第2章 苦悩

第10話 白い病室

 窓から吹く風が、病室のカーテンを揺らしていた。

 しかしそれは、決して心地の良いものではなく、夏を感じさせる湿気を孕んでいた。俺は丸い椅子から立ち、ピシャリと窓を閉めた。

 あの後、漆原はまだ意識を吹き返さず、俺と百瀬は彼女の見舞いに来ていた。百瀬もあんなにおびえていたのに、今では落ち着きを取り戻している。

 しかし、あのような出来事があったため、俺たちの間には微妙な空気が流れ、口はなさなかった。

 先に口を開いたのは百瀬だった。


「私は白雪が大好きなの」


 突然のカミングアウトに俺は少し動揺する。


「でも、自分のものにしたい、そう思うたび離れていく」


 俺は、彼女の顔は見なかった。


「今回だってそう。白雪があんたと一緒で、なんか頭が真っ白になって……」


 泣いていた。俺は彼女の顔を見なかったから、憶測である。しかし、確実に泣いていた。

 俺も口を開く。


「怪我させといて、好きですだと?ふざけんじゃねぇよ。そんなことで罪は消えないし、俺はお前を許せない」

「……それはそうね。私は白雪が起きたら、謝りたい」

「好きにしろ」


 彼女の有機な涙も、病院の無機質に吸い取られていくのだ。しかし、病院とはそういうところである。

 俺は、この奇妙な空気感の中、しばらく過ごすことになる。

 漆原が目覚めたのは、2時間たってからだった。


                   *


 漆原がゆっくり開けた時、歓喜の気持ちと同時に俺は困った。こういう時、どんな表情をすればいいのか、わからなかったからだ。

 俺は結局無表情になった。

 漆原は、目を開けた途端、まず病院に驚き、そして俺を見て、最後に百瀬を見た。

 そして、口を開く。


 「ごめん、なんか大けがしたみたいになって。心配したよね。こんなの別に何ともないよ!ほら、うっ!イテテテテ……」


 俺たちに心配をしてほしくないのか、彼女は自分の腕をぐるんぐるんと回した。しかし、傷は癒えておらず、俺はさらに心配になった。


「無理するなよ。まだ、いたんでるみたいじゃないか」

「そうだね……ちょっと無理しちゃった」


 漆原が起きてもこの気まずい空気は改善されず、ただ人数が増えただけだった。

 百瀬が口を開く。


「白雪、その……私、あなたに謝りたくて……」

「その必要はない」


 百瀬の話を割り込んで、男の声がした。

 俺と百瀬はその男を見て、漆原はそっぽを向いた。


「奏多ちゃんも来ていたのか、別に来ることは無いのに」


 男は漆原と俺に目を向けた。


「白雪、お前が怪我をするからだぞ!ん?男か」


 男は俺をじっと見つめ、そして視線を百瀬に戻した。


「まぁいい。奏多ちゃん今から、食事でも」


 俺は、困惑した。誰なんだこいつは、奏多と親しそうで、漆原を名前呼びできる……まさか!?

 俺は、椅子から勢いよく立ち上がった。


「あんた、漆原の父親なんじゃないか?」

「そうだが」


 椅子が、ガタっと音を立てて倒れる。


「じゃあどうして娘が怪我をしているのに、心配しない?どうして加害者の百瀬と食事に行こうとする?」

「俺がどうしようが、俺の勝手だ。それに奏多ちゃんは時期に加害者ではなくなる」


 俺には言っている意味が分からなかった。


「それは……」

「いずれ分かる。加害者になりたくなければ、もう俺引き留めるんじゃない」


 俺は圧倒されて、口を閉じた。なにも言い返せなかった。おそらく、この男は何かしらの権力を持っているのだ。逆らったら自分や周りの人間にさえ、影響を及ぼすだろう。


「お前は白雪の彼氏とかなんとかか……まぁそいつは好きにしてもらって構わない」


 そう言って、漆原の父親はくるっと向きを変えて、病室から出て行こうとした。百瀬もそれについていく。


「百瀬!謝りたいんじゃなかったかよ!」


 百瀬は足を止めた。しかし、顔を動かさない。


「奏多ちゃん。行くよ」


 漆原の父親に誘われて、ついには彼女は何も言わずに病室から出て行った。

 奴らが病室から出ると、そっぽを向いていた漆原がこちらを見た。


                  *


「あの人は本当に私の父親だよ」


 二人が去った病室で、先に口を開いたのは漆原だった。


「あいつが百瀬が篭絡しているっていう漆原の父親か」

「正確には篭絡とは言えない。百瀬はあいつのお気に入りだから」


 漆原はあきらめたような口調だった。きっとこれだけじゃない。今までも、最低な父親に娘をして見られてこなかったのだろう。


「なんだか知らないけど、自分の娘をほっとくなんて、許せない!今からでも、追っかけて……」

「やめて!」


 大きな声に驚いた。


「お願いだからやめて。私の父親はここら辺の土地もってる地主なの、法律とかそんなんでどうこう出来るもんじゃない。圧倒的権力。今回の件もきっともみ消される。その気になればあんたが被害者にもできるんだよ」

「……」

「私の父親が、こんな風になっちゃったのは、小学生とかそのあたり。つまり、彼女はその時点でもう……」

「父親じゃなくなったってこと?」

「うん。いや、実は前々から、私のことなんかどうでもよくて、女だから跡継ぎにもなれないし、ただのお荷物だって思われていたのかも……」


 何も考えていなかった。どこか、プリンセスを助ける王子様のような面をしていたが、それは俺の中の妄想で、現実はもっと何にもできないような残酷なのだ。


「だから……もういいの……」


 漆原は静かに泣いた。

 目からツーと涙が頬を伝っている。

 絶望した人間の泣くとはこういうものなのかと思った。


「やだ」

「えっ」

「この間言ったこと覚えてる?俺はお前をあきらめない。必ずなんとかする」

「だから、何も……」

「なんとかする」


 漆原は泣いたままで、怒った。


「何回言ったらわかるの?もう、無理なんだよ!何をするにも遅すぎた。あいつが絡んでいるすべてはあいつ次第で、いくらでも変化する。あんたが何かしたところで、どうこうなることじゃ」

「煩い」


 俺はもう決心していた。


「漆原が何と言おうと、俺はお前をあきらめない」


 そういって、俺は病室から出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る