第154話 黒瀬の外に机を置く

 その図面束を最初に見た時、俺は枚数を数え直した。


 1枚、2枚ではない。


 形も材質も違う部品がまとめて綴じられ、数量まで合わせると、黒瀬精機の機械だけで素直に飲み込める仕事ではなかった。


「これ、全部ですか」


 俺が聞くと、向かいに座っていた担当者は頷いた。


「全部です。今までは3社に分けて頼んでたんですけどね」


 大阪市内の装置メーカーだった。


 黒瀬精機とは以前から一部の加工品で付き合いがある。その担当者がわざわざ工場まで来たのは、いつもの追加注文とは別の相談があったからだ。


「3社に分けてたのを、黒瀬で全部?」


「全部作ってほしい、という意味ではないです」


 そこが話の肝だった。


「こっちも、黒瀬さんだけで全部加工できるとは思ってません。ただ、3社へそれぞれ図面送って、3社から質問来て、納期を3本追いかけるのがしんどくなってきまして」


「窓口を1つにしたい?」


「そうです」


 担当者が図面の一番上を指で叩いた。


「黒瀬さんでできるものは黒瀬さん。外へ出した方がいいものは、付き合いのあるところへ出してもらう。その代わり、こっちは黒瀬さんと話したら全体が分かるようにしたい」


 簡単に聞こえる。


 実際には、加工を請けるより重い。


 黒瀬精機で削る部品だけなら、こちらの機械と人を見ればいい。


 外へ出すなら、協力先の得意不得意、空き、納期、値段まで見る必要がある。そのうえで図面変更が出れば全員へ伝え、納品された品物をまとめ、客へ出す。


 物を削らなくても仕事は増える。


「1回、持ち帰らせてください」


 俺は答えた。


「今日、受けるとは言えません」


「もちろんです。ただ、できるかどうかだけでも早めにもらえると助かります」


「図面を協力先へ見せることは?」


「今回の品物については構いません。ただし、黒瀬さんから出す先は教えてください。無断でどこへでも回されるのは困ります」


「分かりました」


「それと、最終的な窓口は黒瀬さんでお願いします」


 俺はそこで1度止まった。


「窓口はできます。ただ、外へ出した工場の加工方法まで、うちが勝手に決めることはできません」


「そこまでは求めてません」


「品質条件と納期、図面変更の伝達、それから黒瀬から納める分の最終確認。その辺までなら考えられます」


「それで十分です」


 話はそこで切った。


 受注はしていない。


 図面束だけを預かり、先方から外部加工を認める条件も書面で確認してもらうことにした。


 工場へ戻ると、俺はすぐ予定表の前へ向かわなかった。


 まず森川さんを呼んだ。


「ちょっと見てほしい仕事ある」


「何です?」


「まとめて頼みたいって」


 図面を作業台に広げる。


 森川さんは1枚ずつ見る。


 俺は横から答えを言わない。


 3枚目で止まった。


「これはうちでやった方がええですね」


「理由は?」


「穴の位置関係が厳しい。途中で1回測りたいです」


 次の図面。


「これは外でもええと思います」


「うちでできへん?」


「できますよ。でも、これに機械使うぐらいやったら、今入ってる仕事進めたいです」


 できるかどうかと、やるべきかどうかは違う。


 さらに見ていく。


「これは?」


「旋盤屋さんの方が早いでしょうね」


「こっちは?」


「うちでやります」


 半分ほど見たところで、森川さんが顔を上げた。


「直人さん」


「うん」


「これ全部取るつもりです?」


「まだ決めてへん」


「なら先に言うときますけど、外へ出したやつ全部こっちで測り直すなら、検査で詰まりますよ」


 俺が黙る。


 そこまで考えていなかったわけではない。


 ただ、具体的に言われると重かった。


「全部測ったらあかん?」


「必要なところは見ます。でも、向こうの工場が測った結果まで信用せんと、全部最初からやり直すんやったら外へ出す意味薄いです」


「でも黒瀬の名前で出す」


「せやから、どこを黒瀬が確認するか先に決めた方がええんちゃいます?」


 正しかった。


 外注する。


 戻ってきたものを全部再検査する。


 そのために宮田さんや森川さんが本来の加工を止める。


 これでは機械の負荷を検査へ移しただけだ。


「協力先がどこまで測れるかも見なあかんな」


「そうですね」


「そこ、森川さん一緒に見てもらえる?」


「加工と検査の話なら見ます。ただ、値段の交渉まで俺に持ってこんといてくださいよ」


「持っていかへん」


「ほんまです?」


「そこは俺の仕事や」


 森川さんが笑う。


「なら見ます」


 午後、佐野さんにも図面を渡した。


「これ、今のままコピーして外へ配らんといて」


「まだ正式に出す先が決まってないからですか?」


「それもある。あと、先方から差し替え来た時に、どこへ何版渡したか分からんようになったら終わる」


 佐野さんが図面束を確認する。


「外へ出す会社ごとに分けます?」


「加工先決まってから。原本はここで持って、出した図面がどれか追えるようにしたい」


「分かりました」


「加工先を決めるのは俺と森川さん。佐野さんには、決まった後の図面と変更を見てほしい」


「はい」


 佐野さんは、それ以上踏み込まなかった。


 どの会社へ加工を頼むかを、図面管理の担当者に決めさせない。


 逆に俺が、ファイルの置き場所まで細かく口を出す必要もない。


 自分で全部持たない。


 それを意識しないと、この仕事は危ない。


 夕方、オトンとオカンも交えて数字を見た。


 客から頼まれている全部をまとめると、売上は2000000円に少し届かない規模になる。


 オカンが数字を見て、最初に言った。


「大きいな」


「うん」


「せやけど、これ全部うちの儲けちゃうんやろ」


「当然」


 材料を黒瀬で手配するもの。


 協力先へ材料込みで頼むもの。


 黒瀬精機で加工するもの。


 外で加工して黒瀬へ戻すもの。


 運賃。


 検査。


 梱包。


 それぞれに金がかかる。


「外へ払う分、先に出ていくこともあるよ」


「そこやねん」


 オカンが指で数字を追う。


「売上二百万近いいうても、入金より先に1000000円以上外へ払わなあかんようになったら、別の話やで」


「支払い条件も確認する」


「あと、やり直し出た時は誰持ち?」


 俺は返事に詰まった。


 オカンは加工の専門家ではない。


 だが金の流れを見る人間からすると、そこが一番怖い。


「協力先の加工不良なら、まず先方と話す。ただ、客へ納める責任まで全部外へ押し付けるわけにはいかん」


「ほんなら、その分も値段に入れなあかんやろ」


「入れる」


 オトンが腕を組んだ。


「直人」


「何?」


「お前、この仕事取ったら誰が追いかけるんや」


「俺が窓口になる」


「全部?」


 言われて止まった。


「客から電話来たらお前。外の工場遅れたらお前。図面変わったらお前。納品揃わんかったらお前」


「……そうなるな」


「それで黒瀬の仕事も今まで通りやるんか」


 図星だった。


 未来を変えるために、人へ仕事を渡してきた。


 森川さんに現場を任せる。


 佐野さんに図面と文書を任せる。


 オカンが金を見る。


 それなのに新しい仕事が出た途端、また自分のところへ全部集めようとしていた。


「それはあかんな」


 俺は言った。


 オトンが少しだけ笑った。


「気づいたんやったらええ」


「でも窓口は俺がやる」


「それはええ。客との話はお前が一番分かってる」


「外の工場との加工条件は森川さんにも見てもらう。図面の受け渡しと変更は佐野さん。金はオカン。最終的にこの仕事受けるかはオトン」


「何でも俺に最後持ってくるな」


「社長やろ」


「こういう時だけ言うな」


 オカンが笑った。


 俺も笑った。


 その程度の空気が残っているうちに決めるべきだった。


 誰か1人が遅くまで残らなければ成立しない仕事なら、今の黒瀬精機が取る仕事ではない。


 翌日から、俺と森川さんで協力先を回った。


 正式な組織でも何でもない。


 以前から仕事を頼んだり、逆に困った加工を持ち込まれたりしている町工場だ。


 最初の工場では、図面を見せると社長が首を横へ振った。


「これは今月無理や」


「加工そのものは?」


「できる。でも旋盤埋まってる。再来月なら言える」


「分かりました。これは頼みません」


「すまんな」


「いや、無理なもん頼んでもしょうがないんで」


 二軒目では、別の図面を出した。


「これならいける」


「数量はこれ」


「納期は?」


「黒瀬へ戻すのがこの日まで」


 相手がカレンダーを見る。


「ぎりぎりやな」


「ぎりぎりなら頼まん方がええ?」


「いや、材料そっち支給ならいける。うちで材料から取ったら1日足らん」


 条件が1つ変わるだけで答えも変わる。


 俺は値段を聞き、森川さんは加工方法と測定できる箇所を確認した。


「この寸法、測定結果つけてもらえます?」


「そこは出せる」


「こっちは?」


「これはうちの測定器やと厳しいな」


「ほな黒瀬戻ってから見る」


 俺が全部聞く必要はなかった。


 森川さんが加工の話をしている間に、俺は納期と価格を詰める。


 役割を分けると、一軒での話が早い。


 三軒目を出た時、森川さんが言った。


「直人さん」


「何?」


「これ、今までの外注とちょっと違いますね」


「うん」


「前は、うちでできん工程だけ頼む感じやった。でも今回は、最初からどこで作るか振り分けてる」


「それが怖い?」


「怖いですよ」


「俺も」


「でも、全部うちでやるよりは現実的です」


 俺は歩きながら頷いた。


 黒瀬精機の機械が増えたわけではない。


 工場の床も一平方メートルも広がっていない。


 それでも、自分たちで責任を持てる範囲を見極めれば、黒瀬の外にある機械と一緒に仕事をできる。


 ただし、他人の工場を自分の設備のように扱ってはいけない。


 向こうには向こうの客がいる。


 都合がある。


 断る権利もある。


 値段も、こちらが勝手に決めるものではない。


 そこを間違えた瞬間、ただの下請け叩きになる。


 工場へ戻り、もう1度数字を組んだ。


 黒瀬精機で加工するもの。


 協力先へ出すもの。


 材料だけこちらで用意するもの。


 戻ってから確認する寸法。


 協力先の測定結果を受けるもの。


 それを合わせても、見積総額は2000000円弱になった。


 安くはない。


 これまで黒瀬精機が単独で受けてきた1件の仕事と比べれば、かなり大きい。


 俺は数字を見ながら、わざと少し時間を置いた。


 大きい数字を見ると、取りたくなる。


 今の黒瀬ならできる気がする。


 そこが一番危ない。


「オカン」


「何?」


「資金、これで大丈夫?」


「協力先への支払いがこの条件なら大丈夫。せやけど、先方の入金遅れたら余裕は減る」


「オトン」


「なんや」


「受けてええと思う?」


「森川は?」


 オトンが先にそちらを聞いた。


「黒瀬でやる分は入る。協力先も返事もらった」


「佐野さんは?」


「図面の出し先と変更管理、できるって」


「ほな、お前は?」


 最後に俺だった。


「客との窓口と全体納期を見る。ただし、毎日の加工順まで俺は触らん」


「外の工場へ毎朝電話したりもせん?」


「せえへん。途中確認する日は最初に決める」


「なら、やってみたらええ」


 オトンが言った。


 社長としての返事だった。


 その日の夕方、先方へ見積書を持っていった。


 総額を見ると、担当者はさすがに1度顔を上げた。


「結構しますね」


「1社へ投げる値段として見たら高いと思います」


「内訳は?」


 俺は説明した。


 黒瀬精機で加工する分。


 協力先へ頼む分。


 材料。


 最終確認。


 全体をまとめるための手間。


「外へ出す分に、そのまま上乗せしただけではありません。図面変更と納期の窓口は黒瀬で持ちます」


「何か遅れたら?」


「まず黒瀬へ連絡してください」


「協力先に直接?」


「基本は必要ありません。加工方法の技術的な確認で直接話した方が早い時だけ、こちらから相談します」


 担当者は見積書をもう1度見る。


「これなら、うちは黒瀬さんの納期だけ見たらいい?」


「はい。ただし、途中で図面を変える時は黒瀬へ必ず1本にしてください。協力先へ直接変更が行く形はやめたいです」


「分かりました」


「あと、最初に出す会社はこの3社です」


 先方の了承も取った。


 誰に図面を渡しているか分からない状態にはしない。


 担当者がしばらく数字を見たあと、書類を机へ置いた。


「これでお願いします」


 一瞬、言葉が出なかった。


 2000000円弱。


 黒瀬精機にとって小さくない受注だ。


 けれど、嬉しさより先に浮かんだのは、明日の予定だった。


 まず佐野さんへ正式図面を確認してもらう。


 森川さんと黒瀬分の加工開始日を合わせる。


 協力先には正式発注を出す。


 オカンには支払い予定を渡す。


 俺は客との窓口を持つ。


 全部、自分でやる必要はない。


「ありがとうございます」


 俺は頭を下げた。


「1つお願いがあります」


「何でしょう」


「黒瀬さん、途中で人変えないでくださいね。今回、話が分かってる人に1本化したくてお願いしてるんで」


 予想していた言葉だった。


「窓口は俺がやります。ただ、俺1人しか分からない仕事にはしません」


「と言うと?」


「俺が外に出てても、図面がどれかは社内で分かる。工場の進み具合も森川が分かる。書類は佐野が追えるようにします」


 担当者が少し笑った。


「そっちの方が安心かもしれませんね」


「俺が風邪引いただけで止まる窓口は、窓口にならないんで」


 自分で言ってから、妙に納得した。


 前の人生では、俺しか分からない仕事をいくつも作った。


 オトンもそうだった。


 頼られていると思っていた。


 実際には、その人間がいなくなれば止まる会社だった。


 今回は違う。


 黒瀬精機が窓口になる。


 黒瀬直人1人が窓口になるのではない。


 工場へ戻ると、もう夕方だった。


「決まった?」


 オトンが聞く。


「決まった」


「全部?」


「全部」


「二百万近いやつ?」


「うん」


 オカンが帳簿から顔を上げる。


「入金まで気抜いたらあかんで」


「はい」


 森川さんは予定表へ向かい、黒瀬で作る分だけを入れていく。


 外へ出す仕事まで黒瀬の機械予定へ書き込まない。


 佐野さんは正式に使う図面を分け始めた。


 俺は協力先への発注内容を確認する。


 工場の床は、昨日と同じ広さだった。


 機械も増えていない。


 それなのに、黒瀬精機が受け持つ仕事の範囲だけは、工場の壁を越えた。


 自分たちですべてを削らなくてもいい。


 ただし、受けた以上は知らないとは言えない。


 どこで作っているのか。


 いつ戻るのか。


 どこまで確認したのか。


 誰が次を見るのか。


 それを黒瀬精機の中で分かるようにしておく。


 俺は予定表の横に立った。


 そこへ外注先の細かな加工予定を書き足すことはしなかった。


 他所の工場の1日まで、黒瀬が支配する必要はない。


 俺たちが持つのは、約束した受け渡しの日と条件だけだ。


 黒瀬精機の外に、新しい工場を作ったわけではない。


 ただ、仕事を見るための机を1つ、工場の壁の外へ置いた。


 そこに座るのも、俺1人ではなかった。



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