第176話 仕事を渡す値段

 2000年10月、中部機工から受けた4品種16個の試作は、予定していた2週間の中で納まった。


 ステンレス軸とアルミの位置決めブロックは黒瀬精機で加工し、数量の少ないカラーも試作分だけは山岸浩司が汎用旋盤で削った。板金ブラケットは協力工場へ依頼し、戻ってきた4品種を宮田悟と村井健太が確認する。


 中部機工での組付けにも問題はなく、残る13品種については1度に切り替えず、夏まで順番に試した。


 最終的に中部機工が黒瀬精機へまとめて発注することになったのは11品種だった。


 残る6品種は、現在の仕入先へ直接発注を続ける。


 黒瀬を間へ入れれば中部機工の発注先は減らせるものの、少量の市販加工品や、現在の仕入先の設備に合っている品物まで黒瀬経由にすると、管理費を加えるだけになるためだった。


 11品種の仕事は、装置の生産台数によって月30万円台から50万円台まで動いた。


 黒瀬精機自身が削る品物だけではない。


 自動旋盤へ出す物、板金工場へ頼む物、黒瀬で加工してから外へ処理へ出す物もある。森川修一が工場長になったことで、直人は客先で数量や仕様を詰め、持ち帰った条件を森川と製造へ落とし込む形が定着していた。


 翌2001年3月、その仕事を続けていた黒瀬精機へ、中部機工から打ち合わせの依頼が入った。


 会議室には購買、生産管理、設計の担当者が揃っていた。


「中国で、一部装置の組立を始めることになりました」


 購買担当者が11品種の一覧を直人の前へ置いた。


「まずは、この6品種を現地調達へ切り替えたいと考えています」


 数量の多いカラー、単純な板金部品、ステンレス軸などが選ばれていた。


「切替えはいつです?」


「秋からです。立上げの状況を見ながら、順番に移したいと思っています」


「分かりました」


「それと、黒瀬さんにお願いがありまして」


 購買担当者は、別の紙を出した。


「現地の加工会社へ製品図面は当社から渡します。ただ、今の加工方法や検査方法まで一から作らせると時間が掛かります。黒瀬さんで使っている工程表や加工図、治具関係の資料も渡していただけませんか」


 直人は6品種の一覧を見直した。


「全部まとめて、ですか」


「可能なら」


「製品図面は中部さんのものです。それを現地へ出すことに、黒瀬が口を出す話やないです。ただ、黒瀬で作った加工図や治具図、作業上の注意まで同じ扱いにはできません」


 設計担当者が聞き返した。


「それも、この製品を作るために作成した資料ですよね」


「そうです」


「加工代はこれまでお支払いしています」


「部品を作って納める代金として、です。別の会社が同じ工程を立ち上げるための資料一式まで渡す条件では受けてません」


 購買担当者の表情が少し硬くなった。


「では、提供できないということでしょうか」


「そこまでは言うてません。何を渡す必要があるか分けましょう。その上で、移管支援の仕事として値段を出します」


「製品図面だけで作れる部品もありますよ」


「それなら、そこは黒瀬の資料いらんでしょう」


 直人は6品種を机の上で分けた。


 単純なカラーや板金部品の一部は、製品図面と検査寸法があれば、現地側で工程を作れる可能性が高い。


 一方、ステンレス軸のように、加工順や基準の取り方で安定性が変わる部品もある。


「全部に同じ支援を付ける必要はないです。現地側で立ち上げてもらって、詰まった品種だけ黒瀬の資料を使う方法もあります」


 その日は、無償か有償かだけで結論を出さなかった。


 中部機工が現地側で何を用意できるのか、黒瀬精機の情報が本当に必要なのはどの品種かを整理してから、改めて協議することになった。


 黒瀬へ戻った直人は、まず森川へ6品種の一覧を渡した。


「秋から抜ける予定や」


 森川は製造予定と作業時間を確認した。


「黒瀬の中では、月25時間前後減ります。いきなり人が余るほどではないですけど、今より機械は空きますね」


「移管を遅らせてもらう必要ある?」


「今の受注残ならないです。秋までに新しい仕事が入らんかったとしても、その日程で抜けても回ります」


「分かった」


 次に、直人は6品種のうち協力工場へ出している品物を確認した。


 野田自動旋盤へは直人自身が出向いた。


「中部さんのカラー、秋から中国へ移る可能性が高いです」


 野田は驚かなかった。


「いつまでです?」


「今の予定では9月か10月まで。正式な切替日はまだです」


「分かったら早めに教えてください。材料の手配だけ止められたらええです」


「向こうから、加工条件まで欲しい言われてる」


「うちの機械設定ですか」


「そこまではまだ決まってへん。黒瀬から勝手に出す気はない」


 野田は少し考えた。


「製品図面に書いてある寸法と、納めた品物の測定結果なら構いません。うちの送り速度や刃物の条件まで出すのは嫌です」


「その線で中部さんへ返す」


「もし現地の機械を見て条件出せ言われたら?」


「それは野田さんの別仕事や。受けるかどうかも、値段も野田さんが決める」


「それならええです」


 板金側の協力工場にも、同じように秋以降の数量が減る可能性を伝えた。


 こちらも、製品図面上の検査結果は出せるが、自社で作った曲げ治具や加工手順まで無償で提供する話には応じないという返事だった。


 佐野真紀は、中部機工との注文書と、これまで黒瀬精機側で作成した資料を分けた。


「黒瀬で出せる資料だけ一覧にします。協力工場のものは入れません」


「現地側が欲しい言うたら?」


「中部さんから、その会社へ直接依頼してもらうか、黒瀬経由なら別見積もりです。少なくとも、48万円の中へ勝手に入れないでください」


「まだ48万に決めてへんぞ」


「仮計算したら、そのくらいです」


 佐野は作業時間の内訳を見せた。


 黒瀬精機で作成するのは、3品種分の加工上の注意、検査箇所、現在の加工順を移管用に整理した資料。黒瀬所有の簡単な位置決め治具については、現地で同等品を作れる図面を新たに作成する。


 さらに、現地側が作った初回品を中部機工経由で受け取り、黒瀬精機の現在品と比較測定して報告する。


 そこまでで48万円だった。


「残り3品種は?」


「製品図面と中部さんの検査条件だけで、まず現地側に作ってもらう。黒瀬の資料は出さない」


 直人はその内容を中部機工へ持ち込んだ。


「6品種全部の工程資料は出しません。3品種は、そちらの製品図面で1度立ち上げてもらってください。黒瀬の支援が必要な3品種だけ、この範囲で48万円です」


 購買担当者が見積書を見た。


「6品種全部ではないのに48万円ですか」


「資料を何枚渡すかやなく、別の工場で作れるようにするための作業時間で出してます。現地の初回品の比較まで入ってます」


「野田自動旋盤さんの条件は?」


「含みません。必要なら中部さんから別に相談してください。黒瀬が野田さんの条件を売ることはできません」


「その場合、移管が遅れる可能性があります」


「あります。ただ、野田さんの設定を数字だけ持っていっても、現地の機械が違えば同じ物ができる保証もないです」


 設計担当者は、3品種だけ支援を買う案に賛成した。


「まず製品図面だけで作らせてみます。そこで安定しない物が出たら、追加で相談します」


 結果として、中部機工は48万円の移管支援を発注した。


 6月から資料作成が始まった。


 山岸はステンレス軸について、現在の工程をそのまま文章へ写すのではなく、外せない条件だけを整理した。


「『2工程目は同じ基準面からつかむ』だけでええかな」


 宮田が資料を読んだ。


「何でそうするか書いた方がええんちゃいます?」


「どう書く?」


「つかみ直した時に基準変えたら、振れを見る位置も変わるから、って」


 山岸は少し考え、その一文を加えた。


「これで意味分からんかったら向こうから聞いてくるやろ」


「その時は答えたらええです」


 村井も、検査に使う測定器と測る位置が資料どおりか、実際の品物で確認した。


 8月、中部機工を通して、中国側で作られた初回品が黒瀬精機へ届いた。


 製品図面だけで立ち上げた3品種については、大きな寸法外れはなかった。


 黒瀬の支援資料を渡した3品種も、主要寸法は公差内へ入っている。


 ただ、ステンレス軸は黒瀬精機の現在品より振れが大きかった。


 宮田が測定結果を森川へ渡した。


「図面寸法には入ってます。ただ、振れは黒瀬で出してる品物より大きいです」


 森川も測定し、結果を直人へ回した。


 直人は不良とは書かなかった。


 中部機工へ、図面公差内であること、黒瀬品との比較では振れが大きいことを分けて報告した。


 中部機工側は実機へ組み込み、必要な性能に問題がないか確認した。その上で、量産時にどこまで振れを管理する必要があるかを設計側で決め直すことになった。


 9月、野田から電話が入った。


『中部さんのカラー、今月で最後になりました』


「材料、残ってへん?」


『端数はほかへ回せる分だけです。追加では買ってません』


「助かった」


『助かったいうても、うちの売上は減るで』


 冗談混じりだったが、直人は笑って済ませなかった。


「そこはすんません」


『黒瀬さんが持っていった仕事ちゃうやろ。客が中国へ持っていくんや。別の仕事あったら回して』


「設備に合うやつが来たら、また相談します」


『安いやつはいらんで』


「それはこっちも分かってる」


 10月までに、6品種の量産移管が完了した。


 中部機工向けの月売上は、その分だけ落ちた。


 48万円の移管支援料は入ったが、毎月続いていた仕事がなくなったことまで埋めてくれる金ではない。


 黒瀬精機の製造時間も、月20時間以上空いたままだった。


 隆夫が月次の数字を見た。


「仕事渡す手伝いして、売上減ったか」


「減った」


「48万取ったからええ、とはならんな」


「ならん。移管は1回、定番は毎月やからな」


「残った5品種も向こう行くんか?」


「分からん。ただ、行く前提で会社作っといた方がええやろな」


 直人は、なくなった6品種と同じ仕事を探そうとはしなかった。


 自動旋盤向きの大量品を安値で奪い返しても、黒瀬精機が強くなるわけではない。


 秋以降は、CADデータで届く試作や設計変更品の見積もりを増やした。


 11月、その中の1つに新大阪計測機器があった。


 1999年春、黒瀬精機が紙図面の到着を待っている間に、見積もりを逃した会社である。


 今回は別の検査装置に使うアルミ部品の試作だった。


 数量は18個。


 佐野がDXFデータを受け取り、森川が加工時間を出した。直人が客先と納期、価格を詰め、正式注文になった。


 売上は十数万円にとどまった。


 その後も設計変更品を数回受けたが、中部機工から抜けた6品種分をすべて埋めるほどではない。


 2001年12月の月次を締めると、中部機工の移管前と比べ、黒瀬精機全体の売上はまだ少し低かった。


 工場では、それでも製造予定に空白が続いていたわけではない。


 ある午後、宮田が新大阪計測機器向けの試作を終え、村井へ次の材料を渡した。


「こっちは2個だけや。基準面、図面見て決めてみ」


 村井は材料をすぐバイスへ置かなかった。


 図面を作業台へ広げ、加工する2面を見比べる。


「先にこっち出した方が、次の穴位置を取りやすいですか?」


「何でそう思った?」


「反対からやったら、2回目につかむ場所が減るんで」


 宮田は答えを言わず、山岸の方を見た。


 山岸も口を出さなかった。


 村井はもう1度図面を見てから、自分で材料の向きを変えた。



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