第210話 川村に任せる

「川村。これ、お前がやってみろ」


 2016年11月。


 朝の工場で、森川が一枚の図面を川村亮太へ渡した。


 直人は少し離れたところで、その言葉を聞いた。


 川村は図面を受け取ると、すぐには返事をしなかった。


 材質。


 数量。


 寸法。


 公差。


 加工箇所。


 一通り目を通してから、森川を見る。


「どこまでですか?」


「材料確認して、段取り考えて、加工して、測って、終わったら俺に持ってこい」


「最初の段取りも?」


「自分で組む。ただし、最初に回す前は村井に見てもらえ」


「分かりました」


「分からんこと聞くのは禁止ちゃうぞ」


「はい」


「でも何でも聞くな。自分で見て分かることまで聞いたら、村井の仕事が止まる」


「分かりました」


 森川はそれだけ言うと、別の機械へ向かった。


 直人は川村の手元を覗く。


「何の仕事?」


「北河電機さんの補修部品です」


 図面には、小さな段付きシャフトが描かれていた。


 S45C。


 数量16本。


 複雑な形ではない。


 外径を数段に削り、端面を仕上げ、片側に短いねじ部がある。


 NC旋盤で加工できる仕事だった。


「やったことある品番?」


「この品番はないです」


「似た形は?」


「あります」


「できそう?」


 川村はまた図面を見る。


「できると思います。ただ、ねじ切りは条件を確認したいです」


「誰に?」


「まず、今ある類似品の加工記録を見ます。それで分からなかったら村井さんに聞きます」


「そらええ」


 直人はそれ以上口を出さなかった。


          ◇


 川村が黒瀬精機へ入ったのは2015年4月だった。


 最初の日、山岸から渡されたS45Cの材料を前にして、切る長さを勝手に決めず確認した。


 午前中は材料、図面、工程、検査の違いを覚え、午後には端材を使って汎用旋盤で端面を削った。


 そこから1年7か月。


 山岸の横で汎用旋盤を触り、村井のNC段取りを見て、自分でも簡単な加工を任されるようになった。


 ただ、これまでは誰かが工程の骨格を作っていた。


 村井が条件を決める。


 森川が加工順を決める。


 川村は、その中で一部を任される。


 今日は違う。


 森川が渡したのは、加工途中の仕事ではなかった。


 図面からだった。


 川村はまず材料棚へ行った。


 図面と材料票を照合する。


「S45C、これ使います」


 近くにいた山岸が見る。


「径は?」


「32です」


「長さ足りる?」


「確認します」


 川村は必要本数と切断長を考えた。


 完成長だけでは切れない。


 端面を仕上げる分が要る。


 チャックでつかむ長さも要る。


 ただ、多く取ればいいわけでもない。


「山岸さん」


「何?」


「この長さで切ろうと思ってるんですけど、一回見てもらえます?」


 数字を見せる。


 山岸は少し考えた。


「いけると思う。でも、なんでこの長さ?」


 川村は端面の仕上げ代とつかみ代を説明した。


「ならええ」


「ありがとうございます」


「俺がええ言うたから、図面変わるわけちゃうぞ」


「分かってます」


「なら切ってええ」


 山岸は自分の仕事へ戻った。


 川村は材料を切る準備に入る。


 直人はその様子を見ながら、森川へ近づいた。


「ほんまに任せるん?」


「任せますよ」


「16本全部?」


「失敗したら困ります?」


「困るに決まってるやろ」


「なら社長が横で全部教えます?」


「それはもっとあかんな」


「でしょう」


 森川は加工予定を確認しながら言った。


「難しい品物を放り投げたわけじゃないです。川村が今できる範囲で、まだ一人では最初から通したことがない仕事を選んでます」


「いつから考えてた?」


「少し前から」


「聞いてへんで」


「工場の人の使い方まで毎回社長に許可取らんでしょう」


「そこは森川の仕事やな」


「はい」


 きっぱり返され、直人は笑った。


「でも最初の加工前は村井が見る?」


「そこはまだ必要です。任せるのと放り出すのは別ですから」


 直人は頷いた。


 それなら何も言うことはなかった。


          ◇


 午前10時を過ぎた頃。


 川村がNC旋盤の前で、加工条件を確認していた。


 類似品のプログラムはあった。


 ただし寸法が違う。


 材質は同じでも、ねじ部の長さも違った。


 川村は古いプログラムをそのまま呼び出さず、コピーを作って必要箇所を変更している。


 そこへ村井が来た。


「できた?」


「一回見てください」


「説明して」


 川村が工程を追う。


「最初に端面。外径を荒でここまで。仕上げでこの2段。最後にねじ切りです」


「工具は?」


「1番、3番、5番。ねじが7番です」


「5番何入ってる?」


 川村の指が止まる。


 工具表を見る。


「……前の仕事の溝入れです」


「そのまま回したら?」


「使えません」


「どうする?」


「必要な工具に替えます」


「そこまで準備してから呼んで」


「すみません」


「謝らんでええ。まだ回してへんから」


 村井は去った。


 川村は工具交換へ入る。


 直人が声を掛けようとすると、森川に止められた。


「言わなくていいです」


「何も言うてへんやん」


「顔が言いたそうでした」


「工具表見落としてたなって」


「村井が気づかせたでしょう」


「そうやけど」


「社長まで教えたら、川村が誰の仕事してるか分からなくなります」


「はい」


 直人は素直に離れた。


 20分ほどして、もう一度村井が来る。


 工具。


 ワークのつかみ。


 プログラム。


 補正値。


 材料。


 図面。


 一つずつ確認した。


「これでいけると思います」


 川村が言う。


「俺もそう思う」


「回します」


「待って」


 村井が一か所を指した。


「ねじ切ったあと、どこ測る?」


「外径と……ねじはリングゲージです」


「ゲージ用意した?」


 川村が周囲を見る。


「まだです」


「段取りって、機械の中だけちゃうで」


「持ってきます」


「それで全部?」


 川村はすぐに返事をしなかった。


 図面を上から見直す。


「長さ測るノギスと、外径のマイクロもあります。ねじ用ゲージだけ足りません」


「なら持ってきて」


「はい」


 数分後。


 ようやく最初の1本が始まった。


 扉が閉まり、主軸が回る。


 工具が材料へ近づく。


 切削音が工場に混じった。


 川村は画面だけを見ていなかった。


 切粉。


 音。


 クーラント。


 加工の進み方。


 時々姿勢を変えながら確認している。


「緊張してるな」


 直人が小声で言う。


「そらしますよ」


 森川が答えた。


「村井でも最初に一人で任せた時は、普段より機械見てました」


「覚えてる?」


「覚えてます」


「宮田は?」


「もっと怖かったです」


「何が?」


「何も言わんから」


 近くにいた宮田が振り返った。


「聞こえてますよ」


「ほんまのことや」


「森川さんも似たようなもんでしょう」


「俺は喋る」


「怒る時だけでしょう」


「仕事せえ」


 いつもの工場の会話に戻る。


 その間にもNC旋盤は加工を続けた。


 1本目が終わる。


 川村はすぐに2本目を入れなかった。


 完成品を外し、切粉を落とし、測定へ移る。


 全長。


 段の位置。


 外径。


 ねじ。


 一つずつ確認する。


 森川は近くにいるが、手を出さない。


「どう?」


 村井が聞いた。


「寸法は入ってます」


「全部?」


「はい」


「なら加工続ける?」


 川村が品物を光へ向けた。


「……ちょっと待ってください」


 指先で外径部をなぞる。


「何?」


「ここ、仕上がりが気になります」


 村井が受け取った。


 外径の一部に、わずかに筋が見える。


 寸法そのものは公差内だった。


「何やと思う?」


「仕上げの刃先かもしれません」


「確認した?」


「加工前は見ました。でも、もう一回見ます」


 川村は機械へ戻った。


 工具を外す。


 刃先をルーペで確認する。


「欠けてはないです」


「じゃあ?」


「条件か、突き出しか……」


「どうする?」


 川村は少し考えた。


「もう1本そのまま削るのは嫌です」


「なら?」


「端材で仕上げ条件だけ確認したいです」


 村井は頷いた。


「やってみ」


 そこから先は、川村が進めた。


 工具の取り付けを確認し、端材で同じ外径付近を削る。


 仕上げ条件を少し調整する。


 測定する。


 表面を見る。


 もう一度。


「こっちの方がいいです」


 村井も確認した。


「それでいけると思う」


「じゃあ条件直します」


「変更した場所、残しといて」


「はい」


 直人は口を挟まなかった。


 寸法が入った1本目を、そのまま良品として流しても客先で問題にならなかったかもしれない。


 しかし川村は止めた。


 誰かに「止めろ」と言われたからではない。


 自分が気になったから止めた。


 その違いは大きかった。


          ◇


 昼を挟み、加工は続いた。


 川村は数本ごとに寸法を確認しながら、補正値の動きも見る。


 16本すべてを常に同じ数字で削れるわけではない。


 工具は使えば変化する。


 材料にもわずかな違いがある。


 だから、最初の1本が良ければ最後まで放っておける仕事ではない。


 午後3時過ぎ。


「16本、終わりました」


 川村が森川へ声を掛けた。


 トレーの上に完成品が並んでいる。


「検査は?」


「やりました。記録もあります」


「数量?」


「16本」


「不良?」


「なしです」


「1本目は?」


 川村が少し迷った。


「寸法は入ってます。ただ、表面がほかより悪いので良品には混ぜてません」


「客へ出す?」


「俺は出したくないです」


「なんで?」


「図面の数値だけなら入ってます。でも、後の15本と比べたら明らかに違います」


 森川が1本目を手に取る。


 村井も見る。


「どう思う?」


 森川が村井へ聞いた。


「使えないほどではないと思います。でも、わざわざこれを入れる理由もないです」


「数量16やぞ」


「材料余ってます」


「川村」


「はい」


「どうする?」


「1本作り直します」


「納期は?」


「今日中にできます」


「ならそうしろ」


「はい」


 川村は17本目の材料を用意した。


 直人はそこで初めて聞いた。


「1本目、捨てるん?」


「捨てるかどうかは後で決めます。社内の確認用には使えるかもしれません」


「16本全部できてるのに?」


「客へ出す16本は揃えたいです」


「採算は?」


 川村が一瞬止まった。


 そこへ森川が入った。


「それは俺が見る話です」


「そう?」


「川村に全部考えさせるなら、見積からやらせないと筋通らんでしょう」


「そらそうやな」


 森川は1本目を見る。


「作り直し1本分の時間と材料は、教育費でええです」


「教育費、高ない?」


「社長が横で全部教えるより安いです」


「また負けた」


「勝ち負けちゃいます」


 川村が困ったように立っている。


 森川がそちらを見る。


「何してる?」


「え?」


「作り直すんやろ」


「あ、はい」


「なら機械空いてるうちにやれ」


「はい」


 川村はNC旋盤へ戻った。


          ◇


 夕方。


 作り直した1本を含む16本が検査台へ並んだ。


 森川が抜き取りではなく、川村の検査記録と現物を照合する。


「寸法、問題なし」


 ねじも確認する。


「これで出せる」


 川村の肩から力が抜けた。


「ありがとうございます」


「俺に礼言う仕事ちゃう」


「でも確認してもらったので」


「確認はする。責任まで全部お前に投げてへんからな」


「はい」


「ただ、加工担当は川村で出す」


 森川が現品票へ記入した。


 《加工 川村》


 その横に検査確認者として森川の名前が入る。


 川村は紙を見た。


「俺の名前ですか?」


「お前が作ったんやろ」


「そうですけど」


「嫌なら村井って書く?」


「それは嫌です」


「なら持っていけ」


 佐野へ完成連絡を渡しに行く川村を見送り、直人は森川へ言った。


「いつから名前入れるつもりやった?」


「最後までできたら」


「途中で村井に助けてもらってるで」


「俺らも助けてもらいますよ」


「まあな」


「一人で仕事するって、誰にも聞かんことちゃうでしょう。必要なところで聞いて、最後まで自分で持つことです」


「森川、ええこと言うやん」


「そういうの要りません」


「褒めたのに」


「気持ち悪いんで」


「ほんま最近扱い雑やな」


 森川は笑いながら工場へ戻った。


 直人は現品票をもう一度見る。


 川村亮太。


 入社した日には、山岸の横で材料票を確認していた名前だった。


 半年後には、村井が最初の条件を確認したあと、簡単な加工を続けられるようになった。


 それが今日は、図面を受け取るところから始めた。


 全部一人でやったわけではない。


 材料の長さは山岸に確認した。


 段取りは村井に見てもらった。


 最終検査は森川が確認した。


 それでも、仕事の中心にいたのは川村だった。


 直人はそこで考えるのをやめた。


 本人が戻ってきたからだ。


「直人さん」


「どうした?」


「森川さんから、次これ見とけって」


 新しい図面を持っている。


「また任された?」


「まだです。先に読んどけってだけです」


「どんな品物?」


 川村が図面を開く。


 さっきのシャフトより形が少し複雑だった。


「これは……まだ一人では怖いです」


「ほな断る?」


「いや、村井さんに加工順聞いてから考えます」


「ええやん」


「何がです?」


「いや、別に」


「変ですね」


「ほっとけ」


 川村は首を傾げながら村井のところへ向かった。


          ◇


 翌朝。


 田端商会のトラックが来た。


 北河電機向けの箱が積み込まれる。


 16本のシャフトが入った箱には、いつもの現品票が貼られていた。


 品番。


 数量。


 納期。


 検査済みの印。


 そして加工担当の欄には、


 《川村》


 と書かれている。


「これ持っていきますね」


 田端が箱を抱えた。


「お願いします」


 川村が答える。


 田端は何気なく現品票を見る。


「川村君がやったん?」


「はい」


「もうそんなとこまで来たんや」


「まだ確認してもらってますけど」


「そら誰でも確認はしてもらうやろ」


 田端はそれ以上何も言わず、箱を荷台へ積んだ。


 トラックが出ていく。


 川村はシャッターの前で少しだけその後ろ姿を見てから、工場へ戻った。


「川村」


 村井が呼ぶ。


「はい」


「昨日の条件、保存場所そこちゃうぞ」


「え?」


「類似品の方へ入ってる」


「あっ」


「客の箱見送って感動してる暇ないで」


「すぐ直します!」


 直人は笑った。


 まだ完璧ではない。


 その方が普通だった。


 工場の中では、今日も山岸が汎用旋盤を回し、宮田が難しい加工を進め、村井がNCを見ている。


 森川は全体の加工順を動かしている。


 そこへ、一人分の仕事が新しく増えた。


 機械を買ったわけではない。


 工場を広げたわけでもない。


 それでも黒瀬精機が昨日よりできる仕事は、確実に一つ増えていた。




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YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/PuXoPWXXbH0?si=prvIVaJtMMBjvuGi

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