うなら、周辺費用まで含めても今の資金繰りで無理はないよ」


 オトンは三人の資料をもう一度見てから、見積書を机へ戻した。


「ほな、替えよう」


 搬入は4月の第2週に決まった。


 日程が決まると、森川が前後の加工予定を調整した。


 山岸は古い旋盤で受け持っている仕事を確認し、移設日に掛からないよう先に終わらせられるものを前へ寄せた。


 止める前日。


 最後の加工品を外したのは山岸だった。


「終わりました」


 森川が寸法記録を見る。


「問題なし?」


「はい。最後まで普通でした」


 山岸は操作盤へ手を置いた。


「よう働きましたね、これ」


「山岸さんより長くおるんちゃう?」


 村井が横から言う。


「当たり前や。俺が来た時にはもうあったわ」


「じゃあ先輩ですね」


「機械に先輩後輩あるか」


 翌朝、搬出作業が始まった。


 電源を落とし、配線を外す。


 長く同じ場所にあった機械が、ゆっくり工場の外へ運ばれていく。


 床には脚の跡と油の染みが残った。


 山岸がその跡を見た。


「無くなると広いですね」


「今日だけや」


 オトンが言う。


「まだ動くのにな」


「だから今替えられるんやろ」


 俺が答えた。


「完全に止まってからやったら、こんな日選んでやれへん」


 オトンは古い旋盤が外へ出ていくのを見送りながら、頷いた。


 昼過ぎには更新機が入った。


 据え付けと水平確認、電源接続が終わっても、その日は客先の品物には触らない。


 翌朝から確認用材料を使った。


 森川が操作を確認し、山岸が加工音と寸法を見る。


 村井も横について、新しい操作盤の手順を覚えていた。


「前より画面見やすいですね」


 村井が言う。


「そこ最初に言うんか」


 山岸が笑った。


「毎日見るんですよ」


「それは俺も思った」


「思ってるんじゃないですか」


「思ってても最初には言わん」


 森川が二人を横目で見た。


「しゃべる前に補正値確認して」


「はい」


 二人の返事が重なった。


 確認が終わったあと、最初に流したのは既存の小ロット品だった。


 村井が一個目を加工する。


 山岸が寸法を測り、森川が図面と加工記録を確認した。


「いけます」


 山岸が言う。


「ほな続けて」


 森川が答えた。


 村井が次の材料を入れ、扉を閉める。


 主軸が回り始めた。


「音、どう?」


 俺が山岸へ聞く。


「前より静かですね」


「それだけ?」


「まだ一個目ですから。何日か回したら分かりますよ」


「そらそうか」


 山岸はそう言って、二個目を測る準備をした。


 工場の人数も、機械の台数も増えていない。


 昨日まで古い旋盤があった場所には、もう別の一台が据わっている。


 オトンが事務所から出てきて、しばらくその様子を眺めていた。


「直人」


「何?」


「次に機械買う時は、増やす話やったらええな」


「その時は置く場所から考えなあかんな」


「ほんまやな」


「ちょっと待ってください」


 森川が操作盤から振り返った。


「仕事増えてから、その話してくださいよ」


「聞こえてたんか」


「この距離で聞こえへん方がおかしいでしょう」


 山岸が笑い、村井は次の材料を持ってくる。


 新しい旋盤の横には、山岸が書き始めた寸法記録が置かれていた。


 村井が扉を閉める。


 少し違う主軸の音が、工場の中へ続いていった。


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