第220話 中国から来ない
「中国から、次の便が出せないと言われました」
2020年2月4日。
午前9時半を過ぎた頃、佐野から回ってきた電話の相手は、門真の取引先だった。
直人は机の端にあったメモ用紙を引き寄せた。
「どの部品です?」
『搬送装置に使っている位置決めカラーです。月にだいたい300個使っています』
「今ある在庫は?」
『150個ほどです。1日15個前後使うので、10営業日ぐらいですね』
数字がはっきりしているのは助かった。
今日すぐに止まるわけではない。ただ、150個を使い切るまでに次の荷が入らなければ、その部品を組み込む工程が止まる。
『春節明けに生産再開する予定だったんですが、現地から少なくとも10日までは通常操業に戻れないと連絡が来ました。そのあと生産できても、いつ船積みできるかまでは分からないそうです』
「普段、1回に何個入れてるんです?」
『1,500個です。5か月分をまとめて』
「なるほど」
1,500個を国内へ戻す話ではない。
前の人生でも、今の人生でも、直人は量産品が海外へ出ていくのを何度も見ている。人件費も数量も設備も違う以上、黒瀬が突然、中国の量産工場と同じ条件で作れるようになるわけではなかった。
今必要なのは、輸入品が戻るまでの隙間を埋めることだった。
「正式な現行図面、残ってます?」
『あります。中国へ出しているものと同じ版を設計から出せます』
「材質、処理、検査条件まで分かるものを送ってください。あと、1,500個を国内で作る前提では見ません」
『というと?』
「10営業日分の在庫があるなら、まず何日延ばせば次の入荷まで届きそうかを決めた方がいいです。月300個なら、1日15個前後でしょう。例えば100個作れば、6日から7営業日分は延ばせます」
電話の向こうで紙をめくる音がした。
『100個ですか』
「加工できるかは図面見てからです。ただ、海外分が止まったからといって月300個全部を急に国内へ振ると、御社も高くつくし、こっちも既存の仕事を崩すことになります」
『分かりました。こちらでも中国側の再開予定をもう1度確認します』
「図面もらえたら、今日中に加工可否と100個の場合の日程を返します」
『お願いします』
電話を切ると、佐野がこちらを見た。
「海外調達の影響ですか」
「そうみたいやな。ただ、今のところ1社や。中国から来る部品、全部止まったみたいには考えん方がええ」
「図面が来たら版を確認します」
「お願い」
直人は受話器を置き、工場の方へ目を向けた。
1月に心配していたことが、感染者の数とは別の方向から仕事へ入り始めていた。
◇
午前10時過ぎ。
PDFの図面が届いた。
佐野が客先からのメールと添付ファイルを確認する。
「設計から《現行正式図》として来ています。改訂は2018年11月です。旧国内図をそのまま送ってきたわけではありません」
「中国へ移してからも改訂されてるんやな」
「はい。材質と検査条件も入っています」
直人は印刷した図面を工場へ持っていった。
「森川、緊急で1件見てほしい」
「納期ですか?」
「海外から来てる量産品が止まりそう。全部こっちへ戻す話やなくて、向こうが動くまで100個だけつなぎたい」
森川は事情を聞いてから図面を広げた。
S45Cの丸物で、外径32ミリ、全長18ミリ。中央に貫通穴があり、片側に短い段が付く。形状そのものは単純だが、外径の1か所は公差が狭く、端面側にも検査指定が入っている。
宮田ではなく、村井が近くから図面を見た。
「NC旋盤ですね」
「そうやな」
森川は加工箇所を指で追う。
「形だけなら問題ありません。100個なら数量としても入ります。ただし、今日から割り込ませるのはやめた方がいいです」
「今の機械、何入ってる?」
「木曜まで既存の量産です。そこを途中で抜いたら、段取りを2回増やすことになります」
「なら終わってからでええ」
「金曜に初品。問題なければ、そのまま100個進めます。2工程になるので、全部そろうのは来週後半で見てください」
「13日ぐらい?」
「材料が明日入るなら、13日を目標にできます。既存の納期も動かしません」
2月11日は祝日だ。
無理に休日を使わせるつもりはない。
「残業は?」
「今の予定なら増やさず入ります」
「分かった。材料確認してから客へ返す」
村井が材料置場を見て戻ってきた。
「同じ径のS45C、少しありますけど、100個分全部には足りません。今ある分を使うと別の定番品が減ります」
「取り合いするぐらいなら、新しく取ろう」
直人は佐野へ材料屋への確認を頼んだ。
◇
昼前には返事がそろった。
材料は国内在庫があり、翌5日に入荷できる。
客先からも再度電話が来た。
『中国側ですが、10日に操業を再開できたとしても、従業員が全部戻れるか分からないそうです。それから生産、検査、出荷になるので、次便の日付はまだ出せないと言われました』
「それなら100個で6、7営業日分を足す案はどうです?」
『社内でも計算しました。まず100個お願いします。在庫150個と合わせれば、16営業日前後は持たせられます』
「中国から予定より早く入っても、100個は使い切れます?」
『はい。同じ部品を継続使用していますから、余って廃棄にはなりません』
「なら見積出します」
直人はそこで言葉を切った。
「ただし、これは月300個の継続単価ではないです。100個だけ、国内材料で急ぎ対応する価格になります」
『承知しています』
「次も必要になった場合は、その時点で数量とこっちの予定を見て改めて相談させてください」
『分かりました』
電話を切ったあと、直人は佐野と見積を作った。
材料は100個分だけ。
加工も100個。
検査と梱包。
既存の仕事を潰さず、通常勤務の範囲で入れられる条件にする。
海外品の単価を聞いて、それに無理やり近づけることはしなかった。
「備考、これでどうですか」
佐野が画面を向ける。
《緊急小ロット100個での見積。継続数量・継続単価については別途協議》
「それでええ」
「納期は13日」
「うん」
見積を送って20分ほどで正式注文が返ってきた。
◇
2月7日。
金曜日。
前の量産品を予定通り終えたあと、村井が新しい材料を機械へ載せた。
川村は横で工具と図面番号を確認している。
「前の品物のプログラム、似てますね」
「似てるだけや」
村井が答える。
「材質同じ、径も近い。でも図面番号も寸法も別。流用するなら、どこを残してどこを変えたか自分で確認してから使う」
「分かってます。今回は新しい加工票に条件を書き直します」
「それでええ」
川村が入社した頃なら、古いプログラムをそのまま使わない理由から説明していた。
今はそこを繰り返す必要はない。
村井が見るのは、川村が何を確認して変更したかだった。
午前中に初品が上がる。
川村が外径、全長、穴径を測り、図面へ記された検査項目を順に確認する。村井も加工条件と測定記録を確認したあと、森川へ初品を持っていった。
「客先へ出せる状態ですか」
直人が工場へ出る。
「図面内です」
森川は測定記録を直人へ見せた。
「このまま加工を続けられます。客先から初品を先に見たいとは言われてませんから、100個まで進めます」
「途中確認は?」
「20個ごとに寸法を見ます。工具の状態もそこで確認します」
「任せる」
直人はそれ以上口を挟まなかった。
緊急品だからといって、普段の確認を飛ばす理由にはならない。
逆に、100個しかないから特別な儀式を増やす必要もなかった。
◇
2月10日。
月曜日。
中国では一部の企業が操業を再開し始めたというニュースが出ていた。
だが、直人が電話した客先から返ってきた話は、もっと現場に近かった。
『工場自体は再開したそうです。ただ、人が戻り切っていません』
「稼働率までは分かります?」
『そこまでは聞けていません。少なくとも通常生産ではないそうです。うちの部品も、まだ加工開始日は出てません』
「船積みも未定?」
『はい』
「こちらは予定通り13日で進めています」
『助かります』
「追加100個が必要になりそうなら、12日までには1度連絡ください。今の100個が終わったあと、次の仕事を入れますから」
『分かりました』
電話を切る。
森川へ状況を伝えると、返事は簡単だった。
「今の100個は予定通りやります。次の100個は、注文来てから予定見ます」
「それでええ」
「空けときませんよ」
「空けんでええよ。いつ戻るか分からん海外工場のために、黒瀬の機械まで止めて待つ必要ない」
森川は頷き、工場へ戻った。
直人も、次の注文が来る前提では考えなかった。
中国側が明日正常化するかもしれないし、1週間延びるかもしれない。どちらにしても、今分かっている100個だけを作ればいい。
◇
2月12日。
午後。
100個の加工が終わった。
村井と川村が最後の抜き取り確認を行い、森川が記録を見る。
「100個、そろってます」
佐野が数量と現品票を照合した。
「明日納品で田端さんにお願いしてあります」
「客先の受入時間は?」
「午前でも午後でも大丈夫です。到着前に田端さんから連絡してもらいます」
「分かった」
箱は1つだった。
1,500個単位で海を渡っていた部品に比べれば、小さい。
月300個を国内へ戻したわけでもない。
この先ずっと黒瀬が作る約束もしていない。
ただ、その100個があれば、客先は手元の150個と合わせて16営業日前後をつなげる。
◇
翌13日。
午前11時前。
田端から納品完了の連絡が入った。
『100個、受けてもろたで』
「ありがとう」
『最近こういう荷物増えるんかな。中国から来んから急ぎで、って話』
「増えるかもしれんけど、何でも国内で代わりに作れるわけちゃうからな」
『そらそうやな』
「田端さんとこも、海外便絡みの荷物で何か変わってる?」
『今のところは大きくない。ただ、予定変わる荷物はちょこちょこ出てる』
「無理な当日便だけは受けんようにな」
『それ、俺が直人さんに言う台詞ちゃうか』
「お互い様や」
電話を切った。
昼過ぎ、客先からも受領確認が来た。
100個はそのまま生産へ回す。
中国側は操業を再開したものの、黒瀬の部品に相当する次便の出荷日はまだ確定していなかった。
『追加が必要になったら、明日までに連絡します』
「分かりました。ただ、こちらも次の仕事があります。その時点で入れられる数量を相談しましょう」
『お願いします』
直人は電話を置いた。
未来を知っていても、中国の工場が何日に100パーセントへ戻るかまでは分からない。
船がいつ出るかも分からない。
分からないものを当てる必要はなかった。
黒瀬精機で決められるのは、今ある材料と機械と人で、何個なら無理なくつなげられるか。
工場では、100個を作り終えたNC旋盤から治具が外されていた。
村井と川村は、次に予定されていた別の品物の段取りへ戻っている。
中国から来なかった部品のために空けた場所は、もう次の仕事へ使われ始めていた。
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YouTubeショート動画作ってみました。
https://youtube.com/shorts/PuXoPWXXbH0?si=prvIVaJtMMBjvuGiこれで現代編=算用数字に統一。今後の『町工場リブート』もこの表記で固定する。
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