第189話 同じ品番の二枚
2009年4月、黒瀬精機へ届いた宅配便の中に、古いシャフトが一本とA3の図面が二枚入っていた。
荷物を受け取った谷口さんが送り状を確認し、北大阪精工という会社名を読み上げる。
「昨日、古い設備の補修部品について電話をくださったところです。現物と図面を送る、と」
「ありがとう。佐野さん、先に図面見てもらえる?」
「はい」
佐野さんが二枚を机へ並べた。
用紙の焼け方も、折り目も違う。一枚はかなり古く、もう一枚は比較的新しいコピーだった。
俺も横から見る。
右下に書かれている品番は同じだった。
品名も同じ。
ところが佐野さんは、二枚を重ねる前に手を止めた。
「直人さん、これ、同じ図面じゃありません」
「改訂違い?」
「それだけならいいんですけど……ここ、見てください」
一枚目ではシャフト径が18ミリ。
二枚目では18.5ミリになっている。
穴位置も、端面から32ミリと30ミリで違った。
「改訂履歴は?」
「古い方にはありません。新しい方には変更された形跡はありますけど、何をいつ変えたかまでは書かれていません」
図面の日付は1994年と1998年。
普通なら新しい方を使いたくなる。
だが、箱の中のシャフトがどちらの図面で作られたものか分からない。
「現物、触ってええ?」
「届いた状態は控えました。大丈夫です」
佐野さんは、二枚の図面をどちらか一方へまとめることも、古い方に大きく×を付けることもしなかった。荷物が届いた日と送り主、同梱されていた現物だけを記録し、二枚とも受領したままの状態で分けて置く。
俺はシャフトを持って工場へ入った。
「森川、これ見て」
「補修品ですか?」
「そう。客は同じ品番や言うてるんやけど、図面が二枚あって寸法違う」
森川が眉をひそめた。
「何本作るんです?」
「向こうは三本まとめて欲しいらしい」
「三本?」
「同じ設備が三台あるんやて。一台ずつ予備を持っときたいって」
森川は図面を見たあと、まだ現物には測定器を当てなかった。
「その三台、本当に同じなんですか」
「そこやな」
俺も同じところで引っ掛かっていた。
品番が同じなら、購買側からすれば三本まとめて注文した方が楽だ。こちらも一度段取りを組めば三本続けて作れるから、一本ずつより単価は下げやすい。
しかし二枚の図面が存在している以上、同じ品番だから同じ部品だとは言えない。
俺は北大阪精工へ電話を入れた。
「黒瀬です。荷物、届きました」
『早かったですね。三本お願いできそうです?』
「その前に確認があります。図面、二枚入ってましたよね」
『はい。同じ品番のやつです』
「同じ品番ですけど、寸法違いますよ」
相手が黙った。
『違います?』
「シャフト径が18と18.5。穴位置も違います」
『……ほんまですか』
「三台とも同じ部品やと聞いてますけど、何を根拠に同じやと判断してます?」
『品番が同じなんで……』
悪意ではない。
長年同じ設備を使っていて、補修品の箱にも同じ番号が書かれている。社内の台帳にも同じ品番が残っている。
そうなれば、同じ部品だと思う方が自然だ。
「三台の設備番号、分かります?」
『一号機、二号機、三号機です』
「今回送ってもらったシャフトは?」
『二号機から外した古いやつです』
「ほな、今の段階では二号機用一本しか見積もり出せません」
『え、三本まとめては無理ですか』
「作ること自体はできます。でも、三本とも使える保証ができへん」
『同じ品番ですよ?』
「品番が同じなのに図面が違うから止めてるんです」
少し強く聞こえたかもしれない。
けれど、ここは曖昧にできなかった。
『三本まとめた方が安くなると思ってたんですけど』
「安くはできます。ただ、もし三台のうち一台でも18.5の仕様やったら、18で三本作る意味がないでしょう。逆も同じです」
『……それはそうですね』
「まず設備ごとの差を確認させてください。一号機と三号機も同じやと確認できたら、まとめて見積もります」
『止められる時間、聞いてみます』
電話を切った。
森川が作業台の横で待っていた。
「三本、止めたんですか」
「止めた。設備見てから」
「それでええと思います」
「現物だけは測っといてもらえる?」
「それはやります。ただし、二号機の現物としてですよ」
「分かってる」
森川は村井を呼んだ。
「これ、測って」
「図面どっちです?」
「まだ決めんでええ。現物の寸法だけ拾って」
村井は一本のシャフトを受け取り、測定を始めた。
外径は17.96ミリ。
穴位置は31.98ミリ。
古い方の図面に近い。
「じゃあ古い方ですね」
村井はそこまで言ってから、自分で言葉を止めた。
「……いや、二号機の現物が、ですね」
森川が笑った。
「そういうこと」
「三号機まで同じとは分からない」
「分かってきたやん」
以前なら、数字が図面に近ければそこで答えにしていたかもしれない。今の村井は、測ったものが何の証拠になるのかまで考えている。
俺はそのやり取りを聞きながら事務所へ戻った。
午後、北大阪精工から連絡が来た。
一号機は生産中で、すぐには止められない。
二号機は現在補修待ち。
三号機なら金曜午後に確認できるという。
『二号機の一本だけ先に作ってもらえませんか』
「それはできます」
『三号機も同じやったら、その場で追加二本にしてもらうとか』
「一号機が残るでしょう」
『ああ……』
「三号機が同じでも、一号機まで同じとは決めませんよ」
『黒瀬さん、慎重ですね』
「三本まとめて作って二本余らせるよりましです」
まず二号機用一本だけで見積もりを出すことになった。
まとめ加工の値引きはない。
先方にとっては単価が上がる。
それでも発注は入った。
森川が製造用として使う図面を決め、佐野さんが今回の案件に紐付けた。客先から届いた二枚のうち、二号機用として採用したのは1994年の日付がある方だった。
古いから選んだのではない。
二号機から外した現物と、森川が確認した寸法が一致しているから使う。
「三号機側の図面はどうします?」
佐野さんが聞いた。
「客から受け取った資料として残して。まだ製造には使わへん」
「一号機は?」
「未確認のまま」
「了解です」
一号機の欄を、推測で埋めることはしない。
分からないものは分からないまま残す。
翌日、村井が二号機用の一本を加工した。
森川が最初の段取りを確認しただけで、その後は村井が進める。
「外径18。穴位置32」
村井が図面を見ながら言う。
「何用?」
森川が聞いた。
「北大阪精工、二号機用です」
「三号機にも使える?」
「まだ分かりません」
「よし」
それ以上、森川は何も言わなかった。
加工そのものは大きな問題なく終わった。
完成品を納める前に、俺は北大阪精工へ向かった。
目的は二号機用シャフトを届けることだけではない。
三号機を見るためだった。
担当者と一緒に現場へ入り、生産が止まった三号機のカバーを開けてもらう。
森川も同行している。
「ここです」
保全担当が受け側を示した。
森川が測定する。
一度測り、角度を変えてもう一度確認した。
「18.5ですね」
北大阪精工の担当者が目を丸くした。
「ほんまに違うんですか」
「違います」
二号機は18。
三号機は18.5。
同じ品番のまま、二種類の仕様が存在していた。
「じゃあ新しい方の図面が三号機?」
「可能性は高いです。でも、図面だけ見て確定はせん方がいいです」
「ここまで測っても?」
「シャフト径は合います。ただ、穴位置も見たいです」
森川が取付位置も確認する。
新しい図面の30ミリと一致した。
これなら三号機については、1998年の図面を使う根拠が揃う。
問題は一号機だった。
「一号機、止められません?」
「今日は無理です。来週なら何とか」
「なら、三号機用一本だけ追加で見積もります」
担当者が苦笑した。
「また一本ずつ?」
「はい」
「三号機が18.5なら、一号機も18.5かもしれませんよ」
「かもしれません、で作るんは嫌です」
「でも段取り費、また掛かりますよね」
「掛かります」
そこはごまかさない。
三本一括なら安くなる。
一本ずつ確認しながらなら、その分だけ費用は増える。
けれど、安さのために確認を省けば、使えない部品を作る危険まで客へ押し返すことになる。
「一号機まで確認してから二本まとめて作れば、三号機の納期が延びる。三号機を先に欲しいなら一本で作る。どっちがええかはそちらで決めてもらえます」
担当者は少し考えた。
「三号機、今の予備がもうないんです」
「なら三号機一本を先に?」
「お願いします」
「一号機は来週確認しましょう」
「それで」
二号機用のシャフトはその場で保全担当へ渡した。
取付確認まで立ち会う。
無理なく入る。
穴位置も合う。
「これなら大丈夫です」
保全担当が言った。
一本目が使えることを確認してから工場へ戻った。
佐野さんへ三号機の結果を伝える。
「二号機と三号機、完全に別仕様でした」
「品番は同じままですか?」
「先方では今のところ同じ」
「黒瀬側ではどうします?」
「客の品番は変えられへんから、そのまま。ただし設備番号を外さんようにして」
「二号機用、三号機用を案件側で分けます」
「頼む」
佐野さんは二枚の受領図を並べたまま、それぞれに製造記録への参照を付けた。
元図面そのものへ勝手に書き込まない。
二号機で使った図面。
三号機で使う図面。
確認できていない一号機。
その状態が一目で分かる。
翌週、一号機を止められる日が来た。
俺は今回は行かなかった。
製造条件の確認なら森川が分かる。
先方との話はすでに付いている。
森川が現場へ行き、結果だけ持ち帰った。
「一号機、18でした」
「二号機と同じ?」
「シャフト径と穴位置は同じです」
「ほな古い方の仕様か」
「一号機については、そう見てええと思います」
これで三台が分かれた。
一号機――18ミリ。
二号機――18ミリ。
三号機――18.5ミリ。
同じ品番のまま、三号機だけ仕様が違う。
北大阪精工へ結果を伝えると、担当者が電話の向こうで長く息を吐いた。
『三本まとめて頼んでたら、三号機だけ入らんかったってことですよね』
「18で三本作ってたら、そうなってた可能性が高いですね」
『逆に18.5で三本作ってたら?』
「一号機と二号機で使えへん」
『危なかったなあ……』
「品番だけ見たら分かりませんから」
『うちで番号分けた方がいいですかね』
「そこは御社で決めてもらうことです。ただ、少なくとも設備別に違う部品やと分かるようにした方がええと思います」
『社内で相談します』
黒瀬精機が客先の品番体系まで決める必要はない。
こちらがやるのは、受けた図面と実際に作った品物の関係を切らさないことだ。
数日後、一号機と二号機の予備を一本ずつ追加で欲しいという注文が来た。
今度はまとめて作れる。
同じ仕様だと確認できているからだ。
三号機用とは分ける。
加工を始める前、森川が村井へ二枚の図面を渡した。
「間違えんなよ」
「はい」
「品番同じやからな」
「設備番号見るようにします」
「それでええ」
村井は先に二号機用の図面を作業台へ置き、もう一枚を別の場所へ避けた。
二枚並べたまま加工しない。
その小さな動きだけで、俺には十分だった。
夕方、佐野さんが製造記録を整理していた。
「北大阪精工さんから連絡ありました」
「何て?」
「社内管理では、三号機の方に枝番を付けるそうです。今後新しく出す図面から分けると」
「旧図面は?」
「捨てずに残すそうです」
「それがええな」
「黒瀬側の記録も、新しい品番が届いた時点で紐付け直します」
「頼む」
そこで話は終わった。
新しい帳票を作ったわけではない。
黒瀬独自の規則を客へ押し付けたわけでもない。
届いた図面をそのまま残し、確認できた事実だけを足し、製造に使った一枚がどれなのかを追えるようにした。
黒瀬精機が長く続けてきた管理は、その程度の地味な仕事だった。
それでも今回、三本まとめて安く作るより役に立った。
俺は完成した予備シャフトの箱を見た。
一号機用と二号機用。
同じ寸法で、同じ品番から始まった二本だ。
三号機用の箱だけは別に置かれている。
ほんの0.5ミリの違いだった。
けれど、その0.5ミリを「同じ品番だから同じだろう」で消さなかったことの方が、今回の加工そのものより大きかった。
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