第160話 不良の名前を分ける

 旭電装から資料箱が届いた翌日の木曜日、佐野真紀は受領一覧をもとに、事前診断の見積書を作った。


 期間は10営業日。


 対象は、旭電装が申告した6品種までとする。


 送られてきた図面、発注書、受入検査表、不具合記録を、品番、図面番号、発注先、使用場所ごとに整理し、食い違いと不足資料を一覧にする。旭電装本社での半日打ち合わせを1回含めるが、協力工場への訪問、設備側の測定、新しい図面の作成、不良原因の再現試験は含めない。


 金額は32万円。


 支払いは、注文時に半金、報告書の納品時に残り半金とした。


「資料を見るだけで32万円言うたら、高いって返ってきそうやな」


 直人が見積書を読みながら言った。


「見るだけなら、もっと安くできます」


 佐野は対象範囲の欄を指した。


「箱を開けて、順番に並べて、元へ戻すだけです。でも旭電装さんが求めているのは、3社から同じ品質の品物が届かない理由を調べるための入口です」


「まだ何も直らへん段階やろ」


「直す前に、同じ問題として扱っていいのかを分けます。そこを無料にすると、答えへ近づく作業を済ませてから、値段だけ後で付けることになります」


 隆夫も見積書へ目を通し、支払い条件の横へ丸を付けた。


「診断は、人の時間を使ったら取り返されへん。初めての相手なら、半金を受け取ってから始める」


 見積書を送ると、旭電装の生産管理課長、河合から金額について問い合わせがあった。


 佐野は、資料を整頓する費用ではなく、6品種という申告が正しいか、3社へ同じ条件で発注しているか、不具合記録と使用図面を結び付けられるかを確認する費用だと説明した。


 原因を断定するために現物試験や協力工場への訪問が必要になれば、次の仕事として分けることも伝えた。


 翌週月曜日、正式な注文書が届いた。


 火曜日の朝、前金16万円の入金が確認されると、佐野は旭電装の資料箱を開けた。


 作業を始める前に、契約開始日と10営業日目の日付を台帳へ記入する。資料を読み始めた時間も、直人と佐野で別々に記録した。


 受領確認の際に見つけていた、同じ品番の図面4枚を机へ並べる。


 品名は「制御盤取付金具」。


 古い青焼き図面では、2つの取付穴の間隔が80ミリになっている。次の改訂では82ミリ。協力工場から回収された別の写しには、左側の穴を長穴にする手書き指示が加えられていた。


 最も発行日の新しい図面は、再び80ミリになっている。


「新しいのが今の図面やないん?」


 直人が尋ねた。


「発行日だけでは決められません」


 佐野は4枚の右下を順に確認した。


 旭電装の管理印があるのは、82ミリの図面と、最も新しい80ミリの図面だけだった。長穴の指示が書かれた写しには第2協力工場の判があり、最も古い青焼きには、第1協力工場の名前が鉛筆で記されている。


 発注書も揃っていなかった。


 第1協力工場向けには図面番号が書かれていない。第2協力工場向けには、長穴へ変更する前の図面番号が使われている。第3協力工場向けには、最も新しい80ミリの図面番号が指定されていた。


「同じ品番で注文してるけど、同じ条件を渡してへんな」


「その可能性があります。ただし、各工場が実際に使った図面は、まだ確認できていません」


 佐野は原因欄を空白のまま残し、確認事項へ、


「発注先ごとの使用図面を特定する必要あり」


 と記入した。


 翌日の水曜日には、谷口佳代も資料整理へ加わった。


 谷口が行うのは、内容を判断する仕事ではない。


 図面や発注書へ受付番号を付け、どの束から出したのか、差出元はどこかを一覧へ書き写す。品番がない紙や、判が読めない資料は、分かりそうな番号を勝手に当てず、確認待ちの箱へ入れた。


「同じ品番が、何回も出てきますね」


「同じ品なら普通や。ただ、図面と発注先が揃ってへん」


 直人は発注書を机へ広げた。


 別の品番では、3社すべてへ同じ図面番号が指定されていた。


 ところが、不具合記録には、


「穴が合わない」


「取付時に浮く」


「現場で修正」


 という異なる言葉が並んでいる。


 旭電装の月別集計では、3件とも「穴位置不良」として数えられていた。


「これ、ほんまに同じ不良なんかな」


 直人が呟いた。


「同じだと判断できる記録がありません」


 測定値も、不具合の箇所も、どこを手直ししたのかも残されていない。発注先が書かれていない記録さえあった。


 佐野は3件を別々の受付番号へ分けた。


 金曜日までに、旭電装が申告した6品種すべての資料へ一度は目を通した。


 契約対象が増えたわけではない。


 6つの発注品名を調べた結果、同じ条件では扱えない使用区分が、少なくとも9つ見つかったのである。


 同じ品番でも、工場ごとに違う図面が残っているもの。


 同じ図面番号でも、使う設備によって手書き修正が加えられているもの。


 品番は違うのに、同じ現物写真が添付されているもの。


 どこから届いたのか分からない返品品。


 旭電装が「6品種」と呼んでいたのは、発注書に使っている品名を数えた結果だった。


 翌週火曜日、事前診断の6営業日目に、直人と佐野は旭電装本社へ向かった。


 火曜日は、直人の外部支援日として製造予定から先に外されている。


 森川修一は同行せず、黒瀬精機に残った。


 出発前、直人が不具合記録の写しを持って作業場へ入ると、森川は北河向け既存品の確認をしていた。


「『穴が合わない』言われたら、森川なら何を見る?」


 直人が尋ねた。


「穴の間隔、穴径、返り、板の曲がり、相手側のボルト位置です。取り付ける時の向きが違うこともあります」


「どれが原因やと思う?」


「現物見んうちに決めたら、全部外す可能性ありますよ」


 森川は測定表から顔を上げた。


「現場の人が『穴が合わない』言うたんは本当でも、加工した穴位置が悪いとは限りません」


「そこを見てくる」


「今日閉じる品は、帰ってきても見直さんでくださいね」


「分かってる」


「昨日も同じこと言うてました」


 直人は苦笑し、作業場を出た。


 旭電装の会議室には、河合、生産管理担当者、受入検査をしている男性が待っていた。


 机の上には、返品品として保管されていた金具が5個並んでいる。


 旭電装の不良集計では、すべて「穴位置不良」になっていた。


 直人は、まず現物と返品記録を結び付けようとした。


 5個のうち2個には、発注先や返品票の番号が付いていない。保管箱にも、どの不具合記録と対応するのか書かれていなかった。


 残る3個には、かろうじて返品票の番号が残っている。


 最初の金具は、穴の間隔が82ミリだった。


 旭電装が現在の管理図面として出してきたものは80ミリである。しかし、同じ品番には82ミリの管理印付き図面も残っている。発注時にどの図面が指定され、協力工場が何を見て加工したのかは、資料だけでは特定できなかった。


「82ミリやから加工不良、とはまだ書けません」


 直人が言った。


「今の図面とは違うんですよね」


 河合が尋ねた。


「今の図面とは違います。ただ、作った時に渡した図面が分からん。古い指示通りに作ったなら、加工した工場だけの責任にはできません」


 2個目は、穴の間隔も穴径も、確認できた図面の範囲内に収まっていた。


 ところが、穴の周囲へ大きな返りが残っている。平らな板の上へ置くと、返りの部分が先に当たり、金具がわずかに浮いた。


「これは穴位置やないですね」


 受入検査の男性が、横から覗き込んだ。


「仕上げの問題です。どの工場から来たか確認できれば、そこへ事実を伝えられます」


 3個目も、金具の寸法は図面の範囲内だった。


 返品記録には、「片側の穴が入らず、現場で広げた」と書かれている。


「金具が図面通りなら、何が悪いんでしょうか」


「取付設備側の状態か、組み付け方を見ないと分かりません」


 直人は断定しなかった。


「ボルト位置、取付面の変形、部品を当てる向き。候補はいくつかありますが、今日は設備を測る契約ではありません」


 河合は、机に並んだ3個を見比べた。


 現場から戻ってきた時には、すべて「穴が合わない品物」だった。


 だが、1個目は使用図面を特定できず、2個目は返りによる浮き、3個目は設備側を確認しなければ判断できない。


 同じ不良名のままでは、直す相手も、直す内容も違ってしまう。


 旭電装には、現物が残っていない4件分の不具合記録と写真もあった。


 5個の現物と、現物が残っていない4件の記録を照合した結果、加工寸法または仕上げに原因がある可能性の高いものが3件。


 旭電装から渡した図面や、使用区分の食い違いを確認すべきものが2件。


 取付設備側の状態確認が必要なものが1件。


 発注先や使用図面を特定できず、判定できないものが3件だった。


「3社で9件の加工不良やなかったんか……」


 河合が、月別集計を見ながら呟いた。


「旭電装さんで9件の困り事が起きたことは変わりません」


 直人は答えた。


「ただ、9件全部を協力工場の加工不良にしたら、直す場所を間違えます」


 河合は、翌週に予定していた協力工場3社との打ち合わせ資料を出した。


 そこには、各社の不良件数とともに、再製作費、現場で掛かった手直し費、選別費の負担を求める方針が書かれていた。


 第1協力工場4件。


 第2協力工場3件。


 第3協力工場2件。


 だが、現時点の記録では、9件のうち3件は発注先さえ確定できない。旭電装が異なる図面を渡した可能性のあるものも含まれている。


「このまま費用負担を求めたら、どうなりますか」


 河合が尋ねた。


「責任のない分まで請求された工場は、次からその金を単価へ乗せます」


 直人は、3社分の集計表を指した。


「表向きは払っても、見えへんところで返ってきます。それより悪いのは、本当に直すべき不良まで『また旭電装の管理不足やろ』と思われることです」


 河合は、3社を呼ぶ予定を取り消さなかった。


 ただし、一律の費用負担を求める打ち合わせから、各社が保管している図面と作業票を持ち寄る確認会へ変更した。


 再製作費や手直し費の負担については、発注先と原因を特定できたものだけ、改めて協議する。


 黒瀬精機が協力工場の前へ立って説明することは、今回の契約には含まれていない。


 佐野は、旭電装が自社で確認すべき項目だけを一覧にして渡した。


 訪問後の水曜日から、直人と佐野は残る資料を照合し、報告書をまとめた。


 同じ品番に複数の図面がある場合、発行日だけで現行版を決めないこと。


 発注書へ図面番号と改訂記号を記載すること。


 返品された現物へ、発注先、納入日、不具合票番号を残すこと。


「穴が合わない」という現場の言葉を、そのまま原因名として集計しないこと。


 対象は申告された6品種だが、今後は9つの使用区分として管理する必要があること。


 協力工場へ同じ品質を求める前に、旭電装から渡す図面と条件を揃えること。


 10営業日目の月曜日、事前診断報告書が完成した。


 報告書には、3社の品質を揃える完成済みの手順までは書かれていない。


 どの資料が不足し、どの現物がどの記録と結び付かず、何を確かめなければ次へ進めないのかが記されていた。


 佐野は報告書と残金16万円の請求書を旭電装へ送った。


 その日の午後、河合から受領の電話が入った。


「3社へ出す予定だった費用負担の文書は、いったん止めます」


「確認できたものから、分けてください」


「分からない3件を、無理にどこかへ付けるのもやめます」


 電話を切った河合は、3社分用意していた費用負担依頼書を封筒から出した。


 破棄はしなかった。


 事実が揃えば、請求すべき費用まで消えるわけではないからだ。


 3枚の文書には「原因確認中」と書いた紙を重ね、未処理の机ではなく、保留資料の棚へ移した。


 黒瀬精機が最初に揃えたのは、3社の品質ではなかった。


 誰の、どんな問題なのかを決める前の言葉だった。


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