第166話 約束は12個

 新しい当て金を作った週の土曜日、村井健太は午前9時になる少し前に黒瀬精機へ来た。


 森川修一の測定台には、直人が机の引き出しから出した小さな缶と、治具棚から下ろした2台の治具が並んでいる。缶の中身を確認する作業は続いていたが、その日、森川が健太へ任せたのは、用途不明の薄板や短いピンを推測することではなかった。


「こっちの治具、底の寸法を測ってみ。機械へ載せる面だけでええ」


「ノギスで測っていいんですか」


「最初は宮田に見てもらえ。測る場所が違ったら、数字だけ合うても意味ないからな」


 健太は宮田悟の横へ立ち、小池向けの定番品に使う治具を裏返した。機械のテーブルへ載る面は油で黒ずみ、四隅には取付用の穴が開いている。宮田に教えられた位置へノギスを当て、穴と穴の間隔、外周から穴までの距離を紙へ書いた。


 続いて倉田向けの治具を測ると、健太は最初の紙と見比べた。


「同じ機械へ付けるんですよね」


「せやで」


「穴の場所が違います」


 宮田も2枚の紙を確認した。どちらも同じ機械へ載せる治具だが、取付穴の間隔も、治具本体の大きさも揃っていない。


「作った仕事が違うからな」


 直人が答えると、健太は治具の底へ目を戻した。


「毎回、違う穴を使って付けるんですか」


「穴が合わん時は押さえ金で締める。載せた後で位置を出して、動かんよう固定するんや」


「外したら、次も同じ場所には付かないですよね」


「せやから、段取りする人間が位置を合わせる」


 健太は納得した顔をせず、もう一度2台の治具を見比べた。


 町工場では、仕事ごとに必要な物を作り、納期へ間に合わせながら改良を重ねていく。直人や隆夫にとって、治具の形や取付方法が揃っていないことは、長い間それほど不自然ではなかった。


 森川は健太の測定した紙を受け取り、翌週の製造予定表を開いた。


 小池向けの定番品を加工した後、同じ機械を清掃して倉田向けへ載せ替える予定になっている。製品を加工している時間だけを見れば、機械に余裕がないわけではない。仕事と仕事の間で、毎回違う治具を載せ、位置を合わせ、初品を確認する時間が積み重なっていた。


「宮田、前回の作業票を出して」


 宮田は保管棚から2枚の作業票を持ってきた。開始時刻と初品確認の終了時刻は、本人が作業した際に記入している。


「小池向けは、治具を棚から出してから初品合格まで38分です。倉田向けは34分かかっています」


「加工時間より段取りの方が長い日もあるな」


 森川は記録を健太にも見える位置へ置いた。


「全部の治具を作り直すんですか」


 健太が尋ねた。


「せえへん。次の予定に入ってる2台だけや。使うか分からん治具まで直し始めたら、それで仕事が止まる」


 缶の中には、どの治具へ使ったのか分からない部品がまだ残っている。それらは使用禁止の箱へ移し、用途が確認できるまで現場へ戻さない。古い部品を順番に眺め続けるより、現在動いている仕事を変える方が先だった。


「同じ台に載せられるようにするんですか」


 宮田が聞いた。


「機械へ固定する土台は1枚にする。小池向けと倉田向けは、その上へ決めた位置で載せ替える。毎回、機械の上で治具そのものを探らんでもええ形にしたい」


「製品を置く位置は、仕事ごとに違いますよ」


「そこは別々でええ。揃えるのは、機械に対する治具の位置や」


 森川は製造主任として方針を決めたが、すぐ加工へ入らせなかった。健太が測った寸法を宮田に再確認させ、機械のテーブル、既存治具の底面、押さえ金の逃げを確かめる。


 現在の治具へ新しい穴を開けて無理に統一するのではなく、それぞれを専用の取付板へ固定し、共通の土台へ載せ替える形にした。新しい仕組みが合わなければ、取付板から外して元の方法へ戻せる。


 健太は正午までに、2台の治具と機械側の取付位置を紙へまとめた。自分で設計をしたわけでも、機械を動かしたわけでもない。それでも、測った場所と数字には宮田の確認印が付き、次の作業へ使う資料になった。


「来週、これで何を作ったか教えてもらえますか」


 帰り支度をしながら健太が聞くと、宮田は紙を作業票と一緒に挟んだ。


「ちゃんと使える物ができたらな。合わんかったら、どこが悪かったかも見せる」


 週明けの月曜日、小池から電話が入った。


 すでに注文を受けている定番品とは別に、組立側の予定が早まり、同じ品物を20個だけ金曜日までに追加できないかという相談だった。


 電話を受けた佐野真紀は、その場で可能とも不可能とも答えず、数量と希望日を記したメモを森川へ渡した。


「製造側で、どこまで約束できるか確認してください」


 直人も製造予定表を見た。


 他の注文を動かさず、残業も増やさない条件なら、現在の段取り方法で金曜日までに追加できるのは12個だった。残る8個を入れるには、小池向けを加工する日の終業を延ばすか、別の定番品を後ろへ送る必要がある。


「20個ぐらいやったら、俺とオトンで少し残れば――」


「それは、今の予定でできる数やなくて、残業したらできる数です」


 森川が遮った。


「小池さんには、金曜まで12個、残り8個は翌週火曜と返します」


「土曜に健太が来る前に流す手もあるで」


「追加注文が来るたび、土曜の午前を製造へ変えるんですか。今週それをやったら、治具の見直しも宮田の教育も止まります」


 隆夫は製造予定表を覗き込み、直人へ向けていた視線を森川へ移した。


「主任が12個言うなら、それで返せ」


 直人は小池へ電話をかけ、金曜日に12個、残り8個は翌週火曜日と伝えた。小池側は20個すべてを求めて押し切ろうとはせず、12個あれば先に1台分の組立を進められると答えた。


 注文書も、金曜日納入12個と翌週火曜日納入8個に分けて届いた。


 森川は20個を無理に約束しなかった一方で、12個しか作らないと決めたわけでもない。


 月曜日の午後から、共通土台の製作を製造予定へ入れた。


 森川が取付位置と必要な精度を決め、宮田が材料を切り、穴を加工する。直人は小池向けと倉田向けの製品図面を出し、治具が保証しなければならない寸法だけを確認した。


「土台の外形を基準にしたらあきませんか」


 宮田が図面へ鉛筆を置いた。


「外形を毎回そこまで正確に仕上げる必要はない」


 森川は機械へ載せる向きを示した。


「位置を決めるのは、丸い基準ピン1本と、片側へ逃げを作ったピン1本や。端の当たりは、載せる向きを間違えんために使う。ボルトは、位置を決めるんやなく、浮かんよう締めるためのもんや」


「2本とも丸いままやと、穴の間隔が少し違うだけで入らんようになるんですね」


「せや。締め付けで無理に入ったら、外した後に同じ位置へ戻る保証もなくなる」


 2台の既存治具は切削せず、それぞれ専用の取付板へ固定した。長く使ってきた治具本体へ手を加えれば、現在の仕事まで不安定になる恐れがある。


 火曜日の午前、共通土台を機械へ載せた。


 最初に小池向けの治具を取り付け、試し材を加工する。穴位置と外形寸法は公差内に入ったが、それだけでは森川は確認を終えなかった。


「いったん外して、もう1回付けて」


 宮田は治具を取付板ごと外し、切粉を拭き取ってから共通土台へ戻した。丸い基準ピンと逃げを設けたピンへ合わせ、向きを確認してボルトを締める。


 2個目を加工すると、最初の品物との差は測定器の読み取りでほとんど変わらなかった。3回目も同じ結果になった。


「次、倉田向け」


 治具を入れ替え、同じ手順で確認する。こちらも付け外しを繰り返し、製品の基準寸法が動かないことを確かめた。


 宮田は作業の途中で、押さえ金の1つが治具交換のたびに外さなければならない位置へあることに気づいた。


「これやと、ボルトを落としたら探す時間が出ます」


「位置を変えられるか」


「土台側の穴を1つ増やせば、押さえ金を残したまま治具だけ抜けます」


 森川は既存治具との干渉を確認し、変更を認めた。


 直人は横から手を出さなかった。宮田が押さえ金の向きを変え、もう一度2台を載せ替えるところまで見届ける。


 小池向けの治具を棚から出し、機械へ載せ、初品を確認するまで16分。前回の38分から22分短くなった。


 倉田向けも、34分から15分へ縮まった。


「これなら、小池さんの20個、金曜までに全部いけるんちゃうか」


 直人が言うと、森川はすぐ返事をしなかった。


 前回の作業票では、小池向けの材料を取り付け、加工し、外すまでが1個当たり約1分40秒。追加8個と途中の測定を合わせても20分以内に収まる。


 ただし、共通土台を作るために使った時間は戻らない。火曜日の残りの作業と、水曜日以降の製造予定を確認し、木曜日の段取りが本当に16分で閉じた場合だけ、追加8個へ進める余裕があると判断した。


「作れる可能性はあります。ただ、もう12個と8個で約束しています。先に20個へ変えるとは言いません」


「できたら早う渡した方がええんちゃうか」


「他の仕事を崩さず、予定した時間内で作れたらです。段取りが戻ったら、注文書どおり12個だけ出します」


 木曜日、宮田が小池向けの治具を共通土台へ載せた。


 森川は横に立ったものの、ボルトへ手を掛けない。宮田が取付面を清掃し、2本の位置決めピンと向きを確認して締め付ける。初品は狙い値の中央へ入り、段取りは確認を含めて16分で終わった。


 通常注文分と、金曜日までに約束した追加12個を加工し終えた時点で、終業までには20分以上残っていた。他の注文を後ろへ送る必要もない。


「残り8個へ進みます」


 宮田が森川へ報告し、途中で1度測定を挟みながら加工を終えた。


 金曜日の朝、追加注文の20個は出荷検査を通った。


 佐野は小池へ連絡し、翌週火曜日の8個も前倒しで用意できたと伝える。小池側が20個まとめて受け取れると答えたため、注文書の納入日を変更してもらい、通常便へ載せた。


 残業は0時間。倉田向けを含む他の仕事にも遅れは出ていない。


 午後、森川は翌週の製造予定を確認した。次に共通土台へ載せるのは倉田向けで、段取りを担当する欄には宮田の名前が入っている。


「直人さん、来週の倉田向けは触らんといてください」


「俺、今週も触ってへんやろ」


「機械の横まで来て、3回ぐらい口を開きかけてました」


「数えとったんか」


「主任なんで」


 測定台の端には、健太が土曜日に書いた2枚の紙が残っていた。


 森川は完成した共通土台の図面と一緒に挟むと、午後の製造予定へ戻った。


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