第163話 10円を戻せ

 田村製作所へ新しい注文書を出してから10営業日目、82ミリ用の制御盤取付金具50個が旭電装へ届いた。


 段ボール箱の側面には、新しい品番、図面番号、改訂記号、製造日、数量が記されている。以前のように、品名だけを書いた紙がテープで貼られているのではない。


 箱の中には、田村製作所の作業票と寸法記録も入っていた。5個ごとに穴間隔と穴径を測った結果が残され、最初の1個については、板厚、外形、曲げ角度まで記載されている。


 受入検査担当の永田は、納品された箱を倉庫の中央へ置かなかった。


 82ミリ用として設けた区画まで運び、先に保管されている8個と混ぜる前に、注文書、図面番号、箱の表示を照合する。


「品番、合っています。図面番号と改訂記号も一致。数量50個です」


 品質保証の担当者は、箱の上、中、下から無作為に5個を抜き取った。


 穴間隔、穴径、板厚、曲げ角度に外れはなく、返りも取付面の浮きも確認されない。田村製作所の寸法記録と旭電装の受入結果を並べ、永田は入荷台帳へ、抜取検査5個、不適合0個、ロット合格と記入した。


 田村へ図面や仕様を聞き直す必要はなかった。


 納入前には、前からあった使用可能在庫26個のうち、予定されていた交換と組立で18個を使っている。そのため、田村の50個を受け入れた時点で、82ミリ用の在庫は58個になった。


 その日の午後、組立工程の作業者が倉庫へ来た。手には、昔から使われている払出票がある。


「制御盤取付金具を2個ください」


 払出票には、品名と数量しか書かれていなかった。


 永田は棚へ手を伸ばさず、用紙を作業者へ返した。


「80ミリ用ですか、82ミリ用ですか」


「いつものやつです」


「今は、いつものやつが2種類あります。使う設備番号を書いてください」


「もう取付作業に入ってるんです。見たら分かるでしょう」


 作業者は82ミリ用の箱を指した。


「前は、そこから持っていってました」


「前に入っていた品物は、80ミリか82ミリか分かれていませんでした」


 永田の声は穏やかだったが、用紙を受け取る気配はない。


「設備番号が分からなければ、こちらでは出せません。間違った方を持っていけば、現場で穴を削ることになります」


 作業者は時計を見てから、組立工程へ戻った。


 数分後、設備番号を記入した払出票を持ってくる。現行設備用だと確認できたため、永田は82ミリ用を2個払い出し、品番別の在庫記録にも同じ設備番号を残した。


 取付作業は、手直しなしで終わった。


 以前なら、現場を待たせないことが最優先だった。合いそうな金具を渡し、合わなければ穴を広げる。作業予定は守れても、どの品物を使い、なぜ手直しが必要だったのかは記録に残らない。


 永田は戻ってきた払出票を、82ミリ用の台帳へ綴じた。現場を数分待たせても、翌月の使用数を推測で決める状態へ戻すつもりはなかった。


 新しい品番による納入から2週間後、旭電装で月次の購買実績会議が開かれた。


 藤崎が提出した単価差異表には、制御盤取付金具の欄だけ、赤字でプラス10円と表示されている。


 旧単価は420円。


 新単価は430円。


 初回発注数は50個なので、購入金額は従来より500円増えた。


 購買部長は、表を見ながら藤崎へ尋ねた。


「10円上がった理由は?」


「品番分割後の82ミリ用です。図面番号と改訂記号を作業票へ残し、5個ごとの寸法記録と箱表示を追加しています」


「加工そのものは、前と同じだろう」


「穴加工の時間だけなら、大きくは変わりません」


「では、10円を戻せないのか」


 購買部長は、値上げそのものを嫌っているわけではなかった。


「10円だから構わない、と理由も見ずに認めることはできない。同じ数量を買う品番が100種類へ広がれば、年間60万円になる。何を追加し、その費用が妥当なのか、購買として説明する必要がある」


 藤崎も、すぐには反論しなかった。


 購買部長の立場なら当然の問いである。黒瀬精機に言われたから、田村製作所が求めたから、という説明では、社内の値上げ理由にはならない。


「以前の420円に、何が含まれていたかを確認しました」


 藤崎は、別の資料を机へ置いた。


 集計対象となった9件について、旭電装内で発生した作業を拾い直したものである。


 現場で穴を広げたり、返りを削ったりした手直しが11時間半。


 倉庫と受入検査で、混ざった品物を探し、測り直した作業が8時間。


 合わない金具のために組立を止め、設備保全を呼んだ時間が合計4時間。


 発注先と使用図面を確認するため、生産管理、購買、設計が費やした時間が少なくとも3時間。


 記録に残っている分だけで、合計26時間半になる。


 協力工場3社を集めた確認会の時間も、黒瀬精機へ支払った支援費用も、この数字には含めていない。


「この26時間半を、旧単価420円へ入れていませんでした」


 藤崎が言った。


「協力工場へ払った品物の値段だけを見て、受け取った後に旭電装が使った時間は、別の部署の費用として埋もれていました」


 購買部長は資料をめくった。


「9件すべてが、品番を分けなかったせいではないだろう」


「はい。大森板金の加工不良も2件ありました。ただ、発注先と図面を追えなかったため、原因の確認に余計な時間が掛かったことは共通しています」


「今回の10円で、不良がなくなると言えるのか」


「言えません」


 藤崎は、そこで言葉を濁さなかった。


「田村さんが加工を間違える可能性は残ります。旭電装が受入検査を間違える可能性もあります。ただ、どの注文書と図面で作った品物なのかは追えるようになります。問題が起きた時、出所不明の箱へ戻すことは減らせます」


 河合も会議へ出席していた。


「初回50個の受入ロットは合格でした。抜き取った5個に不適合はありません。受入後の2週間では、納入前に使った18個とは別に、82ミリ用をさらに18個払い出していますが、取付時の手直しは0件です」


「18個すべての取付結果を追えたのか」


「設備番号と払出票を結び付けています。不具合票が戻っていないことも、各工程へ確認しました」


「2週間で結論を出すには早いな」


「その通りです」


 河合は、3か月分の確認項目を示した。


 受入不良件数。


 現場で行った手直しの時間。


 設備別の払出数。


 発注先不明となった返品品の数。


 協力工場から掛かってきた、図面や仕様に関する確認電話の件数。


 この5つを、旧品番で運用していた期間と比較する。単価10円の妥当性は、田村製作所の説明だけでなく、旭電装側で減った作業も含めて判断することになった。


「3か月後、何も減っていなければ?」


 購買部長が尋ねた。


「記録作業の内容と単価を見直します」


 藤崎は答えた。


「減っていた場合は?」


「他の品番でも、同じ管理を入れる価値があるか検討します。ただし、数量や不具合の内容を見ず、一律には広げません」


 購買部長は、単価差異表の赤い10円を指でなぞった。


「値上げを消せと言っているわけではない。10円で何を買ったのか、購買が説明できるようにしろ」


「はい」


「それと、毎月50個を固定で買うな。品番を分けたなら、実際の使用数も分かるはずだ」


 藤崎は、次回の発注計算を開いた。


 田村の初回ロットを受け入れた時点で、在庫は58個。その後の2週間で18個を払い出したため、現在庫は40個である。


 田村製作所の納期は10営業日。


 組立予定と定期交換を設備番号ごとに確認すると、次回納入までに24個を使う予定だった。納入直前の在庫は16個となり、安全在庫15個を1個だけ上回る。


 その後の1か月には、通常の組立で39個、交換日が決まっている保全用で6個、合計45個の需要がある。


 次回45個を受け入れれば、在庫は61個になる。そこから1か月分の45個を払い出すと、残りは16個となり、安全在庫を維持できる。


「次回は45個です」


 藤崎が言った。


「50個から5個減らしただけに見えるが、根拠はあるんだな」


「はい。納期中の使用予定24個と、その後の確定需要45個で計算しています。翌月は、実際の払出数で変えます」


 旧単価420円で50個を買えば、購入金額は2万1,000円になる。


 新単価430円でも、45個なら1万9,350円。


 1個当たりの価格は10円上がったが、必要数を分けて確認したことで、発注金額は1,650円下がる。


「単価を守るために、要らない5個を買っていたら意味がないな」


 購買部長は、赤字の10円を消さなかった。


 差異理由の欄へ、


「品番分割、追跡記録追加。3か月後に効果確認」


 と記入するよう指示した。


 藤崎は同じ日の午後、田村製作所へ次回分の見積条件を確認した。


 数量は45個。


 図面番号、改訂記号、記録条件は変えない。


「50個から45個に減りますけど、単価は430円でいけますか」


 電話の向こうで、田村社長が少し考えた。


「45個なら、同じ段取りでいけます。430円で結構です」


「記録を減らせば、420円へ戻せますか」


「5個ごとの測定をやめて、箱を前みたいに品名だけにしたら、少しは下げられるかもしれません」


「それはしません」


 藤崎は即座に答えた。


「値段の中身を確認したかっただけです。今の条件で45個、正式な注文書を送ります」


 田村は、電話の向こうで笑った。


「前は、安うして言われてから、何を抜くかをこっちで考えてました。今回は、抜いたらあかんもんが注文書に書いてありますな」


「旭電装も、10円の中身を説明することになりました」


「ほな、こっちも10円分は残します」


 電話を切った藤崎は、注文書の数量欄へ45と入力した。


 品番も、図面番号も、改訂記号も、前回の注文書から変わっていない。


 変わったのは、使用予定から計算した数量だけだった。


 月末、河合から黒瀬精機へ、最初の運用結果が1枚のファクスで送られた。


 納入数量50個。


 受入ロット判定、合格。


 抜取検査5個、不適合0個。


 納入後の現場払出18個。


 取付時の手直し0件。


 協力工場からの図面・仕様確認電話0件。


 次回発注45個。


 用紙の下には、質問も追加支援の依頼も書かれていなかった。


 佐野は結果報告として受付日を記し、旭電装の完了資料へ綴じた。直人は数字を一度確認しただけで、電話を掛けなかった。


 旭電装では、新しい注文書が田村製作所へ送信されていた。


 単価欄には430円。


 数量欄には45個。


 420円へ戻すために、図面番号や測定記録を消した箇所は、ひとつもなかった。


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