第170話 黒瀬だけでは作らない
山岸浩司が黒瀬精機へ入った初日、直人が外から持ち帰ったのは、空いた汎用旋盤へ載せる仕事ではなかった。
大和搬送システムが新たに量産する、小型搬送装置用の取付金具一式である。
1台分に必要なのは、板材を曲げて穴を開ける台座金具1個、押さえ板1個、丸棒から削る段付きスペーサー2個。4点すべてに亜鉛メッキを施し、1組ずつ袋へ入れた状態で納める。
量産予定は月600組。段付きスペーサーだけで月1200個になる。
直人は4枚の製品図面と年間予定数量を、隆夫、森川修一、佐野真紀の前へ並べた。
「黒瀬でできるんは、試作の旋盤加工と最終確認ぐらいや。板金もメッキも外へ出す。スペーサーの量産まで山岸さんにやらせるつもりもない」
山岸は図面を手に取り、1個当たりの加工工程を追った。
「外径、内径、段差、面取りまであります。汎用旋盤で月1200個やったら、材料の着脱と測定を入れて60時間以上は取られます」
「東邦電装の仕事もある。そこへ毎月60時間を足したら、山岸さんを雇った意味がなくなる」
「試作と加工条件を決めるところまでは、うちでできます。量産は自動旋盤を持ってるところへ出した方がええです」
山岸には心当たりがあった。
藤岡製作所で量の多い小物部品を受けた際に、何度か仕事を頼んだ野田自動旋盤である。棒材を送りながら連続加工できる機械を持ち、月1200個なら汎用旋盤より短い時間で、寸法のばらつきも抑えられる。
「知ってる会社やから頼む、では決めへんで」
直人が言うと、山岸はうなずいた。
「見積もりと試作品を見てもらったらええです。俺も、藤岡さんの時の値段で受けてもらえるとは思ってません」
台座金具と押さえ板は坂口プレス工業、段付きスペーサーは野田自動旋盤、4点の亜鉛メッキは丸山表面処理へ相談することになった。
黒瀬精機は3社へ注文を出し、届いた部品の数量と主要寸法を確認した上で、4点を1組に揃えて大和搬送システムへ納める。
「黒瀬が作る部品、量産では1個もないんですね」
宮田悟が図面を見ながら言った。
「せやから黒瀬の仕事がないわけやない」
直人は4枚の図面を重ねた。
「4点のうち1つでも遅れたら出荷できへん。寸法が合うても、メッキ後に組めへんかったら完成品にはならん。そこをまとめて客へ返事するんが黒瀬の仕事や」
大和搬送システムの予定では、4月に確認用60組、5月に300組、6月から月600組へ増える。量産は最低1年間を見込んでいた。
客先の希望価格は1組1400円だった。
翌日、直人と山岸は野田自動旋盤を訪ねた。
野田は図面を見ると、材料径、突き出し長さ、穴加工後の切粉処理を確認した。月1200個なら加工能力には問題がないものの、亜鉛メッキ後の内径を製品寸法として保証するなら、加工時の狙い値を別に決める必要がある。
「図面の内径は、メッキ後の完成寸法ですか」
野田に尋ねられ、直人は大和搬送システムから受け取った図面を見直した。
「表面処理の指示はあるけど、加工前寸法は書いてへん」
「ほな、最初から量産寸法は決められません。黒瀬さんで試しに削って、丸山さんでメッキして、膜が付いた後を測った方がええです」
「その試作は山岸さんとこでやる」
直人はその場で量産価格だけを聞き、加工寸法については持ち帰った。
坂口プレスでは、外形と穴の加工に既存の汎用型を使えることが分かった。新たに必要なのは、材料を同じ位置へ置くための位置決め板2枚と、台座金具を一定の角度に曲げる専用治具である。
本格的な総抜き型を新しく作るわけではないため、初回確認を含めた専用治具費は24万円で収まった。
「この治具代を大和さんが払うなら、現物は大和さんの所有にする」
直人が条件を伝えると、坂口は治具図面まで渡すのかを確認した。
「現物は大和さん所有で、坂口さんが保管する。補修や形を変える時は黒瀬を通して承認を取る。ただし、坂口さんが作った製作用図面や加工のやり方まで、24万円に含めて渡す話にはせえへん」
「そこを分けてもらえるならええ」
丸山表面処理では、台座金具、押さえ板、段付きスペーサーを同じ便で受け入れ、月2回にまとめて処理する条件が出された。
小分けで何度も持ち込めば、そのたびに受入れと処理準備の費用が掛かる。300組分ずつまとめれば、単価も納期も安定する。
3社の見積もりを持ち帰り、黒瀬精機で受入確認、数量合わせ、袋詰め、最終検査、運搬の費用を加える。
1組当たりの見積価格は1580円になった。
「希望より180円高いな」
隆夫は月600組の差額を計算した。
「月10万8000円か」
「部品だけの値段と、4点揃えて納める値段を比べてるからや」
直人は値下げしなかった。
坂口プレス、野田自動旋盤、丸山表面処理のどこかへ無理な単価を押し付ければ、1年間続く前に工程が崩れる。黒瀬精機が外注費を立て替え、数量不足や不適合の窓口を持つ以上、その費用も必要だった。
美智子は手書き帳簿から、量産開始後の資金の動きを確認した。
「月600組になると、外へ払うお金が先に100万円近く出る月もあるね。大和さんの支払いが60日後やったら、2か月目が苦しくなるわ」
「どこまでなら受けられる?」
「月末締めの翌月末払いまでやね。専用治具費24万円は、作り始める前にもらった方がええ」
佐野は見積書へ、価格以外の条件を加えた。
専用治具費24万円は製作開始前に支払う。確認用60組は量産品と分けて発注し、組付け承認後に量産へ移る。量産は月600組を最低数量とし、3か月先までの予定を提示する。数量が減る場合や、300組ずつの納入をさらに細かく分ける場合は、単価と納期を再協議する。
大和搬送システムとの打ち合わせには、購買、生産管理、設計の3人が出席した。
「参考にした部品価格では、1組1400円前後でした」
購買担当が言うと、直人は参考価格の範囲を確認した。
「台座、押さえ板、スペーサーを別々に買った値段ですか」
「はい」
「4点の数量を揃える作業、めっき後の確認、1組ずつの袋詰め、不足が出た時の補充は含まれてへんのですね」
「そこは社内で行う前提でした」
「それを外へ出すための相談やと聞いてます。部品だけ買うなら1400円と比べてもらって構いません。黒瀬へ頼むなら1580円です」
直人は3社の仕入価格を明かさなかったが、黒瀬精機が持つ責任は隠さなかった。
設計担当は専用治具の扱いを確認した。
「24万円を当社が負担するなら、治具は当社の所有ですね」
「現物は大和さんの所有です。坂口プレスで保管し、補修や変更は黒瀬を通して承認を取ります。坂口さんの製作用図面や加工ノウハウまでは含みません」
「製造先を変える時は?」
「現物治具は返却できます。別の工場でそのまま使えるかどうかは、移す先で確認してもらいます」
大和搬送システムはその場で即答しなかった。
3日後、専用治具24万円と確認用60組の注文書が届いた。量産価格も1組1580円で承認し、組付け確認に問題がなければ、6月から12か月間、月600組を最低数量とする基本注文書を交わす条件だった。
黒瀬精機は坂口プレス、野田自動旋盤、丸山表面処理へ、それぞれ注文書を発行した。
確認用60組の製作は、最初から予定どおりには進まなかった。
山岸が黒瀬精機の汎用旋盤で段付きスペーサーを10個試作し、丸山表面処理へ亜鉛めっきを依頼した。戻ってきた品物は、外径も段差寸法も図面内に入っている。
ところが、大和搬送システムが使うボルトを通すと、内径の一部でわずかに引っ掛かった。
「加工した時は入ってました」
宮田がめっき前の測定記録を確認した。
「野田さんも言うてた。完成寸法を加工寸法のまま狙ったら、内側へ付いた膜の分だけ狭うなる」
山岸は、メッキ前とメッキ後の10個を測り直した。
内径は平均で0.02ミリ近く小さくなっている。図面の公差内には残っていたが、相手側ボルトのばらつきまで重なると、組付けに余裕がなかった。
「図面の公差内やから、このまま出せるとは言わへんで」
直人は確認用部品を保留にした。
製品図面に加工前寸法がなくても、4点を完成状態で納めると引き受けたのは黒瀬精機である。メッキ後にボルトが通りにくくなる可能性を、野田から指摘されながら試作で閉じきれなかった責任は黒瀬側にあった。
内径のメッキを削り落として出荷すれば、その部分だけ防錆性能が変わる。60組分のスペーサー120個は作り直すことになった。
試作10個と先に加工していた120個分の材料、加工、メッキ費用、合計2万8000円は黒瀬精機が負担した。
「外へ出した仕事でも、判断を間違えたら黒瀬の損になるんですね」
宮田が言うと、直人は保留品の袋を閉じた。
「窓口を取るいうんは、利益だけまとめて受け取る仕事やないからな」
大和搬送システムの設計担当へ結果を報告し、完成内径を変えず、メッキ前の加工狙い値を広げることについて承認を得た。
野田自動旋盤は修正寸法で120個を再加工した。丸山表面処理も再処理の便を1回追加し、黒瀬精機は確認用60組の納期を1日延ばしてもらった。
作り直したスペーサーは、メッキ後も全数でボルトが通った。最初の5組を全項目測定し、その後は10組ごとに穴位置、曲げ角度、スペーサーの外径と内径を確認する。60組すべてについて、外観、数量、袋の中身を宮田と山岸が分けて確認した。
大和搬送システムでの組付けでは、60組すべてに手直しがなかった。
5月の300組でも、黒瀬精機は最初の5組を全項目、以後50組ごとに主要寸法を確認し、外観と構成部品の数量は全数を見た。不足や混入は発生せず、6月から月600組の量産へ移った。
最初の600組を出荷した後、佐野は案件単独の数字をまとめた。
売上は94万8000円。坂口プレス、野田自動旋盤、丸山表面処理への支払い、梱包資材、運搬費を引いた後、黒瀬精機に残る増分付加価値は17万1000円だった。
この数字には、すでに固定給として発生している森川や宮田の人件費を重ねて引いていない。量産のために残業は発生せず、既存注文の納期も動かなかった。
東邦電装の仕事で増える月14万6000円と合わせれば、山岸を採用した際に見込んだ月31万円の負担を、会社全体の新しい仕事で上回る。
「ただし、確認用で出した2万8000円の損は別です」
佐野が試作原価の紙を重ねた。
「量産が続けば取り戻せますが、失敗が消えたわけではありません」
「次の見積もりへ、黙って上乗せはせえへん。今回の勉強代は黒瀬で持つ」
直人は量産初月の記録を確認し、坂口プレス、野田自動旋盤、丸山表面処理へ次回300組分の注文書を出した。
午後3時、4点を揃えた600組が通常便へ積み込まれ、大和搬送システムへ向けて黒瀬精機を出た。
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