第169話 機械より先に雇う

 裏手の工場を借りて2か月が過ぎた1996年12月、黒瀬精機では、材料や完成品を動かすために機械を止める時間がほとんどなくなっていた。


 空いた加工時間には、小池、倉田、阪南制御機器の定番品が入っている。受注は増えたが、翌年1月の製造予定には、まだ十分に使えていない機械が1台残っていた。


 隆夫が長く使ってきた汎用旋盤である。


 故障しているわけではなく、小物部品なら必要な精度も出せる。ただし、まとまった旋盤仕事が入るたび、隆夫か直人が予定を変えて機械へ付いていた。


 宮田悟も旋盤の基本操作は覚えているものの、現在はフライス加工、穴加工、治具製作を任される時間が増えている。旋盤を空けたくないからと宮田を固定すれば、育ててきた仕事の幅を狭めることになる。


 直人は、東邦電装から届いた4枚の図面を製造予定表の横へ並べた。


「今月だけなら、俺が旋盤へ入れば回る。せやけど、この仕事を半年続けるなら、人を入れた方がええ」


 森川修一は、図面と数量表を確認した。


 相談を受けているのは、制御装置に使う段付きカラー4品種である。いずれも丸棒から加工し、外径、内径、段差、端面を仕上げる。各品種40個、月合計160個の予定だった。


 現在の協力工場は、経営者の引退に伴い、年度末で加工を終える。


 東邦電装は切替えの失敗を避けるため、2月に1品種40個、3月に2品種80個を黒瀬精機へ移し、問題がなければ4月から4品種すべてを発注したいと考えていた。残る品種は3月まで現在の協力工場が作るため、切替え期間中も必要数量は途切れない。


「4月から全部入ったら、旋盤は月に何時間要ります?」


 森川に聞かれ、直人は佐野真紀がまとめた試算を渡した。


「4品種を月1回ずつまとめて加工して、段取り、測定、材料準備まで入れたら約42時間や。今、俺とオトンが旋盤へ入ってる定番品が月80時間前後ある」


「合わせて120時間ぐらいですね」


「掃除や刃物の管理まで入れたら、1人分の仕事にはなる」


 1人の勤務時間すべてを加工へ使えるわけではない。朝夕の清掃、材料確認、刃物交換、測定記録、他の作業者との調整もある。それでも、現在の仕事と東邦電装の受注を合わせれば、旋盤を中心に担当する人間を置く理由はあった。


「候補は探してあります」


 直人が言うと、森川は予定表から顔を上げた。


「いつからです?」


「裏の工場を借りる前からや。床が空いたら機械を増やせると思って、近所の工場を回った。その時に、人がおらんまま機械だけ増やしても意味ないと分かった」


 三宅鉄工が設備を整理する過程で、直人は周辺の工場が抱える事情も聞いていた。後継者がいない工場、設備だけを残して受注を減らす工場、経営者の引退と同時に従業員が職場を失う工場もある。


 その中の1社が、藤岡製作所だった。


 藤岡製作所は翌年1月末で加工を終え、2月は設備売却と帳簿の整理だけを行った後、正式に廃業する予定になっている。そこには、経営者の藤岡と、旋盤工の山岸浩司がいた。


 山岸は38歳。高校卒業後から20年近く、汎用旋盤を中心に仕事をしている。


「人が見つかったから先に仕事を取るのも、仕事を取ってから慌てて人を探すのも避けたかった。東邦電装の数量と切替え時期が出たから、両方を進める」


「採る前提で決めてるわけやないですよね」


「そこは森川にも見てもらう。旋盤が使えるだけやなく、黒瀬の仕事として任せられるかを確認したい」


 同じ日の午後、直人と隆夫は藤岡製作所を訪ねた。


 工場は黒瀬精機から車で15分ほどの場所にあった。建物も機械も古いが、材料と完成品は分けて置かれ、旋盤の周囲に不要な物は積まれていない。


 山岸は直径30ミリほどの丸棒を加工していた。直人たちが入ってきても刃物を止めず、予定していた10個を終えてから主軸を切った。


「黒瀬さんにも、汎用旋盤があるそうですね」


「ある。機械より、任せられる人が足らん」


 隆夫が答えると、山岸は加工を終えた品物を布で拭いた。


「藤岡さんから、定番品を増やす話は聞きました。旋盤だけ回したらええんですか」


「図面を読んで、段取りを決めて、初品を測るところまで任せたい」


 直人は机に置かれた藤岡製作所の作業票を見た。


「ただし、分からん条件を経験だけで埋めて、そのまま流すのはなしや。判断した内容は、次の人間が追える形で残してもらう」


「紙を書くのは得意やないです」


「字の上手下手は見いへん。何を測って、何を見て進めたかが分かったらええ」


「パソコンも触れません」


「機械の前でパソコンを打ってもらうつもりはない。作業票に中身を書けば、入力は事務でできる。ただ、自分が判断した理由まで事務に考えさせたらあかん」


 山岸は少し考えてから、旋盤の方を見た。


「黒瀬さんでは、誰が加工を止めるんですか」


「製造全体の予定と保留判断は、主任の森川が持ってる」


「旋盤の加工条件も、森川さんが決めるんですか」


「旋盤の技術まで、森川が上から教える形にはせえへん。刃物、回転、送り、段取りの判断は、任せられるなら山岸さんに持ってもらう。ただし、納期や初品承認を1人で決める仕事ではない」


 藤岡は2人の話を聞き、古い工具箱の蓋を閉じた。


「浩司の技能を見るなら、うちの機械でやらせても意味ないで。20年使ってる旋盤やから、癖まで知っとる」


「黒瀬の旋盤で見せてもらいます」


 技能確認は翌週の土曜日に決まった。


 採用を前提とした無償作業にはせず、半日分の日当を支払う。加工する物も販売品ではなく、黒瀬精機が用意した試し材とした。


 当日、山岸は午前8時半に黒瀬精機へ来た。


 森川が確認用の図面、使用する旋盤、測定器、保留札の扱いを説明する。直人は機械の癖を先に教えず、隆夫も作業台から離れて見ていた。


 山岸はすぐに材料を削らなかった。


 チャックへ試し材を取り付け、主軸を低速で回して振れを見る。刃物台を前後へ動かした後、横送りのハンドルを戻し、もう一度同じ位置へ近づけた。


「横送りに遊びがありますね」


「ある」


 隆夫が答えた。


「目盛りを戻して、そのまま切り込んだら寸法が散りそうです。毎回、同じ方向から合わせれば使えます」


「修理せなあかん状態か」


「今の仕事なら、すぐ止めるほどではないです。ただ、初めて使う人には伝えた方がええです」


 山岸は試し材を3個加工した。


 1個目は途中で寸法を確認し、仕上げ代を残して刃物を当て直す。2個目と3個目も加工順を変えず、同じ測定器で外径、内径、段差を確認した。


 3個とも公差内に入り、寸法差も小さい。


 森川は完成品だけでなく、山岸の作業票へ目を通した。


「横送りの注意も残してもらえますか」


「修理記録としてですか」


「今は作業上の注意です。修理するかどうかは社長と直人さんが判断します」


 山岸は余白へ、


「横送りを手前へ戻した後は、目盛りを合わせただけで切り込まず、奥へ送る方向から位置を取り直す」


 と書いた。


 宮田が実際にハンドルを動かし、文章と動きが合うことを確認する。


「これなら分かります」


「こういうのを毎回書くんか」


「最初に分かった時だけです。同じ注意を作業票へ何度も書くんやなく、機械の注意事項として残します」


 技能確認を終えた後、森川は事務所で評価を伝えた。


「旋盤は任せられます。黒瀬の記録と初品確認には慣れてもらう必要がありますけど、宮田へ旋盤を教える側にも回れます」


「製造の指揮はどうする」


 隆夫が尋ねた。


「製造予定、保留、初品承認は主任の俺が持ちます。ただ、旋盤の段取りや加工条件まで俺が経験者の上に立って決める形にはしません。そこは山岸さんに判断してもらい、条件を変える時だけ共有してもらいます」


 直人は、そこで初めて採用条件を山岸へ提示した。


 勤務開始は1997年2月3日。基本給は月24万8000円で、残業代は別に支払う。社会保険へ加入し、通勤手当を付け、試用期間は3か月。賞与の支給条件も口頭ではなく、雇用条件書へ記載する。


 会社負担の保険料、通勤手当、賞与引当、作業服、健康診断まで含めた月平均費用は、約31万円になる。


 佐野は採用後の収支を別紙へ分けた。


 東邦電装の4品種から見込める社内粗利は、全量が移る4月以降で月14万6000円。山岸に掛かる月平均費用との差は16万4000円であり、新規受注だけでは人件費を賄えない。


「今ある旋盤仕事の利益を足して、採用費が出るとは計算しません」


 佐野は直人と隆夫へ説明した。


「既存の仕事は、今も会社へ利益を出しています。山岸さんへ移したことで、急に増える利益ではありません」


「代わりに、俺とオトンの時間が月80時間ほど空く」


 直人が続けた。


「その80時間で、16万4000円以上の粗利を増やせる仕事を取る。全部を加工へ変える必要はない。見積もり、外への訪問、宮田や健太へ教える時間も含めて、会社全体で増やす」


「増やせなかった場合は?」


 佐野が尋ねた。


「半年後に見直す。東邦電装から数量保証を取れへんかったら、採用自体を進めん」


 東邦電装との交渉では、月160個をただ2回へ分ける条件にはしなかった。


 4品種は各40個で、同じ品種を月の中で細かく分割せず、1品種につき月1回のまとまったロットとする。前半便では2品種各40個、後半便では残る2品種各40個を納めるため、段取りは月4回で済む。


 2月は切替確認として1品種40個、3月は2品種80個。4月から全4品種160個へ移行し、そこから6か月間は月160個を最低発注数量とする。数量を下げる場合や、同じ品種を複数回へ分割する場合は、単価を再協議する条件を付けた。


 東邦電装は、協力工場の引退後に製造先が決まらない事態を避けたかった。黒瀬精機が採用と生産枠を用意する代わりに、4月から9月までの最低数量を記した基本注文書を発行し、2月と3月の切替分も正式注文として出す条件を受け入れた。


 山岸も雇用条件を確認し、藤岡製作所の加工が終わる1月末まで現在の仕事を閉じた後、2月から黒瀬精機へ移ることを了承した。


 年が明け、1997年2月3日。


 山岸浩司は黒瀬精機の作業服を着て、午前8時前に工場へ入った。


 初日に最初に向かったのは旋盤ではない。


 佐野から雇用書類、原本と写しの区分、借用品の扱いについて説明を受け、森川から製造予定、保留札、初品確認の流れを聞く。その後、旋盤の前へ立ち、東邦電装から切替え確認として受注した最初の1品種40個を担当した。


 森川は初品確認に立ち会ったが、刃物の当て方や送り量には口を出さない。山岸が外径、内径、段差寸法を測り、作業票へ記入する。宮田も隣で同じ品物を測り、数値を照らした。


「外径、内径とも中央に入っています。段差も問題ありません」


 宮田が言うと、山岸は2個目の材料をチャックへ固定した。


「途中の10個目で、もう1回一緒に見てもらいます。刃物が減って数字が動いたら、動いた方向も残します」


 午前9時を過ぎる頃、直人は鞄へ見積資料を入れた。


 旋盤の切削音を確かめたが、機械の横へ寄って手を出すことはない。


「昼まで外へ行ってくる。数量と希望納期だけ持ち帰るから、製造へ入れられるかは戻ってから森川と決める」


「どこの仕事です?」


「東邦さんの4品種とは別や。値段を聞きに行くんやなく、黒瀬の値段を出しに行く」


 直人は工場を出た。


 山岸の旋盤は止まらず、宮田は10個目の確認に備えて測定器を拭いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る