繭水晶
アロウズの三階には、食堂とは別に広い休憩スペースが設けられている。
目玉はホワイトオークの大きな長方形テーブルとチェア。真ん中にはライムポトスやテーブルヤシなどを組み合わせた植栽が鮮やかに葉を広げており、いつ来てもコーヒーを傍らにノートパソコンで仕事をしているスタッフが必ず数人いる。
ミトはそのテーブルではなく、その周りに数組配置されている丸テーブルに突っ伏していた。ぷらぷらと所在なく揺らす脚が、時折チェアの脚に当たる。
(夏目……私のこと嫌いになったかな)
自分でも何を口走ったか、きちんと憶えていない。たぶん、根も葉もない罵倒を置き土産にその場を走り去った。
夏目の怒りを孕んだ眼差しが、瞼の裏によみがえる。疎遠になった友達も、とっくに別れた彼氏も、皆同じ目をしていなくなった。面倒だって吐き捨てて。
何がいけないの?
私は運命が好き。ロマンチックな出会いが好き。相手が優しい人だったらもっと好きになる。
学校で隣の席の子と仲良くなったのは運命だったし、彼氏は体育祭の二人三脚でペアになったときから好きになっていた。夏目は人生をかけた仕事の唯一無二のパートナー、これが運命じゃないならなんだっていうの?
今度こそ大切にしなきゃと思った。それなのに。
(また、間違えちゃった)
枕代わりに組んでいる腕の、袖をぎゅうと握る。
何度も同じ思いをしてるのに、どうして私って懲りないんだろう。どうして好きになってしまうんだろう。なり過ぎてしまうんだろう。
誰も手を握り返してはくれない。うざったいんだって、息が詰まるって、いつも背中を向けられるの。
また駄目だった。またわからなかった。
──せっかく素敵なパートナーを見つけられたのに、きっとまたお別れ。さみしいな。
昨日泣き腫らした目が再び熱を持ちはじめたときだった。
凍るような冷気が首筋に触れ、「ひゃあ!」と悲鳴を上げて飛び起きた。首を押さえて振り向くと、結露のついたジュース缶を手にした夏目が立っていた。
「おつかれ」
「夏目……」
「はい」とジュース缶を寄越され、呆然としながら受け取る。夏目は向かいの席に腰かけると、眉を下げてミトに笑いかけた。
「昨日ごめんね。二人と出かけるって、ちゃんと言っておけばよかった」
「な……なんで夏目が謝るの? 私が……」
私が、面倒くさい子、だから。
その言葉は口の中まで上ってきたのに、空気を震わせることができない。何度も言われてきた言葉。そのたびに私の心に傷を生んだ、因果応報の呪いの言葉。
ミトが何も言えずにいると、夏目は肩をすくめた。
「生涯を共にするんでしょ。喧嘩なんて一回で済むはずないよ。でも、あたしの友達に理不尽な怒り方はもうしないでね。それさえどうにかしてくれるなら、何回でも仲直りするから」
夏目が笑う。もう一度、笑ってくれた。
それがどんなにあたたかくて眩しいものか、彼女にはきっとわからないだろう。
ぎゅうと苦しくなる胸に、喜色に拍動する心臓。ミトは勢いよく立ち上がり、テーブルを挟んでいることなどお構いなしに両手を広げ身を乗り出した。
「大好き大好き大好き夏目〜!!」
「あごめん。そういうのちょっとめんどい」
「なんでよぉー!」
*
──神奈川県、横須賀市。
宙を飛び回るコウモリ型の中型イヴィル、『カリキリ』は潮の振るったスピアをひらりと躱し、鞭のようにしなやかな長い刃尾を振り上げた。空気を裂き、肌に触れれば即座に肉を断つ鋭い尾先をスピアで弾こうと構えるが、細長い尾がスピアの持ち手に巻きつき、あっと思った瞬間に奪い取られてしまう。
「おい、武器奪られてどうする」
「だって当たらないんですよ! 核の位置はわかっているのに」
潮が歯噛みする。
潮の持つ顕質『ハクドウ』の卓越した感知能力は、イヴィルの核の位置を感覚で視ることができる。他の戦闘員が戦いの中で見つけ出す核の位置を正確に把握できるのは、他の追随を許さない強みだった。
しかし、それを活かせるだけの戦闘経験が圧倒的に足りない。トレーニング用の擬似体は打ち落とすことができても、実際に対峙するイヴィルは当然避けるし、カウンターしてくることもあるし、何より硬い。個体によってはスピアの刃だって弾かれる。そのスピアの強度を高めるのもまた、使い手の技量次第だというが。
潮の手を離れたスピアは少しずつほどけて、カリキリの尾から零れ落ちる。
潮は新たなスピアを生成し身構えながら、後方で腕を組んでいる白夜を一瞥した。
「少しくらい手伝ってくれてもいいじゃないですか」
「阿呆。私がやったら二秒で終わる」
「秒!? 分ではなく!?」
「秒」
潮は悔しそうに唸ると地を蹴って跳び上がり、核ではなく右の翼の付け根を目がけてスピアを振り上げた。片翼を切り離されたカリキリは大きくバランスを崩し、地面に向かって落ちていく。
潮は手のひらをカリキリに向け、その中央に集約するブラッドセルの奔流に意識を集中させた。
粒子のねばつく重みをまとめ上げ、手のひらに生成するブラッドセルの結晶。菱形に象られたその先端は錐のように鋭く、最後部を繋ぐ鎖が宙に揺らめく。
落ちゆくカリキリの頭部に照準を合わせ、潮は歯を食いしばると、手のひらからその結晶を撃ち出した。
射撃に等しい反動を伴い撃ち出されたアンカーの尖端が、カリキリの頭部に突き刺さる。そこから繋がる鎖を強く握りしめた。
この鎖は導体だ。この導体を通して自分の中のブラッドセルをカリキリの体内に流し込み、内部から破壊するためのもの。
鎖にプラズマがほとばしる。瞬間、カリキリの頭部が幾多もの杭によって内側から貫かれた。頭だけが雲丹になったような妙な姿に成り果てながら、カリキリは地面に衝突して動かなくなった。
着地した潮が、血の気の引いた顔で膝に手をつき項垂れる。
「うう……アンカーを使うの、やっぱりしんどいです。セルがすごく持っていかれる」
「核に当たってるなら、それほど流し込む必要ないよ」
「量の調節が難しくて……足りなくて仕留められないよりは多いほうがいいかな、と」
「……力業だな。節約も憶えろよ」
白夜が肩をすくめる。
「おまえの場合、アンカーを撃った程度で身体のセルがなくなるわけがない。一度に大量のセルが抜けていく状態に身体が慣れていないだけだ。そのうち解決する」
「はい」
潮がうなずく。
一つ大きな息を吐くと、一陣の風が吹いた。髪が煽られ、思わず目を瞑ってしまうほどの突風。
そして──なんの予兆もなく、全身を貫くような鋭い痺れが奔った。
慌てて振り返る。何もいない。ただ、そこに見える大通りの奥に、陽の光が差している明るい道に、どろりと溜まった毒の澱。
等々力が怪訝な眼差しを向ける。「どうした」
「……何か、います」
潮が目を細めてそれを見つめる。何も見えなくても、ハクドウの感覚器がそれを感じ取っている。
白夜は処理班を呼ぼうと右手に握っていたスマホをポケットに戻し、「どこだ」と低い声で訊ねた。
大通りを途中で曲がり少し進むと、廃業したスーパーがその形を遺していた。文字の掠れた大きな看板は外れかけ、中は商品ラックや冷蔵ショーケースが乱雑に寄せられている。照明など点いているはずもない暗い空間は、昼間でも不気味な様相を呈していた。
目の前に鎮座するそれを見つめ、潮は目を見開いた。
「等々力さん……これ、黒水晶、ですか? 白いんですけど……」
愕然と呟く。白夜は眉を寄せ、「見たことがない」と答えた。
外からは見えない、スタッフ用扉を抜けた通路に白い水晶体が根を張っていた。
黒水晶によく似ているが、艶があり透き通った黒水晶とは違い、その内側は白く濁り、表面はわずかにざらりとした砂のような粗さが見える。
「中は視えるか」
「いえ、視えません。気味の悪さは感じますが、内部構造が不透明です。……あっ、ちょっと、近づいて大丈夫なんですか」
「大丈夫かどうかを判断するんだよ。研究室に連絡するにしても、危険がないことを確認してからだ」
「そ、そうですね。たしかに」
潮がうなずく。白夜は水晶の表面に手を滑らせた。
硬く冷たい表面のざらざらとした凹凸の感覚が、グローブ越しにも伝わってくる。見て呉れはただの鉱石。沈黙するオブジェクト。
しかし、無視できない懸念点が一つある。
(ハクドウはこれを感知対象とした。イヴィルの擬態か……?)
白夜は潮に下がるよう指示すると、右手にスピアを生成し、水晶の一角に軽く刃を振るった。カン、と軽快な音をたてて刃が弾かれる。水晶体は動かない。
この場でどうにかなるものでもないようだ。
白夜は腑に落ちない気分で鼻を鳴らすと、潮を振り返った。
「ひとまず研究室に連絡する。対処はそのときに──」
潮の目が見開かれる。その視線は白夜の後ろに注がれていた。
ぱき、と何かが割れる音。息を呑む。
「等々力さん!」
潮の悲鳴に似た声が、鼓膜を揺らした。
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