救世主

藤沢ローリング

救世主

高校1年7月――


ガラガラガラ


朝、教室のドアを開けると、窓の外からの光が一気に飛び込んだ。

教室にはすでに多くのクラスメイトが登校していた。

「それで彼氏の大事なコップ落としちゃって」

「マジで?それどうなったの?」

美代子と薫が机の上に座って話している。

薫がカールした髪の毛を指で絡めている。

「あれからその子とどうなったんだよ?」

「なっ、何もないよ!!」

図書委員の田中は祥太に聞かれて慌てている。

ドアをくぐり自分の席へと向かう。

窓の外には青空にどこまでも伸びる入道雲が見える。

「おはよー、京介」

「おっは~」

「おっは~、美代子。薫」

二人に俺は手を振り返す。

肩から掛けたスクールバッグが歩くたびに揺れる。

教室からは誰かの柑橘系の制汗剤の匂いがする。

「おはよう。またお前は田中をいじってるのか?」

「おはよう、宮本君」

田中が俺を見上げると、彼の眼鏡に俺の姿が映り込んだ。

「だって、田中のやつ昨日城田さんと帰ったんだぜ」

祥太がそう言うと田中は顔を赤くして俯いた。

「田中がその子のこと気になるなら、俺も応援するよ」

「……。ありがとう、宮本君」

「当たり前だろ、クラスメイトなんだから」

そう言うと彼の口角は上がり、また俺の姿が眼鏡に映った。

「おはよう、宮本」

「京介、今日は遅刻しなかったな」

「宮田君、おはようございます」

「ああ、みんなおはよう」

俺は席に着くまでにすれ違う全員に挨拶された。


ガラ


「今日も人気者だな、京介は」

自分の席に座ると、隣の篤志が頬杖をつきながら俺を見ていた。

彼の口元はニヤリとしていた。

その後ろにはクラスメイトたちがそれぞれに話を続けている。

「おはよう、篤志。人気者なんて大げさだよ」

俺はカバンから机に教科書を移しながら答える。

少し空いた窓からは爽やかな風が入ってくる。

クリーム色のカーテンがひらひらと揺れている。

「いやいや、クラス全員と仲がいいのってお前だけだろ。普通はあり得ないって」

「それはみんないいやつだからだよ」

俺は机の中に教科書を入れていく。

最後に筆箱を入れると、バッグはぺらぺらになった。

「正直、親友の俺が言うのもあれだけど、お前は昔からお節介すぎるんだよ」

「俺がお節介?俺はただ困っている人を助けてるだけだよ、篤志」

バッグを椅子の下に置いてようやく俺は篤志に体を向けた。

彼は相変わらず頬杖をついたままこっちを見ている。

背後で徐々に席が埋まり、立っている人も減っていた。

「それをお節介と言うんだよ。ま、あんまり無理して自分を壊すんじゃないぞ」

「その時は助けてくれよ、親友」

「うっせぇ」

彼は少し口角を上げたと思ったら、前を向いてしまった。


キーンコーンカーンコーン


チャイムが鳴ると、立っていた人も全員席に着いた。

俺も前を向くと、何も書かれていない黒板が見える。

その手前には知っている人たちの頭がそれぞれに動いていた。


ガラガラガラ


「よーし、ホームルームを始めるぞ」

担任の岩沢が教室に入ってくると一日が始まった。



同年11月――


俺は廊下を歩き、教室のドアの前で立ち止まった。

「それで慎二のやつ何て言ったと思う?」

「おい、誰か数学の宿題写させて!」

教室の中から今日も声が聞こえる。

ゆっくりと息を吸い、力を抜きながら息を吐いた。

指先を白い引き戸の取っ手に引っかけて、ゆっくり引っ張った。


ガラガラガラ




俺が戸を開けると、クラスの中から声が消えた。

全員が動きを止めて俺を見た。

「お、おはよう……」

小さな声を出し、震える足で一歩教室に踏み込んだ。

途端に俺への視線は元に戻った。

「彼氏がまた遅刻して来てさ」

「時間守れないのは治させた方がいいって、美代子」

俺が横を通っても美代子と薫は会話を止めない。

窓を締め切った教室で息を吸うと、少し頭がクラッときた。

「それで週末のデートはどこに行くんだよ、田中」

「え?お前城田さんと付き合ってるのかよ?」

「なんだ水野知らなかったのか」

祥太たちの横を通ると田中は顔を上げて俺を見た。

彼は手を挙げて俺に声を掛けようと口を開けると、

「おい、田中。やめろって」

祥太の小声で、彼の手は下がり俯いた。

俺は三人の横を通り過ぎ、席に向かう。

肩からかかるスクールバッグはずっしりと重く、体が傾いてしまう。

「今度久しぶりにお父さんと会うことになって」

「えっ!?よかったね、久しぶりに家族が揃うんでしょ?」

峯田さんと堀川さんがチラッと俺を見た。

「そうなの。弟にも会えるし楽しみ」

しかしそのまま会話を続けていく。

猫背になった俺の視線の先には篤志が見えた。

彼は達也と秀樹と教室の後ろで輪になっている。

突然篤志の視線がパッと俺に向けられた。

「あっ、おは……」

感情のない顔が俺の視線から離れると、彼は笑顔に戻っていた。


ガラッ


俺は静かに自分の椅子を引いて席に座った。

窓の外には校門をくぐる生徒がちらほら見えた。

誰もいないグラウンド。

雲一つない空。

背後からはクラスのにぎやかな声が続いている。

「はぁ……」

俺は視線を膝の上に乗せたバッグに戻す。

明るい声を聞き流しながら、俺は重い荷物をゆっくりと降ろしていった。


ガラガラガラ


「みんな……おはよう」

担任の岩沢が両手で黒い帳簿を持って入って来た。

肩を落としてゆっくり歩く。

「先生ー元気ないですね」

「彼女にでもフラれたんですかー?」

彼は教壇の段差に足を引っかけてつまずきそうになる。

「な、なんで知ってるんだ!?」

顔を真っ赤にしながら彼は教卓の前に立った。

「あー!図星だ!」

「先生、どんまい」

彼の耳も赤くなり、口元はキュッと閉じられている。

教室は笑い声に包まれたが、俺はそれを眺めているだけだった。



キーンコーンカーンコーン


「次の授業ってどこだっけ?」

「理科室に移動だったよね」

数学の授業が終わると、声が一斉に溢れた。

俺は机の中から化学の教科書を取り出す。

目の前のクリーム色のカーテンが大きく揺れ、俺は肩を震わせた。

「理科室って地味に遠いから嫌だよな」

「え~、普段と違う感じがして楽しいじゃん」

クラスメイト達が次々と教室から出ていく。

俺は音を立てずに立ち上がり、その流れに紛れ込んだ。


「今日って英語の単語テストあったっけ?」

「皆元、お前勉強してないのか?」

廊下で俺の前を鈴木と皆元が歩いていく。

すれ違いにトイレから戻ってくる女子が見える。

「私としてはあのシーンはなしだなぁ」

「え~?あれだから泣けるのに」

後ろからもクラスメイトの声がする。

前後から明るい声が聞こえ、俺は両手で教科書を抱きしめた。

「なんだかなぁ……」

俺はボソッと呟き、ため息をついた。



「えっ?」

顔を上げると、鈴木と皆元が振り返って俺を見ていた。

俺は咄嗟に視線を逸らすと、窓の反射で後ろの二人も俺を見つめているのが見えた。

俺は教科書を抱きしめたまま俯き、早足で前の二人を追い抜いた。



「それじゃあ、今日は炎色反応の実験を行います。

同じテーブルの四人で進めるように」

白衣を着た戸塚先生が理科室の前で教科書を見ながら言った。

俺はチラチラと上目遣いで他の三人を見る。

「美咲ちゃん、今どのページ?」

「あんた、ちゃんと先生の話聞いておきなさいよ」

俺の前に向かい合った静香に美咲が教科書を近づけてページを教えている。

俺の隣では篤志が頬杖をつきながら教科書を見下ろしていた。

窓がガタガタと背後から音を鳴らし、俺はブルッと肩を震わせた。


「――という手順で実験をしてね。それでどんな反応が起こったかまとめること。

それじゃ、実験始めて」

その合図でクラスメイトがそれぞれに動き始めた。

「じゃあ、私実験で使うもの取って来るね」

美咲が黒いテーブルに手をついて立ち上がった。

先生がいる黒く横に長い教卓には薬品が入ったカップが並んでいる。

「俺は燃やす担当でいいよ。女の子に火を使わせるのも悪いし」

篤志がサッとガスバーナーをテーブルの中央に移した。

ガスバーナーの先端は黒く焦げ、胴体は銀色に鈍く光る。

「それなら私は記録係ね。どの薬品が何色に燃えたかを書けばいいんだよね」

「静香、あんた大丈夫?間違えないでちゃんと書くのよ」

「大丈夫だって~」

美咲は静香の肩をポンと叩いてから教卓へと歩いて行った。

静香は教科書を見ながら、何やら表を書いている。

「あの……俺はどうすれば……?」

俺はチラチラ篤志と静香を交互に見ながら、小さな声を出した。

ガスバーナーのテストをしていた篤志がチラッと俺見た。

「……ああ、燃やした綿棒を入れないといけないから、ビーカーに水入れて」

彼は視線をすぐにガスバーナーに戻し、抑揚なく答えた。

そうしている間に美咲がニコニコしながら戻って来た。

「みんな~、薬品もらって来たよ!」

「へぇ~。どんな色になるんだろうね」

静香が薬品が入ったカップを持ち上げて見つめている。

トレイには他にも小さな薬品が入ったカップが並んでいた。

俺は自分の隣にある蛇口からビーカーに水を入れた。

ひんやりとガラスの容器に、ゴポゴポと空気の泡を浮かべながら水が満たされていく。

「この薬品を水に濡らして、綿棒に付ければいいんだよね?」

静香がカップを手に俺の向かいの蛇口にやってくる。

「おいバカ!!使うの水道水じゃなくてこっちの水だ!」

篤志がすぐさま彼女を止めた。

そして蒸留水と書かれたビーカーを彼女に渡した。

「も~、静香は今回も間違えてる」

「あー、ごめんごめん」

俺はビーカーから水が溢れているのに気付かないまま、そのやり取りを見ていた。

ビーカーから溢れた水は、渦を巻きながら排水口へと消えていった。



キーンコーンカーンコーン


「それじゃあ、今日のホームルームは終わり。みんな気を付けて帰るんだぞ」

担任の岩沢が教壇から降りると、ドッと声が響いた。

「よし、新庄。部活行こうぜ」

「悪い、今日委員会あるんだ。先行っててくれないか?」

俺は静かに机の中から教科書をバッグに入れていく。

「今日帰りクレープ食べて行こうよ」

「あの駅前にできたところ?行こう、行こう!」

窓から外を見ると、グラウンドに数人生徒が見える。

校門から何人かの生徒が歩道へと曲がっていく。

「今日カラオケ行こうぜ」

「また行くのか、昨日も歌ってまだ喉痛いんだけど」

俺は重くなったバッグを肩に掛けて立ち上がった。

「薫、ちょっと帰り付き合ってよ」

「え~、今日彼氏とデートなんだけど」

教室に向かって歩くだけで、チラチラと視線を感じる。

俺は俯きながら教室を出た。

廊下はひんやりと冷え切っており、俺は手を擦った。



その次の週明けの月曜日――


「今日からうちのクラスに加わる転校生の堤だ」

「どうも、堤 弘隆と言います。みんな、仲良くしてくれたら嬉しいです」

朝のホームルームの時に、先生の隣に知らない生徒が立っていた。

はきはきとした声で話し、爽やかな笑顔で真っ直ぐ前を向いている。

「え?転校生?そんなの聞いてないぞ?」

「平野、先生はいちいち転校生が来るなんてお前らに言わないぞ」

岩沢先生は片手を腰に手を当ててため息をつく。

しかしクラスでは堤を見るよりも、隣の席で話し合う姿が目立った。

「おい、篤志。どうするんだよ?」

「どうにか考えるから、ちょっと時間くれ」

純也が篤志と小声で話しているのが聞こえた。

堤は教室を見渡した後、先生の顔を見上げた。

「堤の席は、宮田の後ろに作るか。

宮田、ホームルームが終わったら堤と一緒に机と椅子を運んでおけ」

「えっ?」

クラス全員が一斉に振り向いて俺を見た。

窓際最後尾の俺は、椅子と壁で角に追い込まれた。

俺はゆっくりと視線を膝に下げ、その上に乗った手をギュッと握った。

「……はい、分かりました」

俺が答えるとみんな前を向いたが、相変わらず隣の席と小声で話していた。

「それじゃあ、ホームルームはこれで終了な」


先生が教室を出ると、みんなの声が大きくなった。

俺は国語の教科書を出していると、すぐ隣で誰かが立ち止まった。

「宮田君……だっけ?机と椅子を出すの手伝ってもらっていい?」

見上げると堤が俺を見下ろしていた。

彼は指で頬を掻いて横を向いていた。

「うん、そうだったね。行こうか」

椅子を引いて俺は立ち上がり、彼と並んで教室を出た。



「ほら、ここにある中から選んでいいよ。

ガタつくのはやめた方がいいかな」

俺は物置まで案内すると、彼を中へと案内した。

ひんやりとした物置は、埃っぽくかび臭くもあった。

彼は椅子が机の上でひっくり返っている中から、ガタガタと一つずつ揺らしている。

「うん、これがよさそう」

「それじゃあ、一緒に運ぼうか」

俺は彼と向かい合って机を運び出した。

物置から出ると太陽の光が廊下を照らし、澄んだ空気が広がった。

「堤君はどうしてこんな時期に転校してきたの?」

逆さになった椅子を挟んで彼を見る。

椅子が一歩進むたびに小さく揺れる。

「親父が転勤で仕方なくね。急に決まったことだったから大変だったよ」

彼はため息をつきながらも小さく微笑んで俺を見た。

誰もいない廊下を二人向き合って歩いていく。

俺たちの教室がゆっくりと近づいてくる。

「転校したばかりだし、友達になってくれると嬉しいんだけど」

俺はパッと明るい顔になり、目を輝かせて彼を見た。

彼は口を少し開き、目を見開いたが、すぐに微笑んだ。

「うん、いいよ。よろしくね、堤君」

「弘隆でいいよ。えっと……」

「俺は京介って呼んで」

「うん、よろしく、京介」

ガタガタと椅子が音を鳴らしながら、俺らは教室へと戻っていった。



キーンコーンカーンコーン


四時間目が終わり、みんな机を動かし始めた。

「明美、今日はパンだけなの?」

「家にお弁当忘れちゃって……」

みんなが自然に机を移動し、決まった相手と固まっていく。

俺はその様子を横目に見ながら、バッグから弁当を取り出す。

すると背中に何か先が細いものが二回当たる。

振り返ると堤が人差し指を伸ばしてこっちを見ていた。

「京介、お昼一緒に食べよう」

彼の机の上には焼きそばパンとカレーパンが並んでいた。

「あ、ああ。いいよ」

俺は立ち上がって、机を後ろの彼の席に引っ付けた。

教科書が詰まった机は思いのほか簡単に持ち上がった。

「この学校って学食ないんだね」

席に座ると彼は焼きそばパンの袋を開けた。

俺は弁当の蓋を開けると、ポタポタと水が蓋から滑り落ちた。

「前いたところは学食あったの?」

俺は箸を取り出し、唐揚げを口に運ぶ。

湿気った衣に濃い油の味が中から出てくる。

鼻には揚げ物の油の匂いが届いた。

「学食と売店があったね。学食は人気だからすぐ席が埋まるんだ」

「へぇ~、こことは全然違うな……」

水でふやけたお米が口の中で唐揚げの味を薄めていく。

彼は焼きそばパンをかじると、刻まれた麺が袋の底に落ちていった。

「そう言えば、今日放課後空いてる?できたら学校を案内してほしいんだけど」

「もちろん!学校七不思議も一緒に教えてあげるよ」

「それうちの学校にあった」

「マジか!?」

俺は笑顔になって彼と話していた。

湿気ったポテトがいつもより美味しく感じられ、パセリの苦みも感じられなかった。

少し離れたところからチラチラと視線を感じ、慎二は篤志に何か耳打ちをしていた。



1週間後――


ガラガラガラ


俺が教室に入ると、みんな会話を止めて俺を見た。

すると後ろから何かがぶつかり、一歩足が前に出た。

「京介、おはよう!!」

「なんだ弘隆か。驚かせるなよ」

振り返るとニカッと笑う弘隆がいた。

彼に背中を押されてそのまま教室に入る。

教室の後ろでは腕組みをして篤志がそれを見ていた。

「京介、昨日の数学の宿題やったか?俺分からなくてさ、写させてくれ!」

「しょうがないなぁ、あんぱん一個で」

「ありがとう!!」

彼はパンと両手を合わせて俺に頭を下げる。

二人並んで窓際の席へと向かう。

田中や祥太も素通りしていく。

「そういえば昨日のテレビ観た?ほら、あの深夜のクイズ番組」

「お前そっち見てるの?俺はトークトーク観たわ」

俺は机の上にバッグを置きながら彼に振り返る。

彼は白いエナメルバッグをドンと木の床に置いた。

彼の口から甘いガムの匂いがした。

「え~クイズの方が面白いって」

「いーや、あの時間観るならトークトークだって」

席に着いても教科書を取り出さずに彼の方を向く。

彼は頬を膨らませてエナメルバッグから教科書を引っ張り出す。

「クイズだって絶対。ねえ、佐々木さんもそう思うよね」

「えっ?私??」

彼は隣の席の佐々木さんに声を掛けた。

その瞬間、クラスから声がなくなり鋭い視線を感じた。

佐々木さんは俺ら二人を交互に見ながら、視線を上に向ける。

「え~っと、私はその時間はドラマしか観ないから……あはは」

「なーんだ、そっちか」

弘隆は肩を落とし、再び屈んでバッグから教科書を取り出した。

佐々木さんは口元を歪ませながら再び前を向いた。

その奥で篤志がじっとこっちを見ているのが見えた。



三時間目の英語が終わり、トイレに向かって歩いていた。

すると廊下の窓際で美咲と静香がいた。

静香は背を向け、美咲が彼女の背中をさすっていた。

「美咲ちゃん、私もう耐えられないよぉ……」

静香が鼻をすすり、声を震わせている。

「静香、私だって辛いの。けど、もうこうするしかないのよ。

だから一緒に頑張ろう」

美咲はゆっくりと落ち着いた声で彼女に語り掛ける。

廊下を歩く生徒はチラチラと二人を見ながら、その後ろを通り抜ける。

「おい、二人とも……」

俺が片手を上げて二人に声を掛ける。

するとこちらを振り返った美咲は大きな目を開け、

「静香、行くわよ」

「うん……」

静香の背中を押して足早に遠くへと行ってしまった。

ちょうどトイレからこっちに向かって来た篤志がチラッと俺を見た。

そして鼻から息を吐き、二人の後を追っていった。



キーンコーンカーンコーン


「京介、今日出た宿題一緒にやろうぜ」

「分かった、ペアでやらなきゃいけないやつだし」

放課後、みんなが席を立つ中で俺らはそのまま教室に残ることにした。

机からノートを取り出し、先ほどの授業の途中まで書いたページを開く。

「ごめん、京介。俺先にトイレ行ってくる」

「おう、先に済ませておけ」

パンと手を合わせたポーズのまま立ち上がった彼は、教室から出て行った。

教室から人はだいぶ減ったが、机にノートを広げて残る人も何人かいた。

「たまにはあいつに何か奢ってやるか」

俺は立ち上がり、一階の自販機を目指して教室を出た。

廊下を進み、トイレのドアを開けた。

「おーい、弘隆。ジュース買いに行こうぜ」

トイレの入口で声を出したが、返事はなかった。

開かれた窓の光が壁の青いタイルに白く反射していた。

俺はドアを閉めて階段を降りて行った。

「あいつどこに行ったんだ……?」

つま先を階段の黒い縁に当てながら降りていく。

踊り場の窓が階段を照らし、壁の鏡を俺の姿が横切った。

外からはサッカーの掛け声が聞こえ、ひんやりとした空気が手の甲を赤くする。


「どうしてそんなことを言うんだ?」


一階に着こうとしたところで、弘隆の声が聞こえた。

覗き込むと階段下の掃除のロッカーの前に、篤志や弘隆たちがいた。

俺は身を屈め、耳を傾けた。

「とにかく、京介と仲良くするな」

篤志の言葉にビクッと肩が跳ね、頭を少しだけ出した。

暗がりの中で弘隆がロッカーの前で慎二や篤志たちに囲まれている。

「なんでそんなこと言われないといけないんだよ?

転校してから変な空気を感じてたけど、なんで京介を無視してんだよ?」

「それは……」

弘隆の言葉に篤志は俯いた。

他の人も何も言わずに俯いている。

「クラスみんなであいつを虐めてさ、そんなやつらの言葉に従う気はねぇ!」


ドンッ


弘隆が叫ぶと篤志は彼の胸ぐらを掴み、ロッカーに押し付けた。

「俺が……俺たちがどんな思いでここまで来たのか、知らないくせに……」

篤志は弘隆の顔の真ん前で、声を絞り出した。

それを弘隆は胸ぐらを掴まれながらもじっと見下ろしている。

篤志はパッと胸ぐらを離し、舌打ちをして下を向いた。

「とにかく、京介とは関わるな。あいつの側にいると不幸になる」

篤志が背を向けると、背後で弘隆は彼を睨みながら襟元を正した。

暗がりから篤志が歩き出し、顔を上げると俺と目が合った。

「なっ……。京介……!!」

彼は目を見開き、口が開いたままになった。

俺はペタッと床に尻もちをついた。

冷たい床の平たく硬い感触が手のひらに伝わる。

「篤志……俺、何か悪いことしたのか……」

俺は声を震わせながら彼に聞いた。

視界が滲む中で、彼の視線があちこち動くのが見える。

「あっ、いや。ちがっ……」

一歩近づいてくる彼に体が震える。

冷たい床の上で手のひらをギュッと握り、身をひるがえして俺は立ち上がった。

そして背中にぞくっと震えを感じ、俺は走り出した。

「おい、京介!!」

後ろから声が聞こえても振り向かず、俺は上履きのまま外に飛び出した。


昇降口で振り返る女子生徒を追い越し、校門へと向かう。

「はぁ、はぁ……」

息を切らしながら、袖で目元を拭った。

前髪が逆立ち、顔に当たる風で目元が冷たさを感じる。

自転車置き場からジャージ姿の生徒が立ち漕ぎで校門へと向かう。

「おい、京介!!待てって!!」

後ろから叫び声が聞こえ、さらに足を速く動かす。

太ももが重くなり、上履きの底で石を踏んだ硬さを感じる。

校門を飛び出し、歩道を駆け抜ける。

「はぁ。はぁ」

目元が赤くなり、風に涙が飛ばされる。

おさげの生徒の横を走り抜ける。

すぐ横の体育館からはボールが床を叩く音が聞こえる。

「待てって!!」

俺はギュッと目を瞑り、大きく腕を振って加速した。

体育館を通り過ぎた時、不意に右手に白の軽自動車がすぐ近くまで向かっているのが見えた。


俺は、


そのまま止まれず、


向かってくる車の前に飛び出し、


キィィィ!!


「おい!!いきなり飛び出してくるな!!危ないだろ!!」

俺は誰かに腕を引っ張られ、後ろに倒れていた。

「す、すみません……」

俺が尻もちをついたまま答えると、車に乗ったおじさんは鼻息を荒くして去って行った。

アスファルトの熱がじんわりと尻と手のひらに伝わる。

手のひらを見ると、食い込んだ小石がポロッと落ちた。

「おい!!京介何やってるんだよ!!」

見上げると、篤志が俺を見下ろしていた。

肩を大きく上下させ、呼吸が荒い。

背後に太陽の光があり、彼は薄暗く見えた。

「な、なんで篤志が……?」

俺は目を揺らしながら、彼を見上げた。

ふくらはぎの辺りがこすれてヒリヒリと痛む。

「宮田君、大丈夫?」

「京介、死んでないよな?」

振り返るとおさげのクラスメイトの早瀬さんと慎二がいた。

その後ろには田中や祥太、美咲と静香もいた。

みんな息を切らして手に膝を着きながら俺を見ている。

「お~い、京介大丈夫~?」

道の向こうから薫と美代子が走って来た。

大きく振った薫の手にはスマホが握られている。

気が付けばクラスメイトのほとんどが俺のところに集まっていた。

「これは、どういうこと……?」

俺は両手をアスファルトについたまま、きょろきょろとみんなを見上げる。


「あのな、京介。俺らはお前をいじめてなんていなかったんだ」


「えっ?」

篤志の言葉を聞き、見上げると彼は俺に手を差し伸べていた。

俺はその手と微笑んだ顔を交互に見て、その手を取った。

立ち上がると、みんなの視線も俺の動きに合わせて動いた。

早瀬さんは目を潤ませて俺を見ている。

「いじめてないってどういうこと……?」

俺が篤志を見ると、彼は頭の後ろを掻いて横を向いた。

「ほら、篤志」

慎二の言葉で篤志は咳ばらいをし、俺を真っ直ぐ見た。


「あのな京介。実はお前は何度も死んでいるんだ」


「は?」

俺は眉間に皺を寄せ、首を傾げた。

彼は手を後頭部に置いたまま、目線を一瞬下に下げた。

その後ろで自転車が通り過ぎた。

「京介、お前は今年の二学期に死ぬ。

俺らはそれを止めるために二学期を繰り返しているんだ」

「い、いや。何言ってるんだよ篤志。そんなバカな事あるわけないだろ……」

俺は口元を歪ませ、指先が細かく震えた。

チラッと横を見ると、みんな黙って視線を下に向けていた。

「最初はお前が峯田さんの家庭問題に首を突っ込んだところから始まった。

別居中だった彼女の父親に寄りを戻すように動いたせいで、お前は階段から落ちて死んだ」

「な、なに言ってるんだよ……」

口元が勝手に引きつき、呼吸が浅く早くなる。

篤志は唇を噛みしめ、数秒目を瞑ってまた口を開いた。

「その次は田中だ。新城さんと引っ付けるために、お前は不良役をしたら別の不良に殺された」

田中が横で涙を流しながら拳を握っている。

背筋に寒いものを感じながら、俺は篤志の目を見た。

「ははっ、そんなことがあるわけないだろ。それなら俺はどうして生きてるんだよ」

俺は自分の胸に手を当てると、ズキズキと痛みを感じた。


「それは、俺たちが何度もやり直しているからだ。

俺たちクラスメイト全員がお前を死なせないために、時間を繰り返している」


「そ、そんな。あり得ない……」

俺は体から力が抜けて、一歩後ろに下がった。

篤志は真っ直ぐ視線を逸らさない。

「お前は時間をいくら繰り返しても、クラスの誰かを助けるようとして死ぬんだ」

周りを見ると何人かの女子が涙を流し、男子も唇を噛みしめている。

「だから、俺たちは協力して個々の問題をお前に頼らないで解決することにしたんだ。しかしお前はそれでも俺たちの手助けをしようと何かを探し、死んでしまう」

「だから、俺を無視していたのか……」

篤志は黙ってゆっくりと頷いた。

「俺を死なせないためとはいえ、無視するなんていくら何でも極端じゃないか?

俺がこれまでどんな思いで一人で過ごしていたのか、お前に、お前らに分かるのかよ!?」

俺は大きな声を出し、鋭い視線を周囲に向ける。

息は荒くなり、肩が上下に動く。

篤志は目を潤ませて、俺を見つめる。

「俺たちがお前にどれだけ酷いことを、傷つけるようなことをしたのかは分かっている」

彼は口元を歪ませ、小さく肩を震わせる。

目元の潤いがさらに増していく。

「俺はお前の親友だ。クラスのみんなだってお前を友達であり恩人と思っている。

お前と話したいし、一緒に笑いたいって思うに決まっているだろ!!

……けど、もうこうするしか俺たちは方法が残ってなかったんだよ……」

体育館からはキュッキュッとシューズが床に擦れる音がする。

周りのクラスメイトは目を押さえて泣いている。

「なぁ、京介。俺はお前に生きていてほしいんだよ」

篤志は声を震わせ、目元から涙が一粒アスファルトに落ちた。

声になっていないのに口を何度も動かし、その度に涙が溢れてくる。

「お前に嫌われてもいいから、お前に生きていてほしいんだ……」

そんな彼の肩に慎二はポンと手を置いた。

篤志は肩を震わせながら、俯いて袖で涙を拭いている。

「なあ、京介。お前は俺たちのクラスのヒーローだ。

困っていたら誰であろうと助けてくれる」

慎二はゆっくりと俺を見ながら話しだした。

「けれど、自分を犠牲にしてまでなんて望んでないんだ。

誰もお前に死んでほしいなんて望んでいない」

バラバラのリズムで周囲が頭を縦に振る。

「ここにいる全員がループの中でお前に助けてもらったんだ。

どうかそのお節介、俺たちにもさせてくれないか?」

彼の隣で篤志が鼻をすすりながら肩を震わせている。

クラス全員の視線を感じる。

「……今までごめんね、宮田君」

「僕も京介くんに助けてもらったんだ」

「私も。今度は私たちにも頼ってよ」

みんなが俺に言葉を投げかける。

それだけで肩の力が抜け、自然と頬が綻んだ。

「……分かった。これからはみんなに助けを頼むよ」

俺は篤志に歩み寄り、右腕を彼の背中に回して抱きしめた。

親友の温かな温もりがじんわりと体に伝わった。


「なんかよく分からないけど、俺京介と宿題したいんだけど」

弘隆が一番後ろから間を縫って出てきた。

「元はと言えばお前が来たせいで狂ったんだよ、弘隆。

転校生なんて今までのループで来たことなかったんだから」

慎二は弘隆を指差した。

「そんなこと言われたって知らないよ」

弘隆は頬を膨らませながら、両手を腰に当てた。

「よし、弘隆。教室に戻るか。

そういえばお前にジュース奢ろうと思ってたんだった」

「え?ラッキー!」

弘隆はニカッと笑った。

「ちょっと、それなら私が京介に奢りたいんだけど」

美代子が歩き出した俺らを遮った。

「待って、僕だって」

「私だって宮田君と話したいよ。ずっと話せなかったんだから」

次々と声が上がっていき、誰が何を言ったか声が重なって分からなくなる。

「もうみんなうるさい!!ほら、来れるやつは今から教室で宿題やるぞ!」

俺が声を上げると、一斉に歩き出した。

「今日の数学の宿題分からないんだよな」

慎二がボソッと呟いた。

「私得意だから教えるよ」

「誰か英語写させて!」

「自分でやりな」

みんなに囲まれながらにぎやかな声とともに校舎に向かう。

冷たい風の中に、太陽は温かな光を注いでいた。



ガラガラガラ


「それでさ、今度彼氏が旅行行きたいって」

「マジで?海外とかお願いして見たら?」

薫と美代子がふと顔を上げる。

薫のカールした髪がふわりと揺れる。

「おっは~。今日も元気?」

「おう!お前らも元気そうだな」

俺は片手を上げて二人に笑った。

二人はニカッと笑いながら、ひらひらと手を振って来た。


教卓を過ぎるといつもの二人が向かい合って話し込んでいた。

「おい田中。俺、最近石田さんのことが気になっててさ」

「ぼ、僕大したアドバイスなんてできないよ……」

田中が首を傾げながら額に汗をかいている。

「あっ、おはよう」

「おう二人ともおはよう。なんだ翔太。恋愛で悩んでるなら俺が――」

「そこは恋愛マスターの慎二に任せな!」

いきなり慎二が俺の前に割り込んで俺を後ろに追いやった。

「おい、慎二!何が恋愛マスターだよ」

「うるさい!!俺こそが真の恋愛マスターなんだよ!!」

田中と翔太が口を開けたまま、俺らを見つめていた。

田中の眼鏡には二人の姿が映り込んでいた。


席に着こうとすると、佐々木さんが俺の前に来た。

「宮田君、おはよう。

昨日公園で捨て犬拾ったんだけど、誰か引き取ってくれないかな」

佐々木さんがスマホで子犬の写真を見せてきた。

毛布にくるまれて気持ちよさそうに眠っている。

「それなら俺が――」

「俺の従妹が犬欲しいって言ってたから、聞いてみるよ」

「篤志くん、ありがとう!!」

いつの間にか横に篤志が立っていた。

佐々木さんはニコニコしながら自分の席に戻っていった。

彼は俺の肩に腕を組んできた。、

「おはよう、京介。これからはクラス一丸でお前のお節介を阻止するからな」

「やれるものならやってみろ」

「言ったな!!」

彼が俺の肩を小突いた。

俺は親友と満面の笑みを浮かべた。

「おはよー、二人とも。

朝からニヤニヤして気持ち悪いねー」

「弘隆は空気読むのを覚えろ!!」

誰かの声と声が重なって、朝から教室ににぎやかな声が響き渡っていた。

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救世主 藤沢ローリング @fujisawa-rolling

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