第152話 黒瀬のいない停止

 山根製作所へ正式な製作図面を渡す前に、北河から必要書類が届いた。


 不足していた測定器の納品書と、基準片を測った確認記録。確認担当者として山根和夫と、息子の山根達也を登録した名簿。そして、北河から山根製作所へ直接発行された試作20組の注文書である。


 注文書の写しには、初回確認の予定日も添えられていた。


 佐野真紀は、山根製作所へ渡していた「見積検討用・製作不可」の図面が返却されたことを確かめた。そのうえで、現行の製作図面へ発送番号を付け、受領者名を書く欄を設けた封筒へ収める。


「これで山根さんは作り始めていいんですね」


 谷口佳代が尋ねた。


「試作20組だけです。継続して月25組を作るのは、この試作が通ってからになります」


 佐野は、試作注文書の写しと図面番号を確認票へ記入した。


 谷口の1か月の試用期間は、前の週で終わっていた。


 隆夫は勤務日を月曜、水曜、金曜のまま変えず、午前9時から午後2時までの継続勤務を頼んだ。


「電話を取って、分からんことを勝手に決めず、聞いたことを残してくれる。それだけで佐野さんの手がだいぶ空いとる」


「決められないことの方が多いですけど」


「決められんことを決めたふりせんのが、谷口さんの仕事や」


 隆夫が答えると、谷口は少し笑ってから継続を引き受けた。


 正式図面を発送した翌週、山根製作所で試作が始まった。


 黒瀬精機から毎日見に行くことはしない。


 加工日、担当者、測定値、外注処理へ渡した数量を、山根製作所自身が記録する。黒瀬が確認するのは、黒色処理を終えた20組が揃ってからだった。


 月曜日、山根製作所は最初の4組を加工した。


 火曜日には追加の8組を仕上げ、合計12組をその日の夕方に黒色処理へ出した。処理先へ渡した専用かごには作業票番号を付け、各品には同じ番号を書いた金属札を細い針金で留めてある。


 残る8組は、水曜日から加工する予定だった。


 水曜日の午前10時過ぎ、黒瀬精機の電話が鳴った。


 受話器を取った谷口は、相手の名前を聞いた後、赤い未判断票を手元へ寄せた。


「山根製作所の山根達也さんですね。処理から戻った品について……はい、全部で12組」


 谷口は聞いた内容を書きながら、1つずつ確かめた。


「専用かごには12組すべて入っている。外れた金属札6枚も、かごの底に残っていた。別の品物が入った形跡はない。ただ、外れた6枚が、どの品物に付いていたのか分からない、ということで合っていますか」


 電話の向こうで達也が答えた。


「出荷はしていない。残り8組も、材料を機械の横へ出したところで止めている……分かりました。こちらでは判断せず、折り返します」


 谷口は受話器を置き、未判断票を佐野へ渡した。


「品物が足りないわけではないそうです。ただ、処理前の測定記録と、戻ってきた6組を結び付けられなくなったので止めたと」


 佐野は記録を読み、直人と森川を呼んだ。


 処理先では、黒色処理を行う前に品物を別の金網へ移していた。その際、細い針金で留めていた金属札の一部が外れたらしい。


 専用かごと納品書、返却数が一致しているため、12組すべてが山根製作所の試作品であることまでは確認できる。


 しかし、処理前の測定記録には、試作番号ごとの数値が残っている。札が外れた6組については、どの数値がどの品物のものだったのか分からない。


「寸法を測り直して、近い数字の品を当てられませんか」


 宮田悟が作業台から尋ねた。


「近い数字を探して、たぶんこれやろうと並べ直すことはできる」


 直人は未判断票を見た。


「でも、それは記録をつなぎ直したんやなく、予想しただけになる。今回確認したいのは、処理前と処理後で同じ品がどう変わったかやから、個体番号が切れた6組は初回試作には数えられへん」


「品物そのものが悪いとは限らないんですよね」


「うん。使えないと決まったわけやない。ただ、量産へ進むための20組には入れられん」


 隆夫は北河の片岡へ連絡し、山根製作所を交えた3者で電話をつないだ。北河の購買担当者も途中から加わる。


「専用かごの中に12組あり、金属札も6枚残っているなら、寸法を測り直して使えませんか」


 購買担当者が尋ねた。


「立ち上げまでの余裕を考えると、6組を作り直すのは避けたいのですが」


「量産へ移った後なら、その時点で決めた受入条件に沿って判断します」


 直人は答えた。


「今回は初回試作です。処理前後の変化を1組ずつ確認するために番号を付けていますから、そのつながりが切れた6組は確認対象にできません」


「廃棄になりますか」


「すぐに捨てる必要はありません。寸法確認や取付試験の練習には使えます。ただし、北河さんへ納める試作20組へ混ぜないでください」


 電話の向こうで、山根和夫が息を吐いた。


「分かりました。札が外れた6組は保留にして、別に作り直します」


 片岡が確認するように言った。


「北河への納品責任は山根さんにあります。作り直しの費用を処理先とどう分けるかは、山根さん側で決めてください。ただし、日程を戻すために黒瀬さんへ6組を肩代わりしてもらうことはしません」


「それでお願いします」


 和夫は答えた。


 黒瀬精機が6組を作れば、試作の日程だけは早く戻せる。しかし、それでは山根製作所と処理先の間で起きた問題が残ったままになる。


「残り8組の加工は、続けてええでしょうか」


 達也が尋ねた。


「金属札だけのままでは、同じことが起きます」


 森川が答える。


「札が外れても品物の番号が残る方法を決めてからにしてください。ただ、取付面や相手へ触れる場所へ勝手に刻印を入れたらあかんので、位置は黒瀬と北河で確認します」


 達也は、事務所にある電動ペンを使えないかと提案した。


 取付後には見えなくなる外周端へ、浅く試作番号を記す。金属札と同じ番号を品物にも残せば、処理先で札が外れても追跡できる。


「電動ペンで書いて、端が盛り上がったり変形したりしませんか」


 直人が尋ねる。


「余り材で試します。書く前と後で厚みを測って、写真も送ります」


「それなら、試した余り材と測定記録を先に送ってください。電話だけで決めず、試作指示書も改訂します」


 その日の午後、山根製作所から余り材の写真と測定結果が届いた。


 識別番号は取付面や接触部から離れており、電動ペンの跡も表面を判別できる程度に浅い。黒色処理後も番号が読めるか確認するため、試した余り材も次の処理品と一緒に流すことになった。


 北河が変更を承認すると、佐野は試作指示書へ「品物への識別番号」を追加した。


 山根製作所から旧版を返送させた後、新しい発送番号を付けた指示書を送る。外れた札に書かれていた6つの番号は再使用せず、作り直し分には末尾へ「R」を付けることも決めた。


 山根製作所は、残り8組と作り直しの6組を、その日の予定へ無理に押し込まなかった。


 既存の仕事を先に終え、改訂した指示書が届いた翌日から加工を再開する。初回確認日は、当初より4営業日後ろへずらされた。


 北河の購買担当者から、日程を戻すよう求める連絡はなかった。


 翌週、直人と森川は山根製作所へ出向いた。


 処理を終えた確認対象20組は、作業台の上に番号順で並べられていた。


 最初の12組のうち、金属札との対応が残った6組。後から加工した8組。そして、末尾に「R」を付けて作り直した6組である。


 それぞれの前には、処理前後の測定記録が置かれていた。


 番号との対応が切れた6組は、別の棚に置かれている。専用箱には「初回確認対象外・量産品へ混入禁止」と記され、試験や教育に使う場合も北河の許可を取ることになっていた。


「最初から順番にやります」


 達也が確認台の前へ立った。


 和夫は横にいたが、自分で品物を取ろうとはしない。確認担当者を2人に増やす条件に従い、まず達也が作業し、判定が分かれた時だけ和夫が確認する。


 達也は最初の品を取り、図面番号と個体番号、測定記録を照らし合わせた。


 黒瀬が持ち込んだ確認台へ置き、対象となる組み合わせを工具なしで差し込む。無理なく所定の位置まで入り、戻す時にも引っ掛かりはない。


 確認は順調に進んだが、17番で達也の手が止まった。


「これは、少し重いです」


 測定記録の数値は範囲内だった。


 和夫が横から手を出しかけたものの、達也は品物を確認台から戻した。


「押したら入るかもしれません。でも、押して確かめる品やないんですよね」


「その止め方で合ってます」


 森川が答えた。


 拡大鏡で見ると、穴の入口に黒色処理の小さな盛り上がりがあった。削れば使える可能性はあるが、初回試作の場で勝手な手直しはしない。


 達也は17番を保留位置へ移し、時刻と状態を記録した。


「処理先へ返して原因を見てもらいます。代わりを1組作ります」


 直人は、その判断を変えなかった。


 その日に通ったのは19組だった。


 数日後、作り直した17番の代替品が、処理前後の測定記録とともに黒瀬精機へ送られてきた。森川は黒瀬の現場確認台で状態を確かめ、直人が記録との対応を確認する。


 今度は工具を使わずに所定位置まで入り、戻す時の引っ掛かりもなかった。


 佐野は山根製作所の初回確認記録へ、代替品の結果を追記した。追加の現地訪問は行わず、この1組の確認も初回試作20組の範囲に含めた。


 北河の片岡は、揃った確認記録へ署名した。


「山根製作所は、月25組までの継続生産へ移します。最初の3か月は、月ごとの記録を北河へ提出してください」


「黒瀬さんにも送りますか」


 達也が尋ねた。


「通常の記録は北河だけで構いません」


 片岡が答えた。


「黒瀬さんの判断が必要な案件が出た時は、北河から別に確認を依頼します。継続生産の確認まで、最初の契約へ含めることはしません」


 達也は頷いた。


「確認中に迷った時は、どうすればええですか」


「品物を止めて、番号と状態を記録し、北河へ連絡してください」


 直人が答えた。


「黒瀬の確認が必要なら、北河から正式に依頼を受けます。電話で大丈夫と言われたから流した、という形にはしないでください」


「分かりました。まず止めて、残すんですね」


「それでお願いします」


 翌週、北河から山根製作所へ月25組の量産注文書が出た。


 黒瀬精機にも、追加15組の注文書が届く。これで最初の新工場へ必要な40組が揃った。


 黒瀬精機の予定表に加わったのは15組だけで、山根製作所の25組は別会社の欄へ記された。加工も支払いも品質記録も、2社の間では混ぜない。


 佐野が山根製作所の確認票を綴じた日の午後、谷口は翌月の勤務表へ自分の名前を書いた。


 山根製作所の記録には、札の外れた6組を止めた時刻と、17番を確認台から戻した時刻が、そのまま残されていた。


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