第185話 止めたくない機械
2008年11月の終わり、直人は新大阪計測機器へ納めた補修用ブロックの記録をもう一度開いた。
図面の残っていない古い検査装置。摩耗した現物だけを写すのではなく、装置側で必要な位置を確認し、村井健太が加工した2個は問題なく使えている。
金額は大きくなかった。
減った新規装置向けの仕事を埋めるほどでもない。
それでも直人が気にしているのは売上額ではなかった。
新しい設備を買わない会社が増えている。
だが、設備投資を止めたからといって、工場まで止めるわけにはいかない。
51歳まで生きた直人は、その先に何が起きるかを知っていた。
古い設備をもう一年使う。
二年使う。
メーカーの保守期間が終わっていても使う。
そのうち、予備部品がなくなる。メーカー在庫がなくなる。設備を作った会社そのものがなくなっていることもある。
直人は机から取引先の一覧を出した。
これまで営業で話す相手は、購買や設計が中心だった。
そこを変える。
「佐野さん、中部さんの設備保全の人、分かる?」
「直接の担当者ですか?」
「うん。購買経由で紹介してもらえるか聞いてみて」
「何か売るんです?」
「まだ何売るか決めてへん。古い設備で困ってる部品がないか聞く」
佐野真紀は少し考えてから電話を取った。
中部機工ではすぐに保全部門へつながったわけではなかった。購買担当者へ事情を説明し、その日の午後になってから担当者を紹介してもらえた。
直人は翌日、中部機工へ向かった。
会議室ではなく、実際に設備の並ぶ場所まで案内してもらう。
「新しい装置の仕事をください、って話じゃないんです」
直人がそう切り出すと、保全担当者が笑った。
「今それ言われても、こっちも困りますからね」
「せやと思ってます。逆に、今ある設備で困ってるもんないですか」
「困ってるもの?」
「メーカーから部品出んようになったとか、予備が最後の一個とか。加工部品で」
担当者の表情が変わった。
「それなら、ありますよ」
「ほんまですか」
「ありますけど、黒瀬さんで何でも作れるんです?」
「何でもは無理です。図面あるなら一番ええ。なくても、材質とか使い方とか必要寸法が確認できるなら検討します」
「現物だけでも?」
「場合によります。摩耗してる現物をそのまま測ってコピーしたら、摩耗した寸法でもう一個作ることになるんで」
「なるほど」
担当者は工場の奥へ歩き出した。
「一回見てもらいたいのあります」
案内されたのは、十年以上使われている包装設備だった。
「ここのガイドです」
機械の側面に取り付けられた部品を指す。
「今すぐ壊れる感じではないんです。ただ、予備があと一個しかない。前に作ってた会社がもうないんですよ」
「図面は?」
「探したらあるかもしれません」
「なら先にそれ探しましょう。予備はまだ使わん方がええです」
「持って帰らないんです?」
「図面あるなら現物から起こす必要ないですから」
その場では仕事にならなかった。
直人は困っている部品の型番と設備名だけ聞き、会社へ戻った。
翌々日、中部機工からFAXが届いた。
古い図面が残っていた。
佐野が正式に補修用資料として送られたことを確認し、工場へ回す。
図面を見た宮田悟が言った。
「これなら普通に作れますね」
村井も横から覗く。
「数量は?」
「最初2個やって」
「段取りの方が掛かりますね」
村井は加工順を書き出した。
入社から九年以上が経ち、簡単な品物なら宮田に一から教わる立場ではない。図面を見て、自分でつかみ方と加工順を考える。
「ここ、最後に残した方が測りやすいかな」
村井が独り言のように言うと、宮田が図面を見た。
「俺もそっちやな」
「じゃあ、こうします」
森川修一は製造予定を確認した。
「来週前半なら無理なく入ります。急ぎではないんですよね」
「うん」
「ほな、先に今ある納期分終わらせます」
「頼む」
直人はそこから先を森川に任せた。
中部機工で一件見つかったからといって、同じ話を待っているつもりはなかった。
次に向かったのは大和搬送システムだった。
購買担当者に事情を話すと、
「それなら現場の保全担当に聞いた方が早いですね」
と言われ、その場で別の担当者を呼んでもらえた。
「古いラインで、メーカーから出ん加工品ありません?」
直人が聞く。
「ありますよ。いっぱい」
「いっぱい?」
「そら十年以上使ってるのもありますから」
直人は思わず笑った。
「ほな、すぐ全部黒瀬にくださいとは言いません。今困ってる順に一個だけ見せてもらえます?」
「一個だけ?」
「何でもできます言うて持って帰って、半分作られへんかったら意味ないでしょう」
「それもそうですね」
出てきたのは搬送ラインのストッパー部に使われるピンだった。
現物は摩耗している。
図面は見つからない。
保全担当者は、
「これと同じの6本欲しいんですよ」
と言った。
直人は現物を手に取った。
「材質分かります?」
「分からないです」
「熱処理してるかは?」
「そこも」
「設備メーカーは残ってます?」
「会社はあります」
「なら、まず確認してもらえません?」
「形だけなら作れそうですけどね」
「形だけやったら作れます。でも元が焼き入れした材料で、こっちが普通の鋼材で作ったら寿命全然違うかもしれません」
保全担当者が現物を取り返した。
「分かりました。メーカーに聞いてみます」
「仕様分かったら見積もります」
その日はそこまでだった。
数日後、大和搬送システムから連絡が来た。
設備メーカーに古い部品表が残っていた。
材質だけでなく、熱処理の指定も確認できたという。
山岸浩司が資料を見る。
「これならいける」
「熱処理は外?」
「外やな」
森川が工程を確認し、佐野が外注先へ価格と納期を聞いた。
直人はその結果をまとめて見積もりを返した。
6本。
注文になった。
だが、営業先すべてがそううまくいったわけではない。
12月初め、別の取引先で見せられた部品は、古い専用機の回転部に使われていた。
メーカーはすでになく、図面もない。
材質も不明。
現物には摩耗だけでなく打痕もあり、元の状態を判断できない。
「これ、作れませんか」
担当者に聞かれ、直人は首を振った。
「今の情報だけでは受けません」
「寸法取ったらいけそうですけど」
「寸法だけの問題ちゃいます。ここ回るんですよね」
「回ります」
「割れたら?」
「設備止まります」
「ほかに影響は?」
「そこまでは……」
「それ確認できへん状態で、材質を黒瀬が勝手に決めるのはやめときます」
「調べる方法ありません?」
「当時の保全記録とか、交換部品の伝票とか残ってないですか。材質分かる手掛かり出たら、もう一回見ます」
「探してみます」
現物は持ち帰らなかった。
別の会社では、古い設備の部品について相談されたものの、メーカーへ確認すると純正品がまだ購入できた。
「ほな純正使ってもらってください」
直人が言うと、担当者が意外そうな顔をした。
「黒瀬さんで作らないんですか」
「純正まだ出るなら、そっちの方がええですよ。仕様も分かってるし」
「値段結構するんですよ」
「純正が高いからいう理由だけでコピーするなら、今回はやめときます」
「分かりました」
そこでも注文にはならなかった。
営業先を回り始めて二週間ほど経った頃、直人は最初の結果を佐野と整理した。
「補修関係の相談、何件来た?」
「直人さんが持って帰ってきた分と、電話で来た分を合わせて7件です」
「見積もりまで行ったんは?」
「3件」
「注文は?」
「中部さんと大和さんの2件です」
「残り?」
「一件は純正品あり。一件は仕様不明で保留。あと二件は先方が資料探してます」
「そんなもんやな」
「もっと来ると思ってました?」
「いや。むしろ全部注文なったら怖いわ」
佐野が笑った。
「何が怖いんです?」
「何でも受けてるいうことやろ」
「なるほど」
売上額を合計しても、失った量産品には遠く及ばない。
それでも直人は、翌週も同じ営業を続けた。
ただし、回る相手を少し変えた。
購買へ行って終わりではない。
可能なら、設備保全や製造現場の担当者にも会わせてもらう。
そこで聞く。
「止めたくない古い機械、ありませんか」
すると、購買では出てこなかった話が出た。
「このメーカー、もうこの型やってないんですよ」
「予備が最後の一個です」
「前の加工会社が廃業してまして」
「毎回ここだけ手直しして使ってます」
「二個だけ欲しいんですけど、どこも嫌がるんですよ」
直人は一件ずつ話を聞いた。
図面があるもの。
図面はないが、未使用の予備品が残っているもの。
仕様が分からず、その場で断るしかないもの。
話を聞いてみれば、同じ「古い設備」でも中身はばらばらだった。
12月半ば、中部機工向けのガイド2個が完成した。
村井が最終寸法を確認し、宮田も初回品の記録を見る。
「大丈夫です」
森川が納期を確認する。
「今日出せます」
「お願いします」
納品後、すぐに追加注文が来たわけではない。
予備として置く部品なのだから、それで普通だった。
代わりに、中部機工の保全担当者から別の相談が入った。
『今度は古い包装機のシャフトなんですけど、一回見てもらえます?』
「図面あります?」
『これは残ってます』
「何本です?」
『4本です』
「送ってください」
図面が届き、山岸へ回した。
山岸は一通り確認して、
「これならいける」
と言った。
森川が年内の予定へ組み込んだ。
4本のシャフトで工場全体が忙しくなるわけではない。
補修部品が新しい主力商品になったわけでもなかった。
中部機工の通常品はまだ少なく、新大阪計測機器の新規装置案件も戻っていない。定時前に加工が終わる日も残っていた。
それでも、工場の机に並ぶ物は少し変わった。
新しい図面の横に、十年前の日付が入った紙が置かれる。
油の付いた現物が段ボール箱で届く。
未使用の予備品に「最後の一個」と書いた紙が添えられてくる。
ある午後、隆夫がその一つを見ながら聞いた。
「最近、古いもん増えたな」
「こっちから聞いて回ってる」
「何で?」
「新しい設備買う会社減ったやろ」
「うん」
「せやけど、工場は動かさなあかん。今使ってる機械を長く使う会社は増えると思って」
隆夫は段ボール箱の中を覗いた。
「なるほどな。買い替えへんかったら、修理する方に金使うか」
「全部が仕事になるわけちゃうけどな」
「これだけで食える?」
「無理」
「即答か」
「一個二個の仕事多いからな。量産減った穴を全部埋めるようなもんちゃう」
「ほな何でやる」
「今ある需要を、他が気づく前に拾いに行ってるだけ」
隆夫が直人を見る。
「それなら営業らしいな」
「今まで営業してへんかったみたいに言うなや」
「お前、数字と図面持って行って説明して帰ってくること多いやろ」
「それも営業や」
「今は相手に『何困ってる』から聞いてんねやろ?」
直人は少し黙った。
「……そうやな」
「なら前よりええんちゃうか」
隆夫は箱から離れた。
「ただ、分からんもんまで無理して作んなよ」
「そこは断ってる」
「ならええ」
年内最後の週、黒瀬精機の工場では山岸が補修用シャフトを削っていた。
村井は通常の小ロット品を加工し、宮田は別の試作品を進めている。
補修品だけを作る会社になったわけではない。
従来の仕事の間へ、これまでなら営業対象として拾っていなかった注文が混ざり始めただけだった。
夕方、佐野が一枚のFAXを直人へ持ってきた。
「大和さんからです」
「何?」
「別の古いラインで使ってる部品だそうです。図面も一緒に来てます」
直人は図面を開いた。
「数量3個か」
「年明けに一度見てほしいそうです」
「森川さんに図面だけ回して。加工できそうか見てもらお」
「はい」
佐野が工場へ向かった。
しばらくして森川が図面を持って戻ってくる。
「形は問題なさそうです。材質指定もあります」
「宮田さんは?」
「見てもらいました。加工はできます」
「ほな年明け、見積もり出そか」
「分かりました」
森川が図面を持って工場へ戻る。
直人は机の営業先一覧を見た。
すでに回った会社には日付が入っている。
まだ保全担当者まで話を聞けていない会社も残っていた。
直人はそのうち二社へ丸を付け、翌年最初に回る順番を書き込んだ。
工場の奥では、山岸の旋盤がまだ回っていた。
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