第180話 近いだけでは取れない
2005年9月、新大阪計測機器から見積用の図面が届いた。
設計中の検査装置に使う試作部品で、図面までまとまったのは22品種。数量は1個から8個までと少なく、旋盤、フライス、板金が混じっている。
森川修一が黒瀬精機で加工する品物を選び、設備や数量が合わない物は協力工場へ相談した。佐野真紀が各社から返ってきた価格と納期をまとめ、直人が新大阪計測機器へ見積もりを返す。
数日後に届いた注文書へ載っていたのは13品種だった。
「思ったより絞られたな」
「残りは他社へ出すそうです」
佐野が注文書と見積書を照合した。
「単純な旋盤品と板金品が多いですね」
「向こうの方が安かったんやろな」
「そこまでは聞いてません」
「聞かんでええよ。13品種取れたんやったら、その条件でやろ」
黒瀬精機へ来た品物には、組付け前に寸法を相談したい物や、まだ設計変更が入りそうな物が含まれていた。
見積もりを出したからといって、全部を任せてもらえるわけではない。
客は品物ごとに、価格や納期、加工会社とのやり取りのしやすさを見て発注先を選ぶ。
その13品種を納めた後も、新大阪計測機器から試作や変更品の相談は続いた。
だが、2006年に入ると、相談の届き方そのものが変わり始めた。
2月、新大阪計測機器が取引先向けに開いた説明会へ、直人も参加した。
会場には加工、板金、表面処理など複数の会社が集まっている。
前方のスクリーンには、4月から一部の見積依頼で使うWeb画面が映されていた。
「登録された取引先には、見積依頼が出た時点で電子メールを送ります」
購買担当者が説明する。
「画面上で見積用図面、数量、希望納期を確認していただき、期限までに価格と回答可能な納期を入力してください。正式発注になった案件については、製造用として発行した図面を別に管理します」
黒瀬精機が電子メールで受け取っていた図面を、今度は複数の取引先が同じ仕組みから見ることになる。
直人は操作説明が一段落したところで手を挙げた。
「同じ案件、複数の会社に出すんですよね」
「はい。加工内容や登録区分によって候補先を選びます。試作や特殊な物については、設計側で相談先を絞る場合もあります」
直人の斜め前に座っていた加工会社の社長が、小さな声で言った。
「便利になった分、比べられやすなるな」
「せやな」
以前なら、客先と近いこと自体が一つの強みだった。
図面を持って走れる。急ぎなら顔を出せる。担当者も工場の場所も分かっている。
しかし、見積用図面が画面から取れるようになれば、最初に比較される段階では距離の意味が薄くなる。
4月、新しい仕組みを通した最初の見積依頼が届いた。
アルミ製ブロック50個。
穴加工とポケット加工が中心で、形状は難しくない。
宮田悟が加工時間を見積もり、佐野が材料価格を確認する。森川が現在の製造予定へ入れられる時期を見て、直人が価格と納期を入力した。
数日後、結果が届いた。
失注だった。
別件で新大阪計測機器を訪れた直人は、購買担当者へ聞いた。
「この前のアルミ50個、うち高かった?」
「黒瀬さんより18%ほど低い会社がありました」
「納期は?」
「同じ回答でした」
「ほな、しゃあないな」
「申し訳ありません」
「謝る話ちゃいますよ。向こうがその条件で作れるんやったら、そっちの方がええ」
受注したのは滋賀県の加工会社だった。
後になって不良や納期遅れが出たという話も聞かなかった。
黒瀬へ戻った直人は、見積もりに使った数字を森川と見直した。
「宮田の時間、長く見過ぎてる?」
「いや。この品物なら、うちはこのくらい使います」
「材料も高いわけちゃうな」
「同じような形をまとめて流してる会社なら、もっと短いかもしれません。設備や段取りも違いますし」
「18%全部削ったら?」
佐野が原価表を見た。
「利益は残りますけど、今の見積基準からかなり薄くなります」
直人はしばらく数字を見た後、見積書を閉じた。
「次に同じ条件で来ても、無理には追わん」
負けた原因を、相手が無茶な安値を出したせいにはしなかった。
黒瀬よりその仕事に合う会社があるなら、その会社が取る。
電子化によって、その相手を客が探しやすくなっただけだった。
5月、別の見積依頼が届いた。
ステンレス製の取付けベース7個。
村井健太が見積用図面を確認し、加工順を考えていたところで手が止まった。
「宮田さん、この奥の穴、今の逃げ幅やったら工具しんどないです?」
宮田が図面を覗き込んだ。
「長い工具なら届くけど、7個でそこまで無理する必要あるかな」
「逃げ広げられたら、普通に入りますよね」
「機能に関係する場所かもしれん。こっちで決めたらあかん」
二人は森川へ図面を持っていった。
森川も加工方法を確認した。
「作れんことはない。ただ、逃げがあと少し広ければ段取りは楽になります」
直人は新大阪計測機器の設計担当へ問い合わせた。
「この逃げ部分、広げても機能に影響ないですか。加工側では、少し広い方が無理な工具使わずに済みます」
『確認します』
回答が戻ったのはその日の午後だった。
設計上は広げても問題なく、見積用図面が改訂された。
黒瀬精機は新しい図面で工数を出し直した。
最安値ではなかった。
それでも希望納期までに7個を納められる回答が少なかったため、注文は黒瀬へ来た。
初品は宮田が加工し、その後の工程は村井も担当した。
1999年に正式採用された村井も、もう材料を用意して横で測るだけの立場ではない。単純な仕事なら自分で加工時間を出し、段取りを組み、加工まで進める。
ただし、この品物は図面変更直後だったため、最初の1個は宮田が加工順を確かめながら進めた。
7個は希望日までに納まった。
直人は、それを「価格より技術が勝った」とは考えなかった。
同じ形を次に100個、200個作るなら、また別の会社が有利になるかもしれない。
今回は7個で、図面が変わった直後で、納期が短かった。
黒瀬に合ったのは、その条件だった。
夏以降、新大阪計測機器以外の客先でも、電子メールやWeb経由の見積依頼が増えていった。
以前なら電話で、
『一回、図面見に来てくれへん?』
と呼ばれていたような品物でも、先にデータが届く。
直人が客先へ足を運ぶ意味も変わった。
図面を受け取るだけなら、もう出向く必要はない。
その代わり、設計担当者や購買担当者から、まだ図面になり切っていない困り事を聞く。
「これ、数出るようになったら、うちより合う工場あると思います」
ある客先で直人が言うと、設計担当者が笑った。
「営業でそれ言います?」
「今欲しいん何個です?」
「5個です。来週の組立に使いたい」
「ほな、その5個は見ます。50個、100個になったら、その時また値段見てもらったらええです」
「じゃあ、まず5個お願いします」
そういう仕事は増えた。
一方で、単純な継続品は、見積もりを出しても取れないことが珍しくなくなった。
2006年11月、新大阪計測機器から鉄製取付けプレート80個の見積依頼が届いた。
村井が加工時間を出し、宮田が確認する。
森川は製造予定を見た。
「来週へ入れるなら、別の変更品が半日後ろへずれます。両方やるなら残業です」
直人は80個の原価を佐野へ確認した。
「これ、取った場合の粗利額は?」
佐野が数字を示した。
「金額としては残ります。ただ、残業分まで入れると時間当たりは今入っている変更品より低いです」
「変更品ずらしたら納期は?」
「客の希望日には一応入ります」
森川が答えた。
「でも、そこで何か一つ遅れたら余裕はないです」
直人は画面に戻った。
単価を少し下げれば、受注できる可能性はある。
だが、受注した時には、黒瀬が優先したい別の仕事を圧迫する。
「今回は辞退する」
直人は価格欄へ数字を入れず、見積辞退の回答を返した。
村井が少し意外そうに見た。
「作れるのに、見積もり出さんのですか」
「作れるで。でも今取ったら、残業してまで優先する仕事かって話になる」
「空いてる時なら?」
「その時は出す。同じ図面でも、工場の中身が違ったら答えも変わる」
村井はもう一度80個の図面を見てから、次の仕事へ戻った。
2007年1月、佐野が前年の見積記録を整理した。
単純な継続品は、以前より失注が目立つ。
一方、試作や設計変更、小ロット、短納期の案件では注文が残っていた。
「見積依頼そのものは増えてます」
佐野が一覧を直人へ渡した。
「せやのに、何でも取れるようになった感じはせえへんな」
「比較される相手も増えてますから」
直人は一覧を鞄へ入れなかった。
その日の午後に訪問する客先へ持っていったのは、値下げ幅をまとめた表ではない。
黒瀬精機で対応できる加工と、吉岡製作所や藤本鉄工、野田自動旋盤など、仕事を組める協力先の加工内容を整理した資料だった。
直人はそれを鞄へ入れ、客先へ向かった。
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