第179話 量産を追わない
2004年6月、中部機工から届いた見積依頼には、いつもの図面とは別に参考価格が添えられていた。
対象は、黒瀬精機に残っている5品種のうち2品種だった。
どちらも難加工品ではない。装置の仕様次第で寸法や穴位置が変わる可能性はあるものの、形そのものは単純で、数をまとめて作るほど単価を下げやすい部品だった。
佐野真紀が資料を直人の机へ置いた。
「中国側の参考価格です。輸送費を加えても、黒瀬よりかなり低いです」
直人は単価だけでなく、その横に書かれた発注条件を見た。
「これ、何か月分まとめる前提?」
「半年分です」
「黒瀬への注文は今までどおり?」
「装置の生産予定に合わせて、その都度です」
「そら同じ値段にはならんな」
半年分を一度に材料手配し、同じ段取りでまとめて加工する工場と、必要数量に合わせて何度も段取りを組む工場では、条件が違いすぎる。
価格差そのものは不思議ではなかった。
午後、中部機工の購買担当者と設計担当者が黒瀬精機を訪れた。
「この2品種について、価格を再検討していただけないでしょうか」
購買担当者は遠回しに言わなかった。
「中国側へ出した場合との差が大きくなっています。社内でも、このまま国内へ発注する理由を説明しにくくなっていまして」
「同じ金額まで下げてほしい、という話ですか」
「そこまでは求めません。ただ、差を縮めていただければ」
直人は参考価格の条件を指した。
「半年分まとめて注文してもらえるなら、黒瀬も今よりは下げられます」
「どのくらいです?」
「そこは計算します。ただ、その半年の間に図面が変わった場合、作った分を全部引き取ってもらう条件になります」
設計担当者が顔を上げた。
「それは少し難しいですね」
「この2品種、仕様が完全に固定してるわけやないですよね」
「今後も変更の可能性はあります。装置側で使う機器が変われば、穴位置や寸法を触ることがありますから」
「半年分を先に作る値段と、変更へ追随する値段は両立しません」
購買担当者も、それは理解していた。
「では黒瀬さんとしては、今の単価を維持したいと?」
「いや」
直人は2枚の図面を見比べた。
「定番で流す分は中国へ出してもらって構いません」
購買担当者が黙り、設計担当者が先に反応した。
「この2品種を手放すんですか」
「数をまとめて、図面を固定して作るなら、向こうの方が安い。その条件の仕事を無理に黒瀬へ残してもらっても、値段で揉め続けるだけです」
「黒瀬さんの売上は落ちますよ」
「落ちます」
直人は言い切った。
「その代わり、図面を切り替えた直後の小ロットとか、まとめ発注まで待てへん不足分が出た時は、黒瀬へ相談できる形を残してください。ただし、そっちは中国側のまとめ生産価格には合わせません」
設計担当者が図面へ目を落とした。
「変更直後だけ国内で先に作る、ということですか」
「必要なら、です。変更しても向こうの納期を待てるなら、全部向こうでええと思います」
購買担当者が苦笑した。
「普通は、そこまで言われると引き止められると思ってました」
「仕事は欲しいですよ。でも条件が違う価格を無理に合わせたら、取った後で黒瀬が苦しくなります」
その場で結論は出なかった。
中部機工側は持ち帰り、購買、生産管理、設計で扱いを整理した。
3週間後、正式な連絡が来た。
2品種の継続分は2005年から中国側へ切り替える。
黒瀬精機への通常発注は終了する。
一方、設計変更直後の初回小ロットや、中国側のまとめ生産を待てない場合については、その都度黒瀬精機へ見積依頼を出せる形を残した。
黒瀬の加工図や工程資料を渡す話ではない。中部機工が持つ正式な製品図面で、それぞれの工場が自分の工程を組む。
今回は移管支援料も発生しなかった。
隆夫は月次の資料を見ながら、直人へ聞いた。
「2品種とも終わるんか」
「年内までやな。来年から定番分は向こう」
「また中部さんの売上減るぞ」
「減る」
「その代わりの仕事は決まってるんか?」
「まだ」
隆夫が顔を上げた。
「ほな、ほんまに仕事なくしてるだけやんけ」
「今の時点ではそうや」
「前みたいに何か一時金入るわけでもないんやろ」
「今回はない」
「よう平気な顔してられるな」
「平気ちゃうで。値段合わん定番品を赤字近くまで下げて抱える方が怖いだけや」
隆夫はしばらく数字を見た後、資料を閉じた。
「減った売上は、別で持ってこい」
「それは俺の仕事や」
2005年1月、予定どおり2品種の通常発注が止まった。
黒瀬精機に残った中部機工の部品は3品種になった。
中国側から納入された部品について、中部機工から品質問題の連絡は来なかった。
直人も問い合わせのついでに状況を聞いたが、組付け上の問題はなく、予定どおり使われているという。
「普通にできてるんやな」
事務所で直人が言うと、佐野が書類から目を上げた。
「問題なく作れるから移したんでしょう」
「せやな」
中国へ出せば不良品だらけになり、困った客が黒瀬へ戻ってくる。
そんな都合のいい話にはならなかった。
工場の製造予定には、その2品種が抜けた分の余裕が生まれた。
森川修一は、空いたところへ値段の合わない仕事を急いで入れようとはしなかった。新大阪計測機器の試作や既存客の変更品が入れば使い、予定が薄い日は設備の点検や段取りの見直しに回す。
ただ、売上が減った事実は消えない。
美智子が春までの数字をまとめた時も、中部機工向けの月売上は前年を下回ったままだった。
「仕事減った分、そのまま出てるで」
「うん」
「工場に余裕できたからええ、では帳簿は埋まらへんからな」
「分かってる」
「ほな、頼むで」
直人はその数字を持って客先を回った。
安い量産品を奪い返す営業ではない。
設計中の品物、変更直後の数十個、補修で急に必要になった部品。数百個、数千個を同じ形で流し続ける仕事ではなく、図面が動いている間に国内で対応する意味のある仕事を探した。
すぐに成果が出たわけではない。
「試作は本社の付き合い先で決まってます」
「設計変更も量産先でやらせてます」
「小ロットだけ別会社へ出すと管理先が増えるんで」
断られる会社も多かった。
以前なら「何か加工品ありませんか」と聞いていた相手にも、直人は条件を絞って話すようになった。
「量産の値段では勝てません。立上げ前とか、図面変わった直後に少しだけ欲しい時、困ってる物ありません?」
それで話が止まる会社もあれば、担当者の顔が変わる会社もあった。
6月、中部機工から久しぶりに2品種のうち1つについて連絡が来た。
包装機に使うセンサーが変更になり、アルミ製部品の穴位置と逃げ寸法を変えることになったという。
中国側にも新しい図面は送る。
ただ、次のまとめ生産分が入るまで待つと、先行して組む装置に間に合わない。
必要数量は18個だった。
『6営業日で可能でしょうか』
「図面見てから返します」
正式な変更図面を受け取った直人は、数量と希望日を森川へ渡した。
「18個。6営業日」
森川は図面と製造予定を確認した。
「材料はあります?」
「同じ材質で取れる寸法がある」
「今回の形は宮田にやらせます。明後日の午後から入れれば、今の予定なら5営業日目に出せます。ただ、今日正式注文が入る前提です」
「その条件で返す」
佐野が材料費と加工時間をまとめ、直人が見積額を決めた。
以前の継続分より1個当たりの価格は高くなった。
18個しかなく、段取りも測定も必要だから当然だった。
中部機工から値下げ要求は来ず、その日のうちに正式注文が届いた。
宮田が主担当になり、村井健太も材料準備だけではなく、図面を確認しながら2工程目の加工と途中測定を受け持った。
「ここ、前の品物と穴位置違うからな」
宮田が言うと、村井は旧図面ではなく、佐野から回された正式な変更図面を指した。
「こっちで見てます。前の数字は使いません」
「ならええ」
初品は宮田が加工し、村井が指定箇所を測定した。
森川が結果を確認して続行を認めた後、残り17個へ進む。
5営業日目に出荷した18個は、中部機工で先行装置へ組み込まれた。
中国側の生産が失敗したわけではない。
新仕様の継続分は、その後も中国側で作られる。
黒瀬精機が受けたのは、切替えの間に必要だった18個だけだった。
その後、夏まで同じ部品の追加注文は来なかった。
18個の売上で、失った定番分が戻ることもなかった。
直人が期待していたように変更仕事だけが次々舞い込むわけではなく、黒瀬精機全体の売上は前年より少し低い月もあった。
それでも、直人は中国側と同じ値段へ下げるための見積書を作らなかった。
8月、新大阪計測機器を訪れた時、購買担当者が打ち合わせの終わりに言った。
「そういえば、新しい検査装置を今設計してるんです」
「量産の話です?」
「まだそこまで行ってません。試作1台を秋に組みたいんですが、部品の手配先がまだ全部決まってなくて」
「何品種くらいあります?」
「20品種は超えると思います。数量はほとんど1桁です」
「図面出たら見せてもらえます?」
「全部黒瀬さんでできますか」
「全部はやりません。黒瀬に合わん加工まで抱えたら高くなるんで、必要なら合う工場へ振ります。窓口をまとめることはできます」
購買担当者は少し考えてから頷いた。
「では、設計から正式図面が出た分から送ります」
「見積用でええですよ。正式加工は発行図面もらってからにします」
「分かりました」
その場では注文書も、確定数量も出なかった。
直人は資料を鞄へ戻し、次の訪問先へ向かった。
定番の2品種を失ってから8か月。
売上はまだ戻っていなかった。
それでも直人が探している仕事は、もう中国側の見積書と同じ欄には載っていなかった。
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