第175話 工場長を置く
2000年2月、直人は取引先を回るため、黒瀬精機を丸2日空けることになった。
大和搬送システムから紹介された設備会社と、愛知県の取引先候補を訪ねる予定である。黒瀬精機の機械だけで作れる部品を探すのではなく、板金や旋盤、表面処理まで含めてまとめられる仕事があるかを見るためだった。
出発前日の夕方、森川修一が2日分の製造予定を直人へ渡した。
「今入ってる注文は全部組んであります。客先から数量か納期の変更が来た時だけ連絡します」
「倉田さんの材料、まだやったな」
「明日の昼までに入れば予定どおりです。遅れた場合も、今ある注文の順番を変えれば吸収できる範囲です」
「分かった。製造は任せる」
直人は予定表を細かく追わず、そのまま森川へ返した。
「俺は数量と希望納期と図面を持って帰る。黒瀬へ入れられるかは戻ってから見てくれ」
「それでお願いします」
翌朝、直人は工場へ寄らず、そのまま愛知へ向かった。
最初に訪ねたのは、食品工場向けの包装設備を作る中部機工だった。
会議室へ通されると、購買担当者が17枚の図面を机へ並べた。ステンレスの軸、アルミの位置決めブロック、小型のカラー、曲げ加工したブラケット、薄板のカバーなど、装置1台に使う部品が一式になっている。
「今は6社へ分けて注文しています」
購買担当者は発注一覧を見せた。
「装置ごとに使う部品が少し変わるので、部品そのものより、全部揃える方に手間が掛かるようになりまして」
「年間何台です?」
「今の予定で30台です。月によって1台の時もあれば、4台続くこともあります」
「全部を黒瀬へまとめたい?」
「できるならお願いしたいです」
直人は17枚を順番に見た。
黒瀬精機の設備で無理なく作れるものもある。数の多い小型カラーは自動旋盤の方が向く。薄板部品は板金工場へ頼む必要があり、表面処理が必要な品物も混じっている。
「17品種全部を、最初から黒瀬で受けるとは言えません」
購買担当者が少し身を乗り出した。
「難しいですか」
「作れるかどうかより、月によって台数が動くんが大きいです。黒瀬だけやなく、外へ頼む会社の予定もありますから」
直人は17枚の中から、加工方法の違う4品種を抜き出した。
ステンレス軸、アルミの位置決めブロック、小型カラー、板金ブラケット。
「まず、この4品種だけ試作させてください。これで黒瀬の加工、外注、まとめて納めるところまで一回流します。その時間と費用を見てから、残り13品種を受けるか決めたい」
「一式では受けてもらえないんですか」
「最初から一式で値段を決めて、あとで無理やった言う方が困ります。年間30台なら、急いで17品種全部を移すより、4品種で流れを作った方がええです」
購買担当者は設計担当者とも相談し、試作4品種から進めることを了承した。
数量は各4個。装置への組付け確認に使うため、納期希望は正式な図面発行から2週間だった。
直人は、その場で価格を決めなかった。
自社で必要になる加工時間、外注候補、運搬回数まで確認してから見積もると伝え、図面と年間予定台数だけを鞄へ入れた。
翌日は別の取引先候補を訪ねた。
一方、黒瀬精機では午前11時を過ぎても、倉田向けの材料が届かなかった。
森川が材料商社へ電話すると、配送車両の故障で到着は翌朝になるという。
予定どおりなら、その材料は午後から宮田悟が加工するはずだった。
森川は翌日以降の製造予定を見直した。
「宮田、小池さんの残り、今日どこまでいける?」
「18個です。途中測定まで入れて3時半ぐらいです」
「今日中に閉じてくれ。倉田さんは明日の朝一へ動かす」
「小池さんの出荷は月曜なんで大丈夫です」
「村井、倉田さんの刃物と測定器、今日のうちに準備しといて」
「はい」
村井健太は倉田向けの作業票を確認し、必要な刃物と測定器を揃え始めた。
山岸浩司の旋盤予定には触らない。大和搬送システム向けの作業も、そのまま進める。
森川は倉田へ材料入荷が1日遅れることを伝えた上で、出荷予定日は変えないと回答した。
直人へ電話は入れなかった。
客先から数量や納期の条件が変わったわけではなく、現在の製造予定の中で処理できる問題だった。
翌朝、材料が届くと、村井が注文書と材料札を照合した。
「宮田さん、材料番号合ってます」
「数量は?」
「あります」
「ほな始めよ」
宮田がフライス盤へ入り、最初の1個を加工する。
森川は初品を確認した後、次の仕事へ移った。
倉田向けは予定していた便に間に合った。
直人が戻ってきたのは、金曜日の夕方だった。
工場へ入ると、予定表の順番が出発前とは変わっていることに気づいた。
「材料、やっぱり遅れたんやな」
「木曜の朝に入りました」
森川が答えた。
「小池さんを水曜に閉じて、木曜朝から倉田さんへ入れました。出荷は済んでます」
「ほな問題なしやな」
「はい」
直人は経緯を聞き直さなかった。
代わりに、鞄から中部機工の図面を4枚だけ取り出した。
「こっち、試作4品種になった。各4個。年間30台予定やけど、まず一回流してから残りを考える」
森川は図面を受け取った。
「板金ありますね」
「ある。カラーも数が増えたら自動旋盤へ出した方がええと思う。まだ頼む会社は決めてへん」
「正式図面は?」
「来週。向こうの希望納期は、発行から2週間」
「それなら、図面が来てから製造予定へ当てます」
「頼む」
2人の会話を聞いていた隆夫が、直人へ声を掛けた。
「あとで事務所来い」
「何かあった?」
「森川のことや」
作業が落ち着いた後、直人が事務所へ入ると、美智子と佐野真紀もいた。
隆夫は給与台帳と、森川の現在の役職が記された書類を机に置いた。
「森川がやっとる仕事、もう主任いう肩書きのままにしとく方がおかしいやろ」
直人は意味を理解した。
森川はすでに、製造予定を組み、人を配置し、設備を止める時期を決め、初品を承認している。製造へ入れられる仕事かどうかも、直人が外から持って帰った条件を見て判断していた。
今回、直人が2日いなくても、特別なことをしたわけではない。
いつもの判断を、直人抜きで続けただけだった。
「工場長にするん?」
「4月からな」
「権限は?」
「今やらせとる仕事を、正式に工場長の責任として持たせる。製造予定、人員配置、保留、設備を止める判断、初品の承認。この辺は変に社長決裁へ戻さん」
「機械買うとか、人増やすとかは?」
「そこは会社の金が動く。俺が決める。長い契約も同じや」
佐野が給与台帳を指した。
「肩書きだけ変える話ではないですよね」
「分かっとる。役職手当も見直す」
「なら、書面を作ります」
直人は椅子にもたれた。
「工場長になったら、俺の仕事も分かりやすなるな」
「お前の仕事は前から分かっとる」
隆夫は呆れた顔をした。
「外で仕事を取る。値段を決める。客と技術の話をする。黒瀬だけで作るか、協力工場と組むか考える。そこまで持って帰ったら、製造へ入れられる形を森川と詰めろ」
「オトンは?」
「社長や」
「そこ一番短いな」
「長う説明せな分からん社長やったら困るやろ」
翌週、隆夫は森川本人を事務所へ呼んだ。
「4月から工場長やってくれ」
森川は驚くより先に、条件を確認した。
「今と何が変わります?」
「肩書きと給料。それと、外から見ても製造責任者が誰か分かるようにする」
「仕事は?」
「今やっとることを、そのまま工場長の責任として持ってくれ。製造予定、人の配置、保留、設備停止、初品確認。直人が外から持って帰った仕事も、製造へ入れられるかどうかは森川が見る」
森川は直人へ目を向けた。
「それでええんですか」
「今でもそうしてるやろ」
「まあ、そうですけど」
「肩書きが追いつくだけや」
森川はしばらく考えた。
「一つだけあります」
「何や」
「製造へそのまま入らん仕事でも、やり方変えたらできる場合があります。俺が無理や言うたら終わり、にはしたくないです」
「そこは俺も同じや」
直人は答えた。
「納期変える、数量分ける、外へ出す、治具作る。形を変えたら取れる仕事はある。俺が取れる条件を探す。森川は作れる条件を出してくれ」
「それならやります」
隆夫がうなずいた。
「4月から頼む」
春までの間に、大げさな引継ぎは行わなかった。
森川が新しく覚えなければならない製造実務は、ほとんどなかったからである。
佐野が変更したのは、社内の役職表と取引先へ出す連絡先の表記。森川の給与には、4月分から新しい役職手当が加わる。
製造現場では、山岸、宮田、村井へ、製造に関する日々の判断先が森川であることを改めて確認した。
4月3日、月曜日。
森川修一は黒瀬精機の工場長として最初の朝を迎えた。
机も作業服も前の週と同じだった。
山岸が旋盤の刃物交換予定を報告し、宮田はフライス盤へ入れる2件の順番を確認する。村井は午後に届く材料の置き場について指示を受けた。
直人は、その輪の外で電話を取っていた。
中部機工からだった。
『先日お願いした4品種、正式図面を今日出せます。各4個でお願いします』
「納期は前に聞いた2週間で?」
『はい。できれば少し早いと助かりますが、2週間で問題ありません』
「分かりました。図面を受け取ったら、正式な納期を返します」
直人は電話を切り、佐野が受け取った4枚の図面を持って森川の机へ行った。
「森川、正式に来たで」
工場長と呼んでからかうのは、初日に一度やっただけでやめた。
森川は4枚を順番に見た。
「各4個ですね」
「全部で16個。客の希望は2週間」
「板金の納期は確認しました?」
「今日中に聞く。カラーも量産になったら野田さんへ相談するけど、試作4個は山岸さんの汎用で作った方が早いと思ってる」
「俺も試作ならそう思います」
「黒瀬の分、いつ入る?」
森川は製造予定を開いた。
直人は横から予定表へ手を伸ばさず、返事を待った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます