ゴーレムプランナーの憂鬱

愉快な災厄

第1話

二十年前まで、戦争の主役は人間だった。


槍を持つ歩兵。


馬に乗る騎兵。


魔導士による後方支援。


城壁を崩す攻城兵器。


国家の強さとは、どれだけ多くの兵を集め、どれだけ長く戦線へ送り続けられるかで決まっていた。


だが、技術革新がすべてを変えた。


魔導炉の小型化。


駆動系の安定化。


そして、人型自律兵器――ゴーレムの実戦投入。


それまで工事用、儀礼用、あるいは一部の貴族が所有する高価な魔導人形にすぎなかったゴーレムは、軍事兵器として急速に進化した。


一機のゴーレムは、百人の歩兵を押し返した。


城門を砕き、塹壕を踏み越え、魔導士の防壁を腕力で破った。


戦場の常識は塗り替えられた。


兵士の数ではなく、機体の性能。


槍の長さではなく、駆動方式。


兵站の多寡ではなく、稼働率と整備性。


歩兵同士がぶつかる時代は終わり、ゴーレム同士が戦線を押し潰す時代が始まった。


その中心にいるのが、二つの大国だった。


西のアルディア帝国。


東のヴァルグラント連邦。


国土、人口、資源、経済力。


どちらもほぼ互角。


だが、ゴーレムの技術思想だけはまるで違っていた。


アルディア帝国の主力は、魔導回路式ゴーレム。


魔導炉から生じた力を、機体内部の回路へ流す。


魔導回路式は、それらを細かく制御することで、人間の反応を機体へ遅れなく伝えようとする方式だった。


軽い。


速い。


反応がいい。


その代わり、構造は複雑で、整備には熟練した技官を必要とした。


アルディアのゴーレムは、魔導回路で動く。


一方、ヴァルグラント連邦の主力は、脈管駆動式ゴーレム。


鋼鉄の骨格に人工筋繊維を巻き、生体管を束ねた脈管へ循環液を通す。


圧力で関節を押し動かし、巨大な腕や脚を動かす。


重い。


硬い。


怪力。


その代わり、内部構造は機械というより生物に近かった。


損傷すれば、血のような赤黒い循環液を流す。


整備は修理というより、治療や培養に近い。


ヴァルグラントのゴーレムは、筋肉と血管で動く。


同じゴーレムと呼ばれていても、二つは別の生き物だった。


両国は互いを憎みながら、同時に互いを進化させていた。


一方が優れた機体を作れば、もう一方も対抗機を生み出す。


一方が新型炉を実用化すれば、もう一方は装甲材を改良する。


戦争は止まらない。


そして今、その均衡が崩れようとしていた。


ヴァルグラント連邦が、新型重装格闘型ゴーレム《ベヒモス級》を実戦投入したのだ。


高さ九メートル。


分厚い装甲。


城壁を殴り砕く怪力。


腕部と脚部を走る巨大な脈管束。


胸部には、機体全体へ圧力を送り込む中枢が埋め込まれている。


前線から届く報告は、どれも芳しくなかった。


帝国の既存機では止められない。


正面から受ければ潰される。


横へ回り込もうとしても、巨腕の一振りで吹き飛ばされる。


魔導回路式の軽快さをもってしても、ベヒモス級の圧倒的な耐久と怪力を崩せなかった。


その報告を、アルディア帝国軍技術局の地下試験室で読んでいた男がいる。


エリク・ヴァン・ハルト。


若くして帝国軍技術局、第七開発部の主任士官となった男。


そして今、帝国の次世代ゴーレム開発を背負わされている男だった。


分解台の上には、鹵獲されたベヒモス級の腕部が固定されている。


正式な鹵獲機ではない。


前線で撃破された機体から、辛うじて切り離して持ち帰った一部にすぎない。


それでも、価値はあった。


分厚い外装。


異様に太い関節部。


装甲の内側を這う脈管束。

圧力室。

脈動弁。

そして、黒く粘る赤黒い循環液。


だが、帝国機なら真っ先に目につくはずのものがない。


魔導回路だ。


帝国機にとっての魔導回路にあたるものが、連邦機にはない。


若い技官が、分解台の前で顔をしかめた。


「……これを、本当にゴーレムと呼ぶのですか」


エリクはすぐには答えなかった。


知っていた。


ヴァルグラント連邦の重装機が、脈管駆動式であることは。


人工筋繊維と生体管を束ね、循環液を圧送して関節を動かすことも。


報告書で読んだ。


断面図も見た。


解析資料にも目を通している。


だが、知識として知っていることと、実物を目の前にすることは違った。


切断面から、粘つく液体が落ちる。


束ねられた人工筋繊維が、わずかに痙攣している。


脈動弁は金属部品というより、臓器に近かった。


整備ではない。


解剖だ。


エリクは喉の奥にこみ上げる嫌悪を押し殺した。


本来、兵器というものは、戦場でぶつかり続ければ少しずつ似てくる。


剣もそうだった。


片方の国が長剣を使い、もう片方が反りのある刀を使っていたとしても、鎧を斬る必要があれば刃は厚くなり、騎兵を相手にする必要があれば長さや重心は変わる。


槍も、弓も、攻城兵器も同じだ。


敵から学ぶ。


敵に対抗する。


真似られるものは真似る。


真似られないものは、自国の技術で置き換える。


そうやって兵器は、完全に同じにはならなくても、同じ問題に対する似た答えへ近づいていく。


だが、ゴーレムだけは違った。


二十年近く戦い続けているにもかかわらず、アルディアとヴァルグラントの機体は混ざらない。


近づきもしない。


むしろ、戦争が進むほど、互いに別方向へ伸びている。


魔導回路式。


脈管駆動式。


同じゴーレムと呼ぶには、あまりに違いすぎた。


「主任」


技官が恐る恐る口を開いた。


「この構造を、こちらの機体へ応用することはできませんか」


「無理だ」


エリクは即答した。


「構造自体は理解できます。脈管束が圧力を伝え、人工筋繊維が収縮する。関節部の出力は、確かに帝国機を上回っています」


「分かることと、作れることは違う」


エリクは太い脈管を指で示した。


「この管ひとつ取っても、帝国の工房では作れない。循環液の成分も不明。人工筋繊維の培養設備もない。脈動弁を維持する保存技術もない。整備兵ではなく、外科医と培養技師が必要になる」


技官は黙り込んだ。


エリクは続ける。


「仮に部品だけ真似ても、魔導回路式の機体には馴染まない。神経で動く機体に、他人の筋肉と血管だけ縫いつけても動かん」


分解台の上の腕から、赤黒い循環液がまた一滴落ちた。


エリクは奥歯を噛んだ。


「参考にはなる。だが、取り込めない」


そこに答えがある。


敵の強さの理由が、目の前にある。


だが、それは帝国の言語では読めない。


仮に読めたとしても、帝国の技術には変えられない。


エリクは低く呟いた。


「これは、帝国のゴーレムとは別の生き物だ」


その数日後。


エリクは主任室で、机の上に積み上がった設計案と向き合っていた。


「……駄目だ」


一枚の設計図を放る。


紙が机の上を滑り、床に落ちた。


補佐官が拾い上げる前に、エリクは次の案へ手を伸ばす。


しかし、目を走らせた瞬間、また同じ結論に至った。


「これも駄目だ。重すぎる。こんな脚部では湿地戦に出せない」


「しかし主任、火力だけなら――」


「火力だけならな。だが、戦場に砲台を置きたいわけじゃない。ゴーレムを作っているんだ」


補佐官は黙った。


その沈黙すら、今のエリクには苛立たしかった。


重装甲型は重すぎる。


高火力型は移動砲台にすぎない。


近接特化型はベヒモス級と殴り合えば負ける。


連邦式の模倣案は、技術的にも倫理的にも不可能。


帝国式のままベヒモス級を止めなければならない。


だが、帝国式の強みである精密さと反応速度を殺せば、そもそも勝ち筋がなくなる。


「主任」


別の技官が、遠慮がちに紙束を差し出した。


「一般応募の設計案です。確認だけでも」


「そんなものに使う時間はない」


「ですが、規定では一応、主任の確認が必要です」


「規定を作った奴をここへ呼べ。俺が説得してやる」


「すでに退役しております」


「賢明だな」


そう言いながらも、エリクは紙束を受け取った。


一般応募。


帝国が技術者不足を補うために始めた制度だった。


軍人、工房職人、学生、地方貴族の趣味人。


誰でも設計案を送ることができる。


もちろん、ほとんどは使い物にならない。


巨大な剣を持たせれば強い。


装甲を厚くすれば壊れない。


魔導炉を三つ積めば出力が上がる。


そういう子供の夢を、設計図の形にしたものばかりだ。


エリクは半ば流れ作業で紙をめくった。


一枚目。論外。


二枚目。関節強度が足りない。


三枚目。魔力伝達効率を知らない素人。


そして、十数枚目で手が止まった。


「……誰だ、これは」


補佐官が顔を上げる。


「どうされました?」


エリクは答えなかった。


設計図に記された機体は、奇妙だった。


帝国式の魔導回路技術を土台にしている。


だから完全な異物ではない。


だが、回路の配置が違う。


魔導炉から四肢へ力を流すのではなく、各部に小さな循環回路を作り、負荷を分散している。


機体の骨格も、従来の重厚な支持架ではなく、必要な箇所だけを強化する構造になっていた。


軽い。


速い。


それでいて、脆さを逃がす場所まで計算されている。


連邦式の模倣ではない。


帝国式魔導回路を、帝国の技術言語のまま数世代先へ押し進めた設計だった。


エリクは口元を押さえた。


「……ふざけている」


「また欠陥ですか?」


「逆だ。数世代先の発想だ」


室内の空気が変わった。


エリクは設計図の隅に書かれた署名を見る。


Lias。


読みは、おそらくリアス。


聞き覚えのない名だった。


「諜報部に回せ。この提出者を調べろ。身元、経歴、所属、接触者、全部だ」


「危険人物ですか?」


「この設計を本気で書いたなら危険だ。冗談で書いたなら、なおさら危険だ」


数日後、諜報部から報告が戻った。


だが、そこに書かれていた内容はあまりに薄かった。


戸籍なし。


国籍なし。


軍歴なし。


工房登録なし。


帝都への正式な入城記録もなし。


リアスという名の人物は、少なくとも帝国の記録上、存在していなかった。


ただ一つだけ、分かっていることがあった。


設計図の末尾に、住所のようなものが記されていたのだ。


帝都外縁、第六排水塔跡。


日没後。


一人で来い。


補佐官が顔をしかめた。


「罠では?」


「罠だろうな」


「では、行かない方が」


「行く」


「主任」


「この設計図は、罠だと分かっていても踏む価値がある」


エリクは設計図を畳み、軍服の内ポケットに入れた。


「護衛は?」


「少し離して配置する。相手の条件を完全に呑むほど馬鹿ではない」


「一人で来い、とありますが」


「俺が一人で行く。護衛がいないとは言っていない」


補佐官は苦い顔をしたが、反論はしなかった。


その夜。


帝都外縁、第六排水塔跡。


かつて水路を管理していた施設は、今では半ば廃墟になっていた。


石壁には蔦が絡み、折れた配管からは冷たい水音が響いている。


エリクは一人でその中へ入った。


もちろん、完全な一人ではない。


周囲には諜報部の人間を伏せてある。


狙撃班もいる。


逃走経路も押さえた。


それでも、エリクは落ち着かなかった。


奥へ進むと、崩れた制御盤のそばに一人の青年が立っていた。


歳は若い。


未成年と言われれば、そう見えなくもない。


だが、その目だけは違った。


こちらを待っていたというより、すでに観察を始めていた。


「エリク・ヴァン・ハルト」


青年が言った。


「来ると思っていた」


エリクは足を止める。


「君がリアスか」


「ああ」


「帝国の記録に君はいない」


「だろうな」


「偽名か?」


「名前は本物だ。ただ、この国のものではない」


「どこの国だ」


「お前が知る国ではない」


エリクは目を細めた。


「回りくどいな」


「事実を短く言っているだけだ」


リアスは感情の薄い声で続けた。


「設計図は見たな」


「ああ。見た。だから来た」


「なら十分だ」


「十分ではない。君はどこで魔導回路技術を学んだ」


リアスは少しだけ首を傾けた。


「見れば分かる」


「見ただけで、あれが書けると?」


「必要な構造を追えば、だいたいは分かる」


「だいたいで書ける設計ではなかった」


エリクの声には、隠しきれない警戒があった。


「君の図面は、帝国式を土台にしている。だが、帝国のどの工房にもない発想だった。回路の負荷分散、骨格の逃がし、局所循環。あれは既存技術の改良ではない。数世代先の設計思想だ」


「なら使えばいい」


「目的を聞いている」


「結果を見ることだ」


「兵器の?」


「技術の」


「あれが戦場に出れば、人が死ぬ」


「戦場に出しているのは国家だ」


「責任を分けるつもりか」


「違う。責任の所在を混同するなと言っている」


エリクは黙った。


不快だった。


だが、筋は通っていた。


「軍の研究室に来る気はないか。待遇は保証する」


「断る」


「理由は?」


「管理されると、観察できる範囲が狭くなる」


「観察だと?」


「そうだ」


リアスは淡々と言った。


「その設計で何が起きるのかを見たい」


エリクは、目の前の青年を見つめた。


名誉を欲しがる者の目ではない。


金を求める者の目でもない。


祖国への忠誠も、帝国への憎悪も見えない。


それが、何より不気味だった。


「手柄はどうする」


「必要なら全部持っていけ。俺の名は出さなくていい」


「それでは君に何も残らない」


「残す必要がない」


「……後悔するかもしれないぞ」


「後悔は、判断材料が不足していた者がすることだ」


エリクは息を吐いた。


「君は、自分の設計が戦場を変えると分かっているのか」


「分かっている」


「それでも渡すのか」


「渡す」


会話はそこで終わっていた。


リアスはそれ以上、説明する気がないようだった。


帝国軍技術局は、その日から動き出した。


新型試験機。


正式名称、G-01《アイゼン》。


リアスの設計を基礎に、エリクが軍用機として再調整した機体だった。


反応速度は高い。


魔力伝達も滑らか。


従来機より軽く、操縦者の動きに機体が遅れない。


だが、問題は残った。


ベヒモス級に正面からぶつけるには、装甲と出力が足りない。


開発室で試験結果を見た若い技官が言った。


「本体を改修しますか?」


「それでは間に合わない」


「では、どうやってベヒモスを倒すんです?」


エリクは机の上に別の図面を広げた。


「本体をいじらない」


「え?」


「外から足す」


図面に描かれていたのは、巨大な砲撃ユニットだった。


外付け遠距離兵装。


《LRU-01 長距離魔導加速砲》。


背部に大型魔導炉ユニット。


右肩に長砲身レールキャノン。


魔力を加速コイルへ変換し、圧縮弾として射出する。


有効射程、四キロ。


技官たちは息を呑んだ。


「ですが、こんなものを背負えば機動性が死にます」


「撃つ間は動かない。動く必要が出たら捨てる」


「捨てる?」


「砲は本体ではない。勝つための道具だ」


エリクは図面を叩いた。


「ベヒモス級の装甲を遠距離から削る。接近される前に中枢を抜ければそれでいい。無理なら砲身と炉をパージして離脱する」


「離脱、ですか」


「本来はな」


エリクは少しだけ目を細めた。


「念のため、予備兵装も載せる」


「予備兵装ですか?」


「本命は長距離魔導加速砲だ。だが、それを失えばアイゼンは丸腰に近い」


エリクは図面の余白に、いくつかの装備案を書き足した。


「砲を失った時、機体と操縦士を生かすための装備だ。離脱用、牽制用、近距離用。使わずに済むならそれでいい」


「ベヒモス級を倒すためのものではない、と」


「当然だ。あれを予備兵装で倒せるなら、誰も苦労しない」


技官は言葉に詰まった。


エリクは図面から目を離さず、淡々と言った。


「戦場は想定通りには動かない。だから、想定外に耐える余白だけは残しておく」


それ以上、技官は反論しなかった。


数日後。


帝国北部、グラナ平原試験場。


なだらかな草原の奥に観測所が設けられ、軍関係者たちが並んでいた。


将官、技官、整備班、記録係。


誰も軽口を叩かない。


今日の試験結果次第で、帝国の方針が変わる。


輸送台車に乗せられた巨大な鉄の影が、ゆっくりと試験場へ運び込まれた。


G-01《アイゼン》。


灰色の装甲。


無駄を削った細身の機体。


右肩には長大な砲身。


背部には、機体本体と不釣り合いなほど大きな魔導炉ユニット。


腰部には、予備兵装として二丁のHG-01 軽量魔導拳銃が格納されている。


観測所の通信機が鳴った。


『こちらアイゼン。操縦リンク正常』


リディア・ファルク少尉の声だった。


帝国軍でも屈指のゴーレム操縦士。


反応速度と機体感覚に優れ、壊れかけの機体でも戦闘を続ける腕を持つ。


この試験には、彼女が必要だった。


『魔力供給……ちょっと変わった方式ね。でも嫌いじゃない』


エリクは通信卓の前に立つ。


「違和感は?」


『ある。でも、遅れじゃない。癖ね。慣れれば速い』


「なら、慣れろ」


『了解』


その時、遠方の丘が揺れた。


最初は地鳴りだった。


次に、土煙が上がる。


観測士が望遠鏡を覗き、顔色を変えた。


「敵機接近!」


将官たちが一斉に立ち上がる。


「所属は!」


「ヴァルグラント軍! 重装格闘型ゴーレム、ベヒモス級です!」


試験場がざわめいた。


偶然ではない。


連邦はこの試験を嗅ぎつけていた。


敵機は地面を踏み割りながら進んでくる。


高さ九メートル。


城壁のような装甲。


杭のように巨大な拳。


胸部には、青白い中枢光が鈍く脈打っている。


観測士が叫んだ。


「距離二八〇〇!」


通信越しに、リディアが言う。


『エリク技師』


「なんだ」


『撃っていい?』


エリクは一拍だけ置いた。


頭の中で距離、風向き、砲身角、敵の進行速度を並べる。


「一発目は当てなくていい。弾道を見る。撃て」


『了解。試射する』


アイゼンの右肩が持ち上がる。


長砲身に魔力が流れ、加速コイルが青く発光した。


次の瞬間、轟音。


放たれた魔導弾は空気を裂き、ベヒモス級の左側をかすめて地面を爆ぜさせた。


観測所の窓が震える。


「外れ!」


「距離二三〇〇!」


エリクは表示板に走る数値を見た。


弾道の沈み。


風のずれ。


敵の歩幅。


炉出力の揺らぎ。


「偏差修正、プラス〇・八度。砲冷却四十パーセント。第二射、急げ」


『任せて』


アイゼンが再び構える。


ベヒモス級は止まらない。


むしろ、速度を上げている。


距離二〇〇〇。


第二射。


今度は当たった。


魔導弾がベヒモス級の右胸部を直撃し、厚い装甲を外側から剥ぎ取った。


鋼鉄の破片が雨のように飛び散る。


その奥から、赤黒い液体が噴いた。


観測所の空気が、一瞬だけ凍った。


油ではない。


少なくとも、エリクにはそう見えなかった。


剥き出しになった胸部の奥で、太い脈管が脈打っている。


束ねられた人工筋繊維が、肉のように収縮している。


破れた脈管の断面から、どろりとした循環液が拍動に合わせて漏れ出していた。


「……血か?」


誰かが呟いた。


エリクは答えられなかった。


違う。


そう言えるだけの知識はあった。


あれは血ではない。

ただの循環液だ。

関節を動かすための、圧を伝える液体にすぎない。


そのはずだった。


だが、裂けた脈管が震え、赤黒い液が地面に落ちるたび、誰もそれを破損とは呼べなかった。


負傷だった。


ベヒモス級が、低く唸るように中枢を震わせた。

その巨体は、壊れた機械というより、傷ついた獣に見えた。


エリクは喉の奥にこみ上げる嫌悪を押し殺した。


理解できる。


理屈は分かる。


それでも、気持ち悪かった。


ベヒモス級は低く身を沈め、胸部の中枢光を脈打たせた。


右腕の装甲が割れ、大口径の銃身が現れる。


その黒い穴が、まっすぐこちらを向いた。


観測士の声が裏返った。


「敵、圧力衝撃砲準備!」


距離一五〇〇。


エリクは端末を見る。


敵装甲。


剥がれている。


だが、中枢はまだ生きている。


砲冷却は二十五パーセント。


無理に撃てば、砲身が破裂する危険があった。


リディアが通信を入れた。


『どうする? 撃てば抜けるかも』


「撃つな」


観測所の将官が振り返る。


「なぜだ! 今なら――」


「砲が爆発すればアイゼンごと失う」


「では逃げるのか!」


「そのつもりだった」


エリクは通信機に向かって言った。


「リディア少尉。砲身と背部炉をパージしろ」


一瞬、通信が沈黙した。


それから、リディアが笑った。


『そう来たか』


「機動力を戻す。離脱しろ」


『離脱ね。できれば、そうしたいところだけど』


その声には、奇妙な軽さがあった。


アイゼンの背部固定具が弾けた。


巨大な魔導炉ユニットが外れ、地面へ落ちる。


続いて右肩の長砲身が切り離され、土煙を上げて転がった。


整備班が計測値を叫ぶ。


「機体重量、三十二パーセント減少!」


「脚部トルク回復!」


「反応速度、上昇しています!」


その瞬間、ベヒモス級の銃口が唸りをあげた。


圧縮された衝撃波が、草原を削りながら一直線に走る。


だが、そこにアイゼンはいなかった。


軽量化された機体が、横へ跳んだのではない。


滑るように、射線から消えていた。


衝撃波が背後の丘を吹き飛ばす。


観測所に土煙が押し寄せた。


「回避成功!」


誰かが叫んだ。


エリクは表示板を見た。


反応が速い。


従来機なら、操縦者が回避を選んでも、機体がついてこない。


一拍遅れる。


その一拍で、ベヒモス級の攻撃範囲から逃げ遅れ破損しただろう。


だが、アイゼンは違った。


魔導回路の負荷が分散されている。


脚部の応答が遅れない。


重心補正が、操縦者の動きに追いついている。


リディアの判断に、機体が遅れていない。


「これが……」


エリクは思わず呟いた。


リアスの設計思想。


その本当の価値が、ようやく戦場で形になっていた。


それでも、ベヒモス級は止まらなかった。


右腕の大口径砲をこちらへ向けたまま、巨体を前へ押し出してくる。


発砲。


地面が爆ぜ、破片が装甲を叩いた。


リディアが機体を横へ滑らせる。


回避以外の手段はなかった。


次弾。

さらに次弾。


回避は正確だった。

訓練通りに機体を逃がし、砲撃の直撃だけは避け続ける。



だが、その間にも、ベヒモス級は砕けた装甲を鳴らし、循環液を撒き散らしながら前進していた。


射撃で足を止めるのではない。

射撃でこちらの足を止め、回避に追い込みながら、距離を潰してくる。


気づいた時には、射撃の間合いが、殴り合いの距離に変わっていた。


ベヒモス級が巨腕を振り上げる。


正面から受ければ終わりだ。


殴り合えば、アイゼンに勝ち目はない。


相手は重装格闘型。


拳と装甲と怪力で、敵を押し潰すための機体だ。


アイゼンが同じ土俵に立つ必要はなかった。


『エリク技師』


通信越しに、金属音が響いた。


アイゼンの腰部装甲が開く。


左右に格納されていた短銃型の兵装が、リディアの手に収まった。


二丁のHG-01 軽量魔導拳銃。


本来は近距離防衛用の予備兵装だった。


主武装ではない。


ベヒモス級を倒すための装備ではない。


「リディア少尉、それは予備兵装だ」


『今は予備しか残ってないでしょ』


エリクは反論できなかった。


ベヒモス級の拳が地面を砕いた。


アイゼンは跳ばない。


大きく逃げない。


それでは次の一撃に捕まる。


リディアは、機体を低く沈めた。


拳の風圧をかわし、砕けた地面の破片を踏み、ベヒモス級の腕の内側へ滑り込む。


従来機では不可能な動きだった。


関節の動きが遅れれば、踏み込みがずれる。


重心補正が遅れれば、巨腕の風圧だけで姿勢を崩す。


魔導回路に負荷が集中すれば、脚部が悲鳴を上げる。


だが、アイゼンは崩れなかった。


リディアが動かした通りに動く。


それだけのことが、戦場では決定的だった。


『見えてる』


剥がれた装甲。


赤黒い循環液。


脈打つ管。


その奥で、青白い中枢光が揺れている。


アイゼンは二丁のHG-01を突きつけた。


距離は、ほとんど零に近い。


発砲。


乾いた連射音が、ベヒモス級の胸部に叩き込まれた。


一発では足りない。


二発でも足りない。


だが、リディアは外さなかった。


装甲の裂け目だけを狙い、循環液に濡れた中枢部へ、弾を流し込むように撃ち込んでいく。


ベヒモス級が身をよじる。


巨腕が横薙ぎに振られる。


アイゼンは後ろへ逃げない。


半歩沈み、肩を抜き、腕の下を通る。


その間も、銃口は裂け目から離れない。


『落ちろ』


最後の弾が、青白い中枢光を貫いた。


ベヒモス級の胸部が内側から弾ける。


脈管が破裂し、赤黒い循環液が噴き出した。


人工筋繊維が痙攣し、巨体が膝をつく。


城壁のような機体が、ゆっくりと沈んでいく。


そして、止まった。


観測所に、数秒だけ音がなかった。


次に、記録係が叫んだ。


「敵機撃破!」


「試験機G-01、勝利!」


歓声が爆発した。


技官たちが抱き合い、整備班が拳を突き上げる。


将官たちは興奮を隠しきれず、口々に何かを叫んでいた。


リディアの通信が入る。


『こちらアイゼン。生きてるわ。機体も、まあ……怒られるくらいには壊した』


エリクは椅子に座り込みそうになるのをこらえた。


「帰還しろ。怒るのは整備班だ」


『技師は?』


「俺は感謝する」


『珍しいこと言うじゃない』


「今日くらいはな」


その時、背後から軍司令官が声をかけた。


「エリク技師」


エリクは振り返る。


司令官は、撃破されたベヒモス級を見つめていた。


「これは……兵器として成立している」


その言葉は、勝利宣言に近かった。


G-01《アイゼン》は、帝国の希望になった。


少なくとも、その場にいた者たちはそう考えた。


だが、エリクだけは素直に喜べなかった。


アイゼンは勝った。


しかし、条件が揃いすぎていた。


長距離魔導加速砲がなければ、装甲を剥がせなかった。


砲を捨てる判断が遅れれば、衝撃砲で消し飛んでいた。


最後はリディアの腕に依存した。


HG-01による至近距離射撃など、普通の操縦士に再現できるものではない。


敵が一機だったから勝てた。


戦線のあちこちにベヒモス級が現れたら。


リディア級の操縦士が足りなければ。


整備に時間を取られれば。


勝利はすぐに崩れる。


それに。


エリクは、赤黒い循環液を撒き散らして沈黙したベヒモス級を見た。


あれは兵器だ。


倒さなければ、帝国兵が死ぬ。


分かっている。


それでも、壊れた機械というより、死んだ獣に見えた。


その夜、エリクは自宅の工房で一人、机に向かっていた。


新たな案を描いては消す。


アイゼンの高出力型。


重装甲型。


近接特化型。


砲撃専用型。


どれも違う。


強い機体を一機作れば、英雄は生まれる。


だが、戦争に必要なのは英雄だけではない。


「何が足りない……」


呟いた時、背後で紙の擦れる音がした。


振り返る。


そこに、リアスがいた。


「鍵は閉めていたはずだが」


「窓が開いていた」


「三階だぞ」


「足場はあった」


「普通は入らない」


「普通の話をしに来たわけじゃない」


リアスは机の上に、丸めた設計図を置いた。


エリクはそれを開く。


最初に感じたのは、落胆だった。


性能が低い。


G-01より装甲は薄い。


出力も控えめ。


最高速度も落ちる。


武装も標準的。


ベヒモス級を単独で倒せる機体ではない。


「……なんだ、これは」


エリクは眉をひそめた。


アイゼンの後継機ではない。


高性能化案でもない。


砲撃特化型でも、近接特化型でもない。


だが、読み進めるうちに、指先が止まった。


部品点数が少ない。


魔導回路の構成が単純化されている。


腕部と脚部の規格が共通化されている。


破損しやすい関節部は、前線整備班でも交換できるよう分割されている。


操縦系の癖が少ない。


既存の工房設備で製造できる。


エリクは紙面をめくる速度を落とした。


違う。


これは弱い機体ではない。


強さの意味が違う。


アイゼンは、優れた操縦士が乗ることでベヒモス級を倒した。


だが、あの勝利は条件が揃いすぎていた。


長距離魔導加速砲。


リディア少尉の反応速度。


破損した装甲部。


試験場という開けた地形。


同じことを、すべての戦線で再現することはできない。


戦争に必要なのは、一機の英雄ではない。


穴を埋める機体。


壊れても直せる機体。


平均的な操縦士でも動かせる機体。


十機、百機と並べて、戦線そのものを支える機体。


エリクは息を呑んだ。


「量産機……」


その言葉を口にした瞬間、設計図の全体像が見えた。


G-02《ファルク》。


それは、アイゼンの後継ではない。


アイゼンの戦闘から得られた答えを、戦場全体へ広げるための機体だった。


華はない。


突出した性能もない。


単独で敵の新型を粉砕する力もない。


だが、作れる。


直せる。


揃えられる。


前線に送り続けられる。


それは、戦争を終わらせる機体ではない。


戦争を続けられるようにする機体だった。


エリクは背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「……リアス」


振り返る。


だが、そこには誰もいなかった。


窓だけが、わずかに開いている。


設計図は残っている。


答えだけが、机の上に置かれている。


エリクは低く呟いた。


「悪魔め」


翌朝。


アルディア帝国軍技術局では、G-02《ファルク》の試作計画が立ち上げられた。


回路規格の統一。


部品互換性の確認。


工房への製造割り振り。


前線整備班の再教育。


操縦士訓練計画。


エリクは自分の手で、戦争を支えるための機体を形にしていった。


美しくはない。


英雄機でもない。


だが、必要だった。


帝国が生き残るために。


同じ頃。


ヴァルグラント連邦、首都郊外。


軍事研究院の培養棟。


一人の技術将校が、設計図を広げていた。


そこに描かれていたのは、ベヒモス級の後継案だった。


脈管束の圧力損失を抑える新しい配列。


循環液の漏出を局所で止める閉鎖弁。


人工筋繊維の壊死を防ぐ冷却機構。


胸部圧力中枢を守る多層装甲。


短時間だけ機動力を上げる補助脈動機構。


損傷時に脈管を切り離して出血を止める緊急閉鎖機構。


それは、連邦式を外から真似た図面ではなかった。


脈管駆動式を、内側から理解した者の設計だった。


技術将校は震える指で、図面の隅を見る。


そこには、短い署名があった。


Lias.


両国はまだ知らない。


自分たちが誇るゴーレム技術の根に、同じ男の手があることを。


アルディア帝国が磨く魔導回路式も。


ヴァルグラント連邦が育てる脈管駆動式も。


どちらも、この世界だけで生まれたものではなかった。


リアスが別の異世界で集め、解析し、持ち帰った二つの技術体系。


それを、彼は二大国家へ別々に与えた。


帝国には、魔導回路式の未来を。


連邦には、脈管駆動式の未来を。


二つは混ざらない。


帝国は連邦機を分解しても採用できない。


連邦は帝国機の魔導回路を見ても、自国の重装機には合わない。


奪っても使えない。


分解しても、自国の技術にはならない。


だから両国は、互いの技術を直接奪うのではなく、自分たちの技術を進化させ続ける。


そこにリアスがいる。


彼だけが、両方の言語で設計図を渡せる。


国力は互角。


資源も互角。


経済も互角。


憎しみも、戦争を続ける理由も、すでに十分にある。


条件は整っていた。


アルディア帝国のゴーレムは、魔導回路で動く。


ヴァルグラント連邦のゴーレムは、筋肉と血管で動く。


同じゴーレムと呼ばれていても、二つは別の生き物だった。


リアスが見たいものは、帝国の勝利ではない。


連邦の勝利でもない。


勝敗は、観察結果の末端にすぎない。


彼が見ていたのは、その途中で生まれる選択だった。


追い詰められた国家が何を求めるのか。

優秀な技術者が、どの限界を認め、どの可能性に手を伸ばすのか。

兵器体系が、どこで枝分かれし、どこで変質するのか。


ただ優れた設計図を渡せばいいわけでもなかった。


早すぎる技術は、戦争を壊す。

遅すぎる技術は、観察する前に国を潰す。


必要なのは、片方が追い詰められた時、その国が欲しがる選択肢を一つだけ増やすことだった。


完全な答えではない。

勝利の保証でもない。


一世代先。

時には半世代先。


その国の技術者が、あと少しで届きそうで届かなかった距離。


リアスは、その差だけを設計図にして置いていく。


帝国に最初からG-02《ファルク》を渡しても、意味はなかった。


彼らはまだ、高性能機でベヒモス級を倒す夢を捨てていなかったからだ。


だから、最初に必要だったのはG-01《アイゼン》だった。


そしてアイゼンが勝った後で初めて、ファルクの意味が生まれる。


高性能機だけでは戦線を維持できない。

リディア・ファルク少尉のような操縦士は数を揃えられない。

壊れた機体を前線で直せなければ、勝利は続かない。


エリクがそこに辿り着いた瞬間、机の上にはもう答えが置かれていた。


連邦も同じだ。


ベヒモス級が無傷で帝国機を踏み潰しているうちは、彼らは中枢保護の不足を認めない。

脈管を破られ、循環液を流し、装甲の裂け目から撃ち抜かれて初めて、次の改良を欲しがる。


だから、リアスはその時に渡す。


どちらにも、完成形は渡さない。


渡すのは常に、次に欲しくなる一手だけ。


戦争という巨大な実験場で、異なる世界から持ち込まれた二つのゴーレム技術が、どの選択を欲し、どの世代で枝分かれし、どちらを喰らい、どちらが生き残るのか。


リアスが見たいものは、それだけだった。


やがて両国は気づくだろう。


リアスは味方ではない。


敵でもない。


だが、切り捨てるには危険すぎる。


失うには有用すぎる。


帝国がリアスを排除すれば、連邦だけが次の技術を得るかもしれない。


連邦がリアスを排除すれば、帝国だけが次の技術を得るかもしれない。


彼を受け入れれば、自国の技術は進む。


同時に、戦争も進む。


彼を切れば、相手だけが進むかもしれない。


どちらを選んでも、戦場は止まらない。


だからこそ、リアスは観察者でいられた。

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ゴーレムプランナーの憂鬱 愉快な災厄 @nastyandkitaro

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