第192話 九十日先の金

 2009年9月の初め、新大阪計測機器の西村さんから一本の電話が入った。


『黒瀬さん、古い設備の補修品やってくれるところ探してる会社があるんですけど、紹介してもいいです?』


「どんな会社です?」


『北摂計装いうところです。検査設備と組立設備を何台か長く使ってて、メーカーから出えへん部品が増えてるみたいです』


「図面は残ってます?」


『ある物とない物があるそうです。とりあえず今、図面ある分から相談したいって』


「それやったら、一回話聞きます」


『ほな、向こうから連絡してもらいます』


 その日の午後、北摂計装の長谷部と名乗る男から初めて電話が入り、二日後に黒瀬精機へ来ることになった。


 長谷部が持ってきたのは十一品種の図面だった。数量は一個から二十個までばらばらで、材質も工程も揃っていない。設備の補修用なので、毎月同じ物を一定数使う量産品ではないという。


「今の加工先さんは?」


「何社かあります。ただ、廃業したところもありますし、もう補修品の一個二個は受けられへんと言われたところもありまして」


「十一品種、全部黒瀬へまとめたい?」


「できれば。ただ、無理な物までとは言いません」


 俺は図面だけでなく、長谷部が持ってきた新規取引先向けの条件書にも目を通した。


 月末締め。


 翌月末払い。


 代金の一部は振り込みで、残りは九十日の手形。


 そこを読んだところで、俺の指が止まった。


「長谷部さん、この支払い条件は基本的に変わらないですか」


「原則これです」


「手形の割合は?」


 長谷部が説明してくれた。


 取引金額によって多少変わるが、一定額を超えると手形の割合が大きくなるという。


「分かりました。加工できるかどうかだけやなくて、年間でどれぐらい出る仕事かも見たいです」


「年間ですか」


「はい。今回十一品種あるからいうて、毎月十一品種出るわけちゃいますよね」


「それはないです。補修部品なんで、設備が動いてたら出ない物もあります」


「過去一年ぐらいの発注実績、出せます?」


「品種別の回数と数量なら出せると思います」


「お願いします。それ見てから見積もります」


 長谷部が帰ったあと、俺は条件書をオカンの机へ置いた。


「新規。支払い一部手形で九十日」


「金額は?」


「まだ出してへん。先に年間実績もらう」


 オカンが条件書を読む。


「九十日いうても、納めてから九十日ちゃうね」


「そうやな」


 月末に締め、その翌月末に支払い。その時点で受け取った手形が九十日先なら、九月に納めた品物の一部が実際に現金になるのは年を越す。


「材料代と外注は先に出るからね」


「そこ計算したい」


「加工時間は?」


「森川に見てもらう」


「なら、材料と外注のところ分かったら持ってきて」


 俺は十一枚の図面を工場へ持っていった。


「森川、新規」


「また補修品?」


「多いな、最近」


「設備投資止まったら、今ある機械を使いますからね」


 森川は図面を一枚ずつ見ていく。


 旋盤物は山岸さんにも回し、宮田には段取りの多そうな三枚を見てもらった。村井も一枚受け取り、加工順を考えている。


「全部いける?」


「二つは外へ出した方がいいです。うちで無理というより、工程の途中に黒瀬で持ってない加工があります」


「先方に外注可か確認する」


「残り九つはできます。ただ、同時に全部来たら少し散らしたいですね」


「加工時間出せる?」


「概算なら今日中に」


 夕方には、材料費と想定加工時間、外へ出す場合の工程が見えた。


 翌日、北摂計装から過去一年分の実績も届く。


 そこで十一品種の見え方が変わった。


 何度も注文されている品物もあるが、年に一度しか出ていない物もある。今回十一枚まとめて送ってきたのは、今後頼む可能性のある補修品を一度整理したためだった。


「これなら、毎月百万単位で重なる仕事ではなさそうやな」


 俺が言うと、オカンは計算機を叩いた。


「そうやね。ただ、重なる月がないとは言われへんよ」


「うん」


「今回の見積もり全部通って、一度に注文来たらどうする?」


「そこまで見る」


 加工費を積み上げると、十一品種すべてで百万円を少し超えた。


 問題は売上額ではない。


 材料を買う時期、外注先へ払う時期、毎月の給与や固定費、それに北摂計装から実際に金が入る時期を横に並べる。


 九月に材料を買う。


 十月に納める。


 振込分は十一月末。


 手形分はさらにその先。


 その間にも阪南制御や既存客の材料代は出ていく。


「一回なら普通に回る」


 オカンが言った。


「うん」


「でも、同じぐらい材料代かかる新規がもう一件重なったら、一気に余裕減るよ」


「どこまで?」


 オカンが数字を示した。


 預金が尽きるような話ではない。


 ただ、設備故障や急な材料仕入れが重なった時に使える余裕が小さくなる。


「これぐらい残したいな」


 俺が下限を指す。


「私もそれぐらい」


「なら北摂の仕事は取れる」


「取れる。ただ、売上だけ見て次も同じように取ったらあかんね」


「そこは毎回見る」


 この時点で、北摂計装に支払条件を変えてくれと頼む必要はないと判断した。


 条件が良いとは言えない。


 だが、条件を理解したうえで黒瀬精機の資金の範囲に収まるなら、受けられない仕事ではなかった。


 数日後、長谷部に見積書を渡した。


「十一品種、全部金額入ってます」


「全部できます?」


「黒瀬で最後まで加工するのは九品種です。この二つは途中工程を協力先へ出したい。ただし、外へ出してええかは先に御社の承認もらいます」


「それは問題ありません。会社名は教えてください」


「もちろんです」


 長谷部が見積書をめくる。


「思ってたより高いのもありますね」


「一個物に近いのは、どうしても段取りの割合が大きいです」


「この辺は?」


「過去実績見ると何度か出てるので、再注文時は同じ条件ならやりやすいです。ただし材料価格が変わったら、その時は見直します」


 単価についての説明が終わると、俺は逆に一つ確認した。


「支払い条件は、この条件書どおりで見てます」


「はい」


「今回ぐらいの金額なら受けられます。ただ、今後もっと大きな案件になった時は、その都度条件も含めて相談させてください」


「手形が問題ですか」


「手形だけやないです。材料と外注が大きい仕事やと、先に黒瀬から出る金が増えるんで」


 長谷部が少し意外そうな顔をした。


「加工屋さんから、見積もりの時にそこまで言われることあんまりないですね」


「納めてから金が入るまで会社は動いてますから」


「分かりました。大きい案件は事前相談ということで」


 その場で受注は決まらなかった。


 五日後に届いた注文書には、十一品種のうち七品種だけが載っていた。


「七つです」


 佐野さんが内容を確認する。


「見積もり出した残り四つは?」


「今すぐ交換する必要がなくなったらしい。見積もりだけ持っときたいって」


「有効期限内なら、このまま?」


「材料や条件に変更なければな。注文来た時にもう一度確認する」


「分かりました」


 製造に回るのも七品種だけだった。


 十一品種を見積もったからといって、材料まで十一品種分買うことはしない。


 森川は正式注文の七品種を見て加工順を決め、そのうち二品種については外注工程を含む日程を組んだ。


「この二つ、先に外出した方がええです」


「外注先の確認は取れてる?」


「加工できることは確認しました。発注は直人さんから先方の承認もらってからで」


「了解」


 北摂計装へ協力先を伝え、承認を得てから正式に手配する。


 山岸さんが旋盤物を受け持ち、宮田は段取りの多い品物へ入った。村井にも一品が回る。


 工場側だけを見れば、特別な案件ではなかった。


 俺が気にしていたのは、むしろ納品したあとだった。


 十月末、七品種を予定どおり納める。


 検収で問題は出なかった。


 佐野さんが売上を計上し、オカンの資金繰り表では、その売上から先の線が二つに分かれた。


 振り込まれる分。


 手形になる分。


 同じ売上でも、現金になる日は同じではない。


 十一月に入ると、北摂計装から新しい見積依頼が四品種来た。


「直人さん、北摂さんです」


 佐野さんが図面を持ってくる。


「前のと被ってる?」


「二品種は前にも見積もってます。残り二つは新規です」


「過去実績は?」


「前の資料に一つだけあります。もう一つは載ってません」


「森川に回そう」


 俺はその場で受注額を想像しなかった。


 まず作れるか。


 次にいくらかかるか。


 そして、受けた場合にいつ金が出て、いつ戻るか。


 その三つを同じところまで見る。


 数日後、見積もりを出す前にオカンのところへ数字を持っていった。


「前より小さいな」


「うん。材料も少ない」


「阪南さんの入金と重なるから、この月なら問題ないよ」


「了解」


「手形の残りはまだあるけどね」


 オカンが資金繰り表の先を指した。


 年明けの日付に、北摂計装の名前が残っている。


「九十日、長いな」


「九十日だけ見たらあかんよ」


「分かってる。締めと支払日が前にある」


「ならよろしい」


 十一月末、最初の取引分のうち振込分が入った。


 オカンは入金を確認し、予定欄を実績へ直した。


 手形分の欄はまだ先に残ったままだ。


 その日の夕方、オトンが事務所へ入ってきた。


「最近、予定よう埋まってるな」


「だいぶ戻ってきた」


「北摂いう新しいとこも入ったんやろ?」


「入った」


「金は?」


「一部は今日入った。残りは年明け」


「長いな」


「長い」


 オトンは資金繰り表を覗き込んだ。


「仕事増えたら、金もすぐ増えるいうわけちゃうな」


「材料と外注は先に払ってるからな」


「それでも取ったんやろ?」


「回る範囲やったから」


 オトンは頷き、それ以上は聞かなかった。


 長く続く基本取引の条件については、契約内容も含めてオトンと確認したうえで進めている。現場の日々の受注判断を俺がやることと、会社として長く背負う条件を一人で決めることは別だった。


 十二月に入ると、工場の予定表は春よりかなり埋まっていた。


 それでも、俺が見る紙は予定表だけではない。


 オカンの机に置かれた資金繰り表には、材料代と外注費の支払いが今月に並び、その右側には来月、再来月の入金予定が続いている。


 工場では村井が次の材料を旋盤へ載せ、森川が翌週の加工順を確認していた。


 機械は今日動いている。


 売上も立っている。


 けれど、十月に納めた北摂計装の仕事の一部は、まだ現金にはなっていない。


 美智子が赤鉛筆で年明けの欄を囲み、その横へ手形の満期日を書き込んだ。


 俺はその日付を一度確認してから、次の見積書を開いた。


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