第161話 3枚の費用負担書

 旭電装へ事前診断報告書を渡してから4日後、生産管理課長の河合から黒瀬精機へ電話が入った。


「協力工場3社との確認会を、来週の火曜日に開きます。黒瀬さんにも同席していただけないでしょうか」


 当初予定していたのは、再製作費や現場手直し費の負担を求める打ち合わせだった。


 しかし、9件すべてを協力工場の加工不良として扱えないことが分かり、各社が保管している図面、作業票、検査記録を持ち寄る確認会へ変更したという。


「前の事前診断には、協力工場との打ち合わせは入ってません」


 直人が答えると、河合はすぐに了承した。


「追加支援として正式にお願いします。こちらの代わりに責任を決めてほしいわけではありません。集めた資料の見方と、分け方を確認していただきたいんです」


 黒瀬精機は、確認会前の資料確認2時間と、当日の半日同席を追加支援として見積もった。


 旭電装から注文書が届き、入金も確認できたため、火曜日の外部支援予定へ組み込む。森川修一を同行させる内容ではなく、製造側の日程を動かす必要はなかった。


 火曜日、旭電装の会議室には河合と受入検査担当の永田に加え、協力工場3社の代表者が集まった。


 第1協力工場の田村製作所は、切削と穴加工を行う従業員8人の工場だった。田村社長は、厚い図面袋を膝の上へ置いている。


 第2協力工場の大森板金からは、現場責任者でもある社長の長男、大森和也が出席していた。


 第3協力工場の光洋製作所は、営業担当と品質担当の2人を送り込んでいる。


 河合は打ち合わせを始める前に、3枚の文書を机へ置いた。


 各社へ送る予定だった費用負担依頼書である。


 再製作費、現場手直し費、受入後の選別費について協議したいと書かれている。会社ごとの不良件数は記載されていたが、どの返品品がどの納入品に対応するのかまでは示されていなかった。


「最初に、旭電装からお詫びします」


 河合は3社の代表者へ頭を下げた。


「弊社では9件を協力工場の加工不良として集計していました。しかし、事前診断の結果、弊社から渡した図面の食い違い、取付設備側の確認が必要なもの、発注先を特定できない返品品が混ざっていると分かりました」


 田村社長は、机に置かれた3枚のうち、自社名の書かれた文書へ目を向けた。


「これ、送る寸前やったんですか」


「はい」


「うちは4件になってますな」


 田村の声は低かったが、荒くはなかった。


 河合は言い訳せず、旭電装側で4件と数えた理由を説明した。


「返品品が入っていた箱に、田村製作所さんの納入分だと書かれていました。ただし、現物には納品番号が残っておらず、別の会社の品物が混ざった可能性も否定できません」


「箱に名前があったから、4件とも、うちやと?」


「そのように集計していました」


 田村は図面袋から、1枚の青焼き図面と作業票を取り出した。


 制御盤取付金具。


 穴の間隔は82ミリ。右下には旭電装の管理印があり、作業票には図面番号と改訂記号、加工数量、検査した寸法が記録されている。


「うちは、この図面で作ってます」


 直近の納入分についても、5個ごとに穴間隔を測り、82ミリで合格とした記録が残っていた。


 河合は、旭電装で現行図面として保管していた80ミリの図面を隣へ置く。


「弊社では、この80ミリが最新だと考えていました」


「考えてた、いうのは?」


「発行日が新しかったからです」


 田村は、82ミリ図面と一緒に保管していたファクス送信票を差し出した。


 3年前の日付で、旭電装の設計担当者から送られている。


「次回納入分より、この図面を使用してください」


 本文には、そう明記されていた。


「80ミリへ戻す連絡は、うちには届いてません」


 河合は会議を中断し、設計部門へ2枚の図面の用途を確認した。


 戻ってきた回答によれば、80ミリは古い型の制御盤に使う補修部品用、82ミリは後から導入した別の制御盤用だった。


 本来なら、設備ごとに品番を分けるか、少なくとも発注時に使用設備と図面番号を指定しなければならない。


 旭電装は、用途の異なる2種類を同じ品番で注文していた。


「田村さんへ出した注文書に、使用する制御盤は書いてありますか」


 直人が尋ねた。


 河合は発注書を確認し、首を横へ振った。


「書いていません」


「図面番号と改訂記号は?」


「どちらもありません」


「それなら、田村さんは手元に残った正式指示で作るしかないです」


 田村製作所が82ミリで製作していたことは、図面と作業票から確認できた。


 ただし、旭電装へ返品された82ミリの金具そのものが、田村製作所の納入品かどうかは特定できない。現物には追跡できる番号が残っていなかった。


 それでも、少なくとも旭電装が必要としていた80ミリと異なる品が届いた責任を、そのまま田村製作所へ負わせることはできなかった。


 注文書に使用設備も図面番号もなく、旭電装自身が過去に82ミリを正式指示していたからである。


「この件は、旭電装の発注条件に不備があります」


 河合は田村へ向き直った。


「返品品が田村製作所さんの品だとも特定できません。今回用意した4件分の費用負担を、田村さんへ求めることはしません」


 田村は、すぐには表情を緩めなかった。


「謝ってもろたことは受け取ります。ただ、次の注文書を変えてください。うちは、旭電装さんの工場の中まで見えません」


「分かりました」


「図面を変えたなら、前の図面を使うなという連絡もください。新しい紙を送っただけでは、昔の正式指示は消えません」


 河合は、その言葉を議事録へ残した。


 大森板金が持参した図面は、旭電装の現行管理図面と一致していた。


 事前診断で加工または仕上げ不良の可能性が高いとした3件のうち、2件に大森板金の納品番号が残っている。


 1件目は、穴の周囲に大きな返りが残り、取付面へ密着しなかった金具だった。


 大森は現物を見ると、自社の作業票を開いた。


「これは、うちの品物で間違いありません」


 納品時の箱番号、返品票、作業票の番号が一致している。


「穴あけ工具を交換した日です。最初の数枚で返りが大きく出たのに、仕上げ確認が抜けています」


 2件目は、曲げた金具の片側が取付面から浮いたという返品だった。


 現物は残っていないが、返品時の写真に納品札が写っている。大森の作業票を照合すると、同じ製造日の一部で曲げ角度を測った記録が抜けていた。


 大森は写真と記録を見比べ、しばらく黙った後で口を開いた。


「これも、うちの可能性が高いです。曲げ型を調整した後の確認を残してません」


「現物がないので、完全な断定まではできません」


 直人が言った。


「ただし、納品番号、写真、作業票がつながっています。少なくとも大森さん側で、同じ製造日の残品と記録を確認する必要があります」


「残っている品を測ります。それで同じ浮きが出るなら、うちの不良として扱ってください」


 その場で、大森板金の従業員へ電話が入り、同じ製造日の残品3個が保管されていることが分かった。


 測定結果は、3個のうち1個で曲げ角度が許容範囲を外れていた。


 これにより、2件目も大森板金の加工不良として扱う根拠が揃った。


「2件分の再製作費と選別費について、協議させてください」


 河合が言うと、大森はうなずいた。


「うちの責任分は負担します。ただ、今の図面には曲げ角度の許容差がありません」


 図面には基準角度だけが記され、どの程度までを合格とするかが曖昧だった。


「今回は明らかに外れてます。ただ、次から検査するなら、現場で測れる許容差を決めてください。人によって合格と不合格が変わったら、また揉めます」


 直人は答えを代わりに出さず、河合を見た。


「旭電装で案を作ります。大森さんの測定方法でも確認できる条件か、発行前に擦り合わせます」


 大森は、それなら進められると答えた。


 光洋製作所に割り振られていた2件は、事情が違っていた。


 光洋側の納品書、作業票、検査記録には欠けがない。図面番号も、旭電装が発注時に指定したものと一致している。


 ところが、旭電装で保管していた返品品には、光洋の納品番号が残っていなかった。


「なぜ、光洋さんの2件として数えたんですか」


 直人が永田へ尋ねた。


「入荷後、同じ品番は同じ棚へまとめていました。その週は、光洋さんからの納入数が一番多かったので……」


「多かったから、光洋さんの品やと思った?」


「はい」


 光洋の品質担当者が静かに尋ねた。


「弊社が月60個、別の会社さんが月10個なら、出所不明の返品品は、納入数の多い弊社の責任になるのでしょうか」


「なりません」


 河合が答えた。


 光洋製作所へ割り振られていた2件は、会社別の不良件数から外された。


 旭電装で使用できない品が発生した事実は残す。ただし、発注先を特定できない以上、光洋の加工不良として費用を求めることはできない。


 事前診断で加工不良の可能性が高いとした残る1件も、確認会で作業票と返品品を結び付けられず、判定不能へ戻した。


 9件の内訳は、確認会を終える頃には次のように変わっていた。


 大森板金の加工または仕上げ不良として確認できたものが2件。


 旭電装の図面または発注条件に問題があるものが2件。


 取付設備側の確認が必要なものが1件。


 発注先や使用図面を特定できず、判定不能のものが4件。


 最初の集計表にあった、


 第1協力工場4件。


 第2協力工場3件。


 第3協力工場2件。


 という並びは、責任を示す数字として使えなくなった。


「不良は2件しかなかった、いうことですか」


 永田が尋ねた。


「協力工場の加工責任として確認できたんが2件です」


 直人は答えた。


「旭電装さんで使えへんかった9件が消えたわけやない。旭電装側で直すもの、設備を確かめるもの、記録がなくて判断できんものへ分け直したんです」


 河合は、3社へ送る予定だった費用負担依頼書を手元へ戻した。


 大森板金とは、確認できた2件について、再製作費と選別費を改めて協議する。


 田村製作所と光洋製作所へ用意していた文書は、根拠を失った。


 旭電装側では、4つの改善を始めることになった。


 制御盤取付金具は、80ミリ用と82ミリ用で品番を分ける。


 発注書には、図面番号、改訂記号、使用設備の区分を記載する。


 同じ品番でも発注先と納入日が違えば、受入後に同じ箱へ混ぜない。


 返品品には、不具合票番号、納品番号、発注先を記した札を付け、原因の確認が終わるまで外さない。


「今ある在庫は、どうしますか」


 永田が尋ねた。


 倉庫には、制御盤取付金具が47個残っている。


 80ミリと82ミリが同じ棚へ入り、どの工場から届いたか分からないものもあった。


「80と82に測り分けて、使う設備ごとに別箱へ置いてください」


 直人は答えた。


「長穴へ手直しされたものは、正式図面と合うか確認するまで使わない。発注先を追えない品は、今後の会社別不良率には入れない。それでも寸法と用途が確認できれば、全部捨てる必要はありません」


 河合は、在庫47個を一度出荷可能品から外した。


 同じ日の午後から、受入検査と生産管理で寸法を測り、設備区分ごとに仕分ける。


 確認会が終わると、田村社長は図面袋を抱えて立ち上がった。


「うちの責任やと割り振られてた4件が、0件になったから喜んでるわけやないです」


 河合は、黙って続きを待った。


「次に、うちがほんまの不良を出した時、旭電装さんから言われても信用できんようになるんが一番困るんです。何でもこっちのせいにされたら、こっちも何でも旭電装さんのせいやと思うようになります」


「その通りです」


「次の注文書を見たら、本気かどうか分かります」


 田村は、それだけ言って会議室を出た。


 帰りの車で、直人は窓の外を流れる工場街を眺めていた。


 費用を請求しなかったからといって、取引関係が元へ戻ったわけではない。


 根拠のない4件を田村から外し、出所不明の2件を光洋から外したのは、信頼を減らし続けるのを止めただけである。


 取り戻せるかどうかは、旭電装が次に出す注文書と、実際の運用で決まる。


 黒瀬精機へ戻ると、森川がその日の出荷票へ署名していた。


「3社、どうでした?」


「大森さんは2件認めた。田村さんと光洋さんには、旭電装が自分で間違いを認めた」


「直人さんが代わりに謝ったんですか」


「河合さんが頭下げた。俺は、混ぜたらあかんもんを分けただけや」


「それなら、次に変えるんは旭電装さんですね」


 森川は完成箱を出荷区画へ移した。


 直人は中身を確かめず、そのまま事務所へ入った。


 一方、旭電装の会議室では、河合が3枚の費用負担依頼書を机へ残していた。


 田村製作所と光洋製作所の2枚には、赤字で「根拠不足・発行中止」と書き、その場で破棄した。


 大森板金の1枚も、そのまま封筒へ戻さなかった。


 3件と書かれていた不良件数を2件へ直し、対象となる納品番号、不具合内容、確認に使った作業票を付ける。費用も一方的に決めず、再製作費と選別費を分けて協議する文面へ書き換えた。


 最初に作られた3枚のうち、相手へ渡せる状態で残ったものは1枚もなかった。


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