第151話 一社だけ通す
北河から正式な注文書を受けて5営業日後、佐野真紀は候補会社の選定条件をファクスで送った。
必要な加工機、測定器、処理先、処理後の品番管理、図面番号の扱い、改訂時の旧版回収。さらに、通常勤務の範囲で継続できる月産数を記入する欄も設けてある。
作れる最大数ではない。
今ある仕事を崩さず、休日出勤や残業を最初から当て込まずに続けられる数を書かせるためだった。
その4日後、北河が選んだ候補会社2社の資料が届いた。
1社目は青葉工業。黒瀬精機より従業員が多く、加工機も新しい。北河とは別部品ですでに取引があり、購買担当者が有力候補として挙げている。
もう1社の山根製作所は、家族を含めて8人ほどの小さな工場だった。設備一覧には年式の古い機械が並び、北河との取引実績も青葉ほど長くない。
資料だけを見れば、青葉工業の方が上に見えた。
隆夫は2社の設備一覧を並べ、青葉の紙を先に取った。
「加工機は、うちより多いな」
「測定器も一通りあります」
佐野が答える。
青葉工業の継続月産数は40組。山根製作所は25組と記されていた。
森川修一は山根の欄を指で押さえた。
「こっちは少なく書いてますね」
「少なくしか作れんのか、無理せん数を書いとるのか。そこは行って見んと分からんな」
直人は青葉の40組にも印を付けた。
「数字が大きい方も同じです。加工だけで40組なのか、処理後の確認まで含めて40組なのかで意味が変わります」
候補会社へ渡す図面には、佐野が赤い文字で「見積検討用・製作不可」と入れた。
工程や設備を判断するための控えであり、正式な製作図面ではない。北河が試作を許可するまでは、この紙を使って品物を作ることはできない。
「候補に選ばれたら、1個くらい試しに作るんやと思ってました」
谷口佳代が、赤字の入った図面を見て言った。
「その1個が、試作品の記録もないまま現場へ入るのが一番困るんです」
佐野は2社分の控えに発送番号を付けた。
「見積もりのために見る紙と、作っていい紙を分けます」
最初の訪問は、翌週火曜日の青葉工業だった。
直人と森川に、北河の片岡が同行する。隆夫は黒瀬精機へ残り、倉田やクロフィックスからの連絡を受けることになった。
青葉工業の工場は、黒瀬より奥行きがあり、加工機も整然と並んでいた。床には材料運搬用の通路線が引かれ、機械ごとに作業台が置かれている。
案内した製造課長の東は、見積検討用図面を手にして言った。
「この程度の加工なら問題ありません。似た形の品もありますし、月40組なら平日の稼働内で入れられます」
「加工だけで40組ですか」
森川が尋ねる。
「加工と外注処理へ出すところまでです。処理後の確認は、今の作業台では月20組ほどになります」
「残り20組は?」
「確認作業を土曜日へ回せば対応できます」
森川はすぐに否定せず、近くにいた班長へ同じ質問をした。
班長は工程表を見ながら、加工機そのものには40組分の余裕があると答えた。ただし、処理後の品を広げて組み合わせを見る場所が1か所しかなく、現在の仕事と重なるため、平日内では確認が20組ほどで詰まるという。
「加工能力は40組ある。確認工程の場所と人が足りてないんですね」
直人が整理すると、班長は頷いた。
「専用の確認台を1台置いて、担当を決めてもらえれば、平日内でも40組まで流せると思います。ただ、今のままなら無理です」
「思います、では北河さんへ出す数字にできません」
森川は工程表を指した。
「確認台を置く場所と、担当者が休んだ時の代わりまで決めて、実際に別の品で1週間流してください。その記録を見てからやないと、月40組とは言えません」
東の表情が少し硬くなったが、片岡は口を挟まなかった。
一行は、青葉工業がすでに加工している北河向け別部品の機械へ案内された。
作業者の手元には、油の跡が付いた図面が置かれている。右上に図面番号はあるものの、配布日や回収印はなかった。
「これは現在の版ですか」
直人が尋ねる。
「そうだと思います。変更があれば、事務所から新しいのが来ますから」
「古い紙は、誰が回収します?」
「新しいのと入れ替えます」
「機械の横以外にも控えはありますか」
作業者は引き出しを開けた。中には、穴位置や面取りの指示を書き込んだ図面が3枚重なっている。
東が事務所へ確認に走り、戻ってきた時、そのうち1枚は現在より1回前の版だと分かった。穴径に変更はなかったが、端部の仕上げ指示が違っている。
「普段の品は、変更がほとんどないんです」
東は古い図面を持って説明した。
「新しい紙が来れば差し替えますが、作業者が自分で書き込んだ控えまでは把握していませんでした」
「青葉さんの今の仕事なら、それで回ってきたのかもしれません」
直人は責めるようには言わなかった。
「ただ、今回の品は、現場で起きたことを図面や説明紙へ戻します。改訂した時に古い版が残れば、形が似ているだけに間違えて作れます」
片岡も引き出しの中を見た。
「北河から図面を変えた時は、古い紙が何枚残っているかまで確認してもらう必要があります」
次に、黒色処理へ出す品物の流れを見せてもらった。
青葉工業では、加工を終えた複数の品物を金網のかごへ入れ、外注先へ渡している。かごの蓋には納品札が付いていたが、中に入った品物そのものには番号がなかった。
「処理先で別のかごへ移された場合、どの加工日の品か追えますか」
森川が尋ねる。
「形を見れば分かります」
班長が答えた。
「1種類だけなら分かるかもしれません。でも、試作品と修正版が同じ時期に動いたら、どの図面で作ったものか分からなくなります」
東は金網のかごを見つめた。
「専用かごを作り、品物にも金属札を付けます。図面は事務所で番号管理して、複写も勝手にできないようにします」
「その運用が決まっただけでは通せません」
直人が答えた。
「旧図面の回収、専用確認台、確認担当者、処理後の品番追跡。この4つを2週間動かして、記録を残してください。再確認で通れば、試作へ進めます」
「再確認にも費用がかかりますか」
東が尋ねた。
片岡より先に、直人が答えた。
「最初の現場確認とは別の仕事になります。追加見積もりは北河さんへ出します」
東は少し黙ったが、やがて頷いた。
「分かりました。2週間で整えます」
その日の判定は、試作不可ではなく、改善後に再確認となった。
2日後の木曜日、直人と森川は山根製作所を訪れた。
青葉工業と比べると、工場は狭い。加工機の塗装もところどころ剥げ、材料棚には手書きの札が下がっていた。
社長の山根和夫は、見積検討用図面を透明な袋へ入れたまま持ってきた。
「製作不可と書いてあるんで、作業場には出してません。工程を考える時だけ、事務所で見ました」
案内された作業台には、青い樹脂箱が並んでいる。箱ごとに作業票が洗濯ばさみで留められ、図面番号、材料、加工日、次に回す工程が鉛筆で書かれていた。
「図面が変わった時は、どうします?」
直人が尋ねる。
「新しい図面を渡す前に、前の紙を返してもらいます」
「書き込み用の控えは?」
「勝手には作らせません。必要なら事務所で複写して、管理番号を押します」
山根は、近くにいた息子を呼んだ。
「前に古い図面を残して、穴位置を間違えたことがあるんです」
息子は苦笑した。
「それからは、新しいのをもらう時に前の紙を返すようにしています。返さないと、次の図面をもらえません」
処理へ出す品には、細い針金で小さな金属札が付いていた。箱から出されても品番と作業票番号が残り、処理先の納品書にも同じ番号を書かせている。
ただし、すべてが揃っているわけではなかった。
北河品の処理後確認に必要な測定器が1種類足りない。最終確認も山根自身に集中しており、社長が外出すると出荷判断が止まる。
「月40組はできますか」
森川が尋ねる。
「無理です」
山根は即答した。
「今の客を遅らせず、残業を当たり前にせん数なら25組です。30組を1か月だけなら何とかしますけど、続けたら誰かが崩れます」
「北河としては、2社で残り65組を分ける予定でした」
片岡が説明する。
「うちは、その半分も持てません」
山根は数字を大きく言おうとしなかった。
「受けた後で無理でしたと言うより、先に言うときます」
直人は工場内をもう一度見た。
機械は古く、月産数も小さい。それでも、図面が変わった時に古い紙を止められ、処理先へ出した後も品物の番号が残る。
「最初の試作は、20組までならお願いできます」
直人が言った。
「不足している測定器は、北河の品を始める前に用意してください。最終確認を山根さん1人へ集めるのも避けたいので、もう1人、記録と判定方法を覚える方を決めてもらいます」
「息子にやらせます。加工はもう任せていますが、出荷前は俺が見直してました」
「最初の20組は黒瀬も一緒に確認します。判定が揃えば、次から山根さんの社内確認へ移します」
山根は片岡を見た。
「それで月25組までです。それ以上を頼まれても、今の客をどけてまでは受けませんよ」
「分かりました」
片岡は、青葉工業の40組より、山根製作所の25組を重く受け止めているようだった。
翌日の金曜日、北河の片岡と購買担当者が黒瀬精機を訪れた。
机の上には、2社の現場確認結果が並んでいる。
青葉工業は、加工能力そのものには問題なし。ただし、専用確認台、確認担当者、旧版回収、処理後の品番管理を2週間運用し、再確認を受けるまで試作開始不可。
山根製作所は、不足する測定器の追加と確認者教育を条件に、20組の試作へ進める。継続生産は月25組を上限とする。
隆夫は青葉工業の再確認見積もりを机へ置いた。
「半日の再訪と確認記録で4万8千円です。これは最初の48万円には入っていません」
購買担当者は内容を確認し、北河側で発注手続きを進めると答えた。
その後、2社の数字を足し直した。
「山根さんが25組、黒瀬さんの追加が15組。これで新工場1か所分の40組は確保できます」
「はい」
直人が答えた。
「青葉さんが再確認を通り、平日内で40組流せることが記録で確認できれば、2つ目の工場へ進めます。ただ、試作で修正が出れば、当初の開始月には間に合いません」
「社内では、2工場を同時に始める予定で動いています」
「その予定を守るために、確認できていない会社へ作らせることはできません」
森川が2社の確認票を指した。
「山根さんへ40組持たせるのも同じです。本人が25組までと言うてるのに、残り15組を押し込んだら、最初から休日と残業で埋めることになります」
片岡は持参した導入日程表を見た。
2つの新工場には、同じ開始月が書かれている。
「黒瀬さんが最初に言っていた通りですね。候補会社が整わなければ、導入工場を分ける」
購買担当者が片岡を見る。
「先に1工場だけ始めるんですか」
「そうしましょう」
片岡は一方の開始月へ斜線を引いた。
「現在の工場50組に、黒瀬さんの追加15組と山根さんの25組を足して90組。最初の新工場40組までは予定通り始めます。2つ目は、青葉工業の再確認と試作結果を見て開始日を決めます」
「工場側への説明が必要になります」
「品質管理へ戻せない品を入れてから説明するよりいいです」
片岡は迷わなかった。
山根製作所には、測定器を用意した後、20組の試作注文を出す。青葉工業には、改善運用を2週間行わせ、追加注文書が出てから再確認日を確定する。
どちらにも、条件が揃うまで正式な製作図面は渡さない。
翌週月曜日の朝、北河から改訂された導入日程がファクスで届いた。
1つ目の新工場は、当初の予定通り。
2つ目の新工場は、開始月の欄が空白になっている。
佐野は2社の現場確認票を、それぞれ別のファイルへ綴じた。山根製作所の表紙には「試作20組へ」、青葉工業の表紙には「改善再確認前は製作不可」と記す。
森川が北河向けの予定表へ書き込んだのは、確実に流せる90組だけだった。
1工場分の40組は消えたのではない。
開始月から外され、青葉工業が条件を満たすまで空欄のまま残された。
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